S4-4-JP
『タコの心身問題』のゴドフリー゠スミスと語る、生き物の意識 #4
心はどこまで広がるのか──自己性、環境、そして地球システム

- ケニア、マサイマラを見渡すライオンの雌
タコなどの頭足類の研究を通じて「心の哲学」に斬新な視点を提供したオーストラリアの哲学者ピーター・ゴドフリー゠スミスと、認知科学や文学などを交えた横断的な視点から「心」について思索を重ねている哲学者の下西風澄によるオンライン対談。最終回となる第四回は動物や生命の意識を自然や生態系と関わっているものとして捉えるゴドフリー゠スミス氏の近著『Living on Earth』、グレゴリー・ベイトソン、そして最後に「自己性」について語り合う。(全4回)
写真提供:ピーター・ゴドフリー゠スミス
通訳:山田カイル
編集:柴俊一
-
Contents
-
生態系に「心」はあるのかという議論をめぐって
下西 最後に近著『Living on Earth』[★01]★01についてお聞きしたいと思います。あなたはこの本で、動物や生命の意識を、大気や地質など、自然や生態系そのものと関わっているものとして捉えるビジョンを示しています。タコのような頭足類からはじまって、メタゾアのようなミニマルな生物へと進み、無生物や物質、環境のようなものに関心が移っていったのは、どういう理由からですか?
ゴドフリー゠スミス 私は、生態系が「心」を持っているとは思いません。そう言いたくなる人がいるのは理解できますが。もっとも、それが本当にそうだと示されるなら考えを変えてもかまいませんし、それもまた魅力的だと思います。
『Living on Earth』という本の目的は、地球システム全体の重要性、そして動物やその他の生命がそのシステムを変えていく役割を認識することにあります。その際に、『メタゾア』で展開した「心」についての見方を背景として使っています。つまり、心を持つには、主観性や自律性の進化が必要だという立場です。
地球システムは、それとはまったく異なる種類の対象です。たとえば、生き残るために他者と競争し、行動を進化させていく動物とは異なります。地球システムは、まったく別の種類の「全体」なのです。

- ゴドフリー゠スミスさん
だからこの本では、地球システムを「命を持っている」とか「独自の心を持っている」とか、そういった主張をすることなく、それが生命によって影響を受けている特別な全体であると認識する、ということをめざしています。
下西 ええ、あなたはガイア仮説に対しても距離を取っていましたね。地球や生態系そのものが生命や意識を持っているというのではなく、生命や意識を支えている条件や絡まり合いについて思索されています。
意識は頭の中にはなく、脳だけで完結しない
下西 他方で、生態系や生命と環境との相互作用、つまり自然現象のプロセスそのものの中にこそ、精神の本質がある、といったのはグレゴリー・ベイトソン[★02]★02です。あなたは最近ベイトソンは読んでいないとおっしゃっていましたが、それでも、なんとなく近いところがあるような気がします。
しかし、今のお話を伺うと、やはり立場はかなり違うのかもしれません。その点についても、聞かせてもらえますか?
ゴドフリー゠スミス ベイトソンは学生のころに読みましたが、もうずいぶん昔のことです。むしろ、彼の考えの中で何が価値ある点で、何が独自性を持っているのか、ぜひ教えてもらえませんか。もしかしたらもう一度読んでみたほうがいいかもしれないので。彼の最も優れた点はどのあたりにありますか?
下西 ベイトソンの面白いところは、「意識は頭の中にはなく、脳だけで完結しない」ということを最初にはっきりと示した点だと思います。たとえば、木こりが木を切るとき、その主体は「木こり」ではなく、「木」と「木こり」と「目印」との間にできる循環的なサーキット、そのプロセスそのものに意識のようなものが成立している、と彼は言っています。
また、漸進主義(グラデュアリズム)の立場に立つとき、進化の中でのグラデュアルな変化ももちろん重要ですが、物質同士の相互作用から生命が生まれ、さらに複雑性が増すことで意識が現れるというプロセスも考慮すべきです。その過程を理解するには、エージェント同士の相互作用に注目することで、物の見方がよりクリアになるのではないかと考えています。

- 下西風澄さん
ゴドフリー゠スミス なるほど。フィードバックの重要性については認識しています。特に、木こりと木の例はわかりやすいですね。
たしかに、従来の見方では、経験する主体は人間だけで、木は人間の行動や知覚の結果にすぎず、人間が関わるシステムの部分としてしか捉えられていません。その木も全体の重要な構成要素ではありますが、それでも経験主体はあくまで人間にとどまるというのが、伝統的な見解といえますね。
でも、ベイトソンは、私たちがその全体のシステムそのものに、ある種の心的な地位、あるいは主体のような地位を認めるべきだと提案しているように思います。この考え方は、今後さらに探求する価値があると思います。
そのうえで私が知りたいのは、そうした普通と違う見方に移行することで、私たちが何を得られるのかということです。つまり、「心」がシステムの中の無生物、あるいは少なくとも動物以外の部分にも広がっていると考えることで、どんな洞察が得られるのか。それは、私たちにどんな助けになるのでしょうか?
下西 一つは、これはあなたとはたぶん立場が違うと思いますが、ベイトソンはサイバネティクス[★03]★03の出身でもあるので、ある種のマシーンによってフィードバック・システムを作ると、そこにも意識みたいなものが見えてくる、というような思索の可能性が開かれる、というのがあります。これは現在のAI(とくにマルチエージェントLLM)やロボティクス研究、またあるいは自然環境モニタリング研究など、機械的なエージェントの相互作用が現実に溢れかえるであろう時代に、「意識」や「主体」の存在論的地位を考えるうえで重要な視点になるのではないかと思います。
もう一つは、やはりこれからは、人間の主観性のようなものに対する生態系の影響が、すごく重要になってくると思います。たとえば、天候とか、土壌とか、環境とか。まさにあなたが『Living on Earth』に書いたような、生態系の中で培われる「心」みたいなものを考えるときに、意識と環境の影響関係や、ある種のカップリングのかたちで意識を捉え直すことには、西洋哲学が「自己」というものの中に意識を閉じ込めようとしてきたのをラディカルに開いていく、というインプリケーションがあると思います。

- オーストラリア、シャーク湾のストロマトライト(シアノバクテリア類の死骸などによって作られる層状構造の岩石)群落
西洋哲学の物語が機能しなくなるこれからの時代に
ゴドフリー゠スミス うん、ある意味で、これは今日の議論を締めくくるにちょうどいいタイミングだと思います。というのも、私たちがはじめに議論したトピックに戻ってきたからです。
ここで浮かび上がってくる問いは、西洋哲学が当然のように主張してきた「自己と他者」「心と世界」の間にある根拠の薄い明確な分離と、進化論に基づいたより正当性のある見方との関係は何か、ということです。
進化論に基づいた正当性のある見方では、細胞というのは境界をもって存在するものです。その境界は熱力学的な理由によって生じます。生命活動が環境にただ拡散してしまうような状態では、その秩序はすべて失われてしまうからです。だからこそ、「自己性(selfhood)」がなければ生命は成り立たず、そこに主観性の始まりが生まれてくるのです。
つまり、根拠の薄い分離の考えにもある種の関係をもちながらも、より根拠のある理解の道筋があるということです。そしてこのときのベイトソンの立場というのは、あなたが冒頭で挙げていた日本的な伝統にもどこか似ているように思えます。この対話の終わりのタイミングで、それらのアイデアが再び交わるのは、とても興味深いですね。
下西 ええ、本当に。それでは、僕も最後に一言。
「自己性」とは何なのか、この問題はAIが登場し、環境が不安定になり、西洋哲学の物語が機能しなくなるこれからの時代、さまざまな形で問い直されていくと思います。僕はフランシスコ・ヴァレラ[★04]★04の研究をしていたので、生命が「自己」という境界を絶えず自分自身で作っていくようなあり方に関心があります。その「自己」は固定的なものではなく、常に崩壊の最中にあり、相互作用の中で変化していく「自己形成」のようなものです。
ですから、進化的な必然性としての「自己」という側面もありつつ、それと同時に「自己」というものを環境から不当に分離しない、もっと柔軟な「自己」概念を考える必要があると考えています。ヴァレラやベイトソン、あるいはあなたの仕事はその可能性を示唆していると思うので、これらの哲学を総合的に参照しながら、いわゆる西洋形而上学の外側で思考していきたいと感じました。
今日は、その思考にヒントをもらえるような興味深い議論をたくさんできたと思います。ありがとうございました。

- 写真:yokohamamarino
(2025年7月8日、東京-シドニーONLINE)
『タコの心身問題』のゴドフリー゠スミスと語る、生き物の意識
#1 人間と動物の境界をゆるめる
#2 分かれる自己、つながる自己──タコ、デネット、意識の進化
#3 言葉を操るだけで心は生まれるのか──LLM、そして動物との対話
#4 心はどこまで広がるのか──自己性、環境、そして地球システム
★01 Peter Godfrey-Smith, Living on Earth: Life, Consciousness, and the Making of the Natural World. Farrar, Straus and Giroux, 2024
生命の誕生から人間の文化や意識の出現に至るまで、「生き物が環境を変え、環境もまた生き物を形づくってきた」という双方向の働きに焦点をあてる。シアノバクテリアの酸素発生、植物の陸上進出、動物の意識の形成などを論じつつ、人間の影響(気候変動、工場畜産、自然破壊など)について倫理的な反省を促す。邦訳はみすず書房近刊。 ★02 グレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson, 1904–1980)は人類学者・社会科学者・サイバネティクス学者で、文化・心・生態系の相互作用を重視する思考で知られる。生物学を学んだ後、ニューギニアやバリ島で民族誌調査を行い、文化表象や儀礼を文化・心理・社会・言語の織り交ぜた形で考察した。彼の仕事は、人間と環境を分断しない全体論的視点、システム思考、観察者を含む認知(セカンド・サイバネティクス)などに大きな影響を与えた。著書Steps to an Ecology of Mind(1972、邦訳『精神の生態学へ』岩波文庫)、Mind and Nature(1979、邦訳『精神と自然』岩波文庫)など。 ★03 サイバネティクス(cybernetics)は、数学者ノーバート・ウィーナーが1948年に提唱した「制御と通信に関する学の一般理論」。生物や機械に共通するフィードバックの仕組みを数理的に扱い、情報理論やシステム論、AI研究の基盤を築いた。20世紀後半の社会科学や哲学、さらに芸術・建築などの分野へ大きな影響を与えた。 ★04 フランシスコ・ヴァレラ(Francisco Varela, 1946–2001)はチリ出身の生物学者・哲学者。ウンベルト・マトゥラーナとともに生命と認知の循環的プロセスを論じ、「オートポイエーシス」の概念を発展させた。認知科学や神経科学、人工生命研究に影響を与えた。

- ピーター・ゴドフリー゠スミスPeter Godfrey-Smith
- 1965年、シドニー生まれ。シドニー大学教授。専門は哲学(生物哲学、プラグマティズム/ジョン・デューイ)。練達のスキューバ・ダイバーでもある。著書に、Other Minds: The Octopus, the Sea, and the Deep Origins of Consciousness(Farrar, Straus, and Giroux, 2016./『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』夏目大訳、みすず書房、2018)、Metazoa: Animal Life and the Birth of the Mind(William Collins, 2020,/『メタゾアの心身問題――動物の生活と心の誕生』塩﨑香織訳、みすず書房、2023)、Living on Earth: Forests, Corals, Consciousness, and the Making of the World(William Collins, 2024/邦訳みすず書房近刊)ほか。
写真:Daniel Boud

- 下西風澄しもにし・かぜと
- 1986年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。哲学と文学を中心に執筆活動を行う。著書に『生成と消滅の精神史──終わらない心を生きる』(文藝春秋)。執筆に「生まれ消える心──傷・データ・過去」(『新潮』)、「演技する精神へ──個・ネット・場」(『文學界』)、「ぼくは言語」(『群像』)、「青空を見つめて死なない」(『ユリイカ』)など。詩に「風さえ私をよけるのに」(『GATEWAY』)、「ぼくたちは死んでいく。」(朝日新聞)ほか。
写真:新津保建秀