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〈東大・渡邉英徳教授に聴く〉 テクノロジーで、体験していない戦争の記憶を継承できるのか?

【レポート】「ミライの平和活動展 in 長崎――テクノロジーでつながる世界」

テクノロジーによって、原爆はいま、ここに記憶されるものになるの画像
ナガサキ・アーカイブと渡邉英徳教授

本シリーズでは、「記憶のケア」というテーマのもと、わたしたちの情報環境を見つめ直します。2024年8月4日から8日にかけて長崎市役所で開催された、東京大学大学院 渡邉英徳研究室他による「ミライの平和活動展 in 長崎 ——テクノロジーでつながる世界」は、戦争とメディア・テクノロジーの現在を教えてくれる展示でした。

この展示が挑戦していた問いは、ずばり「体験したことのない戦争の記憶を、いかにひとびとが記憶するか」。サイエンスライターの森旭彦さんが、戦争とメディアの歴史を紐解きながら、新しいテクノロジーをもちいて、戦争をこれからの未来に伝え、記憶するという、渡邉研究室の挑戦をレポートします。

取材執筆・撮影:森旭彦

Contents

    ひとはメディアを通して戦争をみている

    戦争の歴史とは、メディアの歴史だ。正しくは、メディアによる戦争の報道や認識のされ方は世論や軍事戦略に大きな影響を与えるということだ。 第一次および第二次世界大戦においてマスメディアが大々的にプロパガンダ[★01]★01に利用されたことは、ナチス・ドイツのエピソードなどで広く知られている。そして1960年代を中核とするベトナム戦争は、初めて大々的にテレビ中継された、テレビ戦争だった。

    1991年のイラク戦争は、ケーブルニュース(ケーブルテレビネットワークを通じて放送されるニュース)が戦争を映した「CNN 戦争」と呼ばれている。そして2003年のアメリカによるイラク侵攻は後に「YouTube戦争」と呼ばれるようになった。現在も続くロシアによるウクライナ侵攻を「TikTok 戦争」と呼んだのはニューヨーク・タイムズだが、2003年には現在にも通じる方法でYouTubeは戦争を映していた。つまり、2000年代において、戦争はブロードキャストされるものから、アップロードされるものに変わっている。銃撃戦や自爆テロの残虐映像が、突然私たちの日常のタイムラインに流れ込んでくる、あの強烈な体験の源流はこの時期にある。

    現在の戦争とメディアの関係において重要なのは、デジタルテクノロジーだ。中でもVRはジャーナリズムのいちジャンルとして着実な地位を築きつつあり、戦争報道においても数多くのVRコンテンツがある。たとえばニューヨーク・タイムズは、VRをすでに報道に利用している。2016年8月に公開された「The Fight for Falluja」はイラク軍がISISから重要な戦略都市ファルージャを奪還するまでの戦いがVRでレポートされたものだ。

    また、ベテランの戦争特派員らによって設立されたウクライナの非営利団体「2402ファウンデーション」は、記者らに向け、敵地で生き残り、危機的状況を乗り越える技術と知見を提供している。そこでジャーナリストたちのトレーニングに用いられている教材にも、最先端のVRテクノロジーが活用されている。

    戦災を歩くVR

    テクノロジーを利用し、戦争を伝えることで、私たちの戦争の記憶の仕方を変えることができる。それは(本当に幸せなことだが)日本に住む多くの人にとっては体験したことのない戦争の記憶を、バーチャルに記憶することを可能にする。この“バーチャル”とは、現実と同じ効果を持つ「もうひとつの現実」という意味だ。さらには、戦争を通して心に深い傷を負った人にとって、その深い傷をかろうじて受け止めるための、選択肢になり得るのかもしれない。それがまさに『ミライの平和活動展 in 長崎——テクノロジーでつながる世界』にあったものだ。

    テクノロジーによって、原爆はいま、ここに記憶されるものになるの画像

    展示作品のひとつ「戦災VR」は、地元のクリエイターが収録した3Dデータのウクライナの被災地を、一人称視点でVR体験できるというものだ。実際の戦災の現場を仮想空間で自由に見回すことができる。「3Dフォトグラメトリの技術を用いることで、戦災の写真の中で歩いてみることができます。これにより、新たな体験を創出することを目指しています」とインタビューに応じてくれた制作者の小松尚平さんは話す。小松さんは東京大学大学院 渡邉英徳研究室でVRの研究をしている。「私は父親から戦争の体験を聞いて育ちました。しかしこれからの世代は、親族に戦争経験者がいない。その中でいかに戦争を忘却させないようにするかが、制作のモチベーションです」(小松さん)

    3Dフォトグラメトリとは、写真を使って物体や場所を3次元モデルとして再現する技術のことだ。具体的には、さまざまな角度から撮影した多数の写真を使用し、それらをソフトウェアで解析して3Dモデルを生成する。被写体の形状、テクスチャ、色彩などを高精度に再現できるため、現実の物体や風景をデジタルで忠実に再構築することが可能だ。建築や映画制作、ゲーム開発など幅広い分野で利用されている。

    また、もうひとつの展示作品「古写真VR」は、写真の中をユーザ自身のアバターで歩き回る体験ができる。まず体験者は全身をスキャンし、自分のアバターを作製する。そしてこのアバターによって、1945年当時の被災写真の中を歩くことができる。 「(戦災を体験するものとして)ダークツーリズム(災害や戦災の地を訪問するツーリズム)がありますが、現在の戦災地域に行くことは難しいものです。古写真VRの技術はアバターをコントロールし、行くことのできない場所の中を歩く経験ができます。これによって、戦争の状況を、既存の写真や動画以外の方法で保存することを試みています」と小松さんは話す。

    実際に体験してみると、どちらも自分の視点が対象の中に置かれることによって、その中でした発見を自分の体験にできるように感じられた。この経験は、ただ第三者として写真や映像を見ているときとは、まるで異なるものだった。VRの研究者の中には、私たちの脳は自分以外の身体での経験を、自分の経験として記憶できる柔軟性があると考える人もいるが、それに近い経験だったと言える。

    小松さんは、中東の衛星テレビ局アルジャジーラにも訪問しており、現地のジャーナリストにこれらのVRを体験してもらったという。「彼らがVRによる没入が、報道における文脈を伝える上で重要だと考えていたことは印象的でした」と小松さんは振り返る。

    これを契機に、東京大学大学院情報学環メディア・コンテンツ総合研究機構とアルジャジーラ・メディア・ネットワークは、ガザ地区の戦争被害を体験できるVRコンテンツの共同開発に関するMOUを締結することになった。試作版として、2023年11月にイスラエル軍に破壊された、ガザ地区の「アル・シファ病院」被害を3Dデータで再現し、Webブラウザで操作可能なアプリケーションを公開している。今後はより高度なインタラクションを加えた「ストーリーテリングVRコンテンツ」の開発をめざしているという。

    テクノロジーによって、原爆はいま、ここに記憶されるものになるの画像
    「戦災VR」と「古写真VR」を制作した小松尚平さん

    原爆を自分と近づけるテクノロジー

    会場の中央に、7つのディスプレイで展示されていたものが、渡邉英徳教授による「ナガサキ・アーカイブ」だ。1945年8月9日に原子爆弾が炸裂した爆心、その当時に被爆者が実際に被災した場所、インタビューを通して詳細に書かれた被爆当時のエピソードが、デジタルアースのVR空間上にある長崎の上にマッピングされている。さらりと紹介をしてしまったが、これは現在私たちが日常で、たとえばレストランに行くときに使っているようなマップと同じものだ。そのインターフェイス上で、爆心地を流れる浦上川に積み上げられた、赤くはれあがった死体の山や、母親や幼い兄妹が次々と死んでいく様子を追体験することになる。

    ナガサキ・アーカイブは、渡邉教授が制作している「多元的デジタルアーカイブズ・シリーズ」のひとつで、先の小松さんの古写真VRは、「ヒロシマ・アーカイブ」(広島平和記念資料館、広島女学院同窓会、八王子原爆被爆者の会、中国新聞社などから得た資料を、デジタル化された地球儀上に置いたデジタルアーカイブ)をもとにしている。多元的デジタルアーカイブズ・シリーズのテーマは多岐にわたっており、「能登半島地震・水害 崩壊範囲3Dマップ」や「ガザ地区 日本支援施設の被害マップ」などがある。

    ヒロシマ・アーカイブ

    「自分と近づける」と、渡邉教授はナガサキ・アーカイブをはじめとした、「ミライの平和活動展 in 長崎」の展示作品において貫かれているコンセプトについて話す。

    「自分と近づけるということは、体験する人が日常生活の中でその出来事(ナガサキ・アーカイブの場合は原爆)をより身近に感じられるようにすることです。徹頭徹尾、そのための手法としてデジタルテクノロジーを用いています。たとえば、マッピングやAIによるカラー化といった技術も、歴史的な出来事を視覚的に再現し、それを現代の日常に引き寄せることが目的です。展示では、子供たちが日常的に遊んでいるマインクラフトなどのプラットフォームもワークショップで用いていますが、体験者にとって過去の出来事が単なる情報ではなく、自分ごととして感じられるようにするのが目的です」(渡邉教授)

    ナガサキ・アーカイブには、被爆直後に撮影された写真も収められている。それらが現在の写真と重層表示されることで、実際の被害規模や、長崎の復興の様子を、現在を尺度にして知ることができる。また、ナガサキ・アーカイブの制作には、監修をつとめた長崎新聞社が保管していた被爆者の証言(文章)、高校生一万人署名活動実行委員会から提供された被爆者の証言映像などが活用されている。

    人々の想いが複数のプロジェクトに発展した

    ナガサキ・アーカイブが生まれたきっかけは、渡邉教授が2009年に発表した「ツバル・ビジュアライゼーション・プロジェクト」だった。このプロジェクトは、温暖化による海面上昇で海に沈む可能性がある南太平洋のツバルという島国に住む人々の顔写真を地図上にマッピングし、その暮らしやストーリーを伝えるものだった。このプロジェクトが文化庁メディア芸術祭で受賞(第13回 アート部門 審査委員会推薦作品)し、展示されたことをきっかけに、長崎の被爆三世の若者たちがこれを見て、「同じ方法で長崎の記憶を伝えられないか?」と渡邉教授に提案したことがナガサキ・アーカイブのスタートだったという。「英語でつくっていたこともあって、最初は日本語を話さない人だと思われていました(笑)。メールも全部英語だったんですよ」(渡邉教授)

    その後、ナガサキ・アーカイブを見た広島の被爆二世からの手紙によって、ヒロシマ・アーカイブも制作された。渡邉教授の研究室では、災害や戦災に関連したビジュアライズのプロジェクトが多数ある。実際に報道メディアとコラボレーションすることも多いが、「私たちはストーリーテリングの責任は負わないスタンスをとっています」と話す。「私たちは、事実をテクノロジーを活用して表現することにのみ重点を置いています。自分たちの主張や意見を入れないということです。メディアと協力する際には、それぞれの役割分担を守り、専門領域に集中することで、良い結果を生み出すことができると考えています」(渡邉教授)

    初めてとなった長崎市での展示には多くの市民が訪れ盛況だったという。「もっとも印象的だったのは、被爆者の方々が大勢いらっしゃったことです」と渡邉教授は振り返る。

    「皆さんご高齢なので、市役所の会場に足を運ぶのは難しいのではと思っていました。しかし、初日の開催告知がテレビ番組で放送されると、それを老人ホームでご覧になった方々が『ぜひ行きたいね』と話題にされ、介護の方々と一緒に車椅子で会場にいらっしゃいました。長時間にわたり展示を体験されていたのは印象的でした。明確に感想を述べられることは少なかったものの、熱心にご覧いただいたり、『確かにこうだったな』とリアルに状況が再現されていることを実感していただいたようでした。特にVRを通して、当時の体験を再び感じ取っていただけたことが、とても嬉しかったです」(渡邉教授)

    原爆は、過ぎ去った現実ではない。いまもここにあり、私たちと、世界情勢において重要な役割を果たす、もうひとつの現実なのだ。ナガサキ・アーカイブは、それをテクノロジーで実装した、私たちの記憶だ。「ミライの平和活動展 in 長崎」には、世界からこの記憶が忘却されないことを願う制作者たちの思いがつまっていた。

    ★01 特定の思想や政治的メッセージを広めるために、情報を操作し宣伝する行為である。多くの場合、政府や団体が国民や特定の集団の意見や行動を誘導するために行う。事実を歪めたり、一部を誇張することで人々の認識や感情に影響を与えようとする。歴史的には、戦時中に国民の支持を得る手段として多く使われ、現代においても政治や広告、メディアの分野でその手法が見られる。

    渡邉英徳わたなべ ひでのり
    1974年生。東京理科大学理工学部建築学科卒業(卒業設計賞受賞)、筑波大学大学院システム情報工学研究科博士後期課程修了、博士(工学)。株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメント、首都大学東京システムデザイン学部准教授を経て、2018年より東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授。京都大学地域研究統合情報センター客員准教授、ハーバード大学エドウィン・O・ライシャワー日本研究所客員研究員などを歴任。現在、東京大学広報戦略本部広報室・副室長。
    小松尚平こまつ しょうへい
    1989年生まれ。VR研究者、デザインエンジニア。東京大学 広報戦略本部ブランドスタジオ/特任研究員、高知大学医学部 特任講師。一般社団法人デザインシップ 理事、株式会社BiPSEE 取締役CPO、LITEVIEW株式会社 共同創業者。主な受賞歴に「グッドデザイン賞」「日テレイマジナリウムアワード2023 XR部門大賞」など。

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