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からだの動きを探るラボ始動

イントロダクション② 「もとーる」研究のアプローチ

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写真:YokohamaMarino

岡山弁で「もとーる」とは、「からだの動きがなめらか」なことだと岡山出身の知覚・身体科学研究者の柏野牧夫さんは言う。どうやら語源は、ぐるぐるまわる、めぐる、おもうようにはこぶことを意味する古語、「もとほる(廻る)」のようだ。趣味で野球を楽しむ柏野さんにとって、もとーることは長年の目標であり、好きが高じて始めたスポーツ脳科学研究の核となるテーマでもある。

どうやったらうまくからだを操ることができるようになるのか、どうすれば熟達するのか、どう過ごせば調子のいい心身の状態を保てるのか――。この「もとーる・ラボ」では、脳科学や認知神経科学、発達心理学、認知心理学、運動生理学などの知見を踏まえつつも、閉じた実験室を飛び出し、実際の試合や演奏会など、リアルな場で動くからだに迫りながら、新しい身体論をひらきたい。

イントロダクションの2回目となる今回は、ラボ長を務める柏野さんに、研究者としての問題意識と、もとーる研究のアプローチについて聞いた。(イントロダクション①はこちら

取材・文:田井中麻都佳

Contents

    「傍観者」から「実践する人」へ

    ――前回、「もとーる」をテーマに、どのような研究していくのか伺いました。続いて、どういうアプローチで研究を進めようとしているのかをお聞きしたいと思います。そこで、これまでの柏野さんのご研究のモチベーションについても少し振り返ってみたいのですが、もともと、聴覚をはじめとする知覚の研究をされていましたよね。スポーツ脳科学の分野に参入されたのは2015年頃からということですが、興味の対象が移ったということなのですか?

    柏野 対象そのものというより、問題意識が少し変わったのかもしれません。そもそも知覚の研究をしていたのは、自分の認識している世界の正体を知りたいという認識論的興味からでした。子どもの頃は和漢の古典をよく読んでいたのですが、なかでも一番影響を受けたのが『荘子』【★01】★01です。たとえば、「胡蝶の夢」にあるように、いま感じているのが夢か現かとか、はるか上空の大鵬が見下ろす世界はすべてが青一色で事物の区別はなくなるといった寓話を読んで、いま目の前にある知覚を疑うというか、知覚を相対化するような感覚はずっとありました。知覚は物理的実在そのものではない、という。

    一方で、学生時代はバブル期で、人々は土地とかブランドとか、いろいろな価値を信じているように見えた。そんなふうに目の前にある事象やモノを信じられるのが不思議だったんですね。世界がこう見えているというのは、あくまでもその人の知覚メカニズムがつくり出したものであって、絶対的な真理ではないはずなのに。というわけで、いかに知覚が外界の物理的特性とずれているかという錯覚の研究なんかを手がけるようになったのです。

    それはそれなりに面白かったけれども、とはいえある種、傍観的というか、知覚世界はこういうものだ、と言っているにすぎない。じゃあどう行動するのか、もっと言えばどう生きるのかという問題は手付かずのままです。当時は、そういうことは研究の対象ではないと思っていましたしね。そもそも、自分の性質がどこか傍観者的というか、世捨て人的だったこともあるのだろうと思います(笑)。自分がどう動くとか、世の中をこうしたいとかじゃなくて、世の中こういうものだ、的な。だから荘子にハマったのか、荘子の影響でそうなったかはわかりませんが。

    それが、2010年頃からですかね、野球をするようになって次第に変わってきたのです。まず実感したのは、自分の不完全さであり、不自由さです。要はうまくできないということ。それでもやっていると、ちょっとできるようになったりする。しかもそれが非常に嬉しかったりする。またすぐできなくなるのもしょっちゅうですが、気がついたらけっこうハマっていて、やらない日は気持ち悪くなるくらいです。

    ――私も趣味で楽器を弾くので、その感覚はよくわかります。

    柏野 それで気づいたのは、不完全さ、不自由さと向き合うのは楽しいかもしれないということだったんですね。知覚は不完全で相対的なので、そのことに気づかないまま行動すると危ない。それはそうかもしれないけれども、それで動くしかないし、動けばそれなりの喜びが得られることもある。そうしたことを感じるなかで、これはもしかしたら研究の対象になるかもしれないと思ったわけです。

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    スポーツはVUCAに満ち溢れている

    柏野 ちょっと話は飛びますが、2010年代頃からビジネス用語としてVUCAという言葉がよく使われるようになりましたよね。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)という四つの言葉の頭文字で、コロナ禍や戦争などによって広く認識されるようになりました。

    ――現代の経営ではVUCAにいかに対応するかが重要だ、とか、VUCAの時代を生き抜くスキルとは、といったフレーズをよく耳にしますね。

    柏野 そう、そのくらい人々の関心事なのだと思います。考えてみれば、スポーツというのは、VUCAの塊です。たとえば、最近MLB(Major League Baseball)で多用される変化球に「スイーパー」があります。これは横方向の変化量が大きく縦方向の変化量が小さいスライダーのことで、ホームベースの幅(約43cm)くらい横に曲がることもよくあります。2023年のWBC(World Baseball Classic)の決勝で、大谷翔平投手がアメリカの最後の打者マイク・トラウトから三振を奪ったのがこれです。じつはこの球種が打ちにくいのは、単に変化量が大きいからではなくて、フォーシーム(日本流に言えば、直球)と見分けがつきにくいからなのです。

    ――え、そうなんですか? 変化するからではなくて?

    柏野 物理的な軌道は極端に違うので、見分けがつきにくいというのは意外ですよね。われわれも実験室で再現してみて驚きました。右投手のスイーパーを右打者が見ると、何か設定の間違いじゃないかと思うほどまっすぐに見える。打者が自分の身体に向かってくる球を見たとき、スイーパーならそこから曲がってストライクですが、フォーシームならそのまま身体に直撃、大怪我は避けられません。打者はその瞬間、まさにVUCAに直面しているわけですが、打つのか逃げるのか、0.2秒程度で判断しなければならない。ここに野球の醍醐味があります。もしどちらの球が投げられるのかをあらかじめわかっていたなら、プロの打者であれば、球速160km/hのフォーシームだろうが変化量40cmのスイーパーだろうが、打てる確率は格段に上がります。

    こう考えると、トップレベルの打者は、VUCAに対峙する達人ということになります。からだの動きが「もとーる」のはもちろんですが、その状況で最高のパフォーマンスを発揮できるように心身の状態を整えられるという意味でも「もとーる」と言えます(岡山弁では、「心がもとーる」という言い方はしませんが)。さらに、そういう対戦が楽しいというのもあるはずです。野球に限らず、VUCAがあるからこそ、スポーツは面白い。それを極めた人たちの心身の技について調べれば、VUCAの時代にどう生きるかということに対しても何かヒントが得られるかもしれないと思ったわけです。

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    「もとーる」研究では、多様な人々がVUCAと対峙し、いきいきと暮らすための原因解明と手法の開発をめざす。そのアプローチとしては、現場から本質的な問題を見つけて深掘りしていく。

    「川から水を汲んできて調べたところで、川そのものについてはわからない」

    ――柏野さんが手がけてこられたスポーツ脳科学の研究は、従来のスポーツ科学のような筋力や心肺機能の研究とか、よいフォームの研究といったものとは、出発点が違うというか、問題意識が違うわけですね。

    柏野 そうですね。問題意識が変わると、必然的に方法論も変わらざるを得ません。アラン・ワッツというイギリスの哲学者は、「川から水を汲んできて調べたところで、川そのものについてはわからない(“If you want to study a river, you don’t take out a bucketful of water and stare at it on the shore.”)」という言葉を遺しています。まさにそうだなと。従来の知覚や運動の研究は、川の研究をすると言いながらも、川の水を一生懸命汲んできて、細かく調べるような営みだった。でも、それでは本当の人間の理解には至らないんじゃないかというのが、私が抱き続けてきた問いです。

    普通、知覚や運動の基礎研究では、実験設定が、現実にはありえないくらい単純で人工的なんですね。目を動かさないように固視点を見ながら縞模様の動く方向を判断するとか、「ピー」とか「ザー」とかいった二つの人工音のうちどちらが高く聞こえるかを判断するとか、全身を固定されて目の前の標的に向かって片手だけを伸ばすとか。こういう単純な設定であっても、測定された知覚や運動の特性から、リバースエンジニアリング的に、脳でどういう処理が行われているかを、ある程度は推測できます。

    一方、このような実験設定や刺激、課題などが不自然ではないかというのは「生態学的妥当性(ecological validity)」の問題と言われ、実験心理学や認知科学では1世紀以上にわたって繰り返し論じられてきました。

    もっとも、実験で人間の営みを解き明かそうとするなら、不自然にならざるをえない部分はあります。実環境ではいろいろな要素が複雑に絡み合っていて、そのままではサイエンスとして扱えないからです。だから、ある部分を取り出して、単純化し、条件を整えて、分析してきたわけですね。

    そういう方法で蓄積されてきた知見というのは膨大で、それはそれで非常に意味のある営みだし、それ自体を否定するつもりはまったくありません。ただ、そのような結果を積み上げたところで、現実の世界のなかでのさまざまな振る舞いを説明できるかというと、そこにはやはりものすごく遠いというか、距離があるのは否めない。単純には外挿できないというのは、容易に想像できますよね。

    ――そもそも人間は実験室ではなく、多様な環境との相互作用のなかで動いているわけですからね。

    柏野 そうですね。なぜ実験と現実とでギャップがあるかというと、人間はリニア(線形)なシステムではないというのが理由の一つ。だから、要素を一つずつ調べて、それらの結果を足し合わせたところで、現実世界での人間の挙動を記述できるかというと、なかなかそうはいかない。たくさんの要素が複雑に絡み合いながら相互作用するというところがミソだからです。

    もう一つ、ギャップの理由を挙げるなら、現実世界での人間の営みが、実験設定ではそもそも扱われていない要素を多分に含んでいるということ。たとえば、私は歌謡曲が好きで、BS放送の歌番組なんかをよく見るわけですが、懐かしの名曲を別の歌手が歌ったとき、よくないなと感じることがあります。別に音が外れているわけでも、声が出ていないわけでもない。しかし、なんというか、「味」がない。情感たっぷりに歌おうとしているけれども、上滑りしているような違和感とでも言いますか。

    聴覚系が、それぞれの歌唱をどういう音響特徴によって区別しているかという問題であれば、聴覚系の基礎特性に関する知見で説明できるでしょう。しかし、なぜそのような「感じ方」の違いをもたらすのかという問題になると、既存の知見で説明するのは困難です。それは、端的に言えば、音響特徴のみには還元できない要素が絡んでいるからです。

    カバーした歌手の歌い方がその時の自分の気分に合わなかったからかもしれないし、同じ歌唱を聞いても、別の聴取者ならそうは感じないかもしれない。好みもあるし、聞き馴染みや、過去の思い出も影響しているかもしれません。つまり、音響特徴の処理に加えて、文脈、情動、記憶、学習、個人差など、さまざまな要因が複雑に絡んでいると考えられます。脳で言えば、聴覚野以外が大いに関係しているに違いない。しかし、脳内で何が起きているか、その詳細はほとんどわかっていないのです。

    ――知覚や運動の基礎研究では、一部の現象や機能については詳細にわかっているけれど、一方で、あまり手の付いていない部分がたくさん残っているわけですね。それは「バケツ」に汲んだ水の中にはないので、「川」を扱わなければならないと。

    柏野 その通りです。アスリートが実戦のVUCA的状況で発揮する心身の制御能力について調べたいのなら、それに相応しい実験設定が必要です。実験室でバットの素振りをしてもだめだし、いまから緊張してくださいといっても大試合で経験する緊張とは桁が違う。いっそ、実戦をそのまま計測すればいいのではないか、ということになります。

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    アスリートの動きを実戦で計測できる道具がそろってきた

    柏野 しかし、これは言うは易く、行うのはかなりチャレンジングです。実戦の環境というのは過酷で、動作や生体信号を十分な精度で計測すること自体が困難です。大掛かりな装置で選手のパフォーマンスの邪魔になっては元も子もありません。計測できたとしても、未知の要因も含めてさまざまな要因が絡んでおり、それらを解析で分離するのも一苦労です。一昔前なら、非現実的として一蹴されるような話です。

    ところが、情報系の研究所にいることも幸いして、ちょうど2015年頃から、技術的な面で光が見えてきました。ヴァーチャル・リアリティ(VR)により、実環境を模しつつ統制された刺激提示が可能になりました。各種ウェアラブル・センサにより、行動中の心拍や呼吸、筋電などの生体信号の計測が可能になりました。動作を計測するモーション・キャプチャも、からだにマーカーを付ける光学式のものから、慣性センサ方式、さらにはコンピュータ・ビジョンを用いたマーカーレス方式まで、用途に応じて各種選べるようになりました。視線や瞳孔系、瞬目などを計測するアイカメラも小型化・高精度化していきました。データ解析も、ディープ・ラーニングをはじめ、さまざまな機械学習手法が使えるようになった。これらの新技術をうまく活用することで、実戦のような自然な環境で実験が可能になりつつあります(図1)。

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    図1 VRやコンピュータ・ビジョン、生体情報などを計測するウェアラブルセンサ、機械学習など、アスリートのパフォーマンスを可視化する手段が増えつつある。

    ――ここ10年で状況が大きく変わったのですね。

    柏野 はい。それから数年にわたり、野球、ソフトボール、スノーボードビッグエア、カーレース、eスポーツ、ライフル射撃など、各種競技のトップチーム・アスリートの方々のご協力をいただくことができ、実戦もしくはそれに準じた環境での計測の試行錯誤を繰り返してきました。すでに何本か論文も出版していますし、方法論がある程度確立してきたと思います。このあたりの成果についてはまた改めてご紹介したいと思います。

    究極的には、「透明実験」、「不察知計測」というものをめざしています。これはわれわれの造語ですが、要は、実際の競技に手を加えず、選手たちにまったく気づかれないように計測するということ。たとえが適切かどうかわかりませんが、野生動物のフィールドワークに近いかもしれません。そうやって得られたデータから、選手たちの身体や脳の状態を推定するのです。

    ――「ゾーンに入っていいパフォーマンスができた」とか、逆に「アガってしまっていつものパフォーマンスができなかった」とか、スポーツの試合や本番の演奏などでは、いろいろなエピソードを耳にしますが、そういうことも解き明かそうとしているのですか?

    柏野 まさにそういう現象を定量的に捉えようと。さらに、調子がよいとか悪いとか、逆境から一発逆転を図ってうまくいったとか、そういった現象のメカニズムを理解したいと思っています。メカニズムがわかればそれらを導く方法もわかるかもしれない。

    付け加えるなら、効果量の問題にも目を向けたいと思っています。つまり「効き目」ですね。たとえば、薬の効果を調べる治験では、薬を投与した人たちと、プラセボと言って、薬効成分を含まない偽薬を投与した人たちを比較しますよね。その結果、統計的に有意差があったと論文を書いて、それなりにハイインパクトのジャーナルに掲載されたりするわけですが、それにどれほどの意味があるのかということはよく考える必要があると思っています。効き目としてはごくわずかでも、統計的に有意差ありということはあるわけですが、それでは薬としては役に立たない。

    認知科学も同様で、われわれの成果も実際にアスリートにとって意味や価値があるのか、ということを一つの基準にしています。実験室で有意差が見られても、リアルな実戦の場では役に立たないというのでは、あまり意味はないと思うんですね。サイエンスの当然の営みとして論文は書くわけですが、それだけではなく、知見に基づいた手法を現場に導入して、本当にパフォーマンスがよくなるかを試したいと思っています。

    その意味では、世界最大のスポーツイベント(大会)に向けてソフトボール日本代表に使っていただいた、相手投手のシミュレータマシンは成功例の一つと言えるかもしれません【★02】★02。これはアメリカチームの二枚看板、アボットとオスターマンなどの球種ごとのピッチングフォームと球質を可能な限り精巧に再現した映像付きピッチングマシンです。

    ――このマシン、ニュースなどでも取り上げられましたが、日本代表チームの金メダル獲得にそれなりに貢献したのではないでしょうか。

    柏野 いや、これが金メダルにどの程度貢献したか、このマシンを使わなかったらどうなったかという対照実験ができませんから定量的な評価は困難です。ただ、選手たちが本番直前の2カ月くらい、このマシンを精力的に打ち込んだという事実が、私たちにとっては嬉しいことでした。役立ちそうにない、あるいは邪魔になるようなものだったら、見向きもされませんからね。

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    「動くためのからだ」と「生きるためのからだ」

    ――実環境のなかでからだの研究をするための技術的なお膳立ても揃ってきて、すでに成果も出てきているということですが、「からだ」と一口にいっても、先ほどの「ゾーン」みたいに、心にかかわるような側面もあって、一筋縄ではいかないような気もするのですが……

    柏野 そうですね。まさに、こころとからだは不可分というか、からだがこころの基盤となっているということを強調しておきたいと思います。

    「からだ」には、大きく分けると二つの側面があります。一つは、外界との力学的なインタラクションをする道具、装置としての役割。いわば、「動くためのからだ」と言ってもよい。もう一つは、生命維持のため、内界の状態を調節する役割。ホメオスタシス(生体恒常性)やアロスタシス(変化による恒常性維持)に関係していることから、「生きるためのからだ」と言ってもいいでしょう。

    この二つの側面は本来密接に関連していますが、研究業界では例によって別々に研究されることが多く、ロボティクスや人間の運動制御を研究する人々は前者、意思決定や情動を研究する人は後者をもっぱら扱いがちです。スポーツの文脈で言えば、前者は身体技能、後者はいわゆるメンタルに対応するかもしれません。しかし、両者の密接な相互作用を抜きにしてスポーツは語れないと私は考えています。先ほども話題に出たように、緊張するとできるはずの技ができなくなるとか、大怪我のリスクを取って、からだに向かってくる球を打ちにいくとか。これらこそわれわれが見たい現象なんですね。

    「動くためのからだ」を操るには、そのときどきの状況に合わせて相手や対象物の動きを予測し、右に動くのか左に動くのか、あるいは前に進むのかといった意思決定をしてから、たくさんの関節や筋を動かす指令を出すという複雑なプロセスを経ます。つまり、巧みに動くためには膨大な計算が欠かせない。しかも、その運動は、からだそのものによって制約を受けるし、外界の環境にも制約を受けるため、計算はより複雑になります。巧みに動ける人はこうした高度な計算を瞬時に行なっているわけですね。

    一方、こころの重要な部分を担うのが、「生きるためのからだ」です。ホメオスタシスに関わるのは、自律神経系や免疫系、ホルモンを生成する内分泌系で、たとえば気温が高くなれば汗をかいて体温を下げるといったように、外部環境の変化などに応じて、身体の内部環境を生存に適した一定範囲内に維持しようする働きを担っています。また、生命の維持には、基本的な欲求や情動、感情、価値判断といったものがきわめて重要な役割を果たします。これらの部分を抜きにして人間を語ることはできません。

    ――「生きるためのからだ」というのは、人間を行動へ突き動かす重要な部分を担っているわけですね。

    柏野 直感や勘というのは、まさにその典型ですよね。これらは生得的な性質や経験から身についた性質、身体の反応といったものに委ねられている部分がかなりある。実際に、直感に従った結果、論理的に考えた答えとは別の選択をするという経験は誰しもあるでしょう。その方がうまくいくということも多いと思います。

    スポーツに限らず、日常のさまざまな場面においても、本人は理性的に判断しているつもりでいても、じつは内臓感覚などの身体反応によって規定されている場合が多くある。要するに、こころとからだは明確に分けられるものではなくて、からだの状態とそれを制御しようとする脳の働きの相互作用のなかで行動やこころが生み出される、ということを理解しておく必要があります。脳ばかりに注目していると、人間の本質を見誤りかねません。

    ――「もとーる」研究で何を探っていきたいのか、またどのようなアプローチで進めていくのかよく理解できました。脳・からだ・環境の相互作用から、「うまくいく」からだの謎を解き明かし、VUCAに対峙するこころが生まれるメカニズムを探っていくというわけですね。

    柏野 そうです。また、このもとーる・ラボでは、その研究成果の一端を紹介するとともに、研究者やアスリート、演奏家、アーティストなど、さまざまな方たちをゲストにお迎えして、対話を重ねるなかで、「もとーる」の本質に迫りたいと考えています。

    ――これからの展開を楽しみにしています。

    (イントロダクション①はこちら

    (つづきはこちら

    ★01 『荘子』:中国戦国時代中期に記されたとされる思想書。著者は道教の始祖の一人とされる荘子(紀元前369年頃―紀元前286年頃)だが、『荘子』は荘子と彼の弟子たちが書き継いだものとされる。 ★02 https://journal.ntt.co.jp/article/16471

    柏野牧夫かしの・まきお
    知覚・身体科学研究者。NTTフェロー、NTT コミュニケーション科学基礎研究所 柏野多様脳特別研究室長。1964年生まれ。1989年東京大学大学院修士課程修了。博士(心理学)。著書に『音のイリュージョン~知覚を生み出す脳の戦略~』(岩波書店, 2010)、『空耳の科学-だまされる耳 聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア 2012) 他。趣味は野球と歌謡曲(どちらも鑑賞と実践)。

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