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人がヒトを超えた存在をケアすることの意味

新島探訪記 (後篇)

人がヒトを超えた存在をケアすることの意味の画像

「地球環境にとって、人間の活動が脅威である」、そんな認識が世界で広がり始めています。人間中心主義的な世界観では、地球環境はもはや維持できない、そんな風に考える若い世代が増えています。では、非人間中心的な世界観とはどのようなものなのでしょうか? 本特集では、動物、植物、菌類、微生物など、人間以外の視点を想像することから、都市や社会を異なるまなざしで眺めてゆければと考えています。デザイン研究者である上平崇仁さんは、出身である鹿児島の、たった2人しか住人がいない、一見自然豊かでのどかな小さな島を訪ねました。(前篇はこちら

Contents

    ふたりがこの島に住む理由

    島民にとって、五社神社は神と接するための唯一のインターフェースである。四方を海に囲まれた生活は、人の力ではどうにもならないことも多かったに違いない。そこで人々は超越的な存在を想定して祈らざるをえなかったし、逆に天からの恵みには感謝を届けたくなるような実感を伴ったからこそ、神様に一方的に助けを求めるだけでなく、人間の側からのケアも怠らなかったのだろう。その意味では、五社神社は島全体をつなぐ精神的なコモンズ(共有地)でもある。

    和子さんがここに住むことを決意した理由は、その「お宮さん(五社神社)のお守りをする」ためだった。和子さんは、幼い頃からこの神社とともに育った。祭事の時には神社から宮司が島へやってきて、氏子代表として和子さんの実家が準備を手伝うのが常だった。他の島民よりも関わり方が深かった分、お宮さんへの思い入れも深い。やがて成長して島を出た和子さんやその親族は、島の外に移住し、新島が無人島になってからも、「誰かがお宮さんを守らなきゃいけない」と気にかけ続けていたという。

    言われてみれば、神社は〈場〉と一体となって祀られ、人のように気軽に移動する事はできない。島に誰もいなくなっても、ただ静かにそこに在る。だから、ずっと自分たちを守ってくれる存在であり続ける、その霊力を信じることこそが社まで赴いて祈りを捧げる理由となり、日々のケアが欠かせない理由となる。そうした思いを持ち、荒れていく無人島の神社周辺の整備に定期的に通う日々の中で、和子さんはお宮さんから、「もうあんたたちはここに住んで私をみてもらえんやろか」とお告げをもらう[★01]

    ここでお告げの真偽を科学的に捉えるのは、野暮というものだろう。なぜなら、その一言のお告げこそが、佐々木夫妻の使命感や夫婦の絆をより強くした。この島に人生を委ねる覚悟を決めたことで、島の中でライフワークを見出すことにつながった。現に、夫妻はとんでもなく不便な辺境に行ったはずなのに、来客も仲間も増え続けている。出発点はどうであれ、これらはこの島で実際に起きている事実である。

    夫妻は、島をひらく。この島だからこそ成り立つことは何か。民泊やカフェなどの島の観光拠点づくり、島全体をミュージアムにした子どもたちの自然体験の拠点づくり、などなど。そうした可能性を島を訪ねてくる人々と語り合い、さまざまな計画を進めている。不思議なことだが、夫妻が切りひらくこの島の生活に、都市生活者の方が引き寄せられている。

    大きなものに「ゆだねて」生きる

    ある地元メディアのインタビューに、和子さんが答えている動画がある[★02]。発言の一部を書き起こしてみたい。(下線は筆者による)

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    和子さんへのインタビュー
    (出典:
    https://www.youtube.com/watch?v=jUhFZzcSuYw

    インタビュアー「この島の魅力を教えてほしいです」

    和子さん「いつも言ってるんですけど......何もない。 そしてあの、車の音がするとか、人工的な音が何もしない。本当の自然の音とか、自然の営み。 それに私たちがその自然に入っていくというのが必要というか。そうすることで生活をしているという。いままでは、陸続きのところに居ると、自分たちの思いを先に出すというか、それを叶えるためにモノとかいろんなものが必要だ、って思ってたけど、いまはこの自然の中でいかに溶け込んで生きるか、生活していくかに変わってきましたね。だからそこが魅力かな、やっぱり。 今までの生活が100%変わったわけじゃないんだけど、もう半分以上は変わってますね。

    インタビュアー「いつか大将を連れてきたじゃん。これは言っていいかわからないけど、あいつが来たとき、結構仕事面でも生活面でも悩んでいた時だったみたいで、ただみんなでこうやって作業する中で、本当に救われたって。何も考えずに、ただただ、畑を耕して、木を伐って。そんな単純な作業なんだけど、本当に楽しくて、救われた時間だったって。(この島は)なんか〈無心〉になれるってのはありますよね 。

    和子さん「いまの(私達の動画の)バックにもありますように、この桜島見てたら、小さいことはね、なんかもう勝った負けたっていうそんなおこがましい思いはないけど、いやなんちゃないなー(※どうってことないな)いう感じがしますよね」

    近代的な生活においては、多くの人が先に意思決定することを当然と捉えている。たとえば、「食べたいと思うものを思い浮かべて、選んで食べる」ように。まず「欲求」が先にあり、その欲求を満たすことが幸せに近づく道だと信じて、日々の仕事に従事している。和子さんによると、それは違う。エゴを捨て、自然に溶け込んで生きることで逆に生の感覚が高まり、人工的なものが何もない生活のほうが感謝の気持ちや幸福度は上がるという。和子さんの言葉は、日々新しい欲望を求めてやまない都市生活者の前提を強く揺さぶる。

    新島のもうひとつの面

    では、都市生活者は新島に移住すれば幸せになれるのだろうか。ここまで綴ってきたことに従うならば、新島は都会の喧騒から離れてのんびりできそうな島に思えるかもしれない。それは一面では事実である。が、この島が浮かぶ場所の歴史を学べば、危険と隣り合わせの島でもあることがわかる。そのことを地形の年代を追いながら解説してみたい。

    じつは、新島が出現したのは江戸時代中期である。文字通り〈出現〉したのである。安永噴火(1779~82年)と呼ばれる桜島の巨大噴火では、錦江湾の底からマグマが噴き出す海底噴火が何度も起こり、海底が隆起してボコボコと島が誕生した。その時に形成されたいくつかの島のひとつが新島である。だから、島ができてからわずか250年しか経っていない。同時代には天明の大飢饉(1783年)を引き起こした浅間山の噴火も起こっており、日本中で火山活動が非常に活発な時期であった。新島は生まれた時代をとって「安永島」、または「」と呼ばれていたが、その呼び名は、島が生まれた当初、近隣住民に島がどのように見えていたのかを想像させる。

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    島の誕生した頃の古地図
    薩摩藩が編纂した「三国名勝図会―巻四十三」より 天明五年(1785)
    (出典:新島散策ガイド)

    1779年以前は海底だった新島は、島が形成される際に海中にあった約5000年前(縄文時代)の貝化石層を一気に陸地まで押し上げた。島の外周部では露頭が見えており、砂の地層の中に、貝殻の化石(白くなっている部分)が大量に蓄積していることが観察できる。新島は天然の博物館でもある。

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    貝化石層

    新島ができて100年ほど経った頃(1880年)から、島に移り住む人は徐々に増えていった。戦後すぐの最盛期には、漁業やサトウキビづくりで栄え、周囲わずか1.5キロほどの小さな島の中に250名もの人々が暮らしていたという。

    新島と桜島

    新島は、桜島のマグマが周辺の海底を押し上げる力によって生まれたわけだから、桜島の子供のようなものと言える。それゆえ噴火活動とは切っても切り離せない。新島をつくりだした安永大噴火の次、歴史に残る大噴火は、大正時代(1914年)に起こる。溶岩流が桜島の集落を覆い、大量の溶岩が海に流れ込むことによって、大隅半島と桜島は陸続きになった[★03]。ほんの100年ほど前の出来事である。新島に向かう途中の道路沿いには〈〉がある。この大噴火の際の被災遺構として知られる。

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    黒神埋没鳥居

    高さ3mほどの高さがあったはずの神社の鳥居が、笠木だけを残して地面にすっぽりと埋まっている。そうそう変わらないと思い込んでいる地面の高さまでが、噴火後たった1日でここまで変化するという圧倒的現実に、観光客は絶句する。この鳥居の周辺と新島は海で隔てられているとは言え、直線距離では非常に近い。そう考えれば、新島も相当な被害を受けたことだろう。桜島周辺の住民は、日常的な降灰や爆発、度々起こる噴火に翻弄されながらもこの地に生きる。何故それほどまでして過酷なところに住むのか、傍目には不思議に思うかもしれない。でも、それぞれの住民にとってはそこで暮らすだけの切実な理由があるのだ。鳥居の左隣には、噴火を生き延びたアコウの老樹がいまでも成長しているのが見える。人も植物もたくましい。

    巨大火山と私たちとの接点

    関東や関西に住む人にとっては、こうした鹿児島の話は遥か遠い場所のように聞こえるだろう。ところが、実際には思いもよらない接点があるのだ。時間軸を広げ、巨視的に地形を見てみよう。上空からの地図で見るとよく分かるが、新島が浮かぶ錦江湾全体が、直径約20kmのゆるやかな円形になっている。これはかつての火山の痕跡であり、「姶良カルデラ」と呼ばれる。姶良カルデラでは、過去10万年の間に数多くの噴火が起こっている。

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    姶良カルデラ(赤線部分)

    なかでも、2万8千年ほど前の巨大噴火(姶良火砕噴火)は、この外周から一気に猛烈な噴火が起こり、1兆トンを超すマグマを1週間程度の短期間で噴出した超巨大噴火と言われる。1兆トンとは桁違いの量すぎて想像もつかないが、おおよそ瀬戸内海を埋め尽くすほどの量だという[★04]。遠い過去の話ではない。すでに人類が日本列島に到達し、狩猟採集生活を営んでいた旧石器時代(3万8千年前〜1万6千年前)の出来事である。

    現在、南九州一帯に広がる高さ数10メートル以上におよぶシラス台地は、この時の火山灰が降り積もってできたものだし、日本全国の地層にも、この時の火山灰の層(姶良Tn火山灰層)がはっきりと記録されている。われわれの先祖を襲ったまさしく天変地異であり、当時芽吹いていた九州の狩猟採集民族の人々の文化や動植物も、有名なポンペイの遺跡のように火山灰の中に埋没し、絶滅してしまったと考えられている。

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    川崎市の生田緑地の地層観察会にて(2023年9月25日)

    ここで視点は、唐突に現代の関東へと大きく飛ぶ。先日、筆者は川崎市多摩区にある生田緑地の地層観察会に参加した。学芸員によって、山の頂上付近、立川ローム層の上の方に、白い火山灰の層が10cm以上の厚みで蓄積していることがサラリと解説されていた。きな粉そっくりのサラサラしたその土は、高く掲げられている字にあるように、まさしく「Tn火山灰(AT)」である。令和の世に、2万8千年前に1000キロ以上離れた場所からやってきた爆発物の残骸を、実際に指ですくいあげることができる!しかも子どもたちの体験学習でちゃんと固有名詞が伝えられている!

    さらに、解説されないと知る機会もないが、それぞれの地層には壮大なスケールの事実が記録されているのだ。姶良カルデラの火山灰は、関東平野だけでなく北海道以外の日本列島一帯に、広域かつ短期間で降り注いだ。その特徴を利用して、考古学では2万8千年前の前後を判別する〈鍵層〉として重要な役割を果たしている。

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    姶良TN火山灰(AT)降灰以後の旧石器遺跡の分布と文化圏
    (出典:小田静夫「考古学からみた噴火が人類 ・社会に及ぼす影響」)

    例を挙げれば、旧石器社会は、姶良Tn火山灰(AT)が降る前までは、日本列島内に均一な石器文化を保持していたが、この降灰の後、地域的まとまりを形成し、西日本・東日本という大きな石器文化圏が成立する要因をつくりだした[★05]。狩猟や生活の環境が劇的に変化したからこそ、より用途に沿った道具のデザインが求められ、地域性が生まれていったと解釈できるだろう。

    そして噴火後の姶良カルデラはやがて錦江湾となり、マグマの行き先は活発な桜島となった。姶良カルデラは桜島の〈親〉であり、新島はその〈孫〉ということになるだろう。こうして大地の成り立ちを時間軸を広げて見ていくことで、新島も単独でそこに浮いているのではなく、マグマとともにダイナミックに変化し続けている大地の一部であることが見えてくる。新島は遠い世界にある島ではない。あなたとの思いもよらない接点は、その足元にある。直接には見えないけれども、日本中に広がる地下の姶良Tn火山灰層を介して、いまあなたの居る地面と新島は、たしかに繋がっている。

    マグマの上に住む

    桜島周辺が危険な地域であることは、もちろん佐々木夫妻は熟知している。新島に向かう途中のガイドで、姶良カルデラや海底火山の若尊など、新島周辺がマグマの真上にあることを直行さん自身が解説してくれたし、和子さんの親や祖父は、大正噴火や昭和噴火を経験している世代である。でも、夫妻なら、いち早く前兆を感知して自分の船で脱出できるのではないか、そんな気がしてくる。なぜなら、島での生活は、自然に溶け込んで生きるために、天気を読み、風向きを読み、降灰を読み、波や潮の満ち引きを読み、気象のサイクルに敏感に気を配り続ける日々であり、その感覚の解像度が上がれば、「何かが違う」と異変に反応できる可能性も高まるからである。

    もともと桜島は、島の周囲に10カ所もの避難港が設置されているように、住民全体が大規模噴火に対する危機意識は極めて高い。それを示す重要な石碑がある。約100年前の大正大噴火を記憶するために、東桜島小学校の校庭に建立されたものだ。当時、噴火の直前に地震が頻発し、海岸では熱湯が噴出するなど、さまざまな前兆があったにも関わらず、鹿児島測候所(現気象台)はデータをもとに「噴火なし」と発表した。噴火の前兆の言い伝えを信じた一般の住民は率先して避難したが、科学を信用した知識階級の人ほど、逃げ遅れて犠牲になったという。こうした反省から、碑文にはこう記されている。「桜島が爆発するのは歴史的に見れば必然なのだから、住民は理論を信頼せず、何か異変を感じたらすぐ避難せよ、いつ災害にあっても路頭に迷わないように覚悟をせよ(要約)」と。その厳しいメッセージから、この碑は「科学不信の碑」として知られる。災害と隣り合わせの地に住むために、桜島の近隣住民は毎日のように起こる(小規模な)爆発と向き合う中で、異変に気を配ること、直感を磨くことを怠らない。

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    桜島と、(水ではなく)噴火時の溶岩を流すための川(黒神町)

    ハイパーオブジェクトとしてのマグマ

    イギリスの哲学者ティモシー・モートンは、人間に対して時間的にも空間的にも巨大に分布している存在を〈ハイパーオブジェクト〉と呼んだ[★06]。それによる影響はただちに、そして継続的に経験されるが、ハイパーオブジェクトそのものは、人間が日常的に経験する時間や空間のスケールを超えて存在するため、物理的にも時間的にも巨大すぎてつかみどころがない。それゆえ、触ったり、知覚したり、十分に考えたりすることができない。しかしそれらは単なる概念ではなく、私たちとともにあり、はっきりと実在している。たとえば、気候変動・放射性物質・パンデミックなどがそうであるとされる。火山の地下で流動するマグマもまた、ハイパーオブジェクトと言えるだろう。

    人の力では、どうしようもない。そう嘆いたところで私達には人の力しか無い。昔の人々はハイパーオブジェクトに蹂躙される中で、それをなんとか手懐けるために、人を超越した存在として神仏を形象化し、人の力と接続させようとしてきたのかもしれない。

    直行さんによると、五社神社は桜島がよく見える場所に建てられていて、いつも桜島本体を「見守って」いるのだという。五社神社の本社となる月読神社は、桜島の総鎮守(その地を鎮め、守っている神様)ともされる。夫妻が五社神社への掃除や手直しを欠かさないのは、噴煙を上げる桜島全体やその地下にあるマグマを鎮めようとすること、そして生きていることを実感し平穏な日々に感謝することと、密接に関係している。

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    桜島を見守る五社神社
    (撮影:佐々木直行さん)

    おわりに 人新世に浮かんで生きる

    新島について、前篇では島の生活の様子を描写し、後篇では時空間を広げて歴史とともに解釈してみた。この島は巨大火山の跡地に浮かび、周囲を波風に削られ続けている。それでも佐々木夫妻が島全体をケアすることで、ギリギリのバランスで平和な生活が成り立っている。

    一方で、そのギリギリさは、少しづつ移動するプレートが重なる上に建つ日本の大都市とてまったく同じだろう。これだけ自然災害が頻発する中でどの地が危ないかを競いあっても仕方ないが、自然を切り離し、気象の変化すら感じとれない生活環境へとデザインされた都市の生活は、違う視点から見れば極めて危険である。都市生活者は、人間以上の存在に対する畏怖や異変への直感を消失してしまっているのだから。でも本来、私達の身体に備わる五感や第六感は、そもそも外界の変化をいち早く察知するために発達したはずではなかったか。

    近代以降の産業社会の進展は、地球規模の大きな環境変化をもたらした。人の活動が結果的に地球の地質年代に新しい区切りをつけつつある時代は、「人新世」とも呼ばれ始めた。「姶良Tn火山灰層」と同じように、人が地球を変えた活動の刻印を示す層が、地球の歴史の中に命名されるという話である。新しい言葉に聞こえるけれども、まったく逆に、私達のいまの日常生活を反映したものにほかならない。

    こんな小さな島の生活でも、その構造を改めて眺めてみると、都市部に住むあなたとも決して無関係ではないことに気づくだろう。不確実なこの時代に、人だけが生き延びることはできない。神社だけでなく小さな島の全体に気を配る佐々木夫妻の実直な姿勢は、多元的かつ相互に連関し合っているこの小さな惑星での生活において、さまざまな存在との距離感をふたたび繕い直さなくてはならないことを、私たちに深く突きつける。


    ★01 ジョーブログ【CRAZY CHALLENGER】/ 【無人島に移住した夫婦2人】神様に呼ばれた人しか行けない島に行ったら神社で奇跡が起きた!「新島」
    https://www.youtube.com/watch?v=KCpugQ7v-4o
    ★02 hikaru ooki「無人島移住」鹿児島県の不思議なパワーも持つ島
    https://www.youtube.com/watch?v=jUhFZzcSuYw
    ★03 巽好幸「桜島、日常的な火山活動で噴火警戒レベル5に混乱も ーただ、いつ大規模噴火が起きてもおかしくない」
    https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c5f8ac573779d5f50b53bfe05c273f14f2c07c3b
    ★04 巽好幸「首都圏でも10cmの降灰で日常生活が破綻:桜島(姶良)火山で2万8000年前に起きた超巨大噴火」
    https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/a9359fa2e97ed5a2c7a022ed668e8ac50b1d8f39
    ★05 小田静夫「考古学からみた噴火が人類 ・社会に及ぼす影響―K-AHとATの噴火―」
    第四紀研究 (The Quaternary Research) 30 (5) p. 427-433, 日本第四紀学会1991
    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaqua1957/30/5/30_5_427/_pdf/-char/ja
    ★06 Timothy Morton, Hyperobjects: Philosophy and Ecology after the End of the World, Univ Of Minnesota Press, 2013

    上平崇仁 (かみひら・たかひと)
    専修大学ネットワーク情報学部教授。1972年鹿児島県阿久根市生まれ。1997年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て現職。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学を背景とした自律的なデザイン理論の再構築について研究している。日本デザイン学会情報デザイン研究部会幹事。㈱ACTANT デザインパートナー。



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