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アーカイヴとウェブ上の記憶をめぐる作業日誌#8
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8月18日(日):一口にデジタルアーカイヴと言ってもいろいろなものがある。
と、その前に無用の混乱を避けるため、言葉の意味を確認してみよう。
「アーカイヴ」とは、英語のarchiveの音を写した語で、辞書を引けば「文書」「記録」「文書館」「資料のコレクション」「(データなどの)集積」といった意味が出ている(『小学館ランダムハウス英和大辞典』)。
ついでながら英語の「アーカイヴ(archive)」は、フランス語の「アルシフ(archif)」(古い形)や「アルシーヴ(archive)」に由来するという。そのフランス語はラテン語の「アルキーウム(archium / archivum)」から造られた語で、このラテン語は古代ギリシア語の「アルケイオン(ἀρχεῖον)」に基づく(以上の語源はOED: Oxford English Dictionaryオンライン版による)。
ヨーロッパ諸言語の語源を辿ると、こんなふうに古代ギリシア語に辿りつくことが多く、これより古いことについては不明だったり推定の度合いが高くなったりする。
その古代ギリシア語の「アルケイオン」とは、ごく大まかに言えば「公の建物」とか「公共の場」といった意味をもつ語で、統治者(アルコーン)がいる場所のこと。また、ここから転じて、そうした場所に蓄積される文書群や記録資料を指すようになったようだ。つまり、統治に関わる文書、見方を変えれば人びとの共通の記憶を書き留めた記録というわけである。
私はしばしば言語を問わず語源を確認するようにしている。そんなことをしてなんの意味があるのかと思う向きもあるかもしれない。衒学趣味や雑学の類に見えるのも無理はない。他方で、多義をもつ語の出所や来歴を目に入れてみると、その語の中核にある意味やその他の語義が流れ出す源を確認できることも少なくない。バラバラに見えるものを掴んで自分の頭の中でイメージしやすくなるといおうか。
少なくとも語源が湛えていた意味を脳裡に置けば、その語から派生した各種言語での多義にも対処しやすくなるし、その語が他の関連する語と結んでいる関係も捉えやすくなろうというものだ。
先ほどの「アルケイオン」という「アーカイヴ」の語源に当たる古代ギリシア語が、「アルコーン」(統治者)や「アルケー」(源、はじまり、第一原理、数学の原点、第一の地位、権力、役所)といった語と語の形からして関わりがあるのはその好例。このくらいにしておくが、「考古学」となかなか見事に訳されている「アルケオロジー」という語なども、以上を踏まえれば自ずと意味も見えてきたりする。アルケーについての学問だ。
以上の件については、筒井弥生「アーカイブズの語源 アルケイオンについての一考察」(「人文・自然研究」第9号、一橋大学教育研究開発センター、2015、pp.100-115)という論文で詳しく検討されているのでご関心のある向きはご覧あれ。
8月21日(水):松岡正剛さんが8月12日に没したことをSNSで知る。
本や知との遊び方をさまざまに実践し、伝え、知りたいと希望する人びとと分かちあう人だった。
なぜか――というのもへんてこな言い草で恐縮だが――私のところに追悼文の依頼が一つ二つと舞い込み、しばしどうしようかと迷った。
なぜかと言えば、松岡さんの本を読んだり、この10年ほど何度かお目にかかって話したりする機会があったとはいえ、彼のもとに集った門人のみなさんや深く交流した人びとのように親しく接していたというわけではないからだった。
それでも引き受けることにしたのは、そういう距離の読者、あるいは同時代人からどのように見えていたかという肖像を書き留めておくのも、あながち意味のないことではないと思ったからだ。
*その後、9月4日の朝日新聞に掲載された。(リンク先は有料記事です)
https://digital.asahi.com/articles/DA3S16025688.html?iref=pc_ss_date_article
8月31日(土):ニナ・メンケス監督の『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』(2022)を観た。
主にハリウッド映画を対象として、これまでつくられてきた数々の映画の画面が、いかに「男性のまなざし(Male gaze)」に満ちているかを多角的に分析して語る映画だ。アルフレッド・ヒッチコックやジャン=リュック・ゴダール、クエンティン・タランティーノ、ソフィア・コッポラをはじめ、多数の監督による映画を材料にして、メンケスが講義する様子や映画理論家、映画業界で働く女性たちへのインタヴューを交えた構成で、否応なく問題の所在を教えられる。
視点(男性が主体/女性が客体)、構成とフレーミング(女性の体を部分的に映すなど)、カメラの移動(女性の体をなぞる移動、俳優の性別によるスローモーションの使い方の違い)、照明(男性は立体的・実在的/女性は平面的・幻想的)、物語中の位置(以上4つの技法によって女性の登場人物の存在感や影響力が弱められる)など、異性愛男性の視点による女性の映し方が具体的に指摘される。メンケスの言葉を借りれば、こうした特徴はあまりにも露骨にさまざまな映画で繰り返されているので容易にパターン化できるほどだという(というのは私の記憶による再構成)。
また、映画の表現だけでなく、男性優位の労働環境、雇用差別、セクシュアル・ハラスメントや性的暴行などのジェンダー不平等の実態にも話は及ぶ。
今年の5月から開催されてきた特集上映「ニナ・メンケスの世界」には参じることができなかった。本作は、住んでいる町に1軒だけある小さな映画館「CINEMA AMIGO」のおかげで観ることができた。ニナ・メンケスのBlu-Rayディスクで他の作品も含めて手に入れよう。
9月5日(木):引き続きアーカイヴについて考えている。
アーカイヴとは文書群や記録資料、あるいはそれを保管する場所を指す言葉だった。デジタルコンピュータの登場以前は、もっぱら紙などの物質に文字や図形で固定した文書が中心だったところ、いまではコンピュータを用いた文書も厖大に作成・蓄積されるようになっている。加えて、インターネットが普及して、公私を問わず蓄えられた文書群や記録資料をウェブサイトを通じて公開することもできる。
アーカイヴは、過去を消えゆくままに任せず痕跡を留める働きをする。日々何が起きたかを記した日記や日誌のようなものはもちろんのこと、それ以外の内容の文書でも、作成されるそばから過去のものになってゆく。ある時、ある場所で、ある人が作成した文書もまた、過去の記録だ。
書物でいえば全集の類なども特徴的なアーカイヴの一つだろう。先日、本をいくらか片付けたおかげで、ずっと各巻がバラバラだった「円朝全集」(全13巻+別巻2、岩波書店、2012-2016)が初めて手許で一堂に会した(ヘッダー写真)。これなどは三遊亭円朝(1839-1900)の語りが速記術によって記録されていなかったら、語られる端から空中に消え去っていたはずの言葉たちである。
ところで、ちょっとおかしな物言いに聞こえるかもしれないが、アーカイヴは作成する時点では役に立つかどうか不明の文書群を整理・保存するものだ、と考えてみる。将来どこかの誰かがなんらかの目的で調べ物ができるように、大袈裟に言えば未来の必要に向けて作っておくものだ。これはいますぐなんの役に立つかが明確なものにしか関心がない人には、それこそなんの役に立つか分からないシロモノに見えるかもしれない。
文書や記録は残しておけば、いつか必要が生じて参照できるが、残さなければ参照しようもない。当たり前といえば当たり前だが、昨今の日本政府の記録軽視によって、過去の検証が難しくなっている事例を見れば、これがいかに重要なものかも痛感されるところである。
このところ、暑いのを言い訳にして「しろくま」(アイス)ばかり食べている。
つづく

- 山本貴光やまもと・たかみつ
- 文筆家、ゲーム作家。1971年生まれ。東京科学大学リベラルアーツ研究教育院教授。コーエー(現コーエーテクモゲームス)にてゲーム制作に携わり、在職中から執筆活動を開始。1997年より吉川浩満と「哲学の劇場」を主宰。著書に、『文学のエコロジー』(講談社)『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『心脳問題』(吉川浩満と共著、朝日出版社)など多数。




