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あなたをこれまで最も遠くへ誘ってくれたもの(こと)はなんですか?

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コロナウイルスパンデミックの始まりの時期、ティモシー・モートンとオンライン上で再会した。それは、2020年の初夏のことである。ライス大学で、オンラインサマースクールが開講されたのだが、そこでモートンが、「どのようにしてテクストを読むか」という講義を行っていた。学外の人間にも開かれていて、聴講生としての受講も可能であった。授業は、5月下旬から6月下旬にかけて、週3コマ、6週間、ヒューストン時間朝8時から2時間(日本時間では夜10時から2時間)、参加者は30人程度だった。講義はちょうどコロナウイルスが蔓延し世界中がロックダウンされていくなか行われた。

参加した私は、そこで起こりつつある世界の変化(人間の世界が人間の外にある世界に開かれ、浸透されていく)が何であるかをモートンとともに考えるという奇跡的な瞬間に立ち会うことができたのだったが、オンラインで同じ時間を共有するのを反復するうち、そこを、緊急事態宣言のせいで外出できなくなった状況において開かれていく外部のようなものとして感じるようになっていく。すなわち、日常的な身近な近所の領域とは別の次元がオンラインにおいて開かれたのだが、それだけでなく、自分もそこへと飲み込まれていくかのように感じたのである。

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既存のウェブメディアに不満を感じること、またこれからのウェブメディアに期待することはなんですか?

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E-fluxのように、PDFで印刷して紙でじっくり読むのに耐えるテキストも掲載されたメディアが、日本では少ないように思う。ウェブメディアを一つの雑誌として読むこともなく、自分の興味関心を惹く記事しか読まないのが普通で、それ以外の記事をも一緒に読んでみることもあまりない。それもやはり、E-fluxのように、編集者が一つ重要なテーマを定めて、それにもとづいて書き手に記事を書いてもらうといったことがなくなってきているからではないか。といっても、それは紙媒体での雑誌も同じで、一冊そのものを購入するのに値すると(自分の観点からみて)思われるものが少ない。PDFでダウンロード可能にしてバラ売りしたほうがいいのではないかと思うことも多い。そうなると、大学の図書館で借りて当該記事をコピーして読むことになる。いずれにせよ、日本ではとりわけ、一つの世界観のもとで編集され、継続的に出される雑誌という形でのメディアの維持存続が難しくなっているように思う。その理由は、E-fluxに限らず、英語圏のさまざまな重要な論文や記事がネットで容易に入手可能になる中、日本語で書かれた対抗可能な記事なるものがなくなっていくことにあると思われる。

篠原雅武 哲学者

京都大学特定准教授。1975年生まれ。哲学、環境人文学を専門とし、現代哲学の最前線をゆく著作群を翻訳しつつ、「人間以後」の哲学を探求している。