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計算が、生命の物語を書き換えつつある
「ALIFE学会2025」レポート
生命とは何か?
この問いに言葉で答えれば、詩が生まれる。
描けば絵になる。
数式や化学式で記せば、それは科学になる。
生命を問うことは、人間の歴史にとって芸術であり、科学であり続けている。人工生命(Artificial Life)は、その先端にある。それも「生命とは何か?」という問いを、生命を“つくる”ことで探究しようという、知的な大胆さを持つ学問領域だ。この記事では、「生命とは何か?」という壮大な物語に対し、国際会議「ALIFE 2025」が提示した大胆な仮説について、いくつかの基調講演と対談の内容からレポートしてみたいと思う。
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Contents
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ゆらぐ自然物と人工物の境界
2025年10月6日から10日まで、京都で国際会議「ALIFE 2025」が開催された。今回のカンファレンスは、ALIFEにとって特別な意味を持っていたといえる。それは、時代がこれほどまでに「人工的」であることを身近に考えるものになったことと無関係ではない。
ALIFEのカンファレンスに参加していつも思うのは、国内外から数多くのアーティストが参加しているということだ。しかもそれは、いわゆるサイエンスコミュニケーションの文脈で科学を説明するために招かれているわけではない。多くの場合、彼らは研究者とほぼ同じ立場で、同じセッションに登壇し、同じ問いを共有している。
ALIFE、人工生命という分野は、その成り立ちからして、計算機科学や生物学、物理学といった既存の学問領域に収まらない。学際的(Inter-deciprenery)と言われることが多い印象だが、脱領域的(post-disciplinary:この翻訳が正しいのかが少しわからないが)な印象を受ける。生命とは何か、進化とはどのようなプロセスか、知能はどこから立ち上がるのか。こうした問いは、数式やアルゴリズム、学問領域だけで閉じることができない。そのためALIFEでは、モデルやシミュレーションと並んで、アートによるインスタレーションやパフォーマンス、映像作品が自然に並ぶ。人工生命を理解するために、表現が必要とされているというより、人工生命そのものが、脱領域的な対象であるために、必然的に表現的になるのだろう。
自然物と人工物の境界とは何か。ALIFEの中心的なテーマであるとともに、これは『攻殻機動隊』をはじめとするサイバーパンクSFで数多く扱われてきた。源流となる思想は、『A Cyborg Manifesto』[★01]★01で知られ、サイボーグというメタファーを通して探究したダナ・ハラウェイ(Donna Haraway)、人工生命の提唱者であるクリストファー・ラングトン(Christopher Langton)、そしてALIFE 2025に登壇した、数式処理システム「マセマティカ」[★02]★02の開発者で知られる計算機科学者ステファン・ウルフラム(Stephen Wolfram)らによって探求されてきたものだ。
そして現在の私たちは、SFではなく、日常的にこの問いに向き合うことを余儀なくされている。それはAI(人工知能)が身近な存在になり、自然物と人工物の境界線が日々揺らいでいるからだ。
2025年10月6日に開催されたOpenAI の年次イベント「DevDay」で、Open AIの CEO、サム・アルトマンが「ChatGPTが週次アクティブユーザーが8億人を突破した」と発言したと報じられている[★03]★03。人類は、わずか数年で人工の知能と日常的に対話することを受け入れてしまったのだ。このことをアルトマンは、「AIが人々が“作って遊ぶもの”から、“毎日使ってともにつくるもの”へ変わった」という印象的な言葉で述べている。
さらにAIは、人間の知の中枢とも言える科学の前提すらも書き換えつつある。象徴的な例が2024年にノーベル化学賞が贈られた「AlphaFold」[★04]★04だ。約60年間にわたって科学者が頭を悩ませてきた、タンパク質のアミノ酸配列からの立体構造予測を、AIが可能にしたのだ。AlphaFoldは、科学を「人間が構築する理論」に基づくものから「機械が発見するパターン」へと転換しつつあると言える。
今後、社会において自然物と人工物の境界について議論される機会はより増えていくだろう。それは私たちの生命観にもすぐに及ぶ。ALIFE 2025のテーマ「Ciphers of Life(生命の暗号)」は、まさにこのパラダイムシフトを象徴するキーワードだと言える。
生命は計算をしている
ALIFE 2025で印象的だったのは、ブレイズ・アグエラ・イ・アルカス(Blaise Agüera y Arcas)の基調講演だ。彼は生命を「具象化された計算」だと話す。彼の肩書がGoogle のテクノロジー&社会部門における副社長、フェロー、そして最高技術責任者(CTO)であることが、この発言の重要性を物語っている。
「生命とは、計算が物質として具現化されたもの、すなわち“具象化された計算”だ。生命は計算なしには存在できない」とブレイズは語る。具象化された計算とは何か。通常、計算と聞けばパソコンの内部で行われる抽象的な操作を思い浮かべる。しかし彼のいう「具象化された計算」は、そうしたデジタルの“比喩”ではない。
「計算とは、物理的な変化と論理的な変化が対応づけられることで成り立つ」とブレイズは説明する。トランジスタの電圧の上下がビットの0と1という情報へ読み替えられるように、生命もまた、細胞内の化学反応やエネルギーの流れが、情報としての意味に読み替えられるということだ。
さらにブレイズは、生物を計算機であるかのように話す。
ここでブレイズはフォン・ノイマンが1950年代に構想した自己複製オートマトンを参照した。自分と同じものを作る機械のことだ。生物が自らを作り直し、維持し、増殖するためには、「自分をつくるための説明書(テープ)」と「説明書を読み取り実行する装置(ユニバーサル・コンストラクタ)」、そして「説明書を複製する仕組み(テープ・コピヤー)」が不可欠だという。驚くべきことに、これらはDNA、リボソーム(生物がタンパク質をつくるための機構)、DNAポリメラーゼ(細胞が DNAを複製するときに、新しいDNA鎖を作る酵素)という現実の生物のメカニズムにも対応し、生命を計算機的な構造として捉える視点とぴたり重なる。「フォン・ノイマンの洞察が驚異的なのは、彼がこれをDNAの構造もリボソームもDNAポリメラーゼも知らない時代に、純理論から導いた点だ」とブレイスは話す。
では、生命的な計算とは何か。それが立ち現れる瞬間は、どのように観測できるのか。
ブレイズが次に示したのは、自身が開発した人工生命実験「BFF」である。仕組みはとてもシンプルだ。64バイトのランダムな“テープ”を大量に用意し、それらをランダムに結合し、脳の最小構成のような言語「Brainfuck」で実行させる(ブレイスが改造している)。実行が終わればまたバラし、別のテープと組み合わせる。それだけの操作を、延々と数百万回繰り返す。
すると、ある瞬間から異変が起きる。ブレイスはまるで自然界の原始のスープからRNAが生まれたようにと例えながら、「この瞬間に、雑然としたノイズの海から“生命的なもの”が立ち上がる」と語る。
ブレイズはこの現象を、ゼラチンが固まり始める瞬間になぞらえて「ゲル化(gelation)」と呼ぶ。多数の分子があるしきい値を超えて結びつくことで、液体は突然、固体のような一体構造へと変わる。生命の誕生もまた、こうした物理的な相転移と同じダイナミクスを持つのではないか、それが彼の主張だった。
生命には、未来を知るための近道がない
生命を計算として捉えるブレイズに呼応するのが、計算機科学者ステファン・ウルフラム(Stephen Wolfram)だ。計算科学の世界で彼の名を知らぬ者はいない。数式処理システム「マセマティカ」を生んだ人物であり、自然現象を計算として理解しようとする思想を長く追い続けてきた。ウルフラムは、講演で生命を「不可約な計算」から捉える壮大な視座を提示した。
彼は1980年代に、生物進化をセルラーオートマトン(非常に単純なルールを持つ計算モデル)で再現しようとした。しかし当時は成果が得られなかったという。「1985年に試したけれど、うまくいかなかった」と彼は振り返る。状況が変わったのは機械学習の登場だった。「システムを十分に叩き(システムに対して徹底的に探索させ、限界まで動かし、進化的探索を深く行わせる、という意味)続ければ、必ず何かを学習する」。この直感から、ウルフラムは2024年、古い進化実験を再起動する。かくして「少し“強めに叩いてみた”ところ──うまくいってしまった」のだという。
その実験は、3色セルラーオートマトンのルールをゲノムに見立て、1点ずつ突然変異させ、より長く生きた“個体”だけを残すというとても単純な「進化モデル」である。この実験からウルフラムが見いだしたのは、生物進化を支える計算的構造である。それは、生命の内部で起こる計算は“不可約”であり、未来を予測する近道は存在しないというものだ。
不可約な計算(computational irreducibility)とは、どれほど単純な初期条件から始めても、結果を知るには「実行してみる」しかないというもの。つまり「未来を知るための近道がない」計算だということだ。たとえばテーブルの上でコップに入った水をこぼした時のことを想像してほしい。水滴がどちらに流れ、どの瞬間に分岐し、どんな形に広がるかは、複雑すぎてこぼしてみるまでわからない。生命とはそういうものであり、これは、熱力学の不可逆性やエントロピー増大則を導く原理とまったく同じ構造だとウルフラムは言う。
では、不可約な計算しか存在しない、未来を知るための近道がない世界で、なぜもっともらしい進化というものは起きるのか? ウルフラムの回答は、不可約計算と“粗視化(coarse-graining)”の対比によって、進化に一定の方向が生まれるというものだった。
生命は「より長く生きる」や「より安定する」といった適応をする。しかしこれは、生命の内部の複雑な計算過程に比べれば、極端に粗いプロセスなのだという。だからこそ、生物は複雑な不可約計算の海から「たまたまうまくいったパターン」を拾い上げ続けることができるとウルフラムは説明する。「多くの進化的発明は、人間には説明不能な複雑な構造の上に成り立っている。生命は不可約計算の“有用な部分”を拾い上げて組み合わせ、生き延びる存在だ」。
つまり、進化とは不可約計算によって生まれる無数の分岐の中から、粗い評価によって「前へ進める道」だけが選び抜かれていくプロセスである。この連続的な経路こそが、私たちが「進化の歴史」と呼ぶものの正体なのだという。
さらにウルフラムは、この構造がAI、特に深層学習と「まったく同じ原理」で動いていると指摘する。内部では不可約な計算が渦巻き、表面では粗視化された目標が、それを前へと方向づける。「機械学習は、生物進化とまったく同じメカニズムで動いている。どちらも不可約計算を利用した探索であり、理屈ではなく、うまくいったパターンだけを使う」とウルフラムは話す。
生命と人工物の境界は「計算の様式」で決まる。ウルフラムの講演はそのことを進化から物語ったものだった。
計算を社会の物語にする
ブレイズとウルフラム、ふたりの計算論的生命観とも言える思想は、機能主義的な視点から生命を捉えている点が共通している。
近代自然科学は長く、物質主義的、本質主義的な視点から生命を「何でできているか」という視点で捉えてきた。ブレイズ、ウルフラムの主張の新しさは生命を機能主義(functionalism)の立場から見ているということにある。つまり、生命は「何をしているのか?」ということから計算という答えに行き着き、説明している。
生命をその素材や物質ではなく、“果たしている機能によって定義する立場をとる。彼らの主張では、生命とは物質に宿る性質ではなく、物質同士の組み合わせが一定の条件を満たしたときに発現する計算の様式であり、生物はその計算機であるということになる。
機能主義による生命観がこれほどの説得力を持つ時代に生きているということが、現代の特異性を物語ると同時に、ALIFEのダイナミックな視点を提示した基調講演だった。
それに対し、パネルディスカッション「Zen philosophy, Plurality, and Artificial Life and their roles in Organic Alignment of AI」は、計算というものを社会の物語に編み込む作業だった。登壇したのは、オープンエンド進化研究の第一人者ケネス・スタンリー、Sakana AIを率いるデイビッド・ハ、そして台湾の元デジタル担当大臣オードリー・タンの3人だ。いずれも「オープンエンデッドネス(開かれた進化)」をキーワードに、コンピュータ、社会、民主主義を横断的に考えてきた人物である。
デイビッド・ハは「現在の大規模言語モデル(LLM)を中心としたAI研究は、巨大化の方向に最適化し、“目的関数を最大化するための無機的なレプリケーター(データセンター)”のようになってしまっている」ことを問題視し、研究者自身がオープンエンドな探究をしなくなり、目標駆動型の研究に閉じ込められてしまっていることに懸念を示した。この危機感ゆえに、彼が率いる“AI Scientist”を開発するSakana AIでは、研究者たちがよりオープンエンドなアイデアを追える環境をつくることを重視してきたという。
オープンエンデッドネスを社会の側から引き受けているのがオードリー・タンだ。彼女は、自身の政治的実践の原点として「リツイートボタンとレコメンドシステムの組み合わせ」を挙げる。10年前、この組み合わせが台湾社会の“心のモデル”に寄生し、怒りと分断を加速させた、と彼女は振り返る。アルゴリズムが「怒りを最大化するパターン」を強化するとき、社会は共通了解を失っていく。それに対抗するため、彼女はAIを「最適化のためのエージェント」ではなく、「関係性をケアするエージェント」として設計し直す必要があると説く。
一方、スタンリーは「目的を設定しない探索手法」(Novelty Search)を提唱した人物らしく、オープンエンデッドネスが抱える問題を社会から語った。文明は常に、「革新を生む自由度」と「破滅を避ける制約」のあいだで、針の穴を通すような調整を続けてきたのだという。統制を強めれば悪い行動は抑えられるが、多様性と探索は失われる。逆に自由度を上げすぎれば、探索は進むが、混乱と暴走のリスクが高まる。そのどちらが正解かという単純なアルゴリズムは存在しない。文化も技術も状況も変化しつづける以上、社会はメタレベルで、自らのルールを更新し続けるしかない。これこそが、彼のいうオープンエンデッドネスの本質だった。
この“メッタメタ”な3人が現実的な社会課題を議論する風景こそがこのパネルディスカッションの醍醐味だと言える。彼らが議論したのはAIが要求する計算資源の爆発と、それを社会としてどう受け止めるべきかという根源的な問いだ。提起したのは、まさにデータセンターの問題を抱えるGoogleの副社長、ブレイズだった。彼は「日本のデータセンターの電力消費量は、温熱便座と同規模だ」とユーモラスに語りつつ、赤ん坊の脳が消費エネルギーの半分を思考に使っていること、人間も日常代謝の2〜4割を認知活動に投じていることを挙げ、こう話した。「ならば地球規模で見たとき、エネルギーを“思考すること”に投入することは、もっと肯定されるべきではないか?」
これに対してハは、「エネルギー効率の改善を避けるインセンティブ構造」こそが問題だと応じた。クラウド企業、GPUメーカー、AI開発企業が相互に投資し合うことで、GPU需要の増大と株価上昇がフィードバックし合う「無限のお金稼ぎループ」ができあがっている。低効率な巨大モデルを回し続けたほうが儲かる限り、誰も本気で効率化に取り組まない。この流れは「複雑系の観点から見れば災害の前兆だ」と彼は言う。
タンはさらに別の角度から、同じ問題に切り込む。彼女が見る危機は、エネルギーそのものというより、「何の問題を解くためにエネルギーが使われているのかが不明瞭である」という構造だった。目的が曖昧なまま巨大モデルを動かせば、「平均的な生成物」をひたすら量産するだけになりかねない。それはエネルギー効率が悪いだけでなく、社会的にも意味のない負荷を増やす。「自分たちは何を目指すのかという設計の透明性こそが、最大の省エネにつながる」と彼女は指摘する。
このレポートはALIFE2025のスナップショットにすぎないが、生命を計算の物語として捉え、それをさらに社会の物語に編み込む、そんな光景が終始展開していた。そしてこれは、これからの私たちの世界の物語の縮図でもある。これから私たちは、たとえ生命が計算をしていたとしても、ゆらぐ自然物と人工物の境界に戸惑う、未来を知るための近道がないひとつの生命としてこの星で生きていく。そのための新しい物語がここにはあった。
★01 人間、機械、自然の境界を解体し、主体を関係的編成として捉え直す理論である。フェミニズムと科学技術研究を接続したことで広く知られ、ポストヒューマン思想の基盤となった。 ★02 サブタイトル「A System for Doing Mathematics by Computer(コンピュータによって数学行う体系)」にあるように、人間の手計算が主流だった数学的記述をそのまま可視化、アルゴリズム実装へと接続することのできる数式処理を中核に据えた統合計算環境。 ★03 https://www.businessinsider.com/chatgpt-users-openai-sam-altman-devday-llm-artificial-intelligence-2025-10★04 タンパク質の立体構造をアミノ酸配列から高精度に予測するAI。2024年のノーベル化学賞は、タンパク質設計と構造予測を計算的に可能にした研究に授与され、AlphaFoldを開発したDeepMindの研究者(デミス・ハサビス、ジョン・ジャンパー)も受賞者に含まれた。

- 森 旭彦もり・あきひこ
- サイエンスライター。最先端のテクノロジーやサイエンスが社会をどのように変容させているかを多様な視点から考察する。国内外の科学者やアーティストを取材し、 WIRED日本版などに寄稿している。ロンドン芸術大学大学院メディア・コミュニケーション修士課程修了。在学中にBBC(UK)やWIRED(US)のジャーナリストに協力を得たインフォデミックに関するプロジェクトが南チロルの新聞『Südtiroler Wirtschaftszeitung』などで取り上げられている。こっそりと小説を出版している。https://www.morry.mobi
Photo by Masahiro Sanbe
