F3-8-2
人工生命研究者・池上高志が考えてきたこと #2
ロスアラモスでALIFEの研究を深める
物理学者であり人工生命研究者の池上高志さん(東京大学教授)が、人工生命の研究を深めていくことになったのは、1980年代にロスアラモス国立研究所にいた金子邦彦さんをはじめ、当時、奇跡的にかの地に集まっていた複雑系科学・人工生命研究の先駆者たちとの出会いでした。生命を物質的な成り立ちからではなく、そのダイナミクスの性質から捉えようとしたきた池上さん。「生命とは何か」を考え続けてきた池上さんの半生に迫ります。(全4回)
写真:高橋宗正
聞き手:田井中麻都佳、柴俊一
構成・編集:田井中麻都佳
-
Contents
-
ロスアラモス:「あの青い空の下で過ごした時間は、本当に奇跡のようでした」
T ところで、池上さんはどういうきっかけで、ロスアラモスに行かれたのですか?
池上 1980年代に、ロスアラモスのCNLS(Center for Nonlinear Studies:非線形科学センター)に、当時一緒に研究していた金子邦彦[★01]★01さんがいらしたというのが大きいですね。金子さんとの議論のなかで、生物ネットワークにおける多様性維持のメカニズムとして働きうる「ホメオカオス」の理論を考えたときはとても楽しかった。これは、免疫系のネットワークや熱帯雨林、言語、現在のウェブの多様性のメカニズムにも通じるもので、その後、ロバスト(頑強)なシステムを考えるうえで重要なベースとなっています。

- 池上高志さん
当時のCNLSには、金子さんのほかにも人工生命の国際会議を立ち上げたクリストファー・ラングトン[★02]★02や、コンピュータの中のラムダ計算化学系をはじめたウォルター・フォンタナ[★03]★03、現在はオックスフォード大学の教授で、カオス研究者のドアン・ファーマー[★04]★04など、世界中から精鋭が集まっていました。みんながALIFEに興味を持っていて、ALIFE研究を深めるきっかけにもなりました。80年代にロスアラモスのあの青い空の下で過ごした時間は、本当に奇跡のようでした。
ちなみに、ドアン・ファーマーはのちに、ノーマン・パッカード[★05]★05と「プレディクション・カンパニー」(予測会社)という、非線形科学を使った株予測の会社をサンタフェにつくったんですね。サンタフェ特有の土壁の建物なのに、扉を開けると中にコンピュータがズラーっと並んでいて、壁に「ここではすべての解析計算は適用しない、間違える」と書いてあって、カッコよかった(笑)。なにせ、株価の予測の場合、3%くらいでも予測が正しければ、評価されるのだという。結局、このプレディクション・カンパニーはスイス銀行に買収されて、彼らは巨万の富を得るわけですね。そのお金でパッカードがイタリア・ヴェニスにつくったのが、「ProtoLife」という生命をスクラッチからつくる研究所[★06]★06でした。
生命へ:「『生命とは何か』を突きつめようとするのは物理学者くらいですよ」
T やはり池上さんのなかでは、生命とは何かを突きつめたい、ということが研究のモチベーションになっていたのでしょうか?
池上 シュレーディンガーがそうであったように、「生命とは何か」を突きつめようとするのは物理学者くらいですよ(笑)。生物学者に生命とは何かなんて聞いたら、嫌がられてしまう。ちなみに、ALIFE(人工生命)というのは、化学現象や物理現象に生命を宿すことができるのはなぜか、生命とは情報のことか、それを探っているわけですね。いわば、AIに生命性を持たせるのがALIFEです。
S 物理学から複雑系やALIFEへと興味が広がったのは、やはり生命が念頭にあったと?
池上 僕は小学生の頃から物理学者になろうと思っていたんですね。そもそも父親が物理学者(池上英雄[★07]★07)で、かなり影響は受けました。そして、物理を専攻する人の多くがそうであるように、量子力学や相対性理論に興味を持っていました。僕自身、中高生の頃は、「それ以外にこの世の中に面白いことなんてある?」と思っていました(笑)。あとになってから、そういう感覚が普通じゃないと知ってびっくりしたほどです。
ところが大学に入っても、教養課程では相対論も量子力学も出てこないし、力学の講義なんて高校の物理の延長線でつまらないなぁと。しょうがないから、他の分野の授業やゼミを覗くようになったんですね。その中には、場の理論とか超関数論などの面白いものもあったし、統計力学や生物の講義もたくさん聴いていました。そうしたら父親が、「これからは絶対、分子生物学をやるべきだよ」というので受講してみたんですね。でも、面白くは感じなかった。分子生物学って知識の塊で、覚えることばかりで考える余地が少ないというか。少なくとも、当時の自分にはそう思えた。しかも、ある教授から、「新しいタンパク質を見つけたら、君の名前が後世に残るよ」と言われたけど、そんなことで名前が残っても全然面白くないなぁ、と。
3年生のときだったか、生物学の堀田凱樹[★08]★08先生のもとで、ヨウ素時計反応の実験をやりました。これは、化学物質を混ぜると、しばらくしてから突然、色が変化します。つまり、時間振動する化学反応を使ったものなんですね。そうした非線形の化学反応のダイナミクスから生命が考えられるのなら面白い、と思いました。
S そこから複雑系へ?
池上 そうですね。ちょうどその頃、多要素系の協同現象の理論、シナジェティクスを提唱したヘルマン・ハーケン[★09]★09とか、ハイパーサイクルを提唱したマンフレート・アイゲン[★10]★10とかペーター・シュスター[★11]★11らが中心となって、生命現象の理論をつくろうという動きが起こっていました。そうしたなかで、物理学者のイリヤ・プリゴジン[★12]★12が散逸構造を考え出して、カオスへと進展していった。1980年代は、複雑系界隈はとても熱かったのです。
バイオロジカルノイズ:「生物にはノイズがつきもの」
池上 当時、理学部の物理学の授業の一環で、しょっちゅう外部から著名な研究者がゲストとしてやってきて、特別講義をしてもらう機会があったんですね。たとえば、プリンストン高等研究所の理論物理学者のフリーマン・ダイソン[★13]★13が来たこともありました。ダイソンといえば、量子電磁力学や宇宙物理学で有名ですが、そのときは、生命の進化モデルをつくったからと、その話をしてくれたのです。そこにいた人たちは宇宙物理の話を聞きたかったみたいで期待はずれだったようですが、僕は後ろのほうで聴いていたけど、めちゃくちゃ面白いと思って興奮しました。逆に、なんでみんな面白がらないのかな?って、不思議でしたね。
そういう意味では当時、物理学を専攻していながら、カオス研究から生命に興味を持っていたのは、金子さんくらいだったかもしれません。ちなみに、僕は鈴木増雄先生[★14]★14の統計物理の研究室にいたのですが、鈴木先生は、久保亮五先生[★15]★15という、日本の統計物理の父というべき方の弟子なんですね。金子さんは、久保研に入られて、のちに鈴木研に入られたんだと思います。
統計力学というのは、力学系のミクロな物理法則をもとにしながら、われわれが日常的に経験しているようなマクロな現象を解き明かす研究分野で、久保先生は個々の物理現象を記述するだけでなく、一般的な理論の枠組みを示してこられました。僕自身は金子さんから大きな影響を受け、志向としてもやはり、生命をその物質的な成り立ちからではなく、ある運動の形式とかダイナミクスの性質から捉えることに意義を感じていました。だからやはり生物学に目が向かなかったんでしょうね。
S シュレーディンガーの後を継ぐような?
池上 実際、シュレーディンガーの後を継いだのは物理学者たちですからね。しかし2025年のいま、複雑系なんて言っている人もいなくなってしまったし、むしろ現在では生物学者のほうが面白いことを言ったりしていますよ。たとえば、バイオロジカルノイズとか。
T それは何ですか?
池上 生物にはノイズがつきもので、遺伝子発現やタンパク質合成などでも、ノイズが存在するんですね。つまり、遺伝子を見ればそれが何であるのかがすぐにわかるわけではなくて、そこにはゆらぎがある。同じ遺伝子から発現しても、いろいろな表現型が現れるし、単細胞生物であっても、役割分化が起こったりするのです。いまや一つの細胞のなかでRNAがどのように発現するのかまで見ることができるようになって、詳しく調べることができる。
たとえば、われわれの研究でもゾウリムシの仲間のテトラヒメナのような真核単細胞生物だろうが、大腸菌のような原核単細胞だろうが、集団で飼うとノイズが生まれて役割分化してしまうことがわかってきています。
そういう意味では、かつて僕が分子生物学に抱いたつまらなさとは違って、いまや生物分野のほうがよほど複雑系的な考え方をしている。だから、実はいまでは生物学のほうが面白いと思っているくらいです(笑)。
(#3へつづく)
【ALIFE学会2025】
10月6(月)〜10日(金):会場 京都産業会館ホール
人工生命研究者・池上高志が考えてきたこと
#1 「生命とは何か」を突きつめたい
#2 ロスアラモスでALIFE研究を深める
#3 「生命と何か」に研究とアートで迫る
#4 ALIFE研究のいま
★01 金子邦彦(1951– )は日本の複雑系科学者・理論物理学者。東京大学名誉教授。ロスアラモス研究所スタニスラフ・ウラム・フェロー、東京大学大学院総合文化研究科教授などを経て、2022年よりコペンハーゲン大学ニールス・ボーア研究所教授。カオス理論や複雑系の物理をベースに、生命現象の基礎理論構築を世界的に牽引。複雑系科学の第一人者。 ★02 クリストファー・G・ラングトン(1948−)は、アメリカの計算機科学者で、人工生命(Artificial Life, ALife)の提唱者。ミシガン大学で学んだ後、ロスアラモス国立研究所に所属し、複雑系や自己組織化に関する研究を進めた。1987年に最初の人工生命のワークショップを主催し、新しい学問分野を確立した。サンタフェ研究所でも活動し、生物学・計算機科学・物理学を横断する先駆的研究を牽引した。 ★03 ウォルター・フォンタナは、オーストリア出身の理論生物学者・計算科学者。複雑系科学や人工生命に関して、ロスアラモス国立研究所やサンタフェ研究所などで研究活動を展開した。現在はハーバード大学のシステム生物学部門に所属し、細胞内シグナル伝達ネットワークや形態形成過程のモデル化に取り組んでいる。 ★04 ドアン・ファーマー(1952−)は、アメリカの物理学者。ロスアラモス国立研究所で複雑系グループを創設。現在は、オックスフォード大学の教授として、金融市場や技術の進歩といった複雑なシステムの理解に関する研究を行っている。 ★05 ノーマン・パッカード(1954−)は、アメリカの物理学者。1991年にドアン・ファーマーとともに「プレディクション・カンパニー」を共同設立、金融市場での自動取引システムを開発して、複雑系科学の応用を示した。秩序からカオスへと移行するシステムにおいて、両者の境界領域のことを「カオスの縁」と名づけたことでも知られる。 ★06 現在の社名はDapticsで、サンフランシスコに拠点を置く。 ★07 池上英雄(1932−2016)は物理学者。専門はプラズマ物理学。核融合科学研究所名誉教授、名古屋大学名誉教授。燃料電池の開発にも従事。 ★08 堀田凱樹(1938−)は生物学者。東京大学名誉教授、国立遺伝学研究所名誉教授。専門は行動遺伝学、発生遺伝学、分子神経生物学。特にショウジョウバエを用いたモザイク解析と統計数理の手法から、行動異常の原因となる体の異常部位をマッピングした研究が有名。ゼブラフィッシュを用いた研究を日本に導入した功績でも知られる。 ★09 ヘルマン・ハーケン(1927−)は、ドイツの物理学者・理論家。特に「パターン形成」や「自己組織化」の研究で知られる。量子力学や統計力学を背景に、レーザー物理学の理論的基盤を確立したほか、「シナジェティクス」を提唱し、物理学だけでなく化学・生物学・社会科学における複雑系の理解にも影響を与えた。 ★10 マンフレート・アイゲン(1927−2019)は、ドイツの生物物理学者。マックス・プランク生物物理学・化学研究所の所長、理事を務めた。化学反応速度論と生体分子の自己組織化に関する研究で知られる。1967年に「超高速化学反応の理論と実験的研究」によりノーベル化学賞を受賞。また、生命の起源や進化に関する理論的研究にも貢献し、分子生物学や理論生物学の発展に大きな影響を与えた。 ★11 ピーター・シュスター( 1941−)は、オーストリアの理論物理学者・理論生物学者で、特に進化理論と分子進化の数学的モデルの研究で知られています。理論物理学の手法を生物学に応用し、複雑系や進化ダイナミクスの解析を行う先駆者。準種モデルの開発で知られ、生命の起源における理論的メカニズムと同様に、ウイルスとその複製の理解において大きく貢献した。 ★12 イリヤ・プリゴジン( 1917–2003)は、ロシア出身のベルギーの物理化学者。ブリュッセル自由大学教授、ソルヴェー国際物理化学研究所所長、テキサス大学統計力学・熱力学研究センター所長を歴任。非平衡熱力学、特に散逸構造理論への貢献により、1977年にノーベル化学賞を受賞。1994〜99年にかけて、関西文化学術研究都市の中核施設運営会社「けいはんな」の最高顧問も務めた。 ★13 フリーマン・ダイソン(1923–2020)はイギリス生まれの理論物理学者・数学者。プリンストン高等研究所名誉教授。ダイソン方程式により、量子電磁力学の理論体系の発展に大きく寄与した。核兵器開発や宇宙工学の分野にも関心を持ち、恒星が発する全エネルギーを利用するための球殻状の仮想の構造物「ダイソン球」や、彗星上で成長し大気を生産できる「ダイソン・ツリー」などの壮大なアイデアを発表し、SF界にも多大な影響を与えた。生涯を通じて物理学、数学、宇宙工学を横断し、科学の普及活動にも尽力した。 ★14 鈴木増雄(1937−2025)は物理学者。東京大学名誉教授。おもな研究分野は統計物理学、数理物理学。著書に『統計力学』『経路積分の方法』『くり込み群の方法』(いずれも岩波書店)など多数。 ★15 久保亮五(1920−1995)は物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学の教授を歴任。統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。

- 池上高志いけがみ・たかし
- 1961年生まれ。複雑系・人工生命研究。東京大学大学院総合文化研究科広域科学システム系教授。理学博士(物理学)。アンドロイドAlterを用いたアート活動にも取り組む。著書に『動きが生命をつくる』(青土社)、『作って動かすALife』(共著、オライリー・ジャパン)など。



