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人工生命研究者・池上高志が考えてきたこと #1

「生命とは何か」を突きつめたい

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きっかけは、物理学者であり人工生命研究者の池上高志さん(東京大学教授)が、映画『オッペンハイマー』を観た感想をXに投稿されていたことでした。ショックを受けた様子のツイートを見て、どのように感じられたのか、お話を伺いたいと研究室を訪ねました。話題は、『オッペンハイマー』から、日本の基礎研究を取り巻く環境、AI研究のいまむかし、1980年代に過ごしたロスアラモスでの研究へと発展していきました。幼い頃から物理学者を志し、「生命とは何か」を考え続けてきた池上さんの半生に迫ります。(全4回)

写真:高橋宗正
聞き手:田井中麻都佳、柴俊一
構成・編集:田井中麻都佳

Contents

    映画『オッペンハイマー』:「一ファンとして、ヒーローに会うつもりで観に行った」

    T 今日、お伺いしたきっかけは、池上さんがXで、映画『オッペンハイマー』をご覧になった感想として、「ロスアラモスが懐かしい」「“知ってる人”ばかりだからねw 勘弁してくれ」と書かれていたことでした。どういう心境でご覧になったのか気になってお話を伺いたいと思いました。

    池上高志 物理学を研究してきた人だったら、あの映画に出てきた登場人物はみな知っている人たちですからね。20世紀初頭の物理学、量子力学をつくってきた人たちなので。まさに、1930〜40年代というのは、物理学がもっとも華やかだった時代です。その登場人物たちが全員集合だったわけですよ、マンハッタン計画[★01]★01に。そして、当時の物理学の一つの集大成として原爆をつくった。とくに僕は1989年頃にロスアラモス国立研究所[★02]★02にいたので、懐かしさもあって、衝撃を受けたというわけです。

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    池上高志さん

    当然、誰が登場するのかは知っていましたが、物理学をつくった人たちがどんなふうに描かれるのかも興味がありました。いわば一ファンとして、ヒーローに会うようなつもりで観に行ったのです。だからこそショックも大きかった。ちょっとですがファインマン[★03]★03も出ていたし、オッペンハイマー本人もそうですが、アインシュタインなんて良く似ていましたね。マニアックなところでは、シラード[★04]★04やゲーデル[★05]★05なんかもいて、それぞれの研究者の態度を垣間見て、考えさせられるものがありました。

    T いつの時代も、科学技術の軍事利用、デュアルユースというのはその進歩と切っても切り離せない側面がありますね……。

    池上 東大もそうですが、日本の研究機関では軍事研究はほぼ禁止しています。一方、アメリカであれば、ロボット研究者の大半がDARPA[★06]★06から研究資金を得ている。もっとも軍事用の開発をしている人はそれほど多くはないと思いますが。あるいはジョン・テンプルトン財団といって、科学と宗教に関する研究支援をしている財団があって、日本の大学もここから研究資金を獲得していたりしますが、この財団の創始者であるジョン・テンプルトンは、世界恐慌の際に株を買い占め、戦後、それらを売却することで大儲けして、のちに原子力や化学、電子産業に投資するファンドを設立した人ですからね。DARPAやテンプルトンからは、絶対にお金をもらわないという高潔な研究者もいます。

    T ロスアラモス国立研究所も軍事研究をしているのでしょうか?

    池上 ほとんどが軍事研究ですよ。というかアメリカの国の研究機関の大半は、表向きは軍事(国家安全保障)に資することが目的だと思います。もっとも、僕がいたCNLS(Center for Nonlinear Studies:非線形科学センター)は軍事とは関係ありませんでしたが。とはいえ良し悪しはともかく、科学技術というのはお金が大きく動く世界であり、潤沢な資金を持っているアメリカが中心となってこれまで科学技術を牽引してきたのは間違いない。軍事に限らず、国力と科学技術は切っても切り離せないわけですね。

    基礎研究のこと:「日本はあまりにも貧乏になってしまった」

    池上 そういう意味では、現在のAI研究は当時のマンハッタン計画のときと状況が似ているとも言えます。GAFAMを中心に、莫大な資金力によってアメリカ主導で研究が加速していますからね。逆に、日本から世界を変えるようなめざましいAI研究成果が出にくいのは、基礎研究にかけるお金がアメリカと比べて圧倒的に少ないことも一因でしょう。それは、日本のノーベル賞受賞者たちも危惧していますよね。特に、アメリカに倣ってプロジェクト単位で競争的資金を出すしくみになってから、ダメになってしまった気がします。そもそもの予算規模が違いすぎますからね。

    昔は、さまざまな研究の枠を越えて研究費が回っていて、研究室同士の交流もあって、それでユニークな研究が進んでいたのです。いまは完全に縦割りになってしまった。基礎研究について言うと、日本はあまりにも貧乏になってしまったと言わざるをえません。

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    もっとも、東大であれば、寄付講座などによって企業から大きな資金を集めていますが、それはやはり東大のような一部の大学に限られます。僕のいる駒場は貧乏ですけどね(笑)。それに、僕の場合は、共同研究は海外の研究機関が多く、研究資金の半分は海外から得ている状況です。

    S 海外の研究機関とはどんな研究をなさっているのですか?

    池上 アンドロイドを使ったアート研究などです。AI(科学)と人文をつなぐような研究ですが、EUの研究機関とはもうかれこれ25年くらいのつきあいになります。AIとアートについては、2007年くらいから始めていました。そうした研究は日本では難しいのが実情なんですね。残念ながら日本の基礎研究の研究環境はますます悪くなっているし、だから革新的な研究が生まれづらくなっているのだと思います。

    AI全盛期に思うこと:「やはり甘利さんが受賞してもよかったんじゃないかな」

    池上 ちなみに、2024年のノーベル物理学賞は、人工ニューラルネットワークの開発に関わった、米・プリンストン大学のホップフィールド名誉教授[★07]★07とカナダ・トロント大学のヒントン名誉教授[★08]★08が受賞しましたね。でも、このニューラルネットワークモデルは、彼らより10年以上も早い1960〜1970年代に東大の甘利俊一[★09]★09名誉教授が考案していたものなんですね。当時、AI研究は冬の時代と言われていたし、発見が早すぎたというか、コンピュータの性能が低くて実証が難しく、残念ながらあまり注目されなかったのです。あの頃は、甘利先生のような先駆的な研究者が日本にはいたわけですね。

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    T AI研究なのに、物理学賞というのは驚きでした。

    池上 ホップフィールドが発案した「ホップフィールド・ネットワーク」は物理学のモデルをヒントにしていますからね。すなわち、通常の物理モデルのように、エネルギー関数(ハミルトニアン関数)を満たすのです。これは、電子のスピンの向きを白黒で表して、配列のパターンをスピン同士の相互作用の強さによって記録するというもので、断片的な記憶から全体を再現する「連想記憶」を可能にしました。もともと、ニューラルネットワークは、物理分野で活発に研究されていたのです。

    さらにそれをヒントンが応用して、大量のパターンからその特徴を学習するという情報処理を考案しました。それが「ボルツマン・マシン」という、確率的な再帰型ニューラルネットワークです。ちなみに、ボルツマンというのは19世紀の物理学者の名前ですが、スピンがどのような確率でどの方向を向くのかを示したボルツマン分布を、ヒントンがニューラルネットワークに導入したのです。

    ホップフィールド・ネットワークでは、先述のようにエネルギー関数の値が極小に向かって収束するのに対して、ボルツマン・マシンはギブスサンプリングという手法を通じて自由エネルギーを最小化し、データ分布を近似することを目的とします。この確率的生成モデルの枠組みは、制限付きボルツマン・マシンやディープビリーフネットへ発展し、深層学習の黎明期を支えました。この成果がのちに、深層学習や生成AIなどの発展へとつながっていったわけです。

    もっとも、ホップフィールドもヒントンも、直接、脳とは関係ないわけですが。そして、やはりノーベル賞は甘利さんが受賞してもよかったんじゃないかな、と思います。

    S 2024年はノーベル化学賞も、AI研究者のデミス・ハサビスが受賞しましたね。

    池上 ご存知のようにハサビスは、囲碁の世界チャンピオンを倒したAlphaGo(アルファ碁)の開発者であり、Google DeepMindのCEOです。化学賞の受賞は、アミノ酸の配列情報からたんぱく質の三次元構造を予測するAIツールAlphaFoldの開発に対してで、従来の方法よりも予測精度を格段に高めることに成功しました。そして、そのソースコードは全世界に向けて無償公開されているという。Googleの生成AI「Gemini」にはこのハサビスが関わっているわけですからね。日本がこの分野で勝てないわけです。

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    T 逆にヒントンはGoogleを離れ、AIの危険性について発言するようになりました。そういう意味では、オッペンハイマーや湯川秀樹などにも通じるところがあるかもしれません。

    池上 オッペンハイマーとは対照的に、フォン・ノイマンのように積極的に軍事研究を進めようとした研究者もいますし、本人の気質によるものでしょうね。ただいずれにせよ、研究の倫理について考えることは、研究者としては非常に難しい側面があります。当然、研究者としては倫理を踏まえて研究すべきですが、AIの原理を突きつめて、その可能性を見極めたいというのは研究者のでもある。その欲求を止めることはできないと思います。

    一方、これだけ現代でAIがもてはやされていても、いま主流のニューラルネットワーク研究だって、過去にはまったく見向きもされなくなった時期がある。だいたい当時は、ニューラルネットワークはAIとはまったく別物と考えられていて、それこそAI業界からは完全に無視されていました。深層学習が急速に発展したのは2010年以降ですからね。

    日本だって、1980年代から90年代にかけて政府の肝入りで莫大な予算をつけて第五世代コンピュータ開発を進めたけれど大失敗してしまった過去がある。それで、日本のAI研究は一度死にかけたのです。そうしたなかでも、合原一幸先生[★10]★10や津田一郎先生[★11]★11らがカオスニューラルの研究を続けてこられた功績はとても大きいと思います。ヒントンだって、一時期は冷や飯を食っていたでしょう。研究の営みには、そうした浮き沈みや波があるということは、認識しておくべきではないでしょうか。

    (#2へつづく)


    人工生命研究者・池上高志が考えてきたこと

    #1 「生命とは何か」を突きつめたい
    #2 ロスアラモスでALIFE研究を深める
    #3 「生命と何か」に研究とアートで迫る
    #4 ALIFE研究のいま


    【ALIFE学会2025】
    10月6(月)〜10日(金):会場 京都産業会館ホール
    https://2025.alife.org

    ★01 第二次世界大戦の最中、ドイツなど敵国の原子爆弾開発に先を越されまいと、米国、イギリス、カナダが原子爆弾開発・製造を、科学者や技術者を総動員して進めた計画。アメリカの理論物理学者であるJ・ロバート・オッペンハイマー(1904–1967)が科学部門のリーダーを務めた。しかし戦後、オッペンハイマーは水爆開発に反対し、最終的には核兵器の廃絶を訴えた。 ★02 ロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory, LANL)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州の山岳地帯に位置する研究機関。1943年にマンハッタン計画の中核拠点として設立され、オッペンハイマーを中心に科学者が集結し、原子爆弾の開発に成功した。現在では、国家安全保障に資することを目的に、科学、エネルギー、環境管理などの研究を行っており、軍事と民生の両面におけるアメリカの戦略的研究拠点となっている。 ★03 リチャード・P・ファインマン(1918–1988)は、アメリカの理論物理学者。量子電磁力学の発展に大きく貢献し、1965年にシュウィンガー、朝永振一郎とともにノーベル物理学賞を受賞した。複雑な粒子相互作用を直感的に表す「ファインマン・ダイアグラム」を発案したことでも知られる。講義録をまとめた物理学の教科書『ファインマン物理学』は世界中で高い評価をえているほか、逸話集『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(岩波現代文庫)などを通じて一般にも人気を博した。 ★04 レオ・シラード(1898–1964)はハンガリー出身の物理学者。1933年に核連鎖反応の概念を提唱し、アインシュタインとともにルーズベルト大統領へ原爆開発を促す書簡を起草。マンハッタン計画に関与したが、第二次世界大戦末期には無警告での日本への原爆投下を阻止しようとしたのに加え、その後は核軍備管理問題に関して活動を続けた。また戦後は、分子生物学者へ転向した。 ★05 クルト・ゲーデル(1906–1978)はオーストリア出身の数学者・論理学者・哲学者。1931年に発表した「不完全性定理」により、数学体系の自己完結性に限界があることを示し、20世紀数学基礎論に決定的な影響を与えた。1938年に米国へ移住し、プリンストン高等研究所で研究生活を送り、アインシュタインと親交を深めた。 ★06 DARPA(ダーパ)はアメリカ国防総省傘下の「国防高等研究計画局」(Defense Advanced Research Projects Agency)の略称。軍事技術分野におけるハイリスク・ハイリターンの最先端研究開発を行う。インターネットの原型であるARPANETや全地球測位システム(GPS)、ステルス技術といった画期的な技術を生み出した。現在もその影響力は多大。 ★07 ジョン・ホップフィールド(1933– )は、アメリカの物理学者・生物物理学者。固体物理や生物物理に業績を残したが、特に1982年に提唱した「ホップフィールド・ネットワーク」により計算論的神経科学と人工知能研究に大きな影響を与えた。 ★08 ジェフリー・ヒントン(1947– )はイギリス生まれの認知心理学者・コンピュータ科学者で、ディープラーニングの第一人者。カナダ・トロント大学教授を務め、確率的学習やバックプロパゲーションの普及、深層ニューラルネットワーク研究に大きく貢献した。とりわけ制限ボルツマン・マシンや畳み込みニューラルネットワークの発展に寄与し、音声・画像認識を大きく飛躍させた。2018年チューリング賞を受賞。「ディープラーニングのゴッドファーザー」などと称される。 ★09 甘利俊一(1936– )は日本の工学者・神経科学者。東京大学名誉教授、帝京大学特任教授、理化学研究所栄誉研究員。人工ニューラルネットワークや機械学習における先駆的な研究を行うとともに、微分幾何学の手法を用いて統計モデルを研究する情報幾何学の分野を確立し、多くの重要な理論を提唱した。理化学研究所脳科学総合研究センター長などを務めるなど、脳の情報処理機構解明と人工知能研究の橋渡し役を担った。2025年に京都賞を受賞。 ★10 合原一幸(1954–)は、数理工学者・複雑系研究者。東京大学特別教授・名誉教授、東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(IRCN)副機構長。複雑系数理モデリングのための理論構築および、その広範な科学技術分野への応用に関する研究を、主に数理工学とカオス工学の観点から行っている。IRCNでは、ニューロインテリジェンスの実現に向けて、脳に関する神経科学・臨床研究と次世代AIを、脳の複雑ダイナミクスの数理モデリングとデータ解析によって橋渡しする研究に従事している。 ★11 津田一郎(1953–)は、数理科学者。北海道大学名誉教授、中部大学名誉教授、札幌市立大学AITセンター特任教授。応用数学・複雑系科学・計算論的神経科学の分野で先駆的役割を果たしてきた。脳のダイナミクスにいち早く着目し、カオス脳理論、脳の解釈学を提唱。

    池上高志いけがみ・たかし
    1961年生まれ。複雑系・人工生命研究。東京大学大学院総合文化研究科広域科学システム系教授。理学博士(物理学)。アンドロイドAlterを用いたアート活動にも取り組む。著書に『動きが生命をつくる』(青土社)、『作って動かすALife』(共著、オライリー・ジャパン)など。

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