F6-8

Los Angelesの2つ目の「e」

歴史の忘却にあらがう杭のように

Los Angelesの2つ目の「e」の画像
© MisterTigga| Dreamstime.com

本シリーズでは、「記憶のケア」というテーマのもと、インターネットが生まれてから30年経った、わたしたちの情報環境を見つめ直します。

作家の柴崎友香さんは、私的な記憶から集団的な記憶まで、さまざまな形で「記憶」を語りなおすこと(=ケアすること)で、現在と過去、こちらとあちら、私と私たち、の関係性をときほぐし、重層的に織りあげる作品を書かれています。

今回は、柴崎さんがロサンゼルスに長期滞在した際に、その場所に喚起された記憶をひも解いていだきました。

写真:柴崎友香
編集:山田兼太郎(DISTANCE.media)

Contents

    英語にはない「e」

    2024年の9月から12月までロサンゼルスに滞在していた。

     Los Angeles

    と書類に書く、あるいはウェブサイトの登録フォームに入力するとき、Angelesの「l」のあとに「e」を書くたびに、ここはスペイン語の名前がつけられた土地なのだと意識した。

    Losというスペイン語を象徴する冠詞よりも、Angelesの2つ目の「e」のほうがスペイン語だと伝えてくるように感じるのは、英語のAngelsと似ていて1文字だけ違うからだろう。

    ここは、AngelsではなくAngelesなのだ。たった3か月滞在するだけなのに出発する前のビザの申請から大学の各種登録、公共料支払いのアカウント登録(非常に面倒だった!)、配車アプリの登録などなど、何度も何度も私はLos Angelesと書き、その度に2つ目の「e」のことを考えた。

    サンディエゴもサンフランシスコもそして州の名前のカリフォルニアもスペイン語でつけられた地名で、ロサンゼルス市内を移動していても、la、 de、 del、 el、や santaで始まる地名が多く、スペイン語の表記もあちこちにある。いつも買い物をするスーパーの店員も、驚異的な物価高の中で生活を助けてくれたディスカウントチェーンの店員と客も、近所でまともなものが食べられる店やフードトラックの人も、皆スペイン語を話す。ここで生活するには英語よりもスペイン語ができたほうがいいかもしれない、と思った。結局のところ、私がおぼえたスペイン語はnada、英語のnothingにあたる言葉だけなのだが。

    1973年生まれの私にとって、アメリカとはまずロサンゼルスのことだったのではないか、と記憶をたぐってみて思う。

    ロサンゼルスを通してアメリカを見ていた子供時代

    1984年、ロサンゼルスでオリンピックが開かれた。その前のモスクワオリンピックは東西冷戦のために日本はボイコットしたこともあり、ロサンゼルスが私がテレビで中継を見た最初のオリンピックだ。派手な演出の開会式で背中にジェット飛行装置を背負ったロケットマンが飛び、NHKではマスコットのイーグルサムのアニメも放送されていた。カール・ルイスが金メダルを四つもとって、アメリカがスポーツでもエンターテインメントでも産業でも世界一豊かな国だというイメージが、その当時の子供たちには刻み込まれた。

    ロス五輪、と略されたように、その都市は新聞やテレビの見出しではいつも「ロス」と呼ばれていた。オリンピックの少し前、週刊誌とワイドショーでは「ロス疑惑」が毎日のように騒がれていた。小学校高学年の時、なんの会話だったか、友達が「ガイジンって全員アメリカ人やと思ってた」と言ったのをよく覚えているのだが、当時の日本の子供にとっては、外国とはアメリカであり、そしてアメリカのイメージはロサンゼルスを中心に作られるエンターテインメント(もちろんスポーツも含む)だったのかもしれない。

    ロサンゼルスに住む人は、ロサンゼルスをロスとは略さない。「LA」と言う。私の耳には、「エレイ」と聞こえる。

    天使たち、というこの砂漠の土地には大仰にも皮肉にも思える地名をLos Angelesと入力するたび、英語ふうに読まれる発音には響かない2つ目の「e」がこの地の歴史の忘却に抵抗するための杭のように思えた。

    東海岸に比べれば古い建物は少なく、戦前の中心街はほとんど放棄され、無限に郊外へと広がり続ける、歴史や記憶を想起させるものが少ないこの巨大都市では、忘却もそれに対する抵抗も、ほかの街とは違った形で遍在しているのかもしれない。

    滞在したのはちょうど大統領選挙のさなかで、ヒスパニック系移民のことがニュース解説などにもよく出てきた。ヒスパニックの人たちを不法に入り込んだよそ者のように扱うがここはthe AngelsではなくLos Angelesだし、そもそもそのスペイン語の名前をつけた人たちもこの大陸の収奪者であり、ヒスパニック系の人たちがスペイン語を話す人たちであるのも植民地支配の結果だということを忘れるな。と、うっかり見過ごしそうな「e」に伝えられる。空港も公共施設も、英語とスペイン語が並記されていて、行列ではスペイン語が飛び交い、メキシコと日常的に行き来する人たちの生活が伺える。「バハ・カリフォルニア」は国境の向こうまで続いている、というよりも、国境のほうがあとから引かれたことは、地図を見ればすぐにわかる。

    地名に関心を持って見れば、アメリカの地図にあるたいていの地名が、ヨーロッパのどこかの地名のコピーであるか、ヨーロッパの言語のスペルとは違う名前であるかのどちらかだということに気づく。ヨーロッパの言語のスペルではない地名のほとんどは、スペイン人がやってくる前からここにいた人たちの言葉だ。ミネソタ、ミシシッピ、ミルウォーキー、シカゴ、シアトル、テキサス、オクラホマ……

    Los Angelesの2つ目の「e」の画像

    私がいなかった「ロス」の記憶

    アメリカの人はLAと言うので、ロサンゼルスに最初に来たときには「ロス」と言う略称を気恥ずかしく感じたが、4回目の訪問になるロサンゼルスで私が会うのは日本文学を研究している人たちなので、彼らはどこの国の人であっても日本語で話すときこの街を「ロス」と呼ぶ。アメリカに住む人が「ロス」と日本語的な母音の発音で言うとき、それはLAやLos Angeles ロサンジェリーズとは少し別の街のような不思議な響きがある。

    ロス疑惑、ロス五輪、ロス暴動。この街に来る前のこの街の記憶は「ロス」という言葉で私の記憶に刻まれている。

    私がこの街に初めて来たのは2014年、40歳の時だ(ロサンゼルスから移動したサンフランシスコで41歳になった)。だから、来る前から私にはこの街の記憶があったし、ロサンゼルスのどこに行っても、その記憶が私の中で湧き出てきた。空港の乗り継ぎで時間がなく「どうしてくれるんだよ!」みたいなことを叫びながら歩く白人女性を見たときも、ダウンタウンの荒涼とした交差点の高いところにある信号機からピンクの熊のぬいぐるみが逆さにぶら下がっていたときも、マクドナルドでトイレに行こうとしてドアを開けたら駐車場のごみ置き場だったときも、それは完全にデイヴィッド・リンチの映画そのものだった。光景に接した瞬間に、私の脳内は映画の場面が鮮烈に浮かび、その場所は私にとっては映画の記憶なしには存在しえなくなる。

    バスや電車のアナウンスがサンタモニカ・ブルーバードと告げれば、脳内にはシェリル・クロウの「All I Wanna Do」が流れ、道路沿いに並ぶヤシの木を見れば成田美奈子の漫画『エイリアン通り(ストリート)』のセリフが浮かび、演劇を観に行こうと歩いていたらどう見てもジョン・カサヴェテスの『チャイニーズブッキーを殺した男』のストリップ劇場そっくりの建物があった。ハンバーガーチェーンのカールスJr.は、数年だけ大阪に存在したことがあって当時の高校時代の思い出と切り離せないし、ビバリーヒルズと聞けば『ビバリーヒルズ高校白書』の、ジャジャジャジャ、というオープニングの音が流れてくる。書き出せばきりがない。

    それらはすべて、私がロサンゼルスという土地で実際に経験したことではないが、確かに私自身の記憶である。

    ずっとアメリカに住んでいる人にこの話をしても、反応が薄い一方で、私と同世代でもっと若い時期にアメリカに移り住んだ日本の人はわかるわかると言ってくれたりする。私の小説『寝ても覚めても』の上映会が開催されて、登場人物の名前について質問があった。そのあとで、麦「ばく」の名前、妹は米と書いて「まい」なのは、リバー・フェニックスのきょうだいがサマーやレインなど自然の名前をつけられていたことから親の思い入れで子供につけられた名前に興味を持ちつづけてきたからだというエピソードを話したところ、若くして亡くなったリバー・フェニックスを思い出して涙ぐんだのもまた同世代の日本から来た女性で、きっと中学生のころは私と同じように洋画雑誌を切り抜いたりしていたんだと思う。

    そんなふうにして私のアメリカやロサンゼルスは成り立っており、その場所に切り離せなく結びついているあれこれは、果たして「私」の記憶と呼べるのだろうか。現実のできごとでもなく、私自身の直接の経験でもない。しかし、それはやはり、ロサンゼルスという土地が内包しているなにかではある。

    イメージなのか、フィクションなのか、何と呼べばいいかわからないが、それもまた確かに「私」の記憶であり、同時に誰かの記憶である。

    Los Angelesの2つ目の「e」の画像

    記憶は自在に連鎖していく

    滞在中に、そういえば、「カリフォルニア・ドリーマー」(California Dreamin')

    で歌ってるのって、北カリフォルニア?南カリフォルニア?と気になって歌詞を検索してみた(北カリフォルニアと南カリフォルニアはかなり距離があるし気候も違う)。

    “If I was in L.A.”とあるので、カリフォルニアとはロサンゼルスのことのようだ。ではなにを夢見ているのかと思ったら、warmだった。パパス&ママスの最もよく知られたこの曲は、ジョン・フィリップスとミシェル・フィリップスが一時期ニューヨークに住んでいたときに作られたようだ。ドリームはてっきりアメリカン・ドリームや自由、あるいは恋人との生活みたいなことかと思っていたが、ニューヨークは寒くて空は灰色、カリフォルニアなら暖かいのにと夢見ている、という詩だった。warmに含まれる思いはいろいろあるだろうけど、ほとんどそれだけだった。確かに、ロサンゼルスのいいところの8割は寒くなくて毎日青い空やもんな、と妙に納得する。

    でも、それなら、と私は別の場面を思い浮かべる。ウォン・カーウァイの『恋する惑星』では、警官663号に片想いするデリの店員フェイが爆音でかける「カリフォルニア・ドリーマー」が強い印象を残す。暑い香港であたたかい場所を夢見ていると歌うのはけっこう奇妙じゃない? 香港の人は英語わかる人が多いし、むしろその奇妙さというかばかばかしさというか、警官663号の部屋に勝手に入って少しずつ部屋のものを変えていく風変わりなフェイのキャラクターを表すものでもあったのか、と映画を観てから30年近く経ってようやく気づく。

    そして「カリフォルニア・ドリーマー」の曲だけでなく、これらの経緯をひっくるめて、私にとって、カリフォルニアの、ロサンゼルスの、2019年に訪れた香港で警官633号の部屋の外にあるエスカレーターに乗りに行った記憶とつながっていく。

    私が抱えて生きている記憶は、私の実体験だけではもちろんない。

    観た映画や読んだ小説やテレビやインターネットその他のメディアを通して得た膨大な量のイメージもあり、誰かに聞いた誰かの話もあり、それらから想像したイメージもある。

    そして、私の記憶が何に由来する記憶なのか、普段明確に区別しているわけではない。

    Los Angelesの2つ目の「e」の画像

    不確かさの重なりに見えてくる記憶

    辻原登の短篇「天気」(『父、断章』所収)は、作家の男が紀伊半島南端の町に講演に行くために横浜の家を順調に出発したはずが、時間を間違えていて新幹線と特急ではどう考えても間に合わないことがわかり、名古屋から町の人が運転する車を飛ばして向かう、という場面から始まる。車の中から風景を見て、語り手の作家は、まったく同じ経験をしたことがある、と気づく。しかし、しばらくしてそれは、小説で読んだ風景だった、と思い当たる。

    このエッセイにこの短篇の話を書こうと家にあるはずの単行本を探したが見つからず、間に合わせに電子書籍を買って久しぶりに読んだところ、ここに書いた部分は短篇の導入といえるエピソードであり、思い出した小説から連なる過去や父の故郷である和歌山の話が短篇の中心的なものだった、とわかった。

    さらには、向かった講演は谷崎潤一郎賞の授賞記念講演だと思っていたのだが、それはこの短篇の一つ前にある話で、まったく別の話だった。

    記憶が不確かであるというとき、その不確かさは、自分自身が正確におぼえているか、忘れているか、おぼえちがいをしているか、ということだけではない。

    その不確かさ、曖昧さには、その記憶が、誰の記憶なのか、フィクションなのか、つまり、誰かのストーリーなのか私のストーリーなのか、境界が不鮮明であるということも大きいのかもしれない。

    身近なことでいえば、あるときインターネットでエゴサーチをして出てきた一般の人のブログにこんなことが書いてあった。その人の友人が私の同級生であり、その友人の話によれば柴崎さんは子供のころから作家になると決めていて尊敬する作家が教授をしている大学の文学部を目指して見事合格し、脇目も振らず小説の道を歩いてきた、芥川賞を受賞する人はやはり最初から違うんですね。

    他の文章を読んで、その友人というのが全然知らない人ではなく実際に親しかったあの人だろうというのは推測できたし、作り話をしたわけではなくどこからかそんな話になったのだろうとは思った。子供のころから漫画家か小説家になりたいとは言っていたし漫画を描いて学校で回し読みしていたが、大学教授をしている尊敬する作家はまったく思い当たらず、一浪して専攻したのは人文地理学で、映画などほかのこともあれこれやって残ったのが小説だった。

    またあるときには、ずっと付き合いのある別の友人も「柴崎さんは映画を観た感想を詳細に記した分厚いノートを持っていて読ませてもらった」と言っていたが、私は日記やメモの類はまったく書けず、映画のタイトルだけでもメモしておけばよかったと後悔しきりの人生なので、その友人の記憶にあるノートを取り出して見せてほしいくらいである。

    偉人の幼少期の神童エピソードもあとから尾ひれの付いたこんな感じのものなのだろうなとそのとき思ったが、だからといって彼らのその記憶が間違いだとか嘘だとか言いたいわけではない。

    私も、昔観たある映画のこういう場面がよかったと人に力説したあとで映画を見直したらそんな場面はなかった、ということがあった。50年も生きると、記憶の曖昧さと不確かさはどんどん増していき、自分自身の経験と誰かの記憶の混ざり具合も熟成されていくように感じる。

    「私」の記憶の不確かさ、「誰か」の記憶の不確かさ。しかし、不確かさを重ねていくなかに、存在するものも見えてくるものもある。

    記憶そのものは不確かで曖昧であって、事実ではないかもしれないというのは常に留意しておかなければならないが、その重なりに、その隙間に、過去や記憶を伝えようとする痕跡のようなものはあるかもしれない。

    Los Angelesの2つ目の「e」のように。

    Los Angelesの2つ目の「e」の画像

    「ロス」と「e」のあいだで記憶は重なり続ける

    デイヴィッド・リンチの『ロスト・ハイウェイ』と『マルホランド・ドライブ』は、現在と過去の自分のつながりの喪失と断ちがたさ、記憶の不確かさについての話でもあると思うが、あの歪んだ体感は、街としての形を更新し続ける、あるいは風景の中にあるものを入れ替え続ける、ロサンゼルスという街自体から生み出されたものなのだと、ロサンゼルスに滞在していると思う。あちこちにある映画スタジオでは、遠い過去も未来の宇宙も作り出し続けてきた。『ティファニーで朝食を』や『ゴッドファーザー』のニューヨークの場面も、青い空のロサンゼルスのスタジオで撮影されたのだ(と、パラマウントのスタジオツアーに参加して知った。『十戒』の海が割れるシーンが撮影されたプールは、普段は駐車場になっている)。

    曖昧さと不確かさの隙間に見つけられる記憶もあれば、忘却に抵抗し続ける記憶もある。

    ロサンゼルスのあちこちには壁画がある。リトル・トーキョーには、7年前に訪れたときはなかったドジャース大谷翔平の巨大な壁画が現れていた。

    壁画は、1920年代のメキシコ壁画運動の影響が色濃い。

    ダウンタウンの東に、オルベラ・ストリートというメキシコ移民が最初に住み始めた街がある。今はすっかり観光地で土産物店とタコス屋が並ぶが、中華系アメリカ人博物館、イタリア系アメリカ人博物館、社会正義の博物館などもあり、壁画《America Tropical》の展示と資料センターがある。

    《America Tropical》は、ディエゴ・リベラなどと共にメキシコ壁画運動を立ち上げたダビッド・アルファロ・シケイロスが、メキシコを追放されたあと、1932年に学生たちと作った壁画だ。完成したら共産主義色が強すぎるということで大問題になり塗りつぶされてしまったのだが、80年後の2012年に修復された。その話を聞いて見に行ったのだが、建物の屋上、屋外にあるので保存のために公開時間が限られていて壁画自体を見ることはできなかった。

    一度は塗りつぶされてしまったものが、塗られた壁の下に再び姿を現す。それもまた、ロサンゼルスの歴史であり記憶の存在の仕方のように思えた。姿を現す、と主語を省略した自動詞で書いてしまったが、描いた人たちがいて、覚え続けていた人たちがいて、修復をした人たちがいて、博物館を作って公開し続けている人たちがいて、その壁画はそこに存在している。

    曖昧さと不確かさと、時には塗りつぶし忘却を迫る力の重なり合った底に、とどまり続け、残り続けているものがある。

    1984年の「ロス」によって作られ始めた私のその街の記憶は、Los Angelesの「e」を見るたびに、重なり続け、見つけ続けることになるだろう。

    Los Angelesの2つ目の「e」の画像
    柴崎友香しばさき・ともか
    作家。1973年大阪府生まれ、東京都在住。大阪府立大学卒業。1999年「レッド、イエロー、オレンジ、オレンジ、ブルー」が文藝別冊に掲載されデビュー。2007年『その街の今は』で芸術選奨文部科学大臣新人賞、織田作之助賞大賞、咲くやこの花賞を受賞。2010年『寝ても覚めても』で野間文芸新人賞、2014年『春の庭』で芥川賞を受賞。2024年『続きと始まり』で、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。最新刊に『帰れない探偵』。その他に『パノララ』『千の扉』『百年と一日』ほか、エッセイに『よう知らんけど日記』、『あらゆることは今起こる』など、著書多数。

    Recommend おすすめ記事