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福岡伸一、万博《いのち動的平衡館》で伝えたかったこと #1 思想篇
岡本太郎のアンチテーゼを引きうける
大阪・関西万博のシグネチャーパビリオンの一つ《いのち動的平衡館》を担当した生物学者の福岡伸一さん。いのちをテーマにしたパビリオンをつくるなかで、考えつづけたのは、生の有限性、すなわち「死」のことだったと言います。万博開催への逆風が吹くなか、70年万博へのアンチテーゼであった岡本太郎の「太陽の塔」と向き合うことで深めた、その思考の内幕を語っていただきました。
取材・文・編集:田井中麻都佳
写真:高橋宗正
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Contents
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「太陽の塔」は強烈な「アンチテーゼ」だった
――大阪・関西万博(EXPO2025)の開幕と同時に発売された福岡さんのご著書、『君はいのち動的平衡館を見たか―利他の生命哲学』(朝日出版社)を読みました。万博のテーマ事業プロデューサーとして、「いのちを知る」という課題のもとで、この館の建築と展示をどのようなものにするのか、試行錯誤しながら取り組まれたプロセスが書かれていて、たいへん読み応えがありました。さまざまにご苦労もあったようですね。
福岡伸一 そもそも私は少年時代から、一人で虫捕りをしたり、蛹を育てて蝶へと羽化させたり、顕微鏡で観察したり、といったことが好きな、非常に内向的な子どもだったんですね。つまりプロデューサーのようにリーダーシップが求められる役割にはまったく向いていないのです。契約をした後になってから、プロデューサーには、企画だけでなく、資金集めや人集め、皆を鼓舞するような生徒会長的な役割が求められると認識して、もっとも自分に向いていないと絶望したわけですが、ときすでに遅し(笑)。船は走り出してしまったので、みんなとともになんとか乗り切ろうとやってきて、ようやく開幕に漕ぎ着けたところです。

- 福岡伸一さん
――ご著書のなかでとくに印象に残ったのが、「メッセージはアンチテーゼとして現われる」という福岡さんの言葉でした。
福岡 なぜ、アンチテーゼなのか。それは、流れの中にいるだけでは、流れ自体も、その方向も、距離(distance)もわからないけれど、流れに抗したしたときにはじめて、流れが相対化できるものだと、つねづね考えてきたからです。既存の考えのあり方を疑ってこそ、新しいパラダイムを見出せるのではないか、と。
その象徴とも言えるのが、1970年大阪万博で岡本太郎[★01]★01がつくった「太陽の塔」です。岡本太郎が70年万博のテーマ事業プロデュサーとして、丹下健三[★02]★02が設計したお祭り広場の大屋根をぶち破ってつくった太陽の塔で示したのは、まさに強烈なアンチテーゼでした。ご存じのように、70年万博のテーマは「人類の進歩と調和」で、携帯電話や動く歩道、リニアモーターカーの原型のようなものがあったりして、当時10歳の少年だった私も、こうした未来的なテクノロジーにワクワクしたことを憶えています。
ところが、これに対して岡本太郎は、テクノロジーの祭典とはまったく無縁の、縄文土器や土偶を彷彿とさせる異形の塔をつくった。そこには、「人類は進歩もしていなければ、調和もしていないじゃないか。むしろ、縄文的な生命の本質的なパワーの根源に立ち戻るべきだ」という岡本太郎の力強いメッセージが込められていました。そうやって岡本太郎は本質的な問いを投げかけることで、見る者に「メタ的な視点」を与えてくれたのです。現に、かつての最先端テクノロジーはすでに実現されたか、別のかたちのイノベーションが起きて陳腐化してしまった。一方、太陽の塔はいまも立ち続けています。これを見て私は改めて、アンチテーゼだけがメッセージを伝えることのできるものであるという思いを強くしたのです。

- 写真:山田兼太郎
翻って考えてみれば、私自身がここ20年ほど唱えてきた「動的平衡」という考え方もまた、最先端の分子生物学からすると一つのアンチテーゼと言えます。最先端の分子生物学では、生命を精密機械のように捉えて、ミクロな分子や遺伝子一つひとつの機能を調べて記述し、それらを部品のように統合することで生命になる、という機械論的な思考に基づいています。でも、この考え方は、本当は間違っているんですね。なぜなら、いくら遺伝子やタンパク質などの部品を集めてくるくるとかき混ぜたところで、そこから生命が立ち上がってくることはけっしてないからです。
これに対して動的平衡は、その部品同士の相互作用にこそ生命の本質があり、それらを集めることで生命現象になるという考え方です。生命は絶え間なく自らを壊しながらつくり変えることで、「エントロピー(乱雑さ)の増大」という宇宙の大原則にあらがっています。整理整頓しておいた机もちょっと油断すれば散らかってしまうように、本来なら物質は無秩序へ向かうわけですが、生命はこの下り坂を動的平衡の作用によって上り返している。私は、38億年もの長い歴史のなかで生命が進化し続けてきた理由は、まさにこの動的平衡にあると考えています。
しかし、現在の生物学の本流からすれば動的平衡は異端です。したがって、動的平衡は生物学へのアンチテーゼである、と言うことができる。そうしたわけで、今回の万博は、大なり小なりこれまで私が考えてきたことを体現できる場になるだろうと、プロデューサーという大役をお引き受けしたのです。
では今回、われわれは何を示すべきなのか。EXPO2025には私を含めて8名のテーマ事業プロデューサーが任命されましたが、この多様性の時代にあっては、皆で一つの価値観を示すよりも、それぞれが尖ったことを提示する方がいいだろうと、結果として8名それぞれがパビリオンをつくることになりました(経緯については、前掲書『君はいのち動的平衡館を見たか』に詳しい)。そこで私は、EXPO2025の「いのち輝く未来社会のデザイン」のテーマを前に、何がいのちを輝かせているのか、どうすればいのちを知る場となりうるのか、そのアンチテーゼをどのように示すべきなのかを考えながら、《いのち動的平衡館》をつくっていくことになりました。
生命進化の大きなジャンプは「利他」がもたらした
――アンチテーゼをめぐる思考の旅もまた、試行錯誤があったわけですね。
福岡 はい。岡本太郎の太陽の塔の中に、生命の進化を模した「生命の樹」というモニュメントがあるのをご存知でしょうか? この樹には、アメーバなどの原生生物から爬虫類、恐竜、哺乳類、人類に至るまで大小さまざまな生物模型が取り付けられていますが、実は進化のプロセスというのは必ずしもリニアに進んできたわけではないんですね。ましてや適者生存や弱肉強食、優勝劣敗などいう言葉に代表されるように、勝ち残った者だけが生き残ってきたとは限らない。むしろ私は、生命の進化は、協力や共生といった「利他的なふるまい」によって大きくジャンプしていることに気づいたのです。

- 写真:山田兼太郎
たとえば、生物進化の最初の大きなジャンプとして、いまから十数億年くらい前に、大腸菌のような原核細胞から、ミトコンドリアや葉緑体などを持った真核細胞へと進化した出来事がありました。それまでは大きい細胞が小さい細胞を食べていたのですが、あるとき、食べて消化してしまうのではなく、細胞のなかに小さい細胞を温存し、共存したところ、互いにとって良いことが起きたんですね。小さい細胞(ミトコンドリア)はエネルギーの生産効率が高く、過剰なエネルギーを大きい細胞に供与できるようになり、逆に大きい細胞は小さい細胞を外敵から守る役割を果たした。さらに、クロレラのような単細胞の光合成細菌が大きな細胞に寄生し、細胞のなかで光合成を行いながら増殖するようになると、光合成の産物である有機物の一部を大きい細胞に与えるようになった。こうしてやがて葉緑体が生まれ、高等植物へと進化していくのです。
あるいは、無性生殖から有性生殖への進化も大きなジャンプの一つです。オスとメスという二つの性が互いに協力しなければ次の世代が生まれないという面倒な仕組みを、なぜわざわざつくったのか。それは一見、非効率に見えるかもしれませんが、有性生殖によって遺伝子のシャッフリングが起こるようになり、生物の多様性を生み出すことにつながりました。それが結果として、生物の生存環境の持続可能性に寄与してきたのです。そう考えると、生命進化というのは、利他の歴史であると捉えることができるでしょう。
そしてこの生命の利他的なふるまいは、イギリスの進化生物学者リチャード・ドーキンス[★03]★03が『The Selfish Gene(利己的な遺伝子)』(1976年)のなかで述べたような、自己複製だけを目的とする利己的な生命の姿、すなわち20世紀型の生命観へのアンチテーゼと言えます。そこで私は、「利他的共存」を生きる生命の姿こそ、この万博で描くべきテーマだと考えたのです。
「死」こそが最大のアンチテーゼである
福岡 ところがその後、「利他」だけでは、生命の動的平衡の姿をすべて伝えることにはならない、何かが足りないと悩むことになりました。というのも、先述したように、生命は自らを壊しながら新たにつくることで、エントロピー増大の法則につねにあらがっているのですが、その営みを繰り返しながらも、次第に流れに押されてエントロピーが増大していって、最終的には死んでしまうからです。そもそも、いのちは有限で死があるからこそ、新しい生が生まれます。すなわち、死そのものが他の生命にとっては利他的な意味を持っているわけですね。そこで、「死」を肯定的に捉えて、いのちの有限性を打ち出さない限り、《いのち動的平衡館》は完成しないのではないか、という考えに至ったのでした。
――「死」についても、岡本太郎の影響を受けたそうですね。
福岡 そうなんです。岡本太郎は、生命力に溢れる縄文文化を追い求めて、東北や沖縄に通っていましたが、なかでも、古来より神聖な島とされてきた沖縄の久高島に強い関心を持っていました[★04]★04。まさにこの地を、日本の近代文化へのアンチテーゼとして捉えていたようです。そこで、私は2023年と2024年に久高島を訪問したのですが、この旅を経て、《いのち動的平衡館》に「死」が必要であることをはっきりと認識したのです。
実は岡本太郎自身は死の意味については十分に語れなかったばかりか、この島で行われていた風葬の写真を撮り、手記を発表するという、致命的な過ちを犯してしまいました。これによって島の人たちは大きな衝撃を受け、以来、風葬は取りやめることになってしまったという過去があります。

- 『君はいのち動的平衡館を見たか―利他の生命哲学』(朝日出版社、2025)。「岡本太郎の沖縄」をたどった旅についても触れている。
現代ではとくに、死は生を中断する忌むべきものとして遠ざけられ、害悪であると捉えられていますよね。実際に戦争を伝えるような報道であったとしても、メディアは死体を映すことなく、ことごとく視界から死を消そうとします。しかし、死は誰にでも訪れるものであり、いのちを輝かせるものなのです。ですから私は、死というものを忌むべきものではなく、生命に欠かせない最大の利他的なふるまいである、という肯定的なメッセージを打ち出したいと思いました。
しかしなぜ人間はこれほどまでに、死を遠ざけてきたのか――。それは、人間だけが、種の保存よりも個の生命を尊重し、そのことに価値を見出した初めての生物だからです。そして言葉を発明し、論理〈ロゴス〉を手に入れた。それがいのちが輝くことの起点にもなっています。そうして個の生命の自由を勝ち取り、文化や文明、社会や芸術などを生み出してきたのです。科学やテクノロジーはまさに、ロゴスがもたらした勝利と言えるでしょう。しかしだからこそ、個体にとって最大の恐怖は個体の消滅、すなわち死なのです。死は生を剥奪し、個の自由を中断する害悪です。ロゴスによって肥大化した私たち個はそう考えているのですね。でもいくら生命をロゴス化しようとしても、生命そのものが、不確かで、不安定で、気まぐれな自然〈ピュシス〉であることには変わりありません。生命である限り、死は等しく、誰にでも必ずやってくる。そのことに気づいていただきたいのです。
万博広しといえども、死の問題に真正面から取り組み、メッセージとして発信しているパビリオンは、この《いのち動的平衡館》だけではないでしょうか。
21世紀の万博はビジョンやフィロソフィーを描くべき
――実際に万博を歩くと建築の面白さといい、各パビリオンのさまざまな催しといい、とても見応えがあります。一方で、この時代に万博を開催することの意義については、さまざまな意見があります。福岡さんは、現代の万博の意義をどのように捉えていらっしゃいますか?
福岡 20世紀の万博は、テクノロジーの祭典として、見本市的に最新のテクノロジーを見せる場であり、お国自慢の場であったわけですね。しかし70年大阪万博で示されたさまざまなテクノロジーがすでに実現され、あるいは陳腐化していることを思えば、21世紀の万博で示されるものはテクノロジーというよりも、哲学的なメッセージやビジョンであるべきだと思っています。
ただ、フィロソフィーやビジョンを語るためには、まさにdistanceというか、「距離」や「高度」が必要なのです。言い換えるなら、岡本太郎がもたらしてくれたような「メタ的な視点」です。メタ的な視点を持てば、人間のさまざまな争いがいかに無益であるか、あるいはテクノロジーの方向性が間違っていないかどうか、相対化できるはずです。それは言うなれば、「火の鳥」のような視点と言ってもいいでしょう。手塚治虫の漫画『火の鳥』では、人間が「火の鳥(フェニックス)/不死鳥」を追い求めながら、さまざまなドラマが展開されますが、その中で火の鳥はコスモゾーン(宇宙生命)として、人間に「生命とは何か」を突きつけます。火の鳥のように、いまこそ人間の営みを鳥瞰しながら、改めていのちの意味を問い直す視点が必要なのではないでしょうか。[★05]★05
たとえば現在、老化を病気とみなして老化細胞を取り除く研究が進んでいます。その根底には、火の鳥の物語と同様に「不老不死」を望む人類の欲望がある。しかし、不老不死を実現するのは永久機関をつくるに等しく、物理的にも生物学的にも不可能なのです。老化細胞を取り除いたところで、新たに元気な細胞が老化するだけで、老化が加速される可能性すらあります。そのことは、生命の基本原理に動的平衡があると知っていれば、理解できるはずなのです。
「ストック」から「フロー」へ、利己から利他へ
――いま人類はますます利己的になっているように見えます。一人ひとりが利他的にふるまうには、どうすれば良いとお考えですか?
福岡 確かに難しいことではありますが、よく考えてみると、われわれは常に他の生命の一部をいただくことで生きているわけですよね。そのことを思い起こしていただきたい。言い換えるなら、私たちは他の生命に自らのいのちを委ねていると言えます。たとえば、植物であれば過剰な葉や実を他の生物に分け与えることで、他の生物の生に寄与しています。ところが、人間だけは過剰に持っていても、利己的にストックしようとしていますよね? 資源を集め、穀物などの食糧をたくさん集め、自分たちのためにストックしている。金融経済も同じで、お金をストックすればするほど増えていくという仕組みを築いています。
しかしそれは自然の原理ではありえないのです。自然のものをたくさんストックしても、いずれ腐ってしまったり、変性したりして使えなくなってしまうからです。だから、100あれば足りるところ、110とか120生産できたとしたら、余った10〜20を他の生物に手渡す。つまりフローに回すのです。これが利他性の基本だと思います。つまり、利他というのは、100しかないのに10渡すという強制的な寄付ではなく、余剰分を渡せばいい。しかも、あげたからその分、何かで返してもらおうというギブアンドテイクでもありません。誰かにバトンタッチしたら、別のところからバトンが回ってくる、というネットワーク上のゆるやかな関係の上に成り立つのが利他なのです。そのネットワークの結節点にいながら、つねにパスをし続けることが、本来、自然が持っている利他性の回復に近づける道なのではないでしょうか。
おっしゃるようにいま、利己的な人間たちによって、世界のあちこちで分断や非寛容の問題が起こり、争いが絶えません。かつて「進歩と調和」をめざした人類は、ますます悪い方向に向かっているように見えます。でもだからこそ、いのちの意味を考え、生命の調和の基盤について考えてほしい。自国ファーストなど、利己的な主張をしている国のトップの方々にこそ、《いのち動的平衡館》に足をお運びいただき、生命の基本原理にいのちの有限性と利他性があるということを、ぜひ学んでもらいたいと思っています。
福岡伸一、万博《いのち動的平衡館》で伝えたかったこと
#1 思想篇 岡本太郎のアンチテーゼを引きうける
#2 対話篇 生命を輝かせるテクノロジーとは
#3 建築篇 建築は生命を宿せないのか
#4 展示篇 デザインエンジニアリングの3つの振り子―展示制作の舞台裏
★01 (1911–1996)日本の芸術家・思想家。パリ留学中(1930年代)にシュルレアリスムや抽象芸術、また哲学や人類学に触れ、帰国後は「芸術は爆発だ」の言葉で知られる革新的表現を展開。代表作に《太陽の塔》《明日の神話》《森の掟》などがあり、絵画・彫刻・評論を通じて日本の戦後文化を牽引した。★02 (1913–2005)日本を代表する建築家・都市計画家。戦中から戦後復興期にかけてモダニズムを導入し、日本の伝統建築の空間性や構造美を現代建築に接ぎ木し、新たな都市像を提示した。代表作に《広島平和会館原爆記念陳列館》《香川県庁舎》《東京都庁舎》《国立代々木競技場体育館》など多数。磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生まれなど、世界的建築家を育成した。★03 (1941- )『利己的な遺伝子』で、生物進化を遺伝子単位で捉える視点を提示し、それまでの生命観を一新した。「生物は遺伝子によって利用される“乗り物”にすぎない」という比喩的表現は読者に大きな衝撃を与えた。また、文化の伝播を遺伝子になぞらえた「ミーム(memu)」という概念の提唱者でもある。一般向けの優れた書き手としても名高く、進化論の普及や宗教批判をつうじて、現代の科学的思考に大きな影響を与えている。★04 Cf. 岡本太郎『ヴィジュアル版 沖縄文化論――忘れられた日本』中公文庫、2024年★05 福岡さんは、今春、六本木ヒルズで、「手塚治虫『火の鳥』展――火の鳥は、エントロピー増大と抗う動的平衡(どうてきへいこう)=宇宙生命(コスモゾーン)の象徴」を企画監修した。https://hinotori-ex.roppongihills.com/

- 福岡伸一ふくおか・しんいち
- 生物学者・作家。1959年東京生まれ。京都大学卒および同大大学院博士課程修了。ハーバード大学研修員、京都大学助教授などを経て、現在、青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授。サントリー学芸賞を受賞した『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)や『動的平衡』(木楽舎)シリーズなど、多数の書籍を通じて、生命の本質を動的平衡論から問い直している。




