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アーカイヴとウェブ上の記憶をめぐる作業日誌#7

- 文と写真:山本貴光
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Contents
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8月1日(木):随分と間が空いてしまった。
前回は4月10日に「大学の新学期が始まった」と書いて終わっていた。それから4カ月ほど気を失っていたことになる。
気を取り直して続けよう。これはDISTANCE.mediaの編集への参加や日々の暮らしを通じてウェブやアーカイヴの設計を中心にあれこれ考えたことを記すという趣旨の日誌である。それと関連したりしなかったりする交々のことも、あまり厳密に考えずに書いてみている。
というのも、物事はどこでどう繋がっているか分からないもので、はなから範囲を絞りすぎるとかえって必要な検討ができなくなったりもするからだ。こと、アイデアを思い浮かべようという場合には、むしろ心が彷徨うに任せて遊ばせるくらいで丁度よい。物事の効率化や合理化が過ぎると、この「遊び」がなくなる。遊びとは、関心を持っている利害や意味をいったん忘れて、物事や状況に潜んでいるなにかを探る営みである。
ところで、DISTANCE.mediaのようなウェブメディアやアーカイヴを設計する場合、目標はわりとはっきりしているように見える。記事を読みやすく提供して読者に読んでもらうというわけだから。
ただ、ウェブサイトを閲覧する人びとにどんな経験を提供するかとなると、話は込み入ってくる。そこには分かりやすく「こうすればOK」という唯一の正解のようなものはないし、そもそも人がウェブサイトを見るとき、なにが起きているのか、つまりなにを経験しているのかということ自体が、必ずしも明確ではないからだ。
そこをどう考えるか。まさにアイデア次第である。アイデア次第という場面では、遊びが大いにものを言う。

- 今日は和菓子
8月3日(土):紀伊國屋書店新宿本店で
「〈ルリユール叢書〉から世界文学の翻訳を考える」と題したトークイヴェントに参加した。「ルリユール叢書」とは、幻戯書房が2019年に創刊した海外文学の翻訳シリーズである。企画と編集は、同社の中村健太郎さんによる。
その同叢書が少し前に刊行50点に達したというので、「〈ルリユール叢書〉の楽しみ」(じんぶん堂、2023.11.28)という一文を草したことがある。全集や叢書と名のつくものに目がないということもあって、ルリユール叢書も創刊当時から注目してきた。そんなこともあって、同叢書の見どころをご案内してみたわけである。
紀伊國屋書店のイヴェントでは、ルリユール叢書の1冊としてヴァレリー・ラルボーの『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』を訳した西村靖敬さん、ライターで編集者で文芸時評なども書いておられる鳥澤光さんとともに、ラルボーの本を中心として文芸作品を読む楽しみや翻訳についてあれこれ話しあった。
ヴァレリー・ラルボー(1881-1957)はフランスの作家で翻訳者だ。作家が存命中の1930年代に、堀口大學らによる翻訳もあり、20世紀後半にはいくつかの小説や『罰せられざる悪徳・読書』(岩崎力訳、みすず書房、1998)のようなエッセイも訳されたり、大学のフランス語入門でテキストとして使われるなどしていたが、現在では半ば忘れられた存在かもしれない。新刊書として手に入る翻訳書も岩波文庫の『A・O・バルナブース全集』(岩崎力訳、2014)くらいだろうか。彼は文芸の読み巧者として、評価が定まる前のジェイムズ・ジョイスを支援したりもしている。
2023年に西村さんによって久しぶりに訳されたラルボー作品である『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』は、いわゆる「ウルガタ」と呼ばれるラテン語訳聖書をつくったヒエロニュムスを「翻訳者の守護聖人」として讃えるエッセイに、さまざまな翻訳・読書・執筆にまつわる文章を集めたものだ。自身も母語のフランス語の他、英語やスペイン語からの翻訳をしたり、複数の言語を使うポリグロットであったラルボーだけに、翻訳の重要性をさまざまに論じている。
彼は気に入った文章をいっそうよく味読するには、書き写して訳すのがよいとも述べている。西村さんや鳥澤さんと海外文学の楽しみについて話しあい、いろいろな刺激を受けたこともあってか、帰ってからホメロスの『イリアス』をノートに書き写したりしてみた。

- ルリユール叢書から、ヴァレリー・ラルボーの『聖ヒエロニュムスの加護のもとに』幻戯書房、2022
8月4日(日):準備中の本に家の書棚などを撮った写真を掲載する
とのことで片付けをする。普段は来客もないのをいいことに散らかし放題にしているだけに、こんな時には大仕事になってしまう。「閲覧室」と呼んでいる部屋には、大きなテーブルがあるのだが、ここには買ってきた本をどんどんと積み上げてあり、半分以上が物置と化している。
さすがにこのままではなあというので片付け始めたのはよいものの、ジャンルもバラバラの数百冊の本をそれぞれ適当な場所へ移動するのは意外と手間のかかることだったりする。それに「そうそう、この本買ったよね」などと読み始めるからあっという間に時間も過ぎ去る。
まずはジャンルごとに本を仕分けよう、などと床に分野ごとの本のまとまりをつくっていくうちに、どうかすると片付け前より混沌としてくる。気づけば空も白み始めている。「こんなことならそのままにしておけばよかった……」と思うも後の祭りで、元に戻すにしても、どこかの棚に収めるにしても、床に広げてしまった本たちをなんとかしなければならない。眠気でぼっとしながら本を抱えては運び、運んではまた抱えるという作業に勤しんで、なんとかテーブルの上だけは久しぶりのことですっきりしたのだった。

- 岩波文庫の棚
8月8日(木):自分が使い慣れている道具について誰かに説明するのは
存外大変なことだ。というのも、何度となく使っている道具というものは、半ば無意識に使える状態になっているので、いざ誰かに尋ねられると、言葉に窮するということがある。
たとえば、コンピュータのキーボードで、キーを見ずに入力すること(タッチタイプ)に慣れている人が、どの指でどのキーを打っているのかと尋ねられたら、ぱっと答えるのは難しいのではないだろうか。というのも、文章を入力する際、いちいちどのキーを押せばよいかということを考えたり思い浮かべたりせずとも、指が勝手にキーを選んで打つという状態だからだ。
今、私は「国立国会図書館デジタルコレクション」(以下「デジコレ」と記す)というウェブサイトの使い方を案内する文章を書きながら、ちょうどそのような立場に置かれている。『本の雑誌』(本の雑誌社)が、10月号で国立国会図書館の特集を組むとのことで、デジコレを使ったことがない人にもその使い方や面白さが分かるようなものを書いてほしいとご依頼を受けたのだった。
「いいですよー」と気軽に引き受けたはよいものの、ウェブに限らず、コンピュータの使い方を不慣れな人に説明するのは存外大変である。そもそも画面の配置などはサイトごとにまちまちだし、画面から「ここでなにができるか」を見てとるのも難しいことが多い。そこで、説明する場合には、順を追って画面のどこに対してどんな操作をするのかを言葉で記すことになる。これが結構な手間なのだ。
操作法はそれでもまだよい。ともかく目と手をどう動かせばよいかを記せば、一応使い方を伝えられるからだ。たとえば、デジコレであれば、検索フォームになんらかの言葉を入力してエンターキーを押すか、「検索」というボタンをクリックすると、検索結果が表示される、という具合。
問題は、そもそもデジコレならデジコレというサイトでなにをするかという点にある。利用者の動機といったらよいだろうか。デジコレは、国立国会図書館が所蔵している書物や雑誌などをデジタル化した資料のうち、公開状態にあるものを検索して閲覧できるサーヴィスである。ということは、利用者は過去の文献を探すという目的を持っている必要がある。こればかりは当人に用意してもらうほかはない。『本の雑誌』に書いた文章では、サンプルとしてかつてサンリオが出版していたサンリオSF文庫という海外SFの翻訳レーベルを探して読んでみようという設定にした。実際、デジコレには刊行された全点とはいかないが、180点弱が収められており、読むこともできる。
アーカイヴを設計したり運営したりする場合、必ずしもはっきりと目的を持っていない人をどう遇するかが大事ではないかと思っている。既に目的を持っていたり、使い方を熟知している人だけを相手にする場合はそれでよいとして、そうではない利用者にも使ってもらいたいと考える場合、なにをどのようにしておけばよいだろうか、というのが課題である。そんなことを考えながら原稿を書き終えた。

- デジコレ検索結果、サンリオSF文庫
振り返ってみると、私が国立国会デジタルコレクションを見にいく場合、その手前でなにか興味を持ったことがあって、それについて調べたいと感じていることがほとんどだ。たとえば、「統計」という日本語はいつ頃から使われているのだろう、といった言葉や概念の歴史について疑問を抱くような場合である。
試しにデジコレで「統計」というキーワードで検索してみると、1,375,112件がヒットする。全文検索なので、書名に「統計」となくても本文中で使っているケースも対象となる。これを刊行年の古い順に並べ直す。最初のほうに並ぶのは、刊行年が不明の資料だ。書誌では「製作年不明」とか、刊行年を表記する項目が「0000」となっている。
検索結果を眺めると、それだけでも知らない文献を目にできて面白い。千件ほどは「製作年不明」と「0000」が続き、やがて1870年代だから、明治初期に発行された文献が現れる。どうも当時の文部省が主導で翻訳刊行した『百科全書』には「統計」という語が多く使われている様子が見えてくる。どれ、というので今度は個別の文献のなかを覗いてみたりする。
こうしたアーカイヴの使い方では、利用者ははじめになにか調べたいことがあり、それに関連する資料を探して読むという行動をとる。では、DISTANCE.mediaで提供している『InterCommunication』誌のバックナンバーの場合はどうか。どんな使い方が考えられるだろうか。

- デジコレで探し当てた『百科全書』
つづく

- 山本貴光やまもと・たかみつ
- 文筆家、ゲーム作家。1971年生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。コーエー(現コーエーテクモゲームス)にてゲーム制作に携わり、在職中から執筆活動を開始。1997年より吉川浩満と「哲学の劇場」を主宰。著書に、『文学のエコロジー』(講談社)『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『心脳問題』(吉川浩満と共著、朝日出版社)など多数。