L1-3-3
【鼎談】ドミニク・チェン × 田中みゆき × 山本貴光——「体験の重心」を変えてみる
#3 DISTANCE.media編集会議2024
『DISTANCE.media』編集会議の最終回。ゲームをつくるようにメディアをつくるというアイディアを受けて、ゲームにおけるアクセシビリティの観点から、メディアのアクセシビリティについて考えました。キーワードは「体験の重心」。受け手が多様であれば、「体験の重心」も多様であるはず。3人の会話に耳を傾けたい。
構成:宮崎慎也
写真:高橋宗正
-
Contents
-
目の見えない人はゲームをどうプレイしているのか?
ドミニク 以前、田中さんの『Last of Us part II』というゲームを、目の見えない人がどうプレイしているのかという研究発表を拝見して、驚愕しました。『Last of Us part II』について教えていただけますか?
田中 『Last of Us part II』は、アクセシビリティの観点でとても注目されているゲームです。特筆すべきなのは、カスタマイズできる機能の多さです。そもそも『Last of Us part II』は謎の感染症によって文明崩壊したアメリカを舞台にした、サバイバルホラーのアドベンチャーゲームです。広大なマップを主人公が旅をしながら、感染症の謎に迫っていくもので、膨大な選択肢やストーリーが用意されているのが特徴です。
そういうゲームだからこそ、複雑な操作になってしまうにも関わらず、60項目以上におよぶアクセシビリティを設定できるようになっています。3D酔いをしないような設定から、視覚的/聴覚的情報を他の表現で補強するような機能まで、あらゆるニーズが網羅されているんです。
ドミニク その設定の細かさは業界でも注目されていますね。どのような工夫がされているんですか?
田中 たとえば聴覚障害の方だと敵からの攻撃を音で判別することが難しいので、視覚情報で補えるようになっています。他にも、音声の会話を字幕で表すのはもちろんのこと、話し手が画面に映ってない場合は、話者の方向が矢印で表示されたりもします。視覚障害の場合は、空間を調べるとアイテムが落ちていたり敵がいることを、さまざまな種類の音で知らせてくれます。
ドミニク ゲームスタジオに天才UI設計者がいそうですね。
田中 デザイナーとともに、当事者がかなりがっつり入って一緒にデザインしていますね。当事者が開発現場にいると無視できないですよね。だからこそ、そういう当事者の方が「その場にいる」というのは、開発においてすごく大事だなと思います。
とはいえ、『Last of Us part II』は、みんながめざすべき指標を示したとは思いますが、それだけに開発資金も膨大になります。そうではない方向の、もっと手に届く形のアクセシビリティも検討されていく必要があると思います。

- 田中みゆきさん
『カブトクワガタ』と『ハースストーン』
——他のゲームでも工夫があるのですか?
田中 そうですね。たとえば『カブトクワガタ』という子供向けのゲームでは、音声読み上げの「ReadSpeaker」というエンジンを使って視覚情報が音で読み上げられるようになっています。もともとは、視覚障害者のためというわけではなく、子供が遊ぶから読み上げた方がわかりやすいんじゃないかという発想で始まったようです。それができるなら、「ReadSpeaker」を他のゲームにも導入することで、視覚障害の方にとっても遊べるゲームが増えると思います。
また「audiogames.net」というサイトには、音で作るオーディオゲームが集まっているんですが、そこにフォーラムがあり、みんなが新しく出るゲームのアクセシビリティの話題や、「このゲームの問題はこうクリアした」というノウハウを共有し合っています。やっぱりバリアがあるとゲーム内だけでは解決しない問題が多いので、情報収集が死活問題で、共助的な関係性が生まれていると思います。
ドミニク オープンソースのコミュニティに近いものがありますよね。
田中 そう思います。他にも『ハースストーン』というカードゲームがあるんですが、このゲームは、カードの情報を含むすべての文字情報やステータスを音声で読み上げてくれます。
このゲームが面白いのは、プレイヤーのコミュニティがアクセシビリティをつけていったという点です。ビジュアルがあるカードゲームなので、元のゲームは製作会社が作っているんですが、サードパーティーのアクセシビリティMOD[★07]★07「HearthstoneAccess」というのを作った開発者が、更新を続けることが難しくなっていました。それ以降、世界中のプレイヤーコミュニティが引き取って、みんなで更新しています。こんなふうに、提供者側がすべてをつくるのではなく、参加者が一緒につくっていくというのも、『DISTANCE.media』にとってもヒントになりそうですね。
山本 それは応用できそうですね。たとえばゲームの歴史を見ると、ゲームの翻訳者が登場する以前から、ゲームのプレイヤー同士で、ゲーム中のテキストを自分たちの言語に翻訳する試みも少なからずありました。他のユーザーが遊んでいて、ちょっと変な訳かもと気がついたら、ここはこうした方がいいんじゃない?とコメントしたり、それを受けて更新したりと、一種のコミュニティとして、一緒につくりあげていたと思います。
ドミニク まさにGitHubのようなオープンソースコミュニティと同じ構造ですね。

- ドミニク・チェンさん
altテキストが詩になる
田中 そう思いますね。私はウェブサイトの「代替テキスト」もみんなで作っていけるものだと思っています。いわゆる「altテキスト」というもので、画像や動画に付けられる代替テキストのことで、音声読み上げに対応しています。アメリカでは、この「altテキスト」に着目した「Alt-Text as Poetry」というプロジェクトがあります。
このプロジェクトは、視覚障害のあるアーティストと、身体障害のあるアーティストが2人で始めたもので、障害のある人のコミュニティの中でも、アクセシビリティの意識が低いんじゃないかという問題意識から始まったそうです。たとえば車椅子ユーザーのダンスカンパニーが公演をする時の告知画像にaltテキストがついてないなど。
この視覚障害者に向けたアクセシビリティである「altテキスト」を、義務的な、無味乾燥としたものでなく、想像力をかき立てるような詩として作ってみようというプロジェクトで、コミュニティが楽しみながら取り組み、結果的にアクセシビリティを高めていくことをめざしています。こういう形でボトムアップでアクセシビリティへの意識が高まっていくのはとてもおもしろいですよね。
ドミニク 『DISTANCE』ももっとアクセシブルなメディアにしていきたいですね。まだまだできていないことは多いと思うので、最初から完璧をめざすのではなくて、「現状を、アクセシビリティという観点や使い勝手からみたらどうなんだろう」というのを、一緒に考えていきたいですね。
建物の入口にはなぜ段差があるのか?
田中 Webの話から離れるんですが、最近建築についての記事を書きました。車椅子ユーザーの友人とご飯を食べに行くときに、行く場所がないということがよくあります。だいたい選択肢はショッピングセンターかホテルになってしまうんですが、そうなってしまう理由としては、「入口の段差」なんです。
ちょっと雰囲気のいいバーやビストロ、和食屋さんなどに行こうとすると、必ずと言っていいほど「一段上がる段差」があります。最近だと電動車椅子がほとんどなので、それを私1人で持ち上げるのは難しくて、断念してしまいます。
じゃあなぜ段差が生まれてしまうのかというのを周りの建築家5人に聞いてみました。そうすると、返ってきた答えがみなさんバラバラでした。そもそも車椅子への意識が低いというのもあれば、土地の境界ギリギリまで建物を寄せるから余白がなく段差ができてしまうという理由。他には、道路側と建物側の対話がないから、道路との段差が解消されないままになっているという理由もありました。こんなに建築家によって段差に対しての捉え方が違うことも改めて感じました。
段差一つを取ってもみても、作家性や建築とはなにかということ、さらには社会構造にまで関係していく。こういう、当たり前にあるものがなぜその形をしているのかという視点にも踏み込んでいきたいと思っています。
山本 それはまさに作り手と使い手の「ディスタンス」ですね。以前、建築家の塚本由晴さんと伊藤亜紗さんたちと話したときに、建物を作る会議に「誰を呼ぶか問題」というのがあるというお話を聞きました。
もちろん施主や建築家は参加するんですが、その建物に関係する人たち全員が呼ばれるわけではありません。さらには、その建物の周りの植物や昆虫たちも本当は関係しているはずです。一つの建物を建てるとき、関係する人や物はたくさんあるにもかかわらず、「いったい誰を呼んでこれを作ったのか?」という問題が生じてしまう。というか、それが検討すべきことだと認識されることは少ない。
Webを作る場合も同じように考えられそうです。そのウェブサイトやゲームをつくるとき、「誰を呼ぶか問題」があると思えば、そこからアクセシビリティについても多様に考えられそうです。それはエコロジカルにものを見るということでもあるし、「モア・ザン・ヒューマン」なものも含めて、考えてみても良いかもしれないですね。[★08]★08

- 山本貴光さん
体験の重心を変える
田中 そういう視点で言えば、アクセシビリティは決して障害のある人だけの問題ではないと思います。“健常者”と呼ばれる人は「100」で、障害者が「50」あるいは「80」の世界しか感じられていないという考え方自体が間違っていると思っています。
そうではなく、目の見えない人は耳からの情報で「120」の世界を体験しているかもしれないし、私は逆に耳からの情報は「40」しか受け取っていないかもしれない。それは単純に、体験の重心が違うということだと思っています。
ドミニク 重心が違うというのは面白い考え方ですね。
田中 #1でも触れた「オーディオゲームセンター+CCBT」という展覧会では、野澤幸男くんという目が見えないプログラマーが中心にいました。普通に彼と接していると、目が見えないということのハードルが限定的であることに、すぐ気づくんですよね。視覚以外からの情報においては、むしろ私の方がすごく補ってもらっていることも多々あります。
山本 それは重要な視点ですね。私も、気分心身の状態によって、今日は音からの情報はオフにしたいとか、目からの情報は切りたいということがあります。音はボリュームを調整することができますが、他の要素についても、重心を変える日があってもいいですよね。
田中 そう思います。『DISTANCE』においても、たとえば今日はちょっと音で楽しみたいとか、今日は画像は刺激が強いからテキストだけがいいとか、自分の状態によって変わってもいいかもしれません。
ドミニク オーディブル(audible)で本を読むことにも似ていますね。
田中 そうですね。たとえば海外の大手メディアだと、記事を音声で読んでくれるオプションが当たり前のようにあったりします。でも日本だと、無い場合がほとんどです。私自身、目で見るより音で聞く方が情報が頭に入りやすい傾向があるのですが、視覚の比重が大きすぎることに、小さなストレスを感じることもあります。もっと普通に切り替えられたらいいのにと思います。
ドミニク 先日面白かったのは、英語論文をポッドキャスト風に自動音声変換するソフトを作っている研究のことです。デモ版を聞かせてもらったんですが、たとえばカナダ人の著者が書いた英語論文を、非ネイティブぽい日本語で解説してくれるんですよね。
たまたまOpenAIの音声モデルが日本語の声を用意していないからなのですが、いわゆる機械音声のようなものではなく、「ハイ、ミナサンコンニチハ。ワタシガ◯◯デス」みたいな感じで、それが単一の規格や統一化された声ではないという。本当にその人が日本語を頑張って勉強したらこういう喋り方をしそうな感じだったんです。そういうことが意図的にAIでできると、音声によるメディアも進化していくかもしれません。
山本 それはいいですね。これから『DISTANCE』でも、田中さんやドミニクさんが自動で読み上げてくれる機能もできるかもしれませんね。
変わり続ける「弱いメディア」へ
ドミニク 文字情報が音になったり、視覚情報だったゲームが音声情報になる。その重心を変えるという考えはとてもヒントになります。田中さんに紹介いただいた『Last of Us part II』の研究発表を見て、「そっか、ぼくも家に帰ったら、目隠ししてやってみれるんだ」というのが驚きでした。アイマスクをして音だけバージョンで体験してみると、自分にとってとても新しい体験になると思います。まだできていないのですが(笑)こんなふうに重心を変えてみると、見えてくる世界も変わりそうですね。アクセシビリティという視点ももちろん大事な概念なんですが、体験の重心を変えるような別の角度からの価値提案も『DISTANCE』ではやっていきたいですね。
山本 特にゲームはそういうことが容易にできるメディアですね。ゲームはコントローラーというすごく限られた入力装置を使う一方、画面の中で結構複雑なことをやらないといけない。とはいえ、できることとできないことがルールで制限されています。ゲームは制限の塊だと言ってもよいくらいです。それだけに、このゲームでは視覚情報をどんなふうに制限してみようかとか、音を一切出さないという制限をしてみようか、といったこともできる。
私たちはつい自分の身体の状態を無自覚に前提にしてしまうんですが、もう一度身体に対して自覚的になって、重心を変えてみたいですね。
ドミニク たとえば、フランスのインスタアカウントで「ASMRポリティクス」というのがあるんですが、それは大声でがなりたてる政治家の討論の音声を、すべてささやき声に変換してアップしているんです。ありとあらゆる討論をささやき声に変換するというだけなんですが、これも一つの重心を変えることだと思います。
山本 面白い! 最近のゲームでは最初にゲームを開始するとき、色や明るさを個人設定できますよね。そういうことが『DISTANCE』でもできると面白いかもしれません。自分の体験したい重心に合わせてメディアが変わっていく。そういう実験も「弱いメディア」だからこそ、試せることですね。
田中 ラボもゲームも、これからの『DISTANCE』がさらに楽しみになりました。
DISTANCE.media編集会議2024
#1 作ると遊ぶが循環するメディアへ
#2 ゲームからメディアのあり方を考える
#3 「体験の重心」を変えてみる
★07 ゲームに要素を追加したり快適にしたりする改造行為や、改変してプレイするためのプログラムのこと。★08 特集「ノンヒューマンからの眺め」の記事をご参照ください。 https://distance.media/tag/?query=%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%9C%BA%E3%82%81

- ドミニク・チェン
- 情報学研究者。1981年生まれ。博士(学際情報学)。早稲田大学文学学術院教授(表象・メディア論系コース)。NTT ICC(Inter Communication Center)研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て現職。Ferment Media Researchを主宰し、人と技術と自然存在の関係性を研究している。著書に『未来をつくる言葉』(新潮社)、『電脳のレリギオ』(NTT出版)、『ウェルビーイングのつくりかた』(共著、BNN)など多数。

- 田中みゆきたなか・みゆき
- キュレーター・プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを企画。表現の見方や捉え方を障害当事者含む鑑賞者とともに再考する。2022年7月から12月までACCのフェローシップを経てニューヨーク大学障害学センター客員研究員。2025大阪・関西万博 日本館基本構想クリエイター。主な仕事に、「ルール?展」(2021年、21_21 DESIGN SIGHT)、「語りの複数性」(2021、東京都公園通りギャラリー)、「オーディオゲームセンター+CCBT」(2024、シビック・クリエイティブ・ベース東京)など。主な書籍に、『誰のためのアクセシビリティ?』(リトルモア)など

- 山本貴光やまもと・たかみつ
- 文筆家、ゲーム作家。1971年生まれ。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。コーエー(現コーエーテクモゲームス)にてゲーム制作に携わり、在職中から執筆活動を開始。1997年より吉川浩満と「哲学の劇場」を主宰。著書に、『文学のエコロジー』(講談社)『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『心脳問題』(吉川浩満と共著、朝日出版社)など多数。


