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パラリンピック選手の驚きの脳#2ー水中で自在にからだを操るパラスイマーの謎

[2024/08/30 改訂]

水中で自在にからだを操るパラスイマーの謎の画像
iStock.com/Jesus Rodriguez

「もとーる」とは、岡山弁でからだの使い方が達者なこと。もとーる・ラボでは、知覚・身体科学研究者の柏野牧夫さんをラボ長に迎え、「うまくいく」からだを探っていく。

第1回目のゲストは、ニューロリハビリテーションの専門家であり、パラアスリートの脳と身体の研究に取り組む、東京大学の中澤公孝さん。中澤さんは、走り幅跳びのパラアスリート、マルクス・レーム選手の脳が健常者とは大きく違うことを突き止めた。そうした特殊な技能獲得のためには、これまでの動きの癖を壊すようなプロセスが必要なのかもしれない、と柏野さんは言う。さらに、コートニー・ジョーダンというパラスイマー(元世界チャンピオン)の脳を調べるなかで、なぜ、重い障害のある人が水中では自在にからだを操ることができるのか、その謎に迫りつつある。

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取材・文:田井中麻都佳

Contents

    「からだに染みついた癖」の呪縛から逃れるために

    中澤 前回、柏野さんが、「技能の上達のプロセスで重要なのは、染み付いている自分の癖を壊すこと」おっしゃっていましたが、これ、すごくよく理解できるんですよ。

    私自身は、柏野さんが野球を始められたのよりも遅く、55歳からゴルフを始めたのですが、若い頃から野球をやっていたこともあり、最初は、ゴルフのスイングなんて簡単だろうとたかをくくっていたのです。ところが、これが野球とは全然ちがう。正しいスイングを獲得するために、一生懸命、練習を重ねてきて、ある日、「コツをつかんだ!」と思っても、体調とか、自分の意識の持ちようで、次の日にはできなくなってしまう。もう、何回、つかんだと思ったかわからないほどです(笑)。やはり、もとの癖をちゃんと壊さないと、望ましいスイングは獲得できないのかもしれません。

    柏野 そうなんですよ。何かの技能を習得しようとするとき、長年の癖がいかに強固かということを、思い知らされますよね。癖というのは、本当は最適ではなかったとしても、ある意味、その人にとっての準最適として身についてきたものと言えます。身体の動かし方というのは非常に自由度がありますからね。それなりに楽にできる方法、あるいは巧みにできる方法を選択してきたものが癖となって染み付いているわけで、そこに安住することもできてしまう。

    だから、それをより最適な動きに変えようとすれば、その過程でぎこちなくなるとか、前の方がよかったんじゃないかと思えるような段階があったとしても不思議ではないでしょう。それが前回話題に出た「両側支配」になって歩き方がぎこちなくなった、という状態として現れたのかもしれない。慣れ親しんだ方法を捨てようとしているわけですから当然とも言えますね。

    パラリンピック選手の脳のヒミツに迫る(前篇)の写真

    ――動きがいびつになったのは、癖を壊している最中かもしれない、と?

    柏野 そう。もっともその必要性やメリットがあればこそ、そういった変化が起こるわけで、そこまでの変化を必要としない場合もたくさんあると思います。

    中澤 そうでしょうね。日常生活のなかで義足を使うのと、義足を使って走り幅跳びをするのとでは、まったくちがいます。健常者にとっては、片側大腿切断アスリートがどのように身体を操っているのか想像もできないわけですが、体を傾ける動作などは、非常に難しいとおっしゃっていました。そういった高度な技術を身につけてきたことと、両側支配という脳の特殊な様相が見られることは、やはり大きく関係しているのだろうと思っています。

    パラアスリートは
    義足の「足の裏」で小石を感じている

    柏野 生身の脚の場合、筋肉や関節があればこそ、細かいコントロールが可能なわけで、義足の場合はそれがないわけですから、本当にすごいことだと思います。動力もなく、筋肉で微調整することもできない義足を、反対側の脚や身体で操るというのは、通常の動きとはまったくちがうでしょうね。

    中澤 そう、センサすらないわけですからね。パラアスリートにとって義足というのは、ある意味、道具であって、その道具を身体化しているのだろうと思います。彼らは、義足の足の裏で、小さな石ころの存在すら感じている、というんですから。実際には、石ころの存在を感じているのは義足と接している脚の切断面のはずですが、そうではなくて、本当に足裏で感じるのだという。もはや、義足が身体の一部になっているわけですね。

    じつは、その義足の身体化という現象が、脳のなかでどのように表現されているのかを知りたいというのが、われわれの最初の興味だったのです。これを解明するにはまだまだ研究を深めていく必要があります。

    ――アスリートの方でなくても、手足を切断された方の脳というのは、大きく変化するのでしょうか。

    中澤 ええ、変わります。とくに最初の一カ月の間にダイナミックに変わっていくと言われています。

    ――それは、ある程度、時間が経つにつれて落ち着くのですか。

    中澤 そうですね。人にもよりますが、だいたい同じようなパターンを描くことがわかっていて、数カ月くらいの期間で定着するようです。

    ――なるほど……そして義足のパラアスリートの場合は、脳の両側が活動するという状態がベストなんですね?

    中澤 おそらくそうでしょうね。途中のプロセスを見ていないので何とも言えませんが。

    柏野 これまで使っていなかった脳のリソースをより多く割り当てているわけだから、理屈から言えば、やはりパフォーマンスが上がりそうな気はしますね。うまく再組織化されているということなんじゃないかな。ただ、この人たちの身体図式やイメージがどうなっているのか、気になるところです。

    たとえば、両側性の活動が見られるようになった暁には、自身の動きのイメージと身体の動きが、これまでとは違う感覚になるのかどうか。それともあまり変わらないのか、あるいはイメージがよりクリアになるのか、どうなんでしょうね。

    中澤 それはまだ調べていないので、今度、ぜひ、アスリートの方たちに聞いてみたいと思います。

    水の中では自在に身体を操るパラスイマー、
    コートニー・ジョーダン

    中澤 レーム選手以外にもう一人、私をパラリンピックブレインの研究に駆り立てた選手に、コートニー・ジョーダンという水泳選手がいます。脳性麻痺により、中等度からやや重度の障害のある方ですが、北京、ロンドン、リオと連続してパラリンピックに出場し、自由型やバタフライ競技で総計12個ものメダルを獲得した元世界チャンピオンです。

    このときもきっかけは彼女を特集するTV番組でした。私は以前、国立障害者リハビリテーションセンターで研究をしていたことがあり、そこで水中環境における人間の神経生理学的反応を調べた経験があり、水中での筋活動を調べるノウハウを持っていたことからテレビ局から声がかかったというわけです。

    最初にジョーダン選手の泳ぐ姿を生で見たときは、そのダイナミックな動きに圧倒されました。どこに障害があるのかまるでわからないくらいなんですよ。ところが、いったんプールサイドに上がると、左半身に強い麻痺があり、左肘関節が痙縮により曲がっていて、そのギャップにさらに驚きました。痙縮というのは、意志とは関係なく筋肉に力が入ってしまう状態のことで、結果として手足がつっぱったり曲がったりしてしまうんですね。

    彼女の脳のMRI画像を見ると、本来、手の指などを動かす部位の細胞がほとんど失われていて、指がまったく動かせなかったとしても不思議ではない状態でした。おそらく、出生時に脳卒中を発症して、脳の一部を損傷したためでしょう。ところが実際は、ある程度動かすことができます。それがなぜなのかを、経頭蓋磁気刺激(TMS)で詳しく調べてみたところ、脳の天辺に近い頭頂よりのところ、本来なら足を動かす領域を使って指を動かしているということがわかりました。

    しかし、先ほども言ったように、陸上での動きはかなり不自由なんですね。痙縮によってつねに筋肉が緊張していて、肘が曲がってしまう。これが動きの邪魔をしているわけです。ところが驚くべきことに、水中では痙縮による筋活動がまったく消えるのです。だから、クロールやバタフライに必要な上肢の大きな動きを生み出すことができていたんだと納得しました。

    パラリンピック選手の脳のヒミツに迫る(前篇)の写真

    リハビリに朗報、温水プールでのリハビリで痙縮を軽減!

    ――水中では自在に身体を動かすことができるのに、陸に上がると痙縮が見られるのはなぜですか?

    中澤 まさにいま、そのメカニズムを探っているところです。先行研究や自分達の研究から調べていくなかで、どうやら自律神経がかなり影響しているということがわかってきました。反射によって強い痙縮が起こるのは、交感神経が高まることに由来します。したがって、交感神経が弱まってくると、痙縮がゆるむ。おそらくジョーダン選手の場合、水のなかでは転倒する心配がなく、リラックスできることから交感神経が弱まっているのだろう、と。そういう状態で、20年以上、水中でトレーニングを積んできた結果、あれだけ自在に身体を動かすことができるようになったのだろうと思います。逆に言えば、水の外では、おそらく無意識に転倒の不安を感じていて、それが痙縮につながっているのでしょう。

    これは、脳性麻痺のリハビリにとって、非常に大きな研究成果と言えます。つまり、緊張や恐怖を取り除き、自律神経をうまくコントロールできれば、より効果的なリハビリが可能になることを示唆しているからです。そのため現在、さらに詳しくメカニズムを解き明かしながら、リハビリへの応用を模索しているところです。

    その一例としてわれわれは、脳卒中後の重い後遺症があり、痙縮によってとくに右足が強く突っ張った状態で、病院内を一人で歩くことが困難な患者さんに、ある運動療法を試しました。これは、温泉病院の水治療室で20分程度の歩行トレーンニングをしてもらうというもので、このとき、2本のポールを手にして歩いてもらいます。このポールを手に持つというのがミソなんですね。水のなかでは転倒のリスクが大きく減りますが、さらにポールを手に持つことで、倒れる心配がまったくなくなり、リラックスして歩くことができるからです。こうして20分ほど水中でポールウオーキングをしてもらい、筋電を測ったところ、やはり水中では痙縮がほぼ消失することが確認できました。

    しかも、それが陸に上がってからもしばらく継続するのです。これには、ご本人もたいへん驚かれ、感激もされていました。

    ――それは朗報ですね!

    中澤 もっとも、十数分もすると元に戻ってしまうのですが、短期的にでも痙縮が消失するということが非常に重要で、これを続けることで痙縮が軽減された状態が定着するのではないかと考えています。このように、パラアスリートの研究というのは、とくにリハビリに応用できる可能性が大いにあるのです。

    柏野 自律神経系が運動に強く影響するというのは健常者のスポーツのいわゆる「メンタル」の問題にも示唆をもたらしますね。運動技能に熟練した人でも、過度に緊張するとうまく動けなくなることがあります。かといってリラックスしすぎてもよくなくて、スノーボードビッグエアのトップアスリートの実戦で心拍数や脳波などを計測したわれわれの研究によると、勝てる人は交感神経が亢進していると同時に、脳はリラックスした状態であるらしい[Matsumura et al. 2023]。このあたりのメカニズムとの関連も興味深いところです。

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    中澤公孝なかざわ・きみたか
    東京大学大学院総合文化研究科教授。1962年生まれ。1985年、金沢大学教育学部卒業。1991年、東京大学大学院教育学研究科博士課程修了・国立障害者リハビリテーションセンター研究所運動機能系障害研究部長を経て、2009年より現職。著書に、『歩行のニューロリハビリテーション』(杏林書院、2010年)、『健康・運動の科学』(共編、講談社、2010年) 『パラリンピック・ブレイン』(東京大学出版会、2021年)がある。
    柏野牧夫かしの・まきお
    知覚・身体科学研究者。NTTフェロー。1964年生まれ。1989年東京大学大学院修士課程修了。博士(心理学)。著書に『音のイリュージョン~知覚を生み出す脳の戦略~』(岩波書店、2010)、『空耳の科学-だまされる耳 聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア、2012) 他。趣味は野球と歌謡曲(どちらも鑑賞と実践)。

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