F6-3
ジャーナリング経験のわかちあいをとおして、「わたしたち」の記憶を発酵させる
記憶をケアするためのデザイン

- 社会人ワークショップの参加者から集まったジャーナリングの数々(撮影:渡邉康太郎)
インターネットは、かつて図書館や博物館のメタファーで語られていました。記録メディアの飛躍的な向上、さらにはオープンで集合知的なその性質によって、無限に記録と記憶が可能な開かれた情報環境が実現し、世界の共通のインフラが生まれる、かつてそんな夢が描かれていました。
しかしながら、めまぐるしく押し寄せる情報の波は、過去をまたたくまに押し流し、私たちの足場を時々刻々と組み替えています。さらには、精度の低い情報、偏った情報、誤った情報が流通し、情報環境の劣化、タコツボ化、汚染にもさらされています。いわば、記録も記憶もおぼつかない情報環境のなかで、私たちはこれからどのように、記憶を共有し、共同体を形成してゆけばいいのでしょうか?
本シリーズでは、「記憶のケア」というテーマのもと、わたしたちの情報環境を見つめ直します。最近、「ジャーナリング」をつかった授業やワークショップを行っているという、情報学研究者のドミニク・チェンさん。その体験から、自己と他者の記憶をめぐる気づきをえたといいます。「わたし」の記憶から、いかにして「わたしたち」が立ち上がるのか?
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Contents
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ジャーナルを「漬ける」日々
最近、自分自身の記憶からこぼれおちていくあれこれを掬い上げるように、毎日のようにジャーナルをつけています。いわゆる日記や日誌との違いとしては、ジャーナルにはただの事実の羅列や主観的な回顧ではなく、心と思考の動きを振り返りながら、持続的に考え続けている問いについてのメモを継続的に書き込んでいる点です。研究の世界では、「反省的ジャーナリング」とも呼ばれ、主観と客観を織り交ぜながら、問いの対象となるさまざまな事象について自分自身で語り続けるという実践です。
具体的には、Notionというアプリのプライベートスペースの中に、日々の取るに足らない、表現とはいえない思考の断片たちを書き込んでいます。料理には使えない野菜の切れ端のように、自分の体からこぼれ落ちる言葉を拾い集め、コンポストに放り込んでかきまぜているようなものです。そうしていると、不思議なことに、ジャーナルのページそのものが、自分の脳内がコンポスト化したもののように感じられてきました。その意味ではジャーナルを「漬けて」いる、といったほうがいいかもしれません。
現時点で3カ月以上続いていて、いま試しに文字量を確認したら3万字ほどあります。日記というものに幾度も挑戦してはその度に挫折してきたわたしにとっては、ちょっとした革命が起こっている感覚があります。ジャーナリングをはじめた動機は複層的ですが、個人的な理由でいえば、自身の意識と記憶とのあいだに距離を感じられるようになったからです。単純に体が老いるにつれ、記憶に自信がなくなってきたということに過ぎないのかもしれません。ジャーナルを書くことをつうじで、記憶をケアしている、そんな感じでしょうか。自分の記憶システムがまるで他者のように体のなかに同居していて、その面倒をみようという不思議な気持ちが芽生えています。
ですので、強い意思で一念発起してジャーナルを書き出したという感覚はまるでありません。日々生きていて、つまずきそうになり、倒れ込まないように反射的に片足を一歩前に踏み出しているような感覚で書き込んでいます。
ジャーナリングが問いをはぐくむ
もう一つの理由としては、大学のゼミの学生たちとの付き合いを通して、ジャーナリングを導入しようと考えた、ということもあります。大学の教育カリキュラムの根底には研究者を養成するという視点があり、卒業論文という最終課題も、学問の入口に立ち、大学院からの本格的な研究生活に向けた準備という側面が強いものです。しかし、わたしが教員を務める学部では院進する人の割合は年々減っており、ほとんどの人が企業に就職します。いわば建前と本音が乖離している状態のなかで、研究者になろうとしていない学生たちに研究の技法を教えることの意味を、自分なりに悩みながら考え続けてきました。そこで、自分自身の経験を振り返りながら、研究の技法とマインドセットは、学術的なアウトプット以外にも、あらゆる仕事や活動、そして生きていくうえで役に立つのではないか、と思い至ったのです。
そもそも研究とは、問いを立て、仮説を立て、検証し、問いを再び立て直し、という反復を執拗に繰り返していく(re-search)行為です。そして問いを立てた人に固有の文脈が絡まっているかどうかが、研究の深度を左右します。極端な言い方をすれば、永く持続する問いが生まれ、それが意識の片隅で脈動しはじめれば、研究は自ずと始まります。問題は、そのような問いの発見が多くの人にとって困難を伴うように見受けられることです。
研究者という仕事柄、問いを立てるという行為は日常に埋め込まれており、生活のあらゆる場面が問いを孕んでいるという認識で生きています。こうした考えにいたった背景には、若い時分から現在にいたるまで間断なく不特定多数に向けて表現を行う機会をもらうことで、自分の実在と思考の両方がケアされたという感覚があります。執筆や作品の企画など、たくさんの締切と向き合って思念を絞り出すという行為の反復を通して、事後的に自らが執着する問いの数々が浮上してきたことを思い出します。
研究者や作家、そして自然言語以外のメディウムを用いるアーティストも、さまざまな記憶を想起しながら、大きな塊の表現を練り上げていきます。そして、この反復するプロセスそのものに、気づきが生まれやすくなる作用があります。このことが記憶を世話する、ということのひとつの具現化なのではないかと思うのです。
自分に固有の問いというものに気づかせてくれた経験を振り返えると、その意味では、わたしは日記を書くことはできなかったけれども、常に定期的に一定のまとまりのある文章を書き続けてきており、それが結果的にジャーナリングのような効果を生んでいたように感じるのです。
そこで今年から、ゼミの学生たちとジャーナルを書き続け、そこから研究や制作の問いを発酵させるという実践をはじめました。ジャーナリングの形式は自由で、ゼミのメンバー同士では内容は共有しないけれども、定期的に教室で話し合いをします。その際、開示の範囲と程度は各自が決めます。うまく続けられなかったという体験も、失敗のレッテルを貼らずに、有益な試行錯誤の過程として話し合います。そして、卒業論文や作品制作の問いを各自がジャーナルから絞り出し、それを並べて語り合う時間を繰り返しています。
まだ3カ月ほど続けただけですが、それでもディスカッションや発表における問いの深度が以前よりも増していることを実感しています。大文字の社会テーマから問いを立てるのではなく、極私的な問題意識であったり、日常のささいな違和感からであったり、自分の身体感覚とつながった問いを生み出し、コミュニティ内での語り方を探っていく、そんな実践になっています。そうして、個々の「わたし」の物語が語られていくうちに、均質的な同一性に基づくことなく、互いの異質な問いについて応答しあう「わたしたち」の関係性が徐々に浮かび上がってきたように思います。
「わたし」から「わたしたち」をつむぐために――オートエスノグラフィという手法
自己に関する記憶と生活世界とのあいだの距離を調整するという方法は、学術の世界においては「一人称研究」や「オートエスノグラフィ」と呼ばれています。オートエスノグラフィという言葉は、自らの(auto)文化を(ethno)記述する(graph)ことを意味しており、前世紀後半に起こった「表象の危機」、つまり研究者は自身を研究の経験と切り離せないのではないかという問いかけに呼応して発展してきた方法論です。遠隔に住んでいる社会文化的な他者について客観的に記述しうるという近代合理的な学術観を疑問視し、研究者自身が抱いているバイアスを認めつつ、世界を内部観測的に記述することの価値を認めるスタンスだといえます。オートエスノグラフィは、研究者自身が生きてきた固有の経験を一人称で記述したり、他者のエスノグラフィと対置して比較したり、共著者が協働しながら書いたりと、多彩な方法論を生み出してきました。
わたしは、人類学はおろかオートエスノグラフィについても素人ですが、この1年ほどで関連する書籍や論文を読みながら、自己の経験に基づいた問いを調べる研究スタイルになじむ方法だと感じるようになりました。というのも、拙著『未来をつくる言葉』(新潮社)では、自身の多重文化帰属と吃音、子どもの誕生に伴う死生観の変化といったポイントを起点にしながら執筆を進めたのですが、その過程で、なぜ自分がコミュニケーションを巡る問いに固執しているのかを発見しました。この時はオートエスノグラフィの存在を知りませんでしたが、図らずも自分はそれに近しいことを行っていたのだと気づきました。そして、自分の思考や世界の捉え方を大きく変化させるような出来事や瞬間というのは、「エピファニー」と呼ばれることを知りました。多くの先人たちが自らのトラウマやスティグマに関連するエピファニーを見つめることから、さまざまな抑圧や価値を浮き彫りにするオートエスノグラフィを書き上げてきたことに大きく心を揺さぶられました。
わたしは、人とテクノロジーの相互作用を考えるヒューマンコンピュータインタラクション(HCI)領域において、望ましいテクノロジーをデザインする方法について研究をしていますが、ここでも近年、オートエスノグラフィの手法を用いた研究が増えてきています。テクノロジーのデザインを巡る言説はいまだに進歩史観的なものが主流ですが、そうした統計値をエビデンスにするアプローチの限界も露わになってきています。これまでのように対象となる「ひとびと」を外から観察し、制御するという方法は、経験の個体差をできるだけなくし、画一的な反応を導こうとする慣性が働きます。そうではなく、それぞれが固有の「わたし」である自己と他者が異なる経験をしていることを尊重しながら、それぞれの差異を受け止め合う「わたしたち」という関係をつむいでいけるのか。このようなテクノロジーの在り方を考えるうえでは、デザインがおよぼす長期的な影響を見つめる必要がありますが、このためにオートエスノグラフィの方法は重要な示唆を与えてくれます。
「わたし」から「わたしたち」への記憶へ
自身と他者の記憶に注意を向け、世話をすることで、ゆるやかに「わたしたち」の感覚が形成され、互いの生きていくうえでの問いを共有する。その過程で、記憶の仕方、想起の仕方をさまざまに試しながら、「わたし」と「わたしたち」の双方がよりよく生きる術を発見していく。そのために、オートエスノグラフィやインタビューの技法を学びながら、プラグマティックな実験の場として大学の教室を運営するということを試しているわけですが、同様の実践は大学の場に限定する必要はないでしょう。
大学のゼミでジャーナリングを始めたのと同時期に、コンテクストデザイナーの渡邉康太郎さんと一緒に、社会人向けのワークショップを実施しました。タイトルは、「つたない自分を観察する――微創造のオートエスノグラフィ」(株式会社フライヤー主催)で、前段は渡邉さん、後段はわたしが付けました。渡邉さんが「つたなさ」に着目するのは、なにか新しい技術を習得しようとする際に、結果としての巧拙だけに着目してしまうことに対する批判があります。渡邉さんは「上達や達成はもちろん喜ばしいことですが、それが唯一の目的ではないはず」とした上で「技術習得そのものを主眼とするのではなく、それとともに生きるプロセス自体に目を向ける。通常は、得られた技術や成果に目を向けがちですが、あえて自己観察を中心に据える。このような主題の転倒から、なんらかの新たな視点を得られないか。ひいては、成長を求める画一的なナラティブに、別様の価値観を提示できないか。」(筆者との私信より引用)という問題提起を投げかけました。
後段のわたしからの問いかけとしては、まとめてしまうとノイズとして捨象されてしまうような微かな知覚や感情の記録の集積から、自分でも気付けないような問いが創造されるのではないかという仮説を込めて、「微創造」(microcreativity)という造語を提案しました。ぬか床のなかで発酵する無数の微生物たちが与えられた糖質から微かなエネルギーを代謝し続けるように、わたしたちの体のなかでも密やかに微小な意味が生成され続けている。cultureという語が人の「文化」と微生物の「培養」の両方を指す言葉であることを想起しながら、オートエスノグラフィの実践方式から学び、見過ごしていた自分自身の文化=培養(culture)を記述しようという呼びかけです。
ワークショップでは、渡邉さんの問いかけに応答する中で、日々流れすぎていく時間から消え去っていく微かな想念の数々を、鮮度の高い状態で拾い集め続けられるようなジャーナルのフォーマットをつくることを提案しました。基本フォーマットとしては、習得したい対象についての記述(本文)と日々の生活の記述(脚注)を併記するというもので、Notionのようなデジタル形式でもノートに手書きでも構わないもの、としました。

- ワークショップを説明するための渡邉康太郎さんによるスケッチ
40名ほどの社会人の参加者とともに、学びと日常生活のプロセスを併置して、ジャーナリングをする形式をつくり、3カ月にわたって書き続けるという実践を行いました。活動形態も年齢もバラバラな参加者たちが、スケッチ、子育て、ダンス、鍛冶、語学といったさまざまな学びのプロセスと日常生活の記録を共有していくうちに、記録の形式もダイナミックに変化していきます。月に一度の話し合いでは、記録を継続することや記述の仕方の難しさが浮き上がりますが、それぞれが自身の記憶との適切な距離をはかろうとするプロセスから、互いのままならなさやつたなさに注意を向ける一時的なコミュニティが立ち上がりました。
参加者の皆さんが4カ月近く育てた実践とジャーナリングの形式は実に多彩でした。あえて利き手ではない左手で書を書き続けた人、はじめて絵画を学びながら描き続けた人、幼い子どものスケッチを続けた人、ポッドキャストの公開を続けた人たちが、生活と実践を日常的に振り返ることでさまざまな気づきを得ていました。講師の渡邉さんは新しく写真撮影の実践をジャーナリングし、シャッターを切る時の感覚に対しての洞察を深めていて、わたしは声を使うということを自己観察するというテーマで記述を続けました。その多様さはとても要約できないものですが、わたしが感じたのは、それぞれの人が実践の当事者でありながら、同時にどこか別の視点から自身の行為を見守るような視点を獲得していたということです。
わたし自身、このワークショップで提示した基本形に沿ってジャーナルを漬け始めてから1カ月ほどで、フォーマットが徐々に変化していき、今は大きく3つのセクションに落ち着きました。日々のジャーナリングは技、生活、探求という3つのタイムラインに分かれていて、技では「声を使うこと」の観察、生活では日々の雑多な感情や思考のメモ、探求では主に研究ノートを書いています。
その下には、心が動いた対象の写真を時系列で並べ、名付けと短いメモを書きつけています。これは言葉以外のメディアを使った記録で、定期的にざっと見返すだけですが、何に対して感情が揺らいだのか、ポジティブとネガティブの両方を記録しています。
最後に、ジャーナリングの中から生まれた持続的な問いのページを並べるボードで、ここにはそれぞれの問いについての思考を継時的に書き溜めたり、ジャーナルの断片を漬け込んだりしています。ここには都度、人との会話、過去に書いたテキスト、日々の思考の断片を基に考えたことを数行から数段落くらい書き続けています。
このように記録の形式を改造しながらジャーナリングを続けてきて、経験の記憶がコンポスト化、というか、「ぬか床化」してくるのを感じています。ある記憶を漬けておくと、別の記憶との相互参照がはじまったり、無意識のうちに反復していた言葉があることに気づくと、そこから新しい問いのページを切り出したりなど、要素同士の化学反応が自然に起こってくる。そうすると、正確な記録を付けることや、記憶力の向上とか検索性の確保といった、効率や利便性などの功利的な目的意識は自ずと後退し、日常生活のなかに微小な問いやエピファニーの種が付着していることに気がつくようになります。忘却の過程で消えていく部分があることも受け容れながら記憶の面倒を見ていると、体内や環境に遍在する微生物たちの代謝活動のように、自分や他者という器のなかで起こっている無数の「微創造」を見守る視点が浮かびあがってくるのです。
この短い期間にジャーナリングを実践し、また学生たちや社会人たちとその経験を語り合う中であらためて腑に落ちたことがあります。それは、「わたし」の記憶には必然的に他者の存在が織り込まれており、その事実を日々注視することで、「わたしたち」という感覚がゆるやかに立ち上がるということです。誰かについての記憶はその人との関係の記憶でもあり、それを想起する時間は、関係性をケアすることに他なりません。
人は思考や感情のすべてを記録することはできないけれども、誰しもが言葉にならない声を内在させているという事実に気がつくと、わかりやすい結論を求めるコスパ・タイパ的なコミュニケーションの圧力が薄まります。自分自身の生きる時間軸が延伸されると、今度は他者の記憶が発酵する時間をじっと見守れるようになる。こうして互いを制御したり評価しようとする態度が抜け落ちることではじめて、「わたしたち」の記憶が醸成されるように感じています。

- ドミニク・チェン
- 情報学研究者。1981年生まれ。博士(学際情報学)。早稲田大学文学学術院教授(表象・メディア論系コース)。NTT ICC(Inter Communication Center)研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て現職。Ferment Media Researchを主宰し、人と技術と自然存在の関係性を研究している。著書に『未来をつくる言葉』(新潮社)、『電脳のレリギオ』(NTT出版)、『ウェルビーイングのつくりかた』(共著、BNN)など多数。


