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中村桂子さんが語る「人間は生き物である」#3:「愛づる」ことは本質を見ること

「生命誌」から見えてくる世界

中村桂子さん講演「生命誌から見えてくる世界」#3:「愛づる」ことは本質を見ることの画像

地球環境の危機的状況を背景に、これまでの人間中心主義を問い直し、動物や植物など人間以外の視点から世界を眺めようという特集「ノンヒューマンからの眺め」。2024年10月にシビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]で開催された、中村桂子さんの講演の最終回をお届けします。

中村さんは、オサムシの研究から見えてきた鮮やかな生物の姿を例にとりながら、人間を含めた生物がけっして他の生物からも、そしてこの地球環境からも切り離されては存在し得ないことを、説得力をもって語ります。その姿はまさに「虫愛づる姫」そのもの。物事の本質を見つづけてきた中村さんの真摯な言葉に、涙する聴衆もいました。

構成=田井中麻都佳
撮影:斉藤純平

Contents

    オサムシはなぜ種類ごとに棲み分けているのか

    私が生命誌研究館で30年前に始めたのが、オサムシの研究です。当時、DNAの研究者で虫を研究している人なんて一人もいませんでした。でも、自然を知りたいのであれば、研究室から出て、地面を這っているものを研究しなければダメじゃない?という思いで、虫を対象とすることにしたのです。

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    そうしてまずは日本のオサムシの遺伝子を解析して、系統進化を調べました。そのうえで、日本地図上にどの種類のオサムシがどこに生息しているかをプロットしていきました。すると、オサムシが系統ごとにきれいに棲み分けているということがわかったんですね。

    もっともオサムシは飛べないので、遠くまで飛んで移動していくことはできませんから、それぞれの系統ごとにまとまって生息しているのは当たり前のことですが、まるで地面に境界線があるかのごとく、見事にそれぞれ棲み分けていることをずっと不思議に思っていました。

    するとあるとき、日本列島の形成を研究している地質学の先生のお話しを聞いて、その謎が氷解したのです。というのも、日本列島は2500〜1800万年前くらいまではアジア大陸の一部だったんですね。もともとオサムシはヒマラヤあたりに生まれて、とことこ歩いてアジア大陸全体に広がっていったわけですが、やがて1800〜1500万年ほど前にアジア大陸から古日本列島が切り離されて、四つの島に分かれてしまった。それがまた1000万年ほど前に一緒になって、やがて日本列島として形成されたのです。

    そして驚くべきことに、この日本列島の形成の年代とオサムシの系統分化の年代が合致しているのです。つまり、オサムシの系統ごとの棲み分けの線というのは、まさにかつて四つの島だった日本列島の境目と同じだということ。オサムシは見事に日本列島の成り立ちを示していたというわけです。

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    最初、このことに気づいたときは本当にびっくりしました。それまで、生物学者は生き物だけを、地質学者は地面だけしか見てこなかったけれど、じつは地面と生き物を一緒に見て考えていなければならない、ということがはっきりわかったのです。

    親から受け継いだDNAだけで「私」が構成されているわけではない

    さて、先ほどの話はオサムシの研究なので実感がわかないかもしれませんが、これは他の生物でも同じことです。いま、アフリカに起源を持つ人類がどのようなルートで各地に移動していったのか、DNAで調べる研究が流行っていますが、われわれのオサムシの研究はまさにその先駆けと言えます。そして改めて、生物学は生き物だけを見ていたのではダメで、自然を見なければならない、という重要なことを示したと思っています。

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    たとえば、いま注目されている腸内細菌などもその良い例でしょう。私たちの腸内にはたくさんのバクテリアがいます。私たちは親から遺伝子を受け継いだと思っていますが、体内のバクテリアのDNAの数というのは、それをはるかに上回ります。もちろん、両親からもらったヒトゲノムはとても大事ですが、じつは「私」というものは、両親のDNAに加えて、食事や運動などから取り込んだ無数の常在菌叢と合わせた全体で構成されているんですね。

    しかも、体内に取り込まれたバクテリアというのは、先に申し上げたように40億年前に存在していて、その状態を続けてきた存在です。私たち人類は20万年前に生まれたわけですが、ヒトは40億年前に生まれたバクテリアとまったく同じメカニズムで動いているからこそ、体内のバクテリアは「私」の一部として働くことができる、ということ。

    そういう状況を全部わかったうえで、私たちは自分たちの社会を築いていかなければならないのではないでしょうか。

    ところが現在は、そうしたこととは関係なしに、金融資本主義と科学技術だけで社会を築いているから、自然界を破壊するという結果になっているのだと思います。当然、私たちの身体も心も自然ですから、壊されてしまう。40億年という長い時間との関係を断ち切られ、「速さ」を求める機械論的世界観に支配されると私たちの心身は壊れてしまうのです。

    しかも自然はおとなしいばかりではありません。地震や豪雨などの災害を引き起こします。そのときに、福島第一原子力発電所の事故のようなことが起これば、何十年も何百年も、自然の状態に戻ることはありません。20世紀型のやり方は、そうした多くの問題を残しました。

    「略画的世界観」と「密画的世界観」を重ねて描く

    振り返ってみれば、古代において人類は機械論ではなく、生命論を生きていました。アニミズムに代表されるようにヒトと自然は一体化していました。やがてギリシャ時代になると、われわれは理性に基づいて神様という存在を生み出します。さらに中世になってキリスト教が大きな力を持つようになると神は絶対的な存在となり、神の創造物としての人間は特別な存在となって、自然を支配するようになったのです。

    それが近代以降、科学の台頭によって神様は追いやられ、人間が一番の存在となり、人工の世界をどんどんつくるようになった。しかし、それはもはや行き詰まりを見せています。だからこそ、私は新しい生命論的世界観、言い換えれば新しい物語の必要性を訴えているのです。

    だからといって、私は古代に戻ろうなどと言うつもりは毛頭ありません。人工物も機械もどんどん利用すればいいと思っています。

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    では、そのためにどうすればいいのか。これまで機械論で行なってきたことをやめるわけにはいかないでしょう。科学や技術をすべて否定することはできません。

    大森荘蔵先生は、『知の構築とその呪縛』(ちくま学芸文庫)の中で、次のようにおっしゃっています。科学は自然を分析し、物理的・化学的構造として記述することによって、「科学は自然を死物化する」と。一方で、私たちが日常的に世界を大まかに捉える「略画的世界観」と、科学によって事象を詳細に分析する「密画的世界観」という二つの視点を掲げます。

    私たちは赤いバラを見て、その花の姿や色を「略画的世界観」で捉えて美しいと思うけれど、科学は「密画的世界観」によって、DNAがどうなっているのか、その赤い色彩がどのようにつくられているのか詳細を探っていく。

    大森先生は、この「略画的世界観」と「密画的世界観」を自分の中で重ね描くことが大事だとおっしゃっています。つまり、私たちの日常的な感覚や価値が、科学的分析と矛盾せずに共存することが大事だと指摘しているのです。

    私もこの大森先生の意見に賛成です。つまり私は、古代から中世までの略画的世界観と、近代以降の密画的世界観を重ね描きして、時間も多様性も取り入れた(進歩ではなく)進化が必要だと思っているのです。

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    ホモ・サピエンスはたった一種類しかいない

    このことをより身近な言葉として表現するとしたら「私たち生き物」の中の私として生きるということになると思います。これを実践することができれば、人類は続いていくことができるのではないかと思っています。

    20世紀は、唯一無二の「個」が大事であるとして、「私」を非常に強調しました。もちろん「個」は大事です。しかし、その個はたった一つで存在することはありえません。いつだって「私たち」の中にいます。

    そう言うと多くの人は、「あぁ、家族もいるよね、仲間もいるよね」と思うでしょう。でも私の提案は、今日、ここまでお話ししてきたように、私たちは「生き物の中の私」として存在するということなんですね。それは地球があってこその存在であり、地球もまた宇宙あっての存在です。

    そして、その地球上の非常に多様な生き物の中に、「ホモ・サピエンス」という種が一種類います。面白いことに、チョウであれば、アゲハチョウやモンシロチョウなど何万種もの種類がありますし、ゾウだってインドゾウやアフリカゾウなどいくつもの種類があるのに、人間はたった一種類なんですね。80億人の中に、一人として違う種の人はいません。

    すべての人は20万年前にアフリカで生まれた少数の人たちを祖先として、先ほどお話ししたオサムシのようにあちこち世界中に広がっていったということ。そのたった一種類のホモ・サピエンスが、何千万種といる生物の中に存在しているわけですから、まさに生き物の仲間なわけです。

    最近、人間の研究が進展するなかで、ホモ・サピエンスというのは非常に共感力の高い種であるということがわかってきています。共感力が高いからこそ、身内以外、仲間以外、同じ国の人以外の外の人を敵とみなしてしまうのだという。しかしその共感力をたった一種類のホモ・サピエンス、80億人に向ければ、そこに敵などいるわけがない。

    日本人にしても、アフリカから出て、強い冒険心を持って、東の果ての日本にまでたまたま辿り着いた仲間、縄文時代から続いてきた仲間だという意識が持ちながら、社会をつくっていくことが21世紀に求められている姿だと思います。

    一番大切なのは、「愛づる」ということ

    私は生命誌の研究の中で、生命論的世界観を持ちながら、自ら内発的に本質を問う姿勢を貫き、時代認識を持って取り組んできました。そのなかで一番大事にしてきたのは何か。それは、「づる」という言葉です。

    この言葉を見つけたのは、「虫愛づる姫君」という平安時代のお姫さまの物語においてです。この物語は、ちょうど2024年の大河ドラマ「光る君へ」と同時代に描かれた短編小説集『堤中納言物語』の中の一編です。

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    この虫愛づる姫は一風変わっていて、男の子たちに虫をつかまえてこさせては、その毛虫などを手のひらにのせて可愛がったのだといいます。すでに年の頃は13歳で、嫁入りの時期にも関わらず、身なりを整えたり、化粧をしたりすることもなく、虫遊びに没頭する姿に、両親や侍女らはたいへん心配し、嘆いたそうです。

    ところがこの姫様は、「人々の、花、蝶やとめづるこそ、はかなくあやしけれ。人は、まことあり、本地たづねたるこそ、心ばへをかしけれ。」とおっしゃるんですね。つまり、「人々が、花よ、蝶よともてはやすのは、浅はかで不思議なこと。人間には誠実な心があり、本質を探究してこそ、心の様子も趣きがある」のだと言うわけです。つまりこのお姫様は物事の本質を見ているからこそ、ゲジゲジした毛虫を醜いなどとは思わず、そこに生きることの力、命を見出して可愛がっているのです。

    私は20世紀から21世紀に生きるなかで、DNAやらいろんなことを一生懸命勉強した結果として、「私たち生き物の中に生きる」ということ、そして、「生きるということは本質を見るということ」であるということがやっとわかったんですね。ところが、千年前に生きたお姫様は、DNAなど何も知らなくても、本当の意味で本質がわかっていたのでしょう。

    それがなぜ可能だったのかといえば、まさに「愛づる」という気持ちを持っていたからだと思います。理解することやデータを集めて分析することは作業としては大事ですが、私自身が一番大事にしたいのはこのお姫様と同じ「愛づる」という気持ちなのです。

    ちなみに、同様の物語が他の国にもないかと調べてみたのですが、見つけることはできませんでした。どなたかが見つけてくだされば面白いのですが、少なくとも私自身はいままで、同様の物語を見つけることはできませんでした。そうしたことから、たぶん日本という国の自然がこのお姫様を生んだのではないかと思っています。そして千年後に生きる私たちは、科学をうまく使いながらも、もっと深く「愛づる」ことができるのではないかと思っています。

    いま、異常気象が頻発するにもかかわらず、それでもなお戦争を続ける世界に対して、日本から何が発信できるでしょうか。私はいま、まさにそのことを考え続けています。ぜひ、みなさんにも考えていただきたいと思います。


    Future Ideations Camp Vol.4 |生態系をデータとしてとらえる/表現する
    基調講演 04
    「38億年の生命の歴史物語に学ぶー生命誌」
    2024年10月15日(火)19:00~20:30
    登壇:中村桂子(理学博士/JT生命誌研究館名誉館長)
    https://ccbt.rekibun.or.jp/events/camp04-keynotelecture02-4

    シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]
    https://ccbt.rekibun.or.jp
    https://x.com/ccb_tokyo
    https://www.instagram.com/ccb_tokyo
    https://www.youtube.com/@civiccreativebasetokyoccbt3744


    中村桂子さんが語る「人間は生き物である」

    #1 「私たち生き物」の中の私として生きる
    #2 生命誌研究館を始めた理由
    #3 「愛づる」ことは本質を見ること

    中村桂子なかむら・けいこ
    1936年東京生まれ。JT生命誌研究館名誉館長。東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了。理学博士。国立予防衛生研究所を経て、1971年、三菱化学生命科学研究所に入り、日本における「生命科学」創出に関わる。生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始する生命科学に疑問を持ち、独自の「生命誌」を構想。1993年に「JT生命誌研究館」創立に携わる。早稲田大学教授、東京大学客員教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任。『自己創出する生命』(ちくま学芸文庫)、『生命誌とは何か』(講談社学術文庫)、『科学者が人間であること』(岩波新書)、『中村桂子コレクション・いのち愛づる生命誌(全8巻)』(藤原書店)、『老いを愛づる』『人類はどこで間違えたのか――土とヒトの生命誌』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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