S4-3-JP
『タコの心身問題』のゴドフリー゠スミスと語る、生き物の意識 #3
言葉を操るだけで心は生まれるのか──LLM、そして動物との対話

- オーストラリア、ネルソン湾のハナビラミノウミウシ(Phyllodesmium poindimiei)
タコなどの頭足類の研究を通じて「心の哲学」に斬新な視点を提供したオーストラリアの哲学者ピーター・ゴドフリー゠スミスと、認知科学や文学などを交えた横断的な視点から「心」について思索を重ねている哲学者の下西風澄によるオンライン対談。第三回は「オンライン/オフライン認知」、言語の役割、大規模言語モデルについてなど。(全4回)
写真提供:ピーター・ゴドフリー゠スミス
通訳:山田カイル
編集:柴俊一
-
Contents
-
オンラインの知覚/オフラインの知覚
下西 そのような複雑性や洗練された意識の一つに、人間はヴァーチャルな世界のシミュレーションができるということがあると思うんですけど、あなたは、実は動物も一部そういう機能を持つのではないか、と論じてますね。つまり、眼の前の環境に反応する「オンラインの知覚」だけではなく、それとは切り離された「オフラインの知覚」を、動物も持つ可能性があるんじゃないかと。
本の中では、タコが夢を見ているかもしれないとか、ラットが行動する前にプリプレイ(事前行動)をしたり、あるいはリプレイ(再現行動)をしたりするとか、人間以外の生物のオフラインの知覚や意識の可能性についても論じられています。これは、人間の意識と動物の意識をつなげるヒントになりそうな気がします。
ゴドフリー゠スミス ええ、オフライン認知は、他のタイプの認知と比べても明らかに違いをもたらす、高度化の一形態だと思います。複雑性や洗練度の向上として捉えられますね。挙げてくださった例については、タコやその他さまざまな動物における「夢を見る」という現象の証拠が増えてきていますし、ラットが目的地までの経路を事前に試すといった行動も見られます。これらも重要なオフライン認知の一種だと考えています。
こうした能力は、人間の心だけでなく、一部のノンヒューマンの心にも見られる洗練の現れだという点は強調しておきたいと思います。

- ゴドフリー゠スミスさん
下西 もし動物がオフライン認知をしているとしたら、それは「being there(今ここにいる)」ではなく「being elsewhere(どこか別の場所にいる)」だ、とあなたはおっしゃっていたと思います。この表現はとても興味深いですね。
ただ人間の場合、「別の場所」や「別の時間」のスケールが非常に大きくて、たとえば10年前の記憶とか、あるいは100年後の未来のことまで考えられる。そういう意味で、動物に比べて人間のほうが「here and now(ここ・いま)」を超えて考えるスケールが圧倒的に広いと思うんです。人間も動物も同じオフライン認知をしているという意味においては連続的だとも言えるし、他方ではこのスケールの差こそが人間と動物の本質的な違いであるとも言えそうですね。
ゴドフリー゠スミス ええ、そう思います。
「いまここではない、どこか」をなぜ人間は考えられるのか?
ゴドフリー゠スミス 人間がなぜ時空を超えるスケールを持てるのか、それはおそらく言語の心理的な役割と大いに関係していると思います。私たちが言語の助けを借りて自然に行っている複雑なスキルのうち、どれが本質的には言語なしでも可能なのか、見極めるのは難しいところです。状況によっては、あるいは必要に応じて、言語なしでもできるものがあるかもしれません。
とはいえ、言語の処理能力には、洗練されたさまざまな形態があるように見えます。音声として話される言葉から、頭の中で発せられる言葉まで。たとえば、遠い未来を思い描いたり、過去を反芻したり、過去の出来事を再構成したり、現実には決して起こらないであろう純粋に仮想的な状況について考えたりする能力などです。こうしたことすべては、少なくとも言語によって大いに助けられているし、その一部については、おそらく言語に依存しているのではないかとも思います。
下西 そうですね。ヴィゴツキーは意識にとって本質的なことは、声に出す言葉ではなく、頭のなかで話し声を「内化」して無言で話す「内言(Inner Speach)」だと考えました。知覚や行動だけではなく、頭のなかで勝手にしゃべってしまっていることが意識の内面を形成していくということは、僕も本質的に重要だと考えています。
そこから考えると、動物の意識というものはどうでしょう? たとえばタコが夢を見たり、ラットがプリプレイやリプレイをするという意味では、たしかにオフライン認知や仮想世界のシミュレーションはできるかもしれません。ただ、動物に「内言」と呼ばれるようなものはあるのでしょうか? それは言語の有無という問題とも関連してくると思うのですが。

- 下西風澄さん
ゴドフリー゠スミス ノンヒューマンに関して言えば、内言はないと思います。内言というのは、「外言(外に出す言葉)」に依存していると思うのですが、そもそも「話す」という能力自体が人間に特有のものです。他の動物にもそれに似たようなものがかすかに見られるかもしれませんが、基本的には人間だけの能力です。
もちろん、オフライン処理に言語が絶対に必要というわけではありません。ですが、遠い未来の可能性を思い描いたり、過去の出来事を再構成したり、バラバラの情報を意図的につなぎ合わせるような高度なオフライン処理を行うには、言語が必要になるかもしれません。
すべてのオフライン処理が言語に依存しているわけでないことは、動物の夢の例などからも明らかです。ただし、特定のタイプのオフライン処理については、「話す能力」と、それが心の構造に及ぼす影響に強く依存している可能性があると思います。
大規模言語モデルに意識はあるか?
下西 言語を操る能力に関連して、ぜひ議論したいと思っていたのは、「大規模言語モデル(LLM)」についてです。あなたは『メタゾア』を執筆されたときには、「AIには意識はない」という立場だったと思います。ですが、LLMという新しい技術が誕生した今、多くの人がAIに対して意識や親しみを感じるようになっています。生命も身体も持たないのに、言語を操るだけでかなりコミュニケーションができる存在になっています。そうした状況を踏まえて、あなたは今でも「AIに意識はない」と考えているのか、それともなにか考え方に変化はありましたか?
ゴドフリー゠スミス 私の考えは変わっていません。LLMができることは本当に驚くべきことです。それにはまったく疑いはありませんし、非常に急速に進化してきました。それでも私は、LLMが意識を持っているとは思いません。『メタゾア』を書いたときに予想していた以上に、高度な知性が示されているとは思いますが、知性と経験は別物だと私は考えています。
LLMが意識を持っていないと考える理由には、二つのはっきりとした根拠があります。一つはあまり議論の余地がないもので、もう一つはやや議論を呼ぶかもしれないものです。
一つ目の理由ですが、LLMは単なる予測マシンです。それが行っていることは「次に来るテキストを予測する」ことであり、意識ある全体的な有機体(オーガニズム)とは、構造的にまったく異なります。
次に、もう一つのやや議論を呼ぶほうの理由ですが、私は「物理性(フィジカリティ)」——つまり、それが何でできているか、どんなハードウェアなのか——が重要だと思っています。神経系は心のための特別な物理的基盤であり、それは「経験」と深く結びついているものです。一方で、通常のコンピュータのハードウェアはまったく異なる基盤であり、経験の可能性との関係もまったく異なると考えています。
『メタゾア』でも書いたように、「意識を持つには、もっと“脳のような”物理的構成が必要だ」と今も思っています。つまり、神経系の物理的性質そのものが重要な違いを生み出しており、LLMのようなシステムが依って立つ通常のコンピュータ・ハードウェアというものは、おそらく、どんなプログラムを走らせようと、意識を持つことはないだろう、というのが私の考えです。
下西 僕も、人間と機械という「異なるハードウェア」で、「同じ意識」が生じるとは考えていません。その意味ではあなたと近い立場です。
ただ、よくある反論として、「人間だって予測機械じゃないか」と言われることがあります。それから、LLMにはホルモンや内臓感覚はもちろんありませんが、ロボティクスによって環境とインタラクションできる擬似的な身体を持ち、さらに、ホルモンや内臓感覚のようなものをエミュレートする物理的なハードウェアを持つようになったら、それはもう「意識がある」と言えるのではないか、というような議論もあります。こうした反論に対しては、どう思いますか?
ゴドフリー゠スミス 私は、「身体が必要だ」というだけでは不十分だと思っています。『メタゾア』で提案しているのは、脳内におけるネットワーク的な相互作用と、もっと全体的で大規模な動的パターン、その両者の組み合わせが意識の存在にとって重要だということです。もちろん、これも誰にも本当のところはわかりません。ただ私が支持したい考え方ということです。
そして、そのような組み合わせは、通常のコンピュータのハードウェアには見られません。神経ネットワーク内のニューロンの発火に影響を与え、同時にその発火からも影響を受けるような、大規模で振動的なパターンといったものは見られないのです。
もし私たちの脳にあるそうした特徴の組み合わせが意識にとって本当に重要なのだとすれば、人工的な脳をつくるには、それと同じような組み合わせをもった人工システムを構築しなければなりません。それがいつか可能になるかもしれませんが、今の普通のコンピュータのハードウェアとは、かなりかけ離れた話です。

- オーストラリア、ネルソン湾で絡み合う2匹のタコ(Octopus tetricus)
解析ツールとしてのAI
下西 それでは、もしも人間とほとんど区別がつかないようなAIエージェントのようなものが現れたとき、その存在を人間と明確に区別されたものだと言えると考えますか? 哲学では、中身が異なってもその機能さえ実現していれば意識の要件を満たしているとする立場(機能主義の「多重実現可能性(multirealization)」)がありますよね。中身はまったく違うけれど、見た目には区別がつかない、という存在が現れたとき、それは生命の進化のプロセスには含まれていない存在です。でも、それをある種の「別の心(Other Mind)」と呼ぶことはできないと思いますか?
ゴドフリー゠スミス そもそも、通常のコンピュータ・ハードウェアを使って、人間と本当に見分けがつかないような人工システムを構築できるとは、私は思えないんです。だから、その前提には抵抗があります。私たちが「何でできているか」ということには、微妙だけれど重要な違いがあると思うのです。
前世紀に提案された「マルチリアライゼーション(多重実現可能性)」については、スタンフォード大学のローザ・カオ[★01]★01に説得されて、優れた議論ではないと思うようになりました。
とはいえ、仮にそれを実現できるとしましょう ―― 私の考えが間違っていて、通常のコンピュータ・ハードウェアで私たちと見分けがつかないようなシステムを作れるとしましょう。しかし、それは非常に高度な知性を持つかもしれませんが、「経験」を持つことはないと思います。私は知性は備えていても経験を持たない存在はありうると考えています。
下西 なるほど、ありがとうございます。
「AI自身が意識を持つか」といった議論とは別に、AIを解析ツールとして使う新しいチャレンジや研究も出てきています。
たとえば、「Project Ceti」といった、クジラの歌の音響データを大量に集めて、それをAIや機械学習で解析して、人間の言語に翻訳できないかという研究があります。あるいは、鳥のさえずりを分析するためのトランスフォーマーを開発する研究もあります。鳥の言語を人間の言語に「翻訳」するというより、鳥のさえずりのパターンそのものからの意味生成を理解するような方向性です。
私たちが直接動物とコミュニケーションするのではなく、AIを介して動物の言語や自然環境のデータを解釈する、そうしたプロジェクトについてはどう思われていますか?
ゴドフリー゠スミス あまり詳しくはありませんが、とてもエキサイティングだと思います。動物のコミュニケーションの研究、特にクジラの歌に関する研究は、とても良いアイデアだと思います。もっと学ぶ必要がありますが、それがうまくいかない理由は見当たりません。本当にうまくいくかもしれないし、それは素晴らしいことです。
また、そうしたさまざまなタイプのプロジェクトがあること自体、とても興味深いですね。この領域には大きな可能性があると思っています。
(2025年7月8日、東京-シドニーONLINE)
(#4へつづく)
『タコの心身問題』のゴドフリー゠スミスと語る、生き物の意識
#1 人間と動物の境界をゆるめる
#2 分かれる自己、つながる自己──タコ、デネット、意識の進化
#3 言葉を操るだけで心は生まれるのか──LLM、そして動物との対話
#4 心はどこまで広がるのか──自己性、環境、そして地球システム
★01 ローザ・カオ(Rosa Cao)はスタンフォード大学の哲学者で、心の哲学・神経科学・機能主義・認知科学などを専門としている。 論文 “Multiple Realizability and the Spirit of Functionalism”(2022)で、「多重実現可能性(multiple realizability)」の主張を再検討し、神経科学の最近の成果を踏まえると、心的な能力が(コンピュータのような)非常に異なる物理的基盤によって実現されるという可能性は、これまで考えられてきたほど自由ではなく、かなり制約されていると論じた。 https://philosophy.stanford.edu/people/rosa-cao

- ピーター・ゴドフリー゠スミスPeter Godfrey-Smith
- 1965年、シドニー生まれ。シドニー大学教授。専門は哲学(生物哲学、プラグマティズム/ジョン・デューイ)。練達のスキューバ・ダイバーでもある。著書に、Other Minds: The Octopus, the Sea, and the Deep Origins of Consciousness(Farrar, Straus, and Giroux, 2016./『タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源』夏目大訳、みすず書房、2018)、Metazoa: Animal Life and the Birth of the Mind(William Collins, 2020,/『メタゾアの心身問題――動物の生活と心の誕生』塩﨑香織訳、みすず書房、2023)、Living on Earth: Forests, Corals, Consciousness, and the Making of the World(William Collins, 2024/邦訳みすず書房近刊)ほか。
写真:Daniel Boud

- 下西風澄しもにし・かぜと
- 1986年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。哲学と文学を中心に執筆活動を行う。著書に『生成と消滅の精神史──終わらない心を生きる』(文藝春秋)。執筆に「生まれ消える心──傷・データ・過去」(『新潮』)、「演技する精神へ──個・ネット・場」(『文學界』)、「ぼくは言語」(『群像』)、「青空を見つめて死なない」(『ユリイカ』)など。詩に「風さえ私をよけるのに」(『GATEWAY』)、「ぼくたちは死んでいく。」(朝日新聞)ほか。
写真:新津保建秀