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あなたをこれまで最も遠くへ誘ってくれたもの(こと)はなんですか?

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小学生の頃、愛読していた本に宇宙図鑑があった。その本で「宇宙のはじまり」や「宇宙の果て」という言葉に触れて恐くなった。気が遠くなるほどの時間と空間のスケールをうまく考えられず、死んだら原子に分解されて、あてもなく宇宙を漂うのだろうか、無になるとはどういうことだろうと夜ごと空想を逞しくして勝手に恐くなったのだった。

考えてみたら、その場合、自分はすでに原子なのだから、恐いもなにもないのだが、もはや時間を数えることに意味がなくなるくらい遠くまで、途方もない時間をかけて漂いつづけ、しかもそこにはなんの意味もないということを漠然と想像したのだった。

同じ頃、近所のお姉さんの家に遊びにいった折りに読んだ漫画に手塚治虫の『火の鳥』があった。その全編に満ちている諸行無常の感じに当てられたのかもしれない。そうした印象は、傷のようなものとしてずっと尾を引いて、いまでもときどき原子になった、かつて自分だったものが宇宙のどこかを漂っている光景が思い浮かぶ。

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既存のウェブメディアに不満を感じること、またこれからのウェブメディアに期待することはなんですか?

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ボルヘスの小説「砂の本」に出てくる本のように、捉えどころがない感じを、もう少しなんとかできたらいいのに、と常々思います。もっとも、ウェブそのものが変化し続ける場でもあるのだから、これは言いがかりに近いことかもしれません。いえ、ウェブのなかに、見当識をもてる場所、繰り返し訪れてよく知っている街のような感覚が生まれる、そんな場所がもう少しあってもいいなと思うのでした。

山本貴光 文筆家・ゲーム作家

1971年生まれ。文筆家・ゲーム作家。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。コーエー(現コーエーテクモゲームス)にてゲーム制作に携わり、在職中から執筆活動を開始。1997年より吉川浩満と「哲学の劇場」を主宰。著書に『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『心脳問題』(吉川浩満と共著、朝日出版社)など多数。