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世界が一つではないように、デザインも一つではない

【書評】アルトゥール・エスコバル『多元世界に向けたデザイン』

〈仮説〉は空中からでも動き始めるの画像
アルトゥール・エスコバル『多元世界に向けたデザインーーラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』、BNN、2024年

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今回取り上げるのは、世界中のデザインスクールで課題図書になっている、開発人類学者のアルトゥール・エスコバルの『多元世界に向けたデザイン』。西洋近代の生み出した単一的な世界像とは異なる、複数の世界が並存しうる可能性を探求した一冊。

『コ・デザイン』で、デザインのもつ潜在的な力を分かりやすく説いた、デザイン研究者の上平崇仁さんが、500ページある本書の魅力を紐解きます。

Contents

    世界はひとつではない

    すでに多くの人は忘れつつあるような気もするが、2024年は〈うるう年〉だった。パリでオリンピックが開催され、2月の暦の最後にはこっそり29日が付け足されていた。2月29日。考えてみれば、これは不思議な一日である。その日何していたっけ、と自分の記録を少し遡ってみるといい。何も疑わずにメッセージをやりとりしたり、何かの予定を入れて実行したりしていたはずだ。月末までの締切が伸びて命拾いした人もいるかもしれない。我々にとって、当たり前のようにその日は「あった」。この2月29日が実在するのは、グレゴリオ暦という人工物によって世界中の日付がフォーマットされているからである。一方で、同じカレンダーを持たない人々や、人間以外の存在(動植物や微生物たち)にとっては、この日は「ない」。自然界の生き物たちは、それぞれの環世界の中で形成された体内時計のリズムを、自分自身の生命力の中で調整しながら日々を生きている。だから、同じ日を過ごしているように見えても、それぞれは違う。世界はひとつではない。

    それが「ある」ことによって生成する

    暦、すなわちカレンダーは人間が発明したものである。月/日を共有する道具となり、使われる中で一定のルールを我々に与えていく。一見するとただの数字とそれを囲む枠に過ぎないけれども、その枠の中に何を見るか、何を感じるかは、その人が社会的に何者であるかを鏡のように反映して決まっている。休日がやってくるリズムだけではなく、従事する職種によっては休日と勤務日も入れ替わるし、被雇用者であれば労働可能な範囲にまで影響する。誰かによってつくられた人工物の枠を日々覗き込むことで、我々のあり方はかたちづくられている。換言すれば、“デザインされている”。

    カレンダーはあくまでも一例にすぎない。我々はデザインされたものごとに囲まれて生活しているわけだが、それらがいかに自分の行動や可能性の範囲を決めているかについて普段はそれほど意識しない。でも新しくモノを使い始めると、それが起点となって我々の認識や行動を変化させるし、モノはそれ自体でさらに別のものごとと結びつき、新しいデザインの起点となる。見えにくいけれども、あらゆる地球上のものは相互に影響しあっている。こんなふうに、デザインされたものが実際にどんなふうに実行されるかを丁寧に見ていくと、それまでの一般的な理解の仕方とは違った捉え方が必要になることが見えてくる。デザインの過程は、通常思われているようにあらかじめ設定した問題を解決して終わるような因果的なものではなく、つねに何かが別のなにかにフィードバックを与え、お互いがお互いを生み出しつづける終わりのない循環の中にあることになる。それは「存在論的デザイン(Ontological Design)」と呼ばれている。さまざまな人工物・自然物、そして人間含むさまざまな生命体が、その世界に「ある」こと(存在)によって、何らかの対象に異なるルールをつくりだす力を一種のデザインと見なすものである。

    デザインという行為と人間のあいだにこうした厄介な相互作用が埋め込まれていることは、哲学者のフェルナンド・フローレス[★01]★01とコンピュータ科学者のテリー・ウィノグラード[★02]★02による名著『コンピュータと認知を理解する』において指摘された[★03]★03。今から30年以上前のことである。しかし当時はちょうどコンピュータが社会へ普及し始め、IT産業が急成長していた時代。ITによっていつでも・どこでも・誰とでも繋がることで世界は良くなるという楽観的なテクノロジーへの信奉が強まり、深淵を覗くような哲学的な議論に真剣になる人はそれほど多くなかった。しかし、しばらく時間をおいて近年の人類学で起こった存在論的転回の潮流と融合し、再評価されることとなる。そのきっかけをつくりだし、世界中のデザイン研究者を刺激したのが、コロンビアにルーツを持つ開発人類学者アルトゥール・エスコバルによる著書、『多元世界に向けたデザインーーラディカルな相互依存性、自治と自律、そして複数の世界をつくること』[★04]★04である。

    〈仮説〉は空中からでも動き始めるの画像
    1952年、コロンビア生まれの人類学者。米国ノースカロライナ大学チャペルヒル校名誉教授。カルダス大学マニサレス校のデザインとクリエイション博士課程およびカリ大学環境科学の博士課程兼任教授。著書に『開発との遭遇ーー第三世界の発明と解体』(新評論、2022)など。

    それぞれの世界を立ち上げるデザイン(されたモノたち)

    デザインとは、一般的には外部化されたデザイナーたちが製品や広告などを前もって計画するものであり、その価値は市場経済の中で決まる。そんなふうに思われることが多い。こうした理解は、20世紀初頭のモダンデザインに端を発する。近代西洋において善とされた機能主義的・合理主義的なスタイルのモノを量産し普及させることで、豊かな生活をめざそうとする思想である。しかしながら、それは富が不均衡な地球において、西洋を基準とする“一つの世界”を前提としたロジックでもあった。まったく逆の南半球側の立場から見れば、開発の名のもとに一方的に植民地化されたり、資源を搾取されたりする不平等な構造によって成り立っているのであり、デザインはそのユートピア的な理念とは裏腹に、人間が依存している生物圏や限りある枯渇資源に大きく依存していながらも市場経済の原理に傾いて大量生産・大量消費を加速させ、地球の持続可能性を奪ってしまうものでもあった。オーストラリアのデザイン哲学者のトニー・フライ[★05]★05は、そうした破滅的なデザインの働きを、未来を破壊するものとして〈デフューチャリング〉と名付けている[★06]★06

    一方で、エスコバルは、適切に用いられた場合には破滅に向かわない〈もうひとつのデザイン〉がありうるという。そこで持ち出されるのが前述した“存在論的な”デザインのあり方である。市場に依存しがちなデザインを、そうではない存在論的に適切な方向へと転換させることで、人間をデザインし直すように働きかける。つまり、デザインによって、地球が存続可能な道を生きられるような人間を“再発明”することができるはずだ、と。

    エスコバルの狙いは、単に存在論的デザインを掘り起こして再検討することではない。博覧強記の人類学者として、それを起点に変革可能な未来についてラディカルな議論を進めることにある。そして「すべての世界は近代的/植民地的な世界システム内の自らの歴史的位置の批評的観点から、自らを作り直すプロジェクトに取り組む必要がある」と喝破する(P. 350)。外部の専門家ではなく当事者の人々が学習しながら実践し、内側から共同体をつくり変えていくために、自治=自律的デザイン(Autonomous Design)の概念を描いていく。それは近代西洋という一元的な世界ではなく、共同体がそれぞれの世界を立ち上げるものとなり、一つの惑星の中に複数の世界が収まる世界(Pluriverse)となる。

    動き始める「仮説」

    こうした壮大なスケールで〈もうひとつのデザイン〉の可能性が語られているわけだが、多くの日本人にとって、その切実な背景となっている南米の脱植民地化をめざす運動やポリティカル・エコロジーの問題意識は実感がわかず、なんだか距離を感じてしまうかもしれない。地理的にも日本からは南米は遠すぎる。でも、よく読めば、資本の集中する中心部=都市と、そこに資源や人材を供給する辺縁部=地方という、日本の中でもあちこちで見かける構図が浮かび上がってくる。そうとらえれば、難解なこの本も、都市型の均質化された世界ではなく、それぞれの地域に生きる人々が自分たちの手で独自の世界をつくれるのか?という、ごく身近な問題に置き換えて読めるはずだ。

    なお、筆者がもっとも唸らされたのは、結論において「本書は、他者にどうあるべきか、何をすべきかを教示しようとする試みではない」 、「特に自治を求めて奮闘する共同体に対するものではない」と、エスコバルが強調していることである(P. 370、強調は引用者)。彼らは何をすべきか誰よりもよく知っているのだ、と。どうやら彼が提示するのはあくまでも純粋な理論であり、現在進行形の「作業仮説(working hypothesis)」として読むべきものらしい。ということは、レビューでよく指摘される「具体的な実例が乏しい」とか、「実践者には難解過ぎる」といった批判的な反応は最初から彼の狙っているところではなく、読み手との文脈のズレに起因することになる。エスコバル自身は〈自治〉について外側から“布教”することが一種のパターナリスティックな処方箋となって、矛盾を生んでしまうことをよくわかっていたのだ。

    しかし、本書は純粋にアカデミックな論考でありながら、実際にデザイン理論の流れを変えた。この本のベータ版は、出版以前から人類学者やデザイン研究者たちの中で「聖典」とされ、アンダーグラウンドで転送されあっていたという[★07]★07。そして2018年に改訂・出版されたことによって、広く知られることとなったが、その影響力は何千もの論文引用数や多数のウェブ上での言及記事が実証している。こうした世界的な普及は著者の単独で成されたわけではなく、その背後には、受け止める側にもそうした言説を求める雰囲気が醸成されていたからでもある。希望を感じさせる仮説は、空中からでも動き始める。ありうる未来の可能性を探索し、先鋭的な問いを投げかけている点で、この本自体が一種のスペキュラティブデザイン[★08]★08の取り組みでもあるとも言える。

    欧米からは開発対象として“辺境”とみなされがちな南米やアフリカ、そしてアジアなどの地域に生きる人々が、誇りを持って自分たちの領土や文化を守り育てることの意義を気づかせたこと。そして欧米の世界が考えてきたような普遍的なデザインの解を与えるようなものではなく、ローカルに生きる人々が共愉的にそれぞれの世界の内側からその力を活かしていくべきであること。現代の人々にそうした〈もうひとつのデザイン〉のありかたを示した貢献は極めて大きい。

    “複数の世界が収まるひとつの世界”は、どうやら夢想されるほどには平和にならないようだ。エスコバルが仮説を提示したその後、日々のニュースは、国と国がそれぞれの世界の正義を主張し、衝突し合う悲惨な様子を伝えている。目の前のスクリーンでは、生成AIが作り出すデータによって世界はじわじわと均質化されつつある。そうした中においても、我々はどこかに一筋の希望を探さずにはいられない。これまでに作られた膨大な人工物に埋もれながら、岐路に立つ我々自身がデザインという概念をどのように携えていけるのかが、いま深く問われている。

    *版元の書誌情報はこちらより

    ★01 (1943- )。チリの哲学者、政治家。 チリの初期のサイバネティクスとコンピューティングの発展において重要な役割を果たし、アジェンデ政権下のサイバジン計画に大きな役割を果たした。チリ・クーデター後は亡命し、アメリカにわたり、人間とコンピュータとの関係を問い直す、哲学的議論を展開した。 ★02 (1946- )。アメリカ合衆国の計算機科学者、スタンフォード大学教授。人工知能(AI)と人間とコンピュータの相互作用(HCI)の分野で先駆的な業績を持つ。また、自然言語処理、認知科学、デザイン思考など幅広い分野で重要な貢献をしている。 ★03 フェルナンド・フローレス、テリー・ウィノグラード『コンピュータと認知を理解するーー人工知能の限界と新しい設計理念』 平賀 讓 訳,産業図書, 1989 ★04 原書 Arturo Escobar, Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Autonomy, and the Making of Worlds, Duke University Press, 2017. ★05 デザイン理論家。現代のデザインに内在する「持続不可能性」に焦点を当て、デザインが社会問題や環境問題の解決に貢献すべきと主張している。シドニー工科大学の客員教授、グリフィス大学でデザインフューチャーズプログラムの責任者、シカゴ美術館附属美術大学でサステイナビリティ・デザインのコンサルタントとして活動。現在はタスマニア大学とコロンビアのイバゲ大学の客員教授。 ★06 Tony Fry, Defuturing: A New Design Philosophy, Bloomsbury Visual Arts, 2020 ★07 Keith M. Murphy, Designs for the Pluriverse: Radical Interdependence, Autonomy, and the Making of Worlds by Arturo Escobar (review), Anthropological Quarterly,George Washington University Institute for Ethnographic Research Volume 92, Number 3, Summer 2019,pp. 949-953,https://doi.org/10.1353/anq.2019.0038 ★08 すでにある問いを解決するのではなく、クリティカルな問いを提起することで、現在の延長線上に未来を描くのではなく、「ありえるかもしれない未来」を思索させるデザイン手法。2000年代に、イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アートで教鞭をとっていたアンソニー・ダンとフィオナ・レイビーによって提唱された。

    上平崇仁 かみひら・たかひと
    専修大学ネットワーク情報学部教授。1972年鹿児島県阿久根市生まれ。1997年筑波大学大学院芸術研究科デザイン専攻修了。グラフィックデザイナー、東京工芸大学芸術学部助手、コペンハーゲンIT大学インタラクションデザイン・リサーチグループ客員研究員等を経て現職。2000年の草創期から情報デザインの研究や実務に取り組み、情報教育界における先導者として活動する。近年は社会性や当事者性への視点を強め、デザイナーだけでは手に負えない複雑な問題に取り組むためのコ・デザインの仕組みづくりや、人類学を背景とした自律的なデザイン理論の再構築について研究している。日本デザイン学会情報デザイン研究部会幹事。㈱ACTANT デザインパートナー。

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