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「よく眠る」ための睡眠入門 #1
脳を持たない「ヒドラ」も眠る
メジャーリーガーの大谷翔平選手の高パフォーマンスの秘訣とされる「10時間睡眠」。たっぷり寝ることもさることながら、その質にも注目が集まっています。ところが、さまざまな国際調査によると、日本人の平均睡眠時間は世界で最も短く、睡眠不足による経済損失は年間最大15兆円にも上るという推計もあります(RAND Europe)。はたして、なぜ私たちは眠らなければならないのでしょうか。そして、睡眠は私たちの健康にどのような影響をもたらしているのでしょうか。
"未来の健康診断"について考える連載「〈私〉の健康の測りかた」第二弾では、「睡眠」を取り上げます。今回、お話を伺うのは、脳を持たない動物・ヒドラの睡眠様状態と、その分子制御機構を世界で初めて報告した研究論文の筆頭著者、金谷啓之さんです。
実は2000年代以降、睡眠研究は大きく前進しつつあります。私たちの健康と深い関わりのある、睡眠研究の最前線について伺いました。
〇本記事はDISTANCE.mediaとヘルスケアCh.の共同編集でお届けします。
写真:高橋宗正 構成:田井中麻都佳
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Contents
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「脳を持たないヒドラ」も眠ることを世界で初めて発見
――金谷さんが2024年に上梓された初のご著書、『睡眠の起源』(講談社現代新書、2024年)を拝読しました。そこに書かれていたように、ご自宅の庭にやってくる蝶の研究に始まり、高校時代はプラナリア、大学に進学するとヒドラ、さらには大学院ではマウスと、幼い頃からさまざまな生き物の研究をされてきたそうですね。睡眠研究を始められたのはヒドラの研究からということですが、どういった経緯だったのでしょうか?
金谷啓之 九州大学に進学した学部1年のときに、生物学を教えていた小早川義尚(よしたか)先生のもとを訪れたのがきっかけでした。小早川先生は長年にわたり、ヒドラを研究されてきた研究者です。ヒドラというのは、淡水に棲む0.5〜1cmほどの無脊椎動物で、「刺胞動物」といって獲物を捕まえる触手に刺胞(刺激に応じて発射される針のような構造)を持つ、クラゲやイソギンチャクの仲間です。多くの場合はオスとメスの交配による有性生殖ではなくて、無性生殖により1匹の親ヒドラの胴体から新枝のように子ヒドラが出てきては成長し、分離して増えます。不思議なことに、体を切り刻んでバラバラにしても、まず死にません。その断片から体全体を再生させて増殖する――つまりクローンとして増えます。また興味深いことに、老化の兆候を示すこともない。いわば、「不死身の怪物」なのです。1400年以上生き続ける個体がいるのではないか、という推定があるほどです。
――そんなに長く生きる生物がいるとは、驚きました。

- ヒドラ
金谷 このヒドラに魅了されて、研究をさせてくださいと小早川先生にお願いしたところ、「自由にやっていいよ」と言われてヒドラの研究を始めました。大学1年生に自由に研究をさせてくれる研究室などなかなかないと思いますが、小早川先生は寛大な方で、1年生を終えた春休みには、これまでの研究を論文にまとめることになりました。毎日のように研究室に通ってヒドラの様子を観察していたところ、あるとき、ヒドラが餌に反応せず、動かずにじっとして休んでいるように見えることに気づいたのです。そもそも、ヒドラは胴体部分を旋回したり、伸び縮みしながら動く動物ですが、そのとき、もしかしたらヒドラにも睡眠に近い状態があるんじゃないか、と思いつきました。当時、ヒドラの体内時計や睡眠に関する研究はほとんどなかったのですが、もし、脳を持たないヒドラが眠るとわかれば、ヒトの睡眠の進化的な起源を理解する手がかりを掴めるのではないかと考えました。そこから3年余りをかけて、ヒドラの睡眠研究に取り組んだというわけです。

- 金谷啓之さん
――脊椎動物が眠ることは知られていたわけですが、クラゲやヒドラなどの無脊椎動物が眠るかどうかは、当時はわかっていなかったんですよね。
金谷 はい。ただ、ある年配の研究者から、「玄界灘の漁師は、クラゲが昼寝をすると言っていた」とお聞きして、やはり眠らない動物はいないのではないか、と思っていました。その矢先の2017年に、カリフォルニア工科大学の研究グループが、クラゲの一種であるサカサクラゲに睡眠が存在することを報告したのです。その時は、「やはり脳を持たないクラゲも眠るのか!」と嬉しくなりましたが、同時に先を越されて悔しい思いもしました。そこで私は、ヒドラの睡眠のパターンを調べるだけでなく、そのメカニズムを解き明かそうと、ショウジョウバエの研究をされていた九州大学の伊藤太一先生や、韓国の研究グループと共同で遺伝子についても調べることにしました。こうして、「脳を持たないヒドラも眠ること」を突き止め、さらに「ヒドラの眠りのメカニズムは、ショウジョウバエや哺乳類など他の動物と共通している」ことを明らかにしたのです。[★1]
――その成果が2020年10月に『Science Advances』に掲載されたわけですね。常識を覆す結果に、大きな反響を呼んだそうですね。
11日間眠らないと、人はどうなるか
――一方で、脳を持たない生物も寝る、というのは不思議な感じがします。睡眠は脳を休めて、記憶を整理するためにある、などと言われたりしますよね? それなのに、脳を持たないヒドラはなぜ眠るのか。また、人間なら寝ているかどうかは外から見てもなんとなくわかりますが、そもそもヒドラが眠るとは、どういう状態なんでしょうか。
金谷 実際に、睡眠は脳の働きに大きく影響します。1964年に、アメリカの高校生だった当時17歳のランディ・ガードナーという学生が11日間にわたり連続断眠に挑戦した興味深い実験があります。
- 金谷啓之かなや・ひろゆき
- 東京科学大学 GENTEN Research Center コアメンバー/特任助教。1998年生まれ。山口県出身。2026年東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。2017年九州大学山川賞。2019年日本学生支援機構優秀学生顕彰学術分野大賞。2024年日本動物学会成茂動物科学振興賞。2026年日本学術振興会育志賞。著書に『睡眠の起源』(講談社)。週刊誌・新聞各紙でのインタビュー掲載の他、テレビ・ラジオなどへの出演多数。当時学部生で、中枢神経系を持たない動物であるヒドラに睡眠様状態が存在することを発見。その分子制御機構が昆虫や哺乳類と共通していることを明らかにし、睡眠の進化的起源に新たな視点を提示した。加えて、睡眠に関連する現象である麻酔の仕組みに注目し、吸入麻酔薬の標的分子の一端を解明した。
