q

あなたをこれまで最も遠くへ誘ってくれたもの(こと)はなんですか?

a

田舎の暇な小学生だった自分は、虫メガネや老眼鏡を組み合わせた望遠鏡で惑星を観察したり、トランジスタラジオを組み立てて夜だけ混信する異国の響きに聞き耳を立てたりといった遊びに独り熱中した。日常よりもむしろ遠い世界のほうが魅惑的だった。

その頃たまたま手に取った数学図鑑(?)で、非ユークリッド幾何学なるものに出会った。ユークリッド幾何学は、真理として証明抜きに受け入れる5つの公準に立脚する。その5つめ、いわゆる「平行線公準」は、「直線外の1点を通りこの直線に平行な直線はただ1つある」と言い換えられるもので、日常的な直感からして当たり前に思えた。ところが、これを否定したところから出発しても、矛盾なく豊かな幾何学が成立するというのだ。しかも、ユークリッド幾何学とどちらが正しいかという話ではない。これは遠い世界というより、突然、目の前の世界とは断ち切られた別の世界を垣間見たような、衝撃的な体験だった。

一方で、それまで自分の信じていた世界が、実は唯一正しいものではないかもしれないと悟ることは、足元を怪しくすることでもあった。当時愛読していた『荘子』の様々な寓話も、この興奮と不安に妙に符合した。胡蝶の世界と壮周の世界は、別のものであるが、どちらが正しいわけでもない。何かを信じて突き進むという気分になれないまま、思春期を過ごした。その後、知覚の成立過程を研究対象に選んだのも、自分の世界が相対化された中で、何か足場を見出したかったのかもしれない。

q

既存のウェブメディアに不満を感じること、またこれからのウェブメディアに期待することはなんですか?

a

ウェブメディアに限ったことではないが、特定の意味や物語を声高に語るものに辟易することが個人的にはよくある。これが正しい、あれは時代遅れだ、この一球の裏にはこんな感動の物語がある、云々。受け手は「要は何が言いたい?」と性急に訊くし、メディアは意味を「わかりやすく」表現する。そして次々と物語が生まれ、消費されていく。

そもそも人間は偶然にさえ意味を求める生き物なので、メディアがその欲求を満たそうとするのは、当然のことでもある。ただ、受け手が勝手に意味を見出す自由は残してほしいという気がする。遠くの星でも、近くの石でも、それ自体に意味はない。が、それに触れてちょっとだけ、あるいは人生が変わるくらい、何かを感じるのは自由だ。

しかしこれは、自分に向けた文句でもある。科学の現場では、研究費を獲得するにも、論文を出版するにも、発見事実そのもの以上に「意味を端的に語る」ことが求められる。何が新しいのか、どこがすごいのか、どう社会に役立つのか。日々こういうことばかり語っていると、ただただ現象を丹念に記述したような仕事に憧れる。こんな解毒剤を欲している人は、自分ひとりではないのではなかろうか。

柏野牧夫 知覚・身体科学研究者

NTTフェロー、NTTコミュニケーション科学基礎研究所。1964年生まれ。人間の知覚や行動のメカニズムについて、アスリートの高度な技とメンタル、自閉スペクトラム症の感覚特性などの実問題を重視しつつ、脳・身体・環境の相互作用の観点から研究している。