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魂の共異体としての遠野
【レポート】「遠野巡灯篭木2024」に寄せて
d Reviewでは、DISTANCE.mediaが深めたいテーマや問いを扱う本や映画、展覧会、プロジェクトなどをピックアップして、レビューします。
DISTANCEの編集委員であった、故・塚田有那さんが中心になって立ち上げた、「遠野巡灯篭木」。精霊、獣、妖怪、死者の魂まで、「異界のものたち」の気配が色濃く残る土地、岩手県遠野を舞台に、数百年の歴史を持つ郷土芸能と現代カルチャーを織り交ぜ、音楽、芸能、食という切り口から、目に見えぬものへの想像をめぐらせるカルチャーツアー&ライブイベントです。
その第4回目となる「遠野巡灯篭木」が、2024年10月に開催されました。生前の塚田さんとも交流と対話を重ねてきた、人類学者の石倉敏明さんに、遠野という豊饒な文脈のもとで、新しい祭りが生みだす意味について、繙いていただきました。
写真 鈴木香菜子
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Contents
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「遠野巡灯篭木」との出会い
2024年の10月、私は岩手県の遠野盆地にいた。周囲を北上高地の山々に囲まれた遠野盆地は、1910年(明治43年)に柳田國男[★01]★01が刊行した『遠野物語』の舞台として広く知られている。私はそこで、4回目となる「遠野巡灯篭木[★02]★02」に参加した。
「巡灯篭木」とは、遠野地方の盆行事の際に家の軒先に立つ「迎灯篭木」に由来する。迎灯篭木は、二階建ての家の屋根の高さほどの灯篭木を意味するが、初盆を迎える死者の霊魂はその灯篭木を手がかりに、山中の異界や浄土から自身の家に帰還するという。「遠野巡灯篭木」は、彷徨える霊魂の目印となる灯篭木を一つの象徴として、この地方に息づくさまざまな記憶と伝承を巡ることで、21世紀を生きる現代人に魂の問題を問いかけるプロジェクトだ。
「遠野巡灯篭木」では、遠野をめぐるフィールドワークやシンポジウム、郷土食を味わう晩餐、「シシ踊り」を体験するワークショップ、そして現代の音楽家と伝統的なシシ踊りの共演による音楽ライブが開催されている。さまざまなプログラムを通して、参加者はみずから遠野に集う一つの魂となって、広い盆地のさまざまな場所を巡ることになる。私も昨年から、これらに参加するようになった。

- 舞台となった六神石神社
企画の中心人物の一人である富川岳は、遠野に移り住んでデザインや観光の仕事を続けながら、この地域の歴史と文化を学び続ける若者である。彼は、東京都内の広告代理店を経て独立し、遠野に移住した。そして、かつて遠野市の遠野物語研究所で副所長を務めた大橋進と共に『遠野物語』ゆかりの土地を歩き、また積極的に踊りを習ってみずから張山しし踊りの担い手となった。そもそも富川が『遠野物語』と出会い、そのテキストの奥に広がる遠野地方の深々とした自然や文化を探訪するようになったのは、遠野に移住したことが契機であったという。
遠野郷はかつて、北上高地の中央部に開かれた旧盛岡藩の城下町であり、内陸部と三陸海岸を結ぶ交易の要衝地でもあった。『遠野物語』序文にあるように、この盆地は、古くは広大な湖水に満たされていた、という古い伝承がある(同様の湖水伝説は最上盆地・甲府盆地・湯布院盆地など日本列島の盆地にも多く、さらにはネパールのカトマンドゥ盆地などにも同様の伝説が残されている)。縄文時代にはこの地に暮らす人びとがユニークな文化を生み出し、中世には阿曽沼氏の統治する遠野城下が築かれた。『遠野物語』に描かれているように、この地方には山人(山男・山女)、天狗、雪女、河童、オシラサマ、座敷わらしといった不思議な存在が登場する、きわめてユニークな民話の数々が伝えられてきた。
「遠野物語」と「シシ踊り」は、遠野に移り住んでからの富川の関心を成す、二つの活動の中心といってよいだろう。遠野で芽生えた富川の好奇心は、この二つの活動領域を往還してダイナミックに渦を巻き、遠野盆地に暮らす多様な人びとと彼をつなげていった。さらに、彼の活動は遠野の内外にいる多様なバックグラウンドを持つ人びとを誘発し、彼ら・彼女らと共に大きな関心のうねりを生み出した。そしてコロナ禍で世界中の人びとがさまざまな困難に向き合っていた2021年に、彼は現地の仲間や東京在住の有志と一緒に「遠野巡灯篭木」のプロジェクトを立ち上げたのだった。

- 富川岳
『遠野物語』の再発見
よく知られているように、『遠野物語』はこの遠野地方出身で文学者を志していた若き佐々木喜善[★03]★03が、東京で知遇を得た農政官僚時代の柳田國男に語り、立派な文語体の物語として出版されたものだ。『遠野物語』はこれらの民話を語って聞かせた喜善の語りをもとに柳田自身が「一字一句をも加減せず感じたるままを」書き記すことによって完成したものである。富川が大橋との出会いによって遠野に関心を抱いたように、柳田は東京での佐々木喜善との出会いによって、彼の地に想いを馳せた。
喜善は多くの民話を子どもの頃から聞き、記憶していたのだったが、柳田は、喜善の語る郷里の不思議な民話に深く魅せられ、まるで古代の物語集のような雰囲気のある文語体の文章で、この記念碑的な著作を書いた。それは喜善という語り手による郷里の民話集であると同時に、彼の声を通して語られる民話を素材とする文学作品でもある。『遠野物語』は初版350部の自費出版として刊行され、その後100年以上にわたって現代まで読み継がれる古典に成長していった。
『遠野物語』は完結した作家の想像文学ではなく、現実に存在するローカルな歴史と記憶に連なるオープン・エンドの構造体である。それは、柳田が喜善の声を通して何を聴き取り、何をテキスト化したのか、ということを刻印する生きた記録にもなっている。このテキストを含む初期の三つの著作は、柳田を文学者と農政官僚という二つの分裂した人格を縫合し、民俗学者という三つ目の人格を与えることになった。それは国内外の歴史と物語に精通した創造的な文学者を志した若き柳田と、貧しい日本の農村を救済しようとする優秀な官僚であった彼の公的人格を統合し、いわば歴史と政治と文学の彼方に民俗学という新たな国民国家時代の座標を与えたのである。
多くの研究者が論じているように、『遠野物語』に描かれているような山人や非人間への関心から柳田は「常民」と名付けた農耕文化以後の日本人イメージの構築へと向かうが、それを可能にしたのはこの物語の序文にある有名な「平地人を戦慄せしめよ」という「山人の視線」の獲得であり、それによって山地に刻まれた歴史以前の記憶を排除することなく「常民の歴史」を問うことが課題となる。
それは人間的な空間である里(街・村・田畑・街道)と人間ならざるさまざまな生物と共に神や仏、そして祖先の霊が住まう空間とされてきた山(奥山・里山・河川・岩石等)という空間をつなぐ視点の獲得であり、いわば死者や神仏、そして「シシ踊り」が体現するような人間ならざる異類のものたちの視点を組み込んだ学問の創造を意味していた。こうして日本人とは何か、という複合的な民俗学の関心が浮き彫りになり、後世に持続していった。
『遠野物語』は東北地方の一つの小さな地域の物語集という意義を超えて、日本列島の歴史民俗に関わる大きなプロジェクトを呼び覚ます起爆材となっていった。折口信夫[★04]★04やニコライ・ネフスキー[★05]★05のような民俗学者ばかりではなく、三島由紀夫、今西錦司[★06]★06、桑原武夫[★07]★07、吉本隆明といった幅広い知識人に刺激を与え、多くの研究者が遠野を訪れるようになった。
第二次世界大戦後には後藤総一郎[★08]★08が主催する遠野常民大学や遠野物語研究所といった市民と研究者の共同活動による画期的な研究組織が生まれ、平成期には民俗学を専門とする全国初の地域博物館である遠野市博物館も設立された。遠野はまた、人をとりまく不思議な存在を「妖怪」としてとらえるサブカルチャーや、妖怪学のような新しい視点の学問にとっても、特別な意味をもつ土地となっていった。
構成員の高齢化などの理由により、遠野物語研究所は残念ながら2014年に閉鎖されたが、その活動の一部は新たな研究センターや市民組織に引き継がれている。遠野では、このように長い時間をかけて地域研究が進み、大学や博物館などの研究施設に所属する専門家と市民たち自身の地道な研究が蓄積された。遠野に豊かな知の土壌が育っていったのは、このような蓄積の賜物であった。
後に移住してきた富川が遠野の地に見出したのは、実はこのように蓄積された歴史的な果実であったといえるだろう。実は、彼が遠野に移住した2016年頃には、これまでの遠野物語研究者が蓄積してきたさまざまな研究が実り、博物館の展示やカタログ、研究者たちの成果となる重要な資料に容易にアクセスできる状況が整っていた。と同時に、遠野ではそれまでの地道な市民研究を続けてきた遠野物語研究所が閉鎖されるなど、重要な蓄積に貢献してきたこれまでのフォーマットが見直され、再編されようとしてきた時期でもあった。
たとえば2007年に始まる遠野市の「遠野遺産」認定制度によって、遠野では2010年代までに①有形遺産、②無形遺産、③自然遺産、④複合遺産という四つの基準に従って多くの伝承地や文化財、郷土芸能、古くからの聖地が統一的な視野のもとに保護され、地域資源としても活用されるようになった。富川が遠野移住後に師事した大橋進は、遠野の元高校教師で地域史研究を続け、遠野物語研究所時代は高柳俊郎所長と共に、こうした地域資源を再発見し、新たな視点で評価しようとする基盤を作ることに大きな貢献を果たした人物である。
富川は大橋という師を得た後、テキストとしての遠野物語を超えて、遠野という土地そのものを深く探訪するフィールドワークを重ねていくことになる。その過程は2023年に上梓された自費出版書籍『本当にはじめての遠野物語』にも綴られており、私たちは彼の足跡を辿ることができる。大橋と出会った富川は、「まずは野に出よう」という大橋の誘いに応じて曇りのない視点で地域を再発見しようとした。彼らにとって、遠野物語は単なる学術書でもファンタジーでもなかった。「実在の人物が登場し、『事件』が起きた場所も特定されている。その現場を訪ねよう」という大橋の誘いは、富川の実践に限らず、その後の遠野物語研究にとって大きな意味を持つ問いかけをはらんでいたと考えることができるだろう。
新たな祭礼と遠野のシシ踊り
「遠野巡灯篭木」がスタートする2021年までには、富川は『遠野物語』の世界にすっかり魅了されていたようだ。とはいえ、その契機はあくまでも、大橋とのフィールドワークや文献の読み直しといった地道な活動にあった。そして、先述したように彼にとって「シシ踊り」という郷土芸能との出会いが決定的であり、彼自身が張山しし踊りの一員として踊りを習うようになってから、その活動はより立体的に、遠野地域のコスモロジーに迫るようになっていった。遠野には『遠野物語』にも登場するシシ踊りをはじめとするさまざまな郷土芸能が継承されている。
「シシ踊り」とは、いくつもの動物イメージが混ざり合った迫力溢れる面をつけて躍動する、ユニークな郷土芸能だ。『遠野物語』では序文において、柳田が念願の遠野に訪れた際に、菅原神社例祭で張山しし踊りに出会う印象的な記述があり、最終話にあたる119話にもシシ踊りの具体的な演目の記述がある。遠野では現在でも16のシシ踊り団体が独自の踊りを継承し、活動を続けている。
しかし、それらは太古から連綿と続いてきたわけではなく、時代に応じて廃れたり、復活したりしながら現代に残ってきているものだ。張山しし踊りもまた、その長い歴史のなかで変遷を繰り返しながら現在のような演目をレパートリーとするようになり、また富川のような移住者を主要な担い手として受け入れ、「刀掛け」と呼ばれるシシの相方に女性を受け入れるなどの変革を経て現在に至っている。

- 遠野の民俗芸能「シシ踊り」
さて、「遠野物語」と「シシ踊り」の二つを活動の中心としてきた富川は、東京を拠点とするプロデューサー/キュレーター/編集者の塚田有那、映画監督の坂本麻人と出会うことで、「遠野巡灯篭木」のプロジェクトに関わることになる。塚田は科学コミュニケーションの領域から現代アート、マンガやアニメなどのサブカルチャーなどを超領域的に横断し、ユニークな書籍や展覧会を実現してきたプロデューサーだ。彼女はその幅広い関心から遠野という土地が育んできた多層的な現実に関心を抱き、リサーチを続けていった。
坂本は塚田と協働しながら、音楽と映像を越境する新たな表現を探究する映画監督として頭角を表していた。後に『ミルクの中のイワナ』として結実する日本列島の河川とイワナの生態系をめぐる映像制作の探究にとっても、坂本が遠野で取り組んできた釣りの体験は重要な意味を持ったという。この三人が出会い、とりわけシシ踊りにフォーカスしながら遠野の民間信仰や遠野地域の文化資源を調査することによって、「遠野巡灯篭木」の構想が膨らんでいった。
三人の出会いは、さらなる創造の渦を派生させていくことになる。遠野で富川と出会った塚田と坂本は、日本土着の死生観について訪ね歩いた短編ドキュメンタリー映像作品『DIALOGUE WITH ANIMA』[★09]★09を2021年に発表した。また、この映像と並行するかたちでこれまでにないスタディツアー「遠野巡灯篭木」を企画構想し、実際にこれを現実化することになった。この構想の中心となったのは、プロデューサーの塚田であった。幸い、この企画は大きな成功を収めた。とりわけ、このツアーに組み込まれた遠野の神社を舞台とする祭礼ライブは、回を追うごとに実験的なコラボレーションを重ね、興味深い展開を見せていった。
このライブは、基本的には現地の素朴で力強いシシ踊りの芸能に、実験的な電子音楽のトラックを重ね、現代の祭礼として参加者にその創発の場を提供しようとするものである。そこでは単に形式的な伝統と現代の邂逅をめざすだけではなく、遠野の山間地に位置する神社での音響体験や具体的な踊りの所作の次元でシシ踊りの身体表現としての可能性を拡張している。
当初、張山しし踊りだけであった現地の参加団体も2023年からは板澤しし踊りというもう一つの流派との共演に発展し、毎年目が覚めるようなコラボレーションが生み出されている。また、参加する音楽家も Kuniyuki Takahashi[★10]★10、Daisuke Tanabe[★11]★11、Yosi Horikawa[★12]★12、コムアイ[★13]★13、OLAibi[★14]★14、Saskia[★15]★15といった多様な面々が加わり、回を追うごとに刺激的で稀有なパフォーマンスが生み出されている。

- パフォーマンスするコムアイとKuniyuki Takahashi
「魂の共異体」としての遠野
以上は私が参加するようになってから垣間見たこのプロジェクトの概要と歴史を簡単に紹介したものにすぎない。「遠野巡灯篭木」は日本各地で行われている伝統的な芸能や地域文化の再評価、あるいは文化資源の利活用という視点から、今後もさまざまな角度で解釈され、評価されて行くだろうと私は考える。
だが、それだけではないだろう。コロナ禍の渦中に生まれたこのプロジェクトは、移動と共有が難しい時代に生まれた新たな旅の可能性を参加者に提供し、ゲストとホストという二つの極に分裂しがちな旅の経験を、異なる立場から参集したものたちによる「魂の接触領域(コンタクト・ゾーン)」という新たな機会に作りかえることにつながった。
そのことを私に強烈に意識させてくれたのは、実はこのプロジェクトにとって最も大きな危機といえる、2023年に生じた悲しい出来事を通してであった。それは、塚田有那とOLAibiという私たちにとっての重要な友人を相次いで失い、彼女たちがもはや同じ生者としては存在していないという事実を認めざるをえない、という喪失の体験にほかならない。
2023年9月に第3回の「遠野巡灯篭木」に参加した私は、このツアーが単なる観光の新しい形式を示唆しているだけではなく、私が近年研究する「共異体」という主題にとってきわめて重要な発見を与えてくれていることに気づいた。「共異体」とは、異なった思想や身体を持つ私たちが互いに異なったまま体験を共有する集合の形式であり、それはたとえばシシ踊りのような人と動物の共異的な身体イメージの獲得や、『遠野物語』のような人間ならざるものたちの登場するフォークロアの世界に、実に活き活きと現れている。
つまり、「共異体」とは、単なる理想や幻想ではなく、人と人ならざるものの共存の形式であり、具体的には動植物や微生物といった生命環境、気象や土壌や風土といった自然環境、そしてその土地の歴史や記憶といった社会環境を統合し、私たちが他者の同一化や差異の均質化といった権力や統治に抗うための指針にもなりうる原理である。そのことを、遠野という土地は私に教えてくれたのだ。
2023年の10月に、OLAibiを私たちは失った。そして、12月には塚田を失った。二人の友人たちが生を全うしたことを、私はこのプロジェクトに参加しながら大きな喪失の体験として受け止めていた。塚田は彼女が生を全うする直前のシンポジウムで、彼女の深い理解者であるドミニク・チェン、刑事法の専門家である稲谷龍彦、私、そしてアーティストの大小島真木が登壇するシンポジウムを企画し、声を振り絞りながら司会を最後まで立派にやり遂げた。
私は「共異体」という問いを共有し、それについて真摯な応答をしてくれる登壇者の存在にどれだけ励まされたかわからない。遠野で生まれつつある実験的な旅と祭礼ライブ、そしてそれらと連動して制作されてきた音楽・映像・書籍といったマルチメディア環境のなかで、塚田は何度も、「共異体」についての問いを私に投げかけてくれた。そのお蔭で、私は『遠野物語』が単なる「農村共同体にとっての幻想」ではなく、「ローカルな共異体にとっての現実」を記した本として再評価できるのではないか、と考えるようになった。それからしばらくして塚田は旅立った。友人たちが集うお別れ会では、遠野から駆けつけた富川が渾身のシシ踊りを披露し、彼女を供養した。
2024年の「遠野巡灯篭木」の開催は危ぶまれたのだったが、富川と坂本はそれを新たな形式で継承することを決めたのだった。塚田が立ち上げた一般社団法人Whole Universeの遠野における活動は坂本を中心として、新たに理事となったドミニク、そしてこれまでも企画制作など多岐に渡って塚田の活動を支えてきた清水聡美の参加によって継続されることになった。ここでは、はじめての取り組みとして、参加者それぞれの興味・関心に合わせて自由に行程を組むことができるセルフビルド・ツアーの形式が採用された。また、散策中にも聴くことができるPodcastによるオーディオガイドが提供された[★16]★16。
恒例となった祭礼ライブでは、初盆の際にそうするように、二人の逝去した友人たちの魂を迎えるために二本の「迎灯篭木」が高く掲げられた。ドミニク、坂本、私、コムアイの登壇するシンポジウムでは「魂の共異体としての遠野」という主題で、遠野に参集する魂の旅について語り合った。私たちは、そこではじめて宗教や神話ではない具体的な何かによって、現実に発生した喪失と喪の時間を共有し、新たな祝祭の場において生者と死者が邂逅する場を共有したのである。それは幻想ではなく、紛れもない現実だった。
遠野の民間伝承や芸能は、こんなふうに伝統的な形態に時代ごとの新たな試みが加わり、複層化している。「遠野巡灯篭木」はそのなかで、生者と死者の魂が出会う新しい祭りとして、今後も遠野盆地に歴史を刻むだろう。遠野という土地に生まれた現代人の魂のプラットホームとして、それはこの後も重要な役割を担って行くだろうという予感と確信が、私にはある。
★01 (1875-1962)。民俗学者。飾磨県神東郡辻川村(現在の兵庫県神崎郡福崎町辻川)生まれ。東京帝国大学で農政学を学んだのち、農商務省に入り、官僚として日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。『遠野物語』をはじめ、数多くの著作を執筆し、日本民俗学を確立した。★02 https://2024.meguritoroge.com/ ★03 (1886-1933)。民俗学者、文学者。オシラサマやザシキワラシなどの研究と、民話・昔話の収集家として、日本の民俗学、口承文学研究に大きな功績を残した。★04 (1887-1953)。民俗学者、国文学者。「マレビト」「常世」といった独自の概念を生み出し、戦前、戦後を通じて、国文学と民俗学に決定的な影響を与えた。★05 (1892-1937)。ロシア人の言語学者。日本旅行から後に留学し、宮古島の方言のほか、アイヌ語などを研究。柳田や折口と交流した。ソ連帰国後、スターリンの粛清で銃殺される。★06 (1902-1992)。生物学者、生態学者。カゲロウの研究を通して「棲(す)みわけ理論」を提唱。日本の霊長類学の創始者でもあり、京都大学霊長類研究所を立ち上げた。また、ヒマラヤの探検家としても活躍した。★07 (1904-1988)。フランス文学者。スタンダール、アラン、ルソーなどの研究を通じて、広くフランスの文学及び評論を紹介した。★08 (1933-2003)。思想史学者。柳田國男研究で知られ、思想史研究に柳田の民俗学を取り入れた民俗思想史を開拓した。★09 DIALOGUE WITH ANIMA 予告編https://www.youtube.com/watch?v=nNo8FaTHW6o★10 札幌を拠点に活動するサウンドプロデューサー兼サウンドエンジニア★11 エレクトロニカ、ダンスミュージックシーンで活動を行うサウンドプロデューサー。★12 環境音や日常音などを録音・編集し楽曲を構築するサウンド・クリエイター。★13 音楽を中心に、ファッション、アート、カルチャーなどを横断しながら活動するアーティスト、パフォーマー。★14 広大な森に移り住み、森の生物の生態や音と向き合いながら活動する音楽家、パーカッショニスト。★15 実験的なエレクトロニカサウンドを特徴とするアーティスト。★16 遠野巡灯篭木‘24-オーディオガイドhttps://open.spotify.com/show/3wLlnPc04puoOlmWEhuOGi

- 石倉敏明いしくら・としあき
- 1974年東京生まれ。芸術人類学者。秋田公立美術大学准教授。シッキム、ダージリン、ネパール、東北日本等でフィールド調査を行い、環太平洋の比較神話学やアーティストとの共同制作をおこなう。2019年、第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際芸術祭日本館展示「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」に参加。共著書に『野生めぐりーー列島神話の源流に触れる12の旅』『Lexicon 現代人類学』『モア・ザン・ヒューマンーーマルチスピーシーズ人類学と環境人文学』など。

