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人がヒトを超えた存在をケアすることの意味

新島探訪記 (前篇)

人がヒトを超えた存在をケアすることの意味の画像

「地球環境にとって、人間の活動が脅威である」、そんな認識が世界で広がり始めています。人間中心主義的な世界観では、地球環境はもはや維持できない、そんな風に考える若い世代が増えています。では、非人間中心的な世界観とはどのようなものなのでしょうか? 本特集では、動物、植物、菌類、微生物など、人間以外の視点を想像することから、都市や社会を異なるまなざしで眺めてゆければと考えています。デザイン研究者である上平崇仁さんは、出身である鹿児島の、たった2人しか住人がいない、一見自然豊かでのどかな小さな島を訪ねました。(後篇はこちら

Contents

    はじめに

    生きることと、ケアすることは、切り離せない。人生のある瞬間では、誰かは他の誰かの弱さを肯定し支えることができる。そこで人は他者を支える中にも、自分なりの意義や独自の表現を見出す。また別の瞬間には、逆に他の誰かによって手が差し伸べられることもある。そんなふうに、私たちは相互に気遣いあい、ゆるやかに依存しあっている。「お互い様」の意味は、ケアし、ケアされる両方の立場を経験することによって初めて理解することができる。

    こうしたケアの営みが必要なのは誰もが知るところである。しかし注意しなくてはならないのは、多くの場面で〈人〉と〈人〉を対象にしたケアだけが切り取られがちな点である。確かに人は周囲の人間関係に敏感だし、他者を慮る態度は際立って重要かもしれない。だが、人は人だけで生きているわけではない。たとえばペットは十分に家族の一員である。そしてこの世界には、ペット以外にも動植物・微生物などさまざまな種が存在しているし、上下の関係などもなく地球の生態系の中で共存している。人間中心につくられた都市生活に慣れてしまうと、そんな当たり前のことにすら気づきにくい。

    さらに見落とされがちなのは、人々は古来から他種の生き物だけでなく、神仏のように目に見えない霊的なものをふくめて、人間以上の存在(モア・ザン・ヒューマン)を概念化し、それらと深い関係を結び合つつ生きてきたことである。人類学者のデイヴィッド・エイブラムが言い切るように、「私たちは人間でないものとの接触と共愉 (Conviviality) においてのみ人間」[★01]である。ヒトはそうした複合体の絡まり合いの中で人間になっていくのだ。

    ここで再び考えてみたいと思う。現代においても、人間を超えた存在へのケアの営みは、さまざまな存在との絡まり合いの中で生きる感覚を取り戻す態度として大きな示唆を与えるのではないか、と。気候変動が深刻さを増す中、私たちは一人ひとりの個別の人生を超越した大きな存在とのインタフェースをもう一度捉え直さなくてはならない。その境界を繕い直すことなしに、じわじわと襲いかかる不確実な現実と向き合うことはできないはずだ。また、それが不安なだけなら人は動かない。苦痛を伴って初めて気づく。それでも人間を超えた存在との関係を結び直すには、欲望ファーストの近代的な価値観とはまったく別のやり方が必要だろう。たとえば、古来からの暮らしの中にあった原初的な歓びを知ることによって、ウェルビーイングのありかたの枠組みをもう一度捉え直すことができるかもしれない。

    」と呼ばれる、小さな島の生活を取り上げてみたい。

    新島とは

    新島と目にすれば、多くの人は昭和の頃に若者たちに人気だった伊豆諸島の「」を想起するだろう。が、まったく別物である。新島は、鹿児島県のシンボル桜島の北東約1.2km、錦江湾の中にぽつりと浮かぶ。地図に見えるように、ごく小さな島である。

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    桜島の横に浮かぶ新島

    新島は、2013年に最後の住民が島を出て誰もいなくなり、人々の記憶からも静かに消えつつあった。だが、無人島として朽ちていくことを嘆いた島の出身者や有志によって、NPO「ふるさと再生プロジェクトの会」が立ち上がる。NPOのメンバーらは、灰や雑草に埋もれ荒れ果てた道路や神社の整備のために通い続け、島は再生の道を歩み始めることとなった。2019年にはこの島で生まれた佐々木和子さんとパートナーの直行さん夫妻が移住し、有人島として復活。2023年現在、この島では佐々木さん夫妻と、柴犬のリュウ君だけが生活している。

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    佐々木さん夫妻とリュウ君
    (出典:桜島新島散策ガイド https://r.goope.jp/sinjima/free/resident

    とは言え、鹿児島県民でも新島のことを知る人は少ないだろう。僕自身も鹿児島にルーツがありながら全く知らなかった。しかしながら、最近は佐々木さん夫妻が二人だけで暮らす島の生活は注目を集めており、マスコミにも頻繁に取り上げられているようだ。僕にこの島の存在を教えてくれたのは、たまたまテレビを見ていた小学4年生の息子である(彼は僕に影響されて、すくすくと離島マニアになってしまった)。息子から話を聞いた瞬間、僕はなんだかこの島から呼ばれたような気がした。

    島に一世帯だけということは、何を建てても誰からも文句を言われない。それは「デザインし放題」とも言えるし、見方を変えれば「スタートアップ」的である。いったいどんな世界なんだろう。フィールドワーカーとしての血が騒いだ我々親子は、鹿児島への帰省ついでに新島を訪問することに決めた。

    まずは、桜島へ

    2023年8月28日、桜島を右手に見ながらレンタカーを走らせ、錦江湾の外周沿いに国道220号線を南下していく。湾の奥底に近づくにつれて波が静かになっていく。猛烈な日差しがキラキラと反射する海上には、カンパチを育てるための養殖が無数に立ち並び、さながら海の大農園だ。

    市のあたりからおよそ1時間ほど走ったところで桜島に入った。桜島と大隅半島はいまでは陸続きになっており、車で走りながら渡ることができる。桜島に入ると視界がモノクロへと一変する。道路沿いに黒々とした溶岩が見え、道路にも灰が積もっているのが見える。なお、桜島は世界有数の活火山として知られるが、実際、毎日のように爆発している。そのため、桜島に馴染みの無い人々には人が住んでいないと思われがちであるが、急速な過疎化が進むいまでも、3700人ほどが住む。

    新島へ

    桜島の麓道を北上していく。新島へのアクセスは船のみ。最寄りの港は、「浦之前港(桜島第10避難港)」である。行政連絡船「しんじま丸」が週に3回(日/水/金)1日3便運行しているが、運の悪いことに我々が向かったのは月曜であった。普通はここで諦めるかもしれないが、事前に調べているときに、ちゃんと海上タクシーのサービスを見つけてある。直行さんは島に住み始めてから自分で船舶免許をとり、船を買い、来客を送迎する海上タクシーの運航だけでなく、錦江湾クルーズの認定ジオガイドまで担っているのだ。浦之前港で直行さんの船に乗り込み、海の上を走ること10分。錦江湾の中央にでた。

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    直行さんの運転する船に乗る。正面に見えるのが新島

    ひょっこりひょうたん島のように小さな島が前方から近づいてきた。風で荒ぶる船を操作しながら軽やかにジオガイドの解説もこなしてしまう直行さんは、さぞ自然の中で生きてきたのかと思ったら、実際は真逆で、定年まで鉄を扱う商社マンとして働き、道具と言えばボールペンぐらいしか持たない仕事をしていたそうだ。こんな人生になるとは夢にも思わなかった、と笑った。

    新島を見て回る

    直行さんの船を港に付けて、新島に上陸した。コンクリートの平地が整備された立派な港は、直行さんの船一艘が繋がれているだけでは持て余すほどの大きい。出迎えをしてくれるという噂の柴犬リュウくんが港に見当たらず残念に思っていたら、暑さのあまり日陰で涼んでいた。この猛暑は犬たちにとっても大変だ。

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    新島の港にある手作り看板

    流木で作られたウェルカムボードが出迎えしてくれた。そこにあるものだけでブリコラージュした、秘密基地感満載の強烈なパワーを放っている。

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    洲崎海岸

    島の南にある洲崎海岸は砂浜になっている。この透明度!先客が2家族ほど。軽く立ち話をしたところ、霧島市から休暇として海水浴に来たそうだ。親たちはBBQを楽しみ、子どもたちは海ではしゃぎまわっている。完全にプライベートビーチである。海岸線にゴミが全く漂着してないということは、佐々木さん夫妻が海岸も毎日掃除しているんだろう。

    いまではこじんまりとした砂浜だが、50年ほど昔は200m程先までずっと砂浜が広がり、ここで島民総出の運動会をしていたほどの面積があったという。砂浜は、うちつける波風の影響で動的に姿を変える。この砂も島の周囲の崖が波に侵食されて、その中に含まれていた小さな軽石が漂砂となって堆積したものである。つまり島は少しづつ削られて小さくなっている。昔に測量された頃と比較して、1/3ほどの大きさになってしまっているそうだ。

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    アコウ群生地

    そのまま直行さんに島のガイドをお願いした。島の中央部にはアコウの巨木が群生しており、鬱蒼とした木陰を形成している。日差しが遮断され、空気も心なしか涼しい。アコウはガジュマルそっくりの外見で、幹から直接花が咲き、幹からたくさんの気根を出して空中の水分を吸収するという、奇妙な樹木である。亜熱帯地方なら普通に見られる木だが、ここまで巨木が群生しているのは、たしかにあまり見ない。島ができて入植した先祖が、平坦な陸地で砂しかなかったこの島を守るため、防風林かつ御神木として真っ先に植えたのだろう、と直行さんが推測しながら解説してくれた。

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    島の井戸跡地

    アコウ群生地のすぐ脇には、島で唯一の井戸の跡地がある。昔はここが島一番の社交場だったそうだ。まさに井戸端会議。これだけ小さな島である。海抜数メートルもない位置に井戸を掘ったって海水がでるのではないか?そう思うだろう。それがちゃんと飲める真水の地下水が取れるのである。直行さんの解説によると、淡水と海水は混じりにくく、淡水のほうがわずかに比重が軽い。そのためこうした島の地下には、海面とほぼ同じ高さにレンズの形をした淡水の塊が形成されるという。「淡水レンズ」と呼ばれる現象である。昔の人はこうしたことを経験的に知っていたからこそ、こんな小さな島にも井戸を整備することができたわけだ。

    さて、現在この古井戸は、写真のようにコンクリート製の蓋で塞がれている。では佐々木さん夫妻はどうやって水を得ているのか。そう質問したら、現在は、垂水市の方から海底ケーブルで水道と電気が供給されている、と教えてくれた。携帯電話のアンテナが立っているのでインターネットも普通に使える。ほぼ無人島でも、テクノロジーの発達により最低限のインフラは保たれている。

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    五社神社と解説する直行さん

    島の西部には「五社神社」という新しい神社がある。1800年代に人々が移り住んだ際、桜島横山町にある月読神社の分社として建立された神社である。月読命(アマテラスの弟神)を主祭神に、五柱の神様を合祀している。島の人々は敬意を込めて、この神社を「お宮さん」と呼んだ。この神社の復活こそが島の再生プロジェクトの核でもあった。クラウドファンディングで資金を集め、週末ごとに有志がこの島に集まって力を合わせて修復したという。

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    五社神社の鳥居

    この鳥居も手作りでつくられている。車も無く、そもそも車は走れない山道である。大きな柱も新島港から運ぶしかないし、直立させるためには、手で持ち上げるしかない。すべてが人力というのは、本当に大変なことだ。この神社の棟上げが2014年だから、佐々木さん夫妻はもう10年ほど島の修復を続けていることになる。

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    ハイジブランコ

    島の中にあるかつての住居はほとんどが廃墟になっているが、見晴らしのよい島の南部の高台には、夫妻によって展望所が整備されていた。アニメ「アルプスの少女ハイジ」のオープニングに登場するような、大きな木の枝から吊るされた手作りのブランコが設置されている。漕いでみると、そのまま海の中に投げ出されそうなスリルが味わえた。北からの眺めでは桜島の稜線も違い、まったく別の山のようにも見える。

    多くの鹿児島県民にとって、桜島は街を見上げた先に鎮座する「みんなのもの」である。でもこの眺望を経験した人はほとんどいない。絶景を独り占めだ。

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    カフェ・ニューアイランドのツリーハウス

    島で唯一の喫茶店「カフェ・ニューアイランド」の隣には、鬼太郎が住んでそうなツリーハウスがあった。歴史を感じさせる樹木と建築が絡み合って、大変居心地が良い。夫妻がコツコツと手作りし、最近オープンしたそうだが、すでにあるものを手直ししつつ、この島らしい体験を作り出しているところがすばらしいと思う。

    ふたりがこの島に住む理由

    ここまで新島の様子を紹介してきた。とは言え、決して観光地を紹介するレポートを書きたかったわけじゃない。まず知りたかったことは、佐々木夫妻はなぜここまでしてこの島に住もうとするのか、その理由である。笑顔を絶やさない直行さんですら、顔色を変えて「(ここに住むことは)命がけですわ」と言うほどの過酷な島である。そこにはもちろん二人の決意がある。和子さんによると、「お宮さん(五社神社)のお守りをするため」なのだという。

    後篇では、その意味について、二人への聞き取り調査とあわせて、ネット上の動画や記事も参考にしながら掘り下げてみたい。

    <後篇につづく>


    ★01 ディビッド・エイブラム『感応の呪文――〈人間以上の世界〉 における知覚と言語』 結城正美訳 論創社 2017 (原書1996)

    上平崇仁 (かみひら・たかひと)
    専修大学ネットワーク情報学部教授。1972年鹿児島県阿久根市生まれ。1997年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て現職。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学を背景とした自律的なデザイン理論の再構築について研究している。日本デザイン学会情報デザイン研究部会幹事。㈱ACTANT デザインパートナー。



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