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オートエスノグラフィーがひらくゲーム研究の可能性#3
より善く生きるためのゲーム体験をさがして
オートエスノグラフィーを用いたゲーム体験の分析をする、フィンランド・アールト大学のヤーコ・ヴァケヴァさんへのインタビュー。(#1はこちらから)
#3では、ゲーム体験が自己を省みる時間を生み、実生活におけるレジリエンスや不確実さへの耐性を育て、より善い生へとつながる可能性について、議論しました。
編集:山田兼太郎(DISTANCE.media)
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Contents
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レジリエンスを育むゲーム体験
ドミニク 差し支えなければ、次に書こうとしている論文についてヒントをいただけますか?
ヤーコ まだ形を取りつつある段階ですが、大まかには「感情的に響くゲーム体験」や、「ゲームが終わった後もプレイヤーの中で生き続ける体験」について研究したいと考えています。『ダークソウル』の研究では、ゲームがプレイヤーの現実のうつ状態と共鳴する様子を描きましたが、今後は他のゲームでも同様の現象が見られるのかを探っていきます。また、主観的・探究的なテーマではありますが、量的手法をどのように組み合わせられるかも模索してみたいと思っています。
ドミニク 具体的に検討しているゲームタイトルはありますか?
ヤーコ いまのところ特定のタイトルに絞ってはいません。むしろ、プレイヤーたちに「これまでで最も心に響いたゲームは何か?」と尋ねて、そこから何が浮かび上がってくるかを探る形にするかもしれません。『ダークソウル』のように、現実の体験と響き合い、幸福感や意味をもたらすようなゲーム体験が、他のゲームにも見られるのかを明らかにしたいのです。
ドミニク 最初のオートエスノグラフィー論文では、『Doki Doki Literature Club』のキャラクターがうつ状態にある描写がありましたね。そこでも『ダークソウル』と通じるテーマが見られます。ふと思い出したのですが、人気のカナダのインディーゲーム『Celeste』[★01]★01も、主人公の少女が自分のうつと向き合いながら山を登るという内容です。何度も死ぬけど、それでも挑戦し続けるというループは、『ダークソウル』にも似ています。あなたの研究が喚起してくれた例の一つですが、「ゲームによってレジリエンス(回復力)を育む」というのは、現代のゲームに共通する広い現象なのかもしれませんね。
ヤーコ まさにそうだと思います。『Celeste』はずっとプレイしたいと思っていたタイトルのひとつです。『ダークソウル』のゲームループも、頻繁に失敗し、学び、少しずつ乗り越えていくという構造ですよね。私たちの研究でも、多くのプレイヤーがこのループを通じて「現実世界でも粘り強くなれた」と感じていると語っていました。ゲームで得た粘り強さを、自分の人生の課題にも応用するようになった、と。また、多くのプレイヤーが『ダークソウル』の物語的な要素を、うつのメタファーとして解釈していたことも印象的でした。
ドミニク 日本の心理療法の世界では近年、イギリスの詩人ジョン・キーツ[★02]★02が19世紀初頭に提唱した「ネガティブ・ケイパビリティ(negative capability)」という概念がよく議論されています。これはもともとは、シェイクスピアのような作家が「解決不可能な問題や否定的な感情に耐えうる力」を備えていたという考え方ですが、最近はテクノロジーとの関連でも語られるようになっています。デジタルによる過剰な刺激が、私たちの「曖昧さに耐える力」を弱めてしまうのでは、という懸念です。でもあなたの研究は、ゲームがむしろそうした力――つまり「ネガティブ・ケイパビリティ」を育む可能性を示しているようにも思えます。
ヤーコ それはとても興味深いです。その概念は知りませんでしたが、「ユーダイモニア」とも深くつながるものですね。つまり、「意味のある人生の道筋」というのは、必ずしも「最も楽な道」ではないということ。むしろ、自分の限界と向き合い、困難に立ち向かうことでこそ、私たちは視野を広げ、より深い意味を見出すことができる。私はそこにとても大きな価値を感じています。

- ドミニクさん(左)とヤーコさん
オートエスノグラフィーが持つポジティブな内省力
ドミニク それでは、最後の質問となります。論文でもちいられていた「エピファニー(啓示、気づき)」という概念にまつわる質問です。
ヤーコさんがゲームプレイのオートエスノグラフィーを始めるきっかけや指針となった、啓示的な体験、あるいはそれに類する感情的な出来事を体験されたことはありますか? もしあるとすれば、それは学部の卒論(映画とゲームの比較)に取り組み始めた頃から、ゲーム研究に本格的に入っていくまでの間だったのではと推測するのですが……。まったく見当違いかもしれません。
この質問をするのは、オートエスノグラフィーの多く(すべてではありませんが)が何らかの啓示的な体験から始まっており、それがあなたの研究にもあったのかどうか興味を持ったからです。
ヤーコ この研究へとつながるような、「これだ!」というような出来事はありませんが、おそらくもっと一般的な意味で、ある種の芸術体験、たとえば映画などを見て、啓示のような感覚、自分の中で何かがカチッとはまり意味を成すような感覚を覚えたことはあったと思います。
これまでの研究でも、「エピファニー」という概念はしばしば「変容的な体験(transformative experiences)」と関連づけられてきました。たとえば経験美学や人々の芸術体験に関する文脈でです。同時に、オートエスノグラフィーの研究者たちもしばしば、人生や価値観を変えたような生きた体験や「エピファニー」について書いています。
そうした意味で、オートエスノグラフィーは、ビデオゲームにおける変容的な美的体験を探究するうえで適した方法だと感じています。
ドミニク ありがとうございます。ちょうど大学院生たちと、「なぜ多くのオートエスノグラフィーが“ネガティブな啓示”から始まるのか(たとえば、スティグマやトラウマ、社会的抑圧の経験など)」という話題について議論していたところでした。
確かに、ネガティブな経験はストレスを引き起こし、それが問題意識や問いの源になるというのは理解しやすい構造です。しかし、ヤーコさんの研究は、もう少しポジティブな体験からはじまっているようであり、少し異なるなと思いました。論文ではご自身の個人的背景にはあまり立ち入らず、むしろビデオゲームを媒介にした思考と情動のプロセスに焦点が当てられていました。そしてそこには、「マイクロ・エピファニー(微細な啓示)」とでも呼べる契機が含まれているように感じられました。
もちろん、あなたの体験は一言でポジティブ/ネガティブとラベル付けできるようなものではなく、非常にニュアンスに富んだものだと思いますが、全体として、私はそこにユーダイモニアの感覚を受け取ったのです。
ヤーコ ええ、そのポジティブ/ネガティブな啓示という視点はとても興味深いですね!
私のオートエスノグラフィーが少し変わっている点のひとつは、まさに「ある種の娯楽的なユーダイモニア体験」を意図的に探求しようとしたことかもしれません。こうした体験には、たいていネガティブな感情も含まれますが、それでも最終的にはポジティブなものとして評価される傾向があります。
もちろん、ネガティブな感情の体験は、レクリエーションの文脈、たとえばフィクションとしてのドラマなどで自ら望んで味わう場合と、現実の生活のなかで避けられず遭遇してしまう体験とでは、大きく異なりますよね。
「トラウマ」などネガティブな啓示から始まるオートエスノグラフィーでも、多くの場合、その体験をどう処理し、乗り越えるかというポジティブな方向性への軌跡が重視されているように思います。
それと、私の研究で取り上げたどちらのゲームにおいても、ゲーム体験の感情的クライマックスが「ゲーム内での啓示」に関係していたというのがとても興味深い点でした。この種のエピファニーは、フィクションではよくあることかもしれませんが、私が面白いと感じたのは、それがゲームの物語にとどまらずメタフィクション的な要素を含んでいたということです。
つまり、プレイヤー自身が「自分がビデオゲームのプレイヤーである」ということについて何かを悟るような仕掛けがあって、そこからゲームの物語の内容と自分自身の経験との関係について、より深く個人的な内省を促されるような感覚があったのです。少なくとも、私自身の経験としてはそうでした。
ドミニク ありがとうございます。気づけば1時間以上話し込んでしまいました。私からの質問はすべて終わりましたが、日本の読者やゲーム開発者に向けて、何か最後にメッセージはありますか?
ヤーコ まずオートエスノグラフィーについて。ドミニクさんの学生さんたちも気づかれた通り、これは非常に感情的な負荷がかかる手法でもありますが、それだけに得るものも大きいのです。知識をどう生み出すのかという前提を、深く問い直すことになるからです。質的研究について深く理解したいと考えている方には、ぜひ試してみてください。
もうひとつ。私はいつも、日本がさまざまな技術的なイノベーションの最前線にいることに感銘を受けています。とくにゲーム産業において、日本が世界に与えてきた影響は非常に大きいものがあります。私自身、博士課程の終盤に差し掛かっているので、次にどこへ進むべきかを考える時期でもあります。ゲームやテクノロジーに関連した新しい研究・デザインの機会について、いつでも喜んでお話したいと思っています。
ドミニク 今日はお時間をいただき、本当にありがとうございました。とても充実した、学びの多い対話でした。

- その後、横浜で開かれたCHI 2025カンファレンスで来日したヤーコさんと対面@學*酵
オートエスノグラフィーがひらくゲーム研究の可能性
#1 ゲーム体験は研究に値するのか?
#2 ゲームの質的研究を通してわかったこと
#3 より善く生きるためのゲーム体験をさがして
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★01 山登りを通して不安や自己否定と向き合う姿を描くアクションゲーム。高難度操作と繊細な物語が心の体験と結びつく。公式ホームページ https://www.celestegame.com/★02 (1795–1821)。25歳で夭逝した、イギリス・ロマン派を代表する詩人。感覚や情動の経験を思考の核心に据え、近代合理主義からの転回を先取りした。

- ヤーコ・ヴァケヴァJaakko Väkevä
- フィンランド・アールト大学博士課程所属。ビデオゲームがプレイヤーにもたらす美的な体験を研究。ゲームをすることで、そのプレイヤーにとって意味深く、内省を促し、時に人生観を変えるような感情体験がいかに喚起されるかを、オートエスノグラフィーなどの手法をもちいて分析している。

- ドミニク・チェン
- 情報学研究者。1981年生まれ。博士(学際情報学)。早稲田大学文学学術院教授(表象・メディア論系コース)。NTT ICC(Inter Communication Center) 研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て現職。Ferment Media Researchを主宰し、人と技術と自然存在の関係性を研究している。著書に『未来をつくる言葉』(新潮社)、『電脳のレリギオ』(NTT出版)など多数。DISTANCE.media編集委員。
