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哲学者ユク・ホイが語る、京都学派とテクノロジー(前篇)
技術に西洋中心の普遍性はない

- ユク・ホイさん
『中国における技術への問い』『芸術と宇宙技芸』などの著作で知られる、香港出身の哲学者ユク・ホイさん。2024年晩秋に来日し、シンポジウムや講演を行った。西洋哲学に由来する現代のテクノロジー論に対し、日本を含むアジアの技術の多様性を踏まえ、「宇宙技芸」という独自の技術論を展開している。はたして「宇宙技芸」とは何か?——基礎情報学者でユク・ホイさんの『再帰性と偶然性』の翻訳者でもある原島大輔さんがインタビューし、その思考を読み解いた。
写真:乙戸将司
聞き手・翻訳・構成: 原島大輔
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Contents
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哲学の問いとしての技術:「技術的な時代にふさわしい思考を求めて、新たな哲学的アプローチを切り開くことが必要なのです。」
——ユク・ホイさんは技術についての哲学的な思索、とくに「技術多様性」(technodiversity)や「宇宙技芸」(cosmotechnics)という技術概念の提唱で知られています。どのような問題意識からそうした仕事に取り組んでこられたのでしょうか。
ユク・ホイ 技術が本格的に哲学の問いとなったのは、ようやくここ2世紀のことだという見方があります。西洋哲学にせよ東洋哲学にせよ、哲学史において技術の問いは多かれ少なかれ抑圧されてきたのであり、産業化によって技術の問題が巨大化する近代までは、前景にあらわれてこなかったというわけです。しかしこの見方は、哲学を反動的な立場に置くことにもなりかねません。つまりメランコリックな近代批判としての哲学です。
私が出発点にしたのは、むしろ哲学と技術にはもっと親密な関係があるという立場です。実際、哲学史上においても、西洋ではプラトンの対話篇(想起の問い)、東洋では『易経』の注釈(道と器の関係)に、それがあらわれています。この親密性は依然として研究の必要があります。というのも今日、技術は社会を、そして哲学のほぼ全領域を、困難に直面させているのに、技術の理解はあまりに限定的なものにとどまっているからです。この技術的な時代にふさわしい思考を求めて、新たな哲学的アプローチを切り開くことが必要なのです。
たとえ技術の問いが哲学的な議論の俎上に載せられたのがこの2世紀のことでしかなかったとしても、それ以前からずっと技術はなにか普遍的なものであると当たり前のように考えられてきました。私が問題としてきたことのひとつは、まさにこのことです。技術が普遍的なものとして考えられているというのは、つまり技術の理解がただひとつのものに均質化されてしまっているということです。普遍的な合理性と関係したものとか、機械的な因果律と関係したものとか、そういった技術の理解です。
それで私は、技術を物理法則に還元しようとするそうした理解が、ごく限定的なものでしかないことを示そうと思ったのです。そのような技術概念は、きわめて西洋的、あるいは主にヨーロッパに由来するものといえるでしょう。それからもちろん、アメリカ的ともいえます。そうした技術の理解はあまりに狭いものですから、《拡大》する必要があります。そのために私は、「技術多様性」を提唱し、さまざまのローカルな場所における技術多様性を示し、論証することに努めてきたのです。
たとえば中国や日本、あるいはラテンアメリカやアフリカには、実際にさまざまな技術の理解を見いだすことができるでしょう。そして思想史そのものにおいてもこれまで無視されてきた、あるいはすでに述べたようにきわめて抑圧されてきた、さまざまな技術思想をすくいあげることがおそらくできるでしょう。そういうわけで私は、技術多様性という概念を、思考と技術の関係に踏み込むひとつの哲学的な企てとして提案することにしたのです。
宇宙技芸:「技術とは、宇宙的秩序と道徳的秩序が合一するところなのです。」
ユク・ホイ それからもうひとつ、私が向き合わなければならないと考えている現代の技術の問題は、技術が普遍的で画一的なものとなっているために、この「技術」を高速化したり、収束ないし順応したりすること以外に、できることが何もなくなっている、というのが今日の実情であるように思われることです。
それで私は10年ほど前、「宇宙技芸」という概念を提唱することで、技術は普遍的な技術概念によって捉えられるようなただひとつの均質的なものではなく、むしろ今でもさまざまのローカルな場所に見いだせるように、多数の宇宙技芸があるのだということを示しました。
宇宙技芸という技術概念はそのようなローカルな場所性そのものと関係しています。場所性というとき私が念頭に置いているのは、宇宙論です。宇宙論は、普遍的なものではないし、純粋に理論的なものでもありません。宇宙物理学のことではないのです。宇宙物理学はあくまで近代科学に属するものです。
たとえば日本で空を観察するのと、ラテンアメリカのチリで空を観察するのとでは、実際にはただ違う空を見ているということだけでなく、むしろ違う環境(緑豊かな日本の山々と、野生のサボテンが立ち並ぶ乾燥したチリの山々)と相互作用しているということ、そしてそうしたそれぞれの環境のなかで相互作用しているということなのです。つまり、実際には複数の異なる宇宙論があり、それらが日常生活の行為に指針を与えている。
そして技術とは、この宇宙的秩序と道徳的秩序が合一するところなのです。技術的活動とは、宇宙的秩序と道徳的秩序を統一する活動なのです。言い換えれば、技術の使い方はそれぞれの宇宙論と密接に関係しているわけですが、それだけでなく、その場所性ごとに異なる種類の思考が出現してくるのです。
簡潔に説明するなら、以上が宇宙技芸という概念です。その狙いは、こうした技術の概念を思想史のなかから取り戻すことです。そして今日の技術開発にどう向き合うか、どう思考したらよいかという問いに取り組むことなのです。
「近代の超克」と京都学派:「私たちは再び、西洋と東洋の対立のなかで、故郷回帰の欲望にとらわれているのです。」
——今回の東京滞在では、「近代の超克」をテーマとしたシンポジウムを開催されていますが(「The Standpoint of Heimatlosigkeit and the Planet(故郷喪失的立場と惑星)」東京大学本郷キャンパス、2024年11月29・30日)、その意図や問いはどのようなものだったのでしょうか。

- 原島大輔さん
ユク・ホイ いろいろとあるのですが、いくつかを挙げます。第一に、今日の状況は、かつての日本における「近代の超克」運動と、じつによく似た何かが実際に起こっているように思われるということがあります。1930年代後半から1940年代前半にかけて生じた「近代の超克」は、京都学派[★01]★01と密接に結びついた運動でしたが、実際にはそれだけでなく、多くの日本の知識人が関係していました。
今回のシンポジウムの出発点は、1941年に京都学派の4人の思想家(高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高)がおこなった座談会「世界史的立場と日本」に立ち返ることでした(高坂正顕、西谷啓治、高山岩男、鈴木成高述、中央公論社編『世界史的立場と日本』中央公論社、1943年)。
この座談会の狙いは何だったのでしょうか。これは非常に長い座談会でしたから、細部に立ち入ろうと思えばいくらでもできてしまいますが、ここでは簡潔に述べましょう。彼らは、それまでの世界史は西洋の視点ないし立場から見られたものであったと考えていました。それとともに、彼らがそのとき目の当たりにしていたのは、西洋の頽廃と衰退でした。したがって、これからは日本が道徳的な責任を引き受けて世界史を書き換えてゆかなければならない——これがこの座談会の要点でした。
それがのちに戦争と急接近することになるのは周知のとおりです。実際、この座談会は日米開戦直後のものでした。そして帝国主義やナショナリズムと関係を結ぶことになってしまったのです。こうしたことは日本ではよく知られたことですから、私が説明するまでもないでしょう。
むしろ私が言いたいのは、今日私たちは、気がつけばこれと非常によく似た状況にいるということです。私たちは再び、西洋と東洋の対立のなかで、ますます膨れ上がる故郷回帰の欲望にとらわれているのです。それは京都学派の哲学者たちが日本という故郷から世界史を考えようとしたのと似ています。そして歴史をリセットする可能性として戦争を考えようとしたのと。
今日、それは中国やロシアだけでなく、アメリカ合衆国やドイツなど多くの国で見られます。ですから私は、第一に、「近代の超克」のさまざまな運動に立ち返ることがきわめて重要であると考えているのです(私がここで運動を複数形にしているのは、これが日本だけには限られない歴史的な現象であったからです)。
地政学、故郷、技術:「京都学派の哲学者たちにとっては、技術こそが問題であったように私には思われます。」
ユク・ホイ そして第二に、彼らが当時観察していたことを単純に否定できないということがあります。というのもそれは実際にひとつの世界史的出来事であったし、何かをなさねばならなかったからです。彼らの観察と分析は完全に間違っていたというわけではないし、だからこそ今日でも依然として注目されている。しかしそうはいっても、では私たちは自分たちの状況にどう応答したらよいのでしょうか。
地政学と故郷と哲学について考えるためには、京都学派の思想家たちがしたように、あるいは彼らの前にハイデガーがしたように、伝統に回帰すればよいのでしょうか。この危機に向き合う私たちにはどのような別の可能性があるのでしょうか。
京都学派の哲学者たちにとっては、技術こそが問題であったように私には思われます。というのも技術こそが、ヨーロッパ的な近代の普遍化を可能にしたものだったからです。ただし、彼らのこの問題への取り組みは曖昧なものにとどまっていたように思います。
もっとも彼らが技術の問いに自覚的であったことを否定するわけではありません。たとえば、三木清には『技術哲学』(岩波書店、1942年)という著書がありますし、戸坂潤もまた技術哲学について本(『技術の哲学』時潮社、1933年)を書いていますし、他にもいろいろと自覚的な取り組みがなされていたのはたしかです。
しかし私は、彼らの技術の理解の仕方に非常に問題があったと考えているのです。そしてそれを繰り返してはならないと考えているのです。
一例を挙げるなら、三木は技術に新たな精神、たとえば「日本精神」を与えなければならないと述べています。しかし機械に付け加えることができる日本精神とはいったい何を意味しているのでしょうか。彼は、それは有機的なものであると述べています。ところが彼はそれを、ドイツ語を音写してカタカナで「オルガニスムス」と表記してもいます。つまり日本精神は、有機的であり、しかもそれはドイツ的なのです(同様のことは、20世紀の中国で、漢方が有機的なものとして特徴づけられた際にも起こっています)。
こうしたことはしばしばなされるわけですが、これはまったく日本的でない身振り、すなわちイマヌエル・カント以後のヨーロッパ的な身振りを、程度の違いはあれ繰り返しているように思われます。他にも、西谷啓治の技術理解についてなど、これまで私はこの問題についていろいろなところで論じてきました。その真意は、京都学派に立ち戻ることで、技術の再考を呼びかけ、地政学の展開を問い直し、終末論的な感傷の流行や悲観論の予兆からどうしたら脱することができるのか問題提起することなのです。
国際シンポジウム「アート&テクノロジーの相対化に向けて」Directed by Fujihata Masaki
第1回「アート&テクノロジーから宇宙技芸へ」
2024年12月1日(日)15:30〜19:00
登壇者:ユク・ホイ(哲学者)、ジョンソン・チャン(キュレーター)、藤幡正樹(メディアアーティスト)
モデレーター:原島大輔(思想家)
https://ccbt.rekibun.or.jp/events/artandtechnology9-10
シビック・クリエイティブ・ベース東京[CCBT]
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★01 京都大学で教鞭をとった哲学者西田幾多郎(1870 - 1945)と田邊元(1885 - 1962)、およびその教え子の哲学者たちが形成した学派。その定義・メンバーは研究者によって異説があるが、主なメンバーは西田、田邊、和辻哲郎(1889 - 1960)、久松真一(1889 - 1980)、西谷啓治(1900 - 1990)など。西洋哲学と東洋思想の融合をめざし、西洋哲学を単に受容するのではなく、日本の思想とどのように調和させるかを探究した。『人生論ノート』などで知られる三木清(1897 - 1945)やマルクス主義哲学者戸坂潤(1900 - 1945)も西田に哲学を学んだため、広義の京都学派とされることがある。第二世代の西谷・高坂正顕(1900 - 1969)・高山岩男(1905 - 1993)・鈴木成高(西洋史学者、1907 - 1988)は太平洋戦争中「近代の超克」を提唱し、海軍に接近した。このため敗戦後、京都学派は一時的に衰退したが、近年、国内外で再評価されつつある。

- ユク・ホイYuk Hui
- 哲学者。エラスムス・ロッテルダム大学教授として、同大学の「Human Conditions(人間の条件)」研究プログラムを担当。著書=『On the Existence of Digital Objects』(University of Minnesota Press, 2016)、『中国における技術への問い』(Urbanomic, 2016/邦訳:ゲンロン、2022年)、『再帰性と偶然性』(Rowman & Littlefield, 2019/邦訳:青土社、2022年)、『芸術と宇宙技芸』(University of Minnesota Press, 2021/邦訳:春秋社、2024年)、『Post-Europe』(Urbanomic/Sequence Press, 2024)など。「哲学と技術のリサーチネットワーク(Research Network for Philosophy and Technology)」主宰、バーグルエン哲学・文化賞審査員。
https://digitalmilieu.net/

- 原島大輔はらしま・だいすけ
- 早稲田大学次世代ロボット研究機構研究助手。基礎情報学/表象文化論。訳書に、ユク・ホイ『再帰性と偶然性』(2022年)、ティム・インゴルド『生きていること:動く、知る、記述する』(共訳、2021年)。著書に、Cybernetics for the 21st Century Vol. 1: Epistemological Reconstruction(共著、2024年)、『未来社会と「意味」の境界:記号創発システム論/ネオ・サイバネティクス/プラグマティズム』(共著、2023年)、『メディア論の冒険者たち』(共著、2023年)など。


