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障害は、テクノロジーによって、解決するべき「課題」なのか?

「表現とケアとテクノロジー」をめぐる4つの対話 : はじめに

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「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを通して表現の捉え方を再考する活動に取り組む田中みゆきさん。「アート」と「ケア」の視点からさまざまな先駆的事業を実施している奈良県の市民団体「たんぽぽの家」が主宰するプロジェクト「Art for Well-being」に全体監修として関わっている小林茂さん。

二人は、小林さんが監訳を担当した書籍『デザインと障害が出会うとき』の出版記念イベントをきっかけに、「表現とケアとテクノロジー」をテーマにしたプロジェクトを共同で行うことになりました。

本連載では、障害者支援とテクノロジー実装の最前線に立つ実践者たちにたいして、二人が行った4つのインタビューを掲載していきます。まず、イントロダクションとして、田中さんと小林さんに、プロジェクトの前提となる問題意識をめぐって往復書簡をしていただきました。

編集:山田兼太郎(DISTANCE.media)

Contents

    1 往信 田中みゆき→小林茂

    こんにちは。どこから始めたらよいか迷いましたが、小林さんと今回の4つのインタビューを始めるきっかけになったグラハム・プリンの『デザインと障害が出会うとき』(オライリージャパン、2022年)について、やはり書く必要があるのだろうと思うに至りました。

    あの本を読んだとき、その原著が出版された2009年からの時代の変化を思いました。2009年と言えば、わたしが障害との接点を持ち始めた頃ですが、そこから15年もの間に、社会における障害の捉え方や法律、社会制度において、さまざまな変化が起こったと言えます。

    一方で、障害のないアーティストやデザイナー、エンジニアの認識は、どれくらい変わったでしょうか。わたしが『デザインと障害が出会うとき』を読んで感じたいくつかの違和感は、15年経った後も、そんなに変わっていないようにも思います。

    わたしが感じた違和感のなかでまず挙げたいのは、「インスピレーション」の問題です。著者も「日本語版へのまえがき」のなかで書いていますが、「障害にまつわる課題はデザインへの新たなアプローチを示唆(inspire)することになるだろう」という表現にあるように、健常者が障害のある人の課題をデザインで解決するというモデルが、(「感動ポルノ」という意味ではないとしつつも)この本の根底を支えていることは確かです。

    わたしも障害をめぐる活動をしていくなかで、障害というものを「解決すべき問題」としたり、困難を克服することで感動を呼んだり、常人にはない能力を持っていると訴えた方が、障害のない人が興味や意欲を持って取り組みやすいという状況をしばしば見てきました。特にテクノロジーが絡むと、そういった方向性は顕著です。

    障害のある人が、障害のない人と同じように何かができるようになるのではなく、また、障害のない人よりも秀でた能力を発揮するのでもなく、ただありのままで存在するということは、未だ「福祉」の領域に押し込められがちだと感じます。障害はいつまで、乗り越えられるべき課題でなければいけないのでしょうか。

    本のキーワードとなっている「緊張関係」は、デザイナーとエンジニアが協働する際に起こるそれぞれの文化の間の摩擦が強く意識されているように思います。しかし、それを障害のある人とない人の文化の間にあるものとも捉え直すならば、障害のある人を被験者ではなく、作り手と位置づけ協働するモデルを考えるうえで、参照できる概念になるのかもしれません。

    まずは、そんな疑問を投げかけるところから始めたいと思います。

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    グラハム・プリン『デザインと障害が出会うとき』(小林茂 監訳、水原文 訳)、オライリー・ジャパン、2022年

    2 復信 小林茂→田中みゆき

    重要な問いかけをありがとうございます。

    監訳を担当した『デザインと障害が出会うとき』は、デザインと障害が交差する領域がありそこにデザイナーが参画しうることを、あえて実例と虚構を混在させることで読者に想像を促すことを試みた本だと理解しています。

    著者のグラハム・プリンさんが企業でデザイナーとして活躍した時期は、デザインをめぐる話題の中心がインダストリアルデザインからインタラクションデザインへと移行する頃です。その後に登場するサービスデザインでは、企業だけが価値を創出して消費者に提供するのでなく、顧客や最終利用者と価値を共創するのだとする考え方に移行していきます。田中さんとは別の観点で、原著の出版から約15年間の変化を感じるのは確かです。

    それでも、デザインをめぐる議論や教育もまた多様であり、そもそもデザインと障害が交差することすら想像する機会がない人々もまだまだいます。そうした現状を踏まえ、田中さんのような批判の対象になることも含め、デザインに関わる人々が障害に興味を持つきっかけや議論の土壌になればと思って取り組みました。

    わたしも、障害を「解決すべき問題」と捉え「支援」するというモデルがデザインや工学において未だあまりにも強く、大前提の妥当性を疑う想像力が働かなくなってしまっていることは極めて大きな問題だと考えています。田中さんは著書の『誰のためのアクセシビリティ?』のなかで、障害学とテクノロジーの研究者で切断者のアシュリー・シューの「テクノエイブリズム」という概念に触れています。障害のない人が障害のある人を三人称視点から観察・分析し往々にして間違った「解決策」を押しつけ、さらにテクノロジーの産業化によって強化してしまうという問題です。これはもっと意識化されるべきでしょう。

    「緊張関係」に着目するというアイデアはとても興味深いです。プリンさんはデザイナーとエンジニアの間に生じる「緊張関係」に着目しました。これは、それぞれの経験に基づく類型に当てはめられない、まだ名前のついていない何かが生まれつつある時間が開かれることだとも言えると思います。障害のある人と障害のない人が二人称の関係で出会い、そうした時間が開かれれば、お互いの経験を書き換えていくことにつながりそうです。多くの人々がそのような機会を持てるようにするにはどうすればいいと思われますか?

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    田中みゆき『誰のためのアクセシビリティ?』リトルモア、2024年

    3 往信 田中みゆき→小林茂

    お返事ありがとうございます。

    デザインがモノのデザインからコトのデザインへと移行してきたこの15年は、アートにおいても関係性から生まれる表現や社会に接続しようとする動きが日本でも盛んになり始めた時期と重なります。参加型アートやソーシャリー・エンゲージド・アート、アール・ブリュットへの注目の高まりや福祉とアートの接近が例に挙げられるでしょう。

    そんな状況がありながらも、なぜ障害のある人との出会いがまだまだ少なく、こんなにもぎこちないものになるのか、ということを未だ感じます。それは、やはり日本では分離教育が進められてきたため、障害のある人とない人が接点を持たずに育ってしまうからだと思います。小さい頃から一緒に育っていれば“ふつう”なのに、大人になってから出会うと、“特別”で助けが必要な人のように見えてしまう。また、大人になるほど、“ただともにいる”ことが難しくなり、課題や目的を持って接することになってしまう。

    テクノロジーは、そのぎこちない関係をスムーズにするための助けとなる一方で、ぎこちないままともにいるための力を削いでしまうこともあるのかもしれません。また、わたしが特に活動を始めた当初、テクノロジーを用いた現場で上手くいかなかったときに感じたことは、何かを解決するのではなく、障害のある人の体や感覚をそのまま生かすテクノロジーのあり方の難しさや、エンジニアがいてテクノロジーがあるなら使わなければいけないというプレッシャーでした(後者はわたしの経験不足によるものも大きかったのですが)。つまりテクノロジーという存在も、課題や目的を持って接されてしまうものなのかもしれません。

    「エイブリズム」、つまり障害のない人を基準に障害のある人を何らかの機能が“欠けた”存在とみなす概念は、それを補うものとしてテクノロジーと結びつきがちです。「テクノエイブリズム」で提唱されているように、その際の間違った“解決策”は、テクノロジーそのものというよりも、それが用いられるナラティブが固定化していることが原因と言えるでしょう。それはやはり、障害のある人の生きられた経験を共有していない障害のない人が、テクノロジーだけでなくそのナラティブをもつくってきたからだとわたしは考えます。

    長くなってしまいました。障害のある人とない人がお互いの経験を書き換えていくような機会を多くの人々が持つにはどうすればいいか。まず、今の社会は障害のない人によってデザインされてきたので、障害のある人が“ふつう”に存在できるためのアクセシビリティをあらゆる分野で実装していかなければいけないと思います。ただ、それを待っていたら、わたしたちはみんな死んでしまうし、残念ながら十分な状態は永遠に訪れないかもしれない。

    だからこそ、たとえ整っていない状況でも、失敗しながら始めていかなければいけないと思っています。そんなとき、テクノロジーも目の前にいる人も特別視せず、共通する感性を持つ人間(あるいは人間がつくったもの)として、“ただともにいる”時間をつくることには可能性を感じます。アートが社会にできることがもしあるとするならば、そういった時間を生み出すことなのではないかとわたしは思います。そこから生まれるナラティブは、テクノロジーを書き換えていくことにもなるかもしれません。

    4 復信 小林茂→田中みゆき

    「たとえ整っていない状況でも、失敗しながら始めていかなければいけない」というのは本当にその通りだと思います。

    『デザインと障害が出会うとき』で言うと、「聴者」とすべきところを「健聴者」にしてしまったという失敗が思い出されます。監訳者の役割として、障害に関するほかの訳語についてはできるだけ調べて適切なものを提案したつもりでしたが、この点に関しては完全に見落としてしまいました。この経験から、「障害に関する翻訳語のリストをつくれませんか?」という相談をさせていただいたのが、今回の4つのインタビューにもつながっています。

    テクノロジーについて考えるときのやり方には大きく二つあると思います。一つめは、テクノロジーを総体として捉え、抽象的に論じるやり方で、大文字のテクノロジー(Technology)とも呼ばれます。例えば、「人間にとってテクノロジーとは…」「自然とテクノロジーの対立は…」のような書き出しで始まる議論です。二つめは、個別のテクノロジーについて、生きられた経験に基づいて具体的に論じるやり方で、小文字の諸テクノロジー(technologies)とも呼ばれます。テクノエイブリズムの提唱者として名前を挙げたシューは(どちらかと言えば)こちらの立場で、障害のある人々の生きられた経験に基づいて論じ、障害のない人々による想像力やエイブリズムと結びついたテクノロジーを批判しています。

    大文字のテクノロジーと小文字の諸テクノロジーをめぐる議論は二項対立的なものではなく、いずれも重要なもので、接続しうるとわたしは考えています。ただ、両者は時間スケールが大きく異なります。大文字のテクノロジーは、田中さんが指摘されたように障害のない人々がマジョリティとなっている世界で何世代にもわたって人間が集合的に構成してきたもので、長い時間をかけないと変化しません。これに対して、個別具体的なテクノロジーは、それぞれの現場に関わる人々次第で、短時間であっても大きく変化します。

    例えば、田中さんが取り組んでいらっしゃる「オーディオゲームセンター」や、『誰のためのアクセシビリティ?』でも紹介されたゲーム『The Last of Us Part II』などを通じて風景が変わる体験をした人は少なからずいることでしょう。実際のところそうした取り組みは数え切れないほどあり、いったん出会って興味の範囲が拡張すれば、どんどん自分の世界に飛び込んでくるようになります。そうした人々が増えてきたら、やがて、総体としてのテクノロジーを書き換えていくことにもなるはずです。

    このような観点から、ときに失敗しながらも取り組んでいる人々に、なぜ、どのように始め、どのように継続しているのか、取り組むなかでどのような変化があったのかを伺うことは、自分でも始めてみるためのきっかけにつながるのではないでしょうか。そんな風に考え、今回の3つのインタビューを企画しました。ぜひ、一緒にお話を伺えればと思います。

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    田中みゆきたなか・みゆき
    キュレーター・プロデューサー。「障害は世界を捉え直す視点」をテーマに、カテゴリーにとらわれないプロジェクトを企画。表現の見方や捉え方を障害当事者含む鑑賞者とともに再考する。2022年7月から12月までACCのフェローシップを経てニューヨーク大学障害学センター客員研究員。2025大阪・関西万博 日本館基本構想クリエイター。主な仕事に、「ルール?展」(2021年、21_21 DESIGN SIGHT)、「語りの複数性」(2021、東京都公園通りギャラリー)、「オーディオゲームセンター+CCBT」(2024、シビック・クリエイティブ・ベース東京)など。主な書籍に、『誰のためのアクセシビリティ?』(リトルモア)など。
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    小林茂こばやし・しげる
    情報科学芸術大学院大学[IAMAS]図書館長・教授。人工知能などのテクノロジーは、中立の単なる道具でもなければ不可避で抗えない決定論的なものでもなく自在に解釈できるものであると捉え、多様な人々が手触り感を持って議論に参加できるような手法を探求している。著書に『テクノロジーって何だろう?——〈未完了相〉で出会い直すための手引き』(ビー・エヌ・エヌ)、監訳書に『デザインと障害が出会うとき』(オライリー・ジャパン)など。岐阜県大垣市において隔年で開催されているメイカームーブメントの祭典「Ogaki Mini Maker Faire」では2014年より総合ディレクターを担当。撮影:丸尾隆一

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