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アニマル・スケール・シティという視座
「地球環境にとって、人間の活動が脅威である」、そんな認識が世界で広がり始めています。人間中心主義的な世界観では、地球環境はもはや維持できない、そんな風に考える若い世代が増えています。では、非人間中心的な世界観とはどのようなものなのでしょうか? 本特集では、動物、植物、菌類、微生物など、人間以外の視点に寄り添うかたちで、世界を眺めるとはどういうことかを探究していきます。都市デザイナーである杉田真理子さんは、アフリカのとある島でのロバとの出会いから、動物と都市の関係を見つめなおすことになりました。
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Contents
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“当然”そこにいる存在
東アフリカ沿岸部・ケニアとソマリアの国境付近に、世界遺産にも登録されている、ラム島という不思議なリゾート地がある。とにかく治安が安定せず、難民キャンプも多いことで外国人は立ち入り禁止になっている国境エリアだが、なぜかこのラム島だけ、のほほんとしたパラダイスなのである。
2021年6月、ひょんなきっかけでこの地を訪れた私の感情を掻き立てたのは、青い海でも美しいリゾートホテルでもなく、この島に住むロバの存在だった。
ラム群島の一部であるラム島は、ソマリアとの国境から南へ約75マイル、ケニア領である。面積約100平方マイル、人口2万5千人。そして、ロバが3千頭。人間の人口の12%にあたる数のロバがいるということになる。「ロバのいない男はロバだ 」というスワヒリ語のことわざがあるほど、ロバの存在は昔から大切であったようだ。
美しい海に周囲を囲まれ、曲がりくねった小道や坂道が多いラム島では、車の乗り入れが禁止されている。なので、ラム島の住民は、どこへ行くにも歩くか、ロバに乗る。重い荷物の運送ももちろんロバだ。歩いていると、人間に遭遇するのと同じくらいの確率で、のほほんと歩くロバとばったり出会う。湿った潮風の匂いと、民家から漂う人間の生活臭に併せて、ロバの放つ、いかにも獣っぽい匂いを、いまでも鮮やかに思い出せる。
思い返せば、サイズが大きい人間以外の哺乳類が、街中をここまで我が物顔で闊歩している様子を、私は奈良以外に知らなかった。数年前、奈良のとある住宅街を歩いていた時のこと。家からランドセルを背負って出てきた少女が、ちょうど通りすがりの鹿が餌と間違えて食べようとしていたティッシュのゴミを、「あかん」と言いながらさっと拾いあげて、そのまま当然のように去って行ったのが印象に残っている。自分の身体よりも大きな存在に、驚きも、たじろぎもせず、さぞ当たり前かのように振る舞う少女。ラム島で、当然のようにロバの尻を叩く大人たちや、ノロノロ歩くロバの間をぬって小走りに行き交う子供たちをみていると、奈良でみたあの光景が思い出された。“当然のように”動物が街の日常に存在していることの非日常さに、私は思わず、ニヤニヤしてしまう。
ロバが運ぶ珊瑚石、反響する蝉の声
ラム島は何世紀にもわたって、金や香辛料を扱うインド洋交易によって栄えたスワヒリ貿易の中継地だった。アラブ、インド、ヨーロッパ、スワヒリ文化が混ざり合うるつぼで、街並みや服装、食文化など、とても一つのカテゴリーで言い表せない。ちなみにスワヒリとは、東アフリカのケニア、タンザニア、モザンビークの海岸地域に住むスワヒリ語を母語として話す人々とその文化圏を指す。私はここラム島で、インド料理の代表の一つであるサモサの料理レッスンを受けた。そう、彼らの食文化はインドの影響を色濃く受けており、日常的にチャイを飲んでいる住民たちの姿はなんとも興味深い。
街並みに関していえば、イスラムの影響を受けたスワヒリ建築の面影を色濃く残している。狭い路地が迷路のように入り組んだ街並みは、モロッコでみた旧市街メディアのようでもある。ただ決定的に違うのは、使われている素材だ。この島の建物は、ほとんどが地元の珊瑚石やマングローブの木材で造られている。道は砂浜の砂、ほとんど舗装はされていない。
街を歩いていると、地元の沿岸からとれた珊瑚石を、ロバが荷台で運んでいる姿をよく目にする。建設改修中の現場を観察していると、グレードや種類ごとに地面に積み上げられたこれらの珊瑚石を、職人がパズルのように器用に、外壁に張り合わせている。
そう、車での資材の運び込みが不可能なこの場所で、ロバは大切な運搬機能を担っているのだ。
珊瑚石で壁面が飾られた建築群の美しさには、説明を絶するものがある。見た目の美しさだけでなく、吸湿作用や、夏の建物の気温をコントロールする作用もあると地元の人に聞いた。民家の前には大体、ロバのための水桶が、建物の一部として設置されている。道ゆくロバが、随所で水分補給をできるように、水桶の水は毎日取り替え、清潔さを保っているとのことだった。

- 水を飲むロバ。浮かべられた花が目にも鮮やか。
舗装されていない細い小道を、砂を蹴り上げながら歩いていると、季節柄なのか、あちらこちらで蝉の声がする。珊瑚石でできた建物の壁に反響しているのだろう、ぐあんぐあんと大音量で、没入感がある。空気の湿気もあり、思わずこの遠い地で日本の夏を思い出して、ぐっと心が動いた。そして、ロバが石を運び、人間が積み上げて作った“共作”としてのランドスケープが、この瞬間、私に全力で話しかけてきた。

- 珊瑚石をさまざまな方法で貼り付けた壁。それぞれユニークなテクスチャーが面白い。
かつて街は動物だらけだった
昨今のまちづくりや都市開発では、よく“ヒューマン・スケール・シティ”という言葉を耳にする。“人間の大きさ”を意味するヒューマン・スケールな街とはつまり、移動のしやすさ、住宅の住みやすさなど、人間の感覚や身体を尺度に考える都市デザインのあり方を指す。自動車や産業に支配されない、人間らしい暮らしを実現するための大切な考え方だ。車に埋め尽くされ、徒歩で日常生活に必要なインフラにアクセスできない現代都市を考えると、より人間性のある暮らしを訴求するものとして、魅力的な考えだなと思う。
一方で、都市に暮らすのは人間だけではないはずだ。改めて思い返すと、私たちの日本における暮らしにも、さまざまな種類の動物たちがいる。さすがにロバは珍しいかもしれないが、飼い主が押すベビーカーに乗って散歩をする犬、地域をあげて世話をされる猫、執拗にゴミを漁るカラス、天井裏でドタバタと走り回り私たちを悩ませるネズミ、最近は鹿や猪、猿、熊も都市部に頻繁に出没する。
ボストン大学で教鞭をとる歴史家アンドリュー・ロビショーの著作『アニマル・シティーーアメリカの家畜化』(未邦訳)では、19世紀のアメリカの都市が、いかに動物だらけだったかが語られている。ストリートでゴミを漁る豚、荷台をひく馬、肥育場に詰め込まれた牛など、街のいたるところに動物たちがいた。それは近代化前の日本の街でも同じことだろう。ある記事によると、世界で最古といわれている国際都市計画のカンファレンスが1898年にニューヨークで開催された時、その議題の多くは、道路の馬糞をどうするか、というものだったらしい。

- Andrew A. Robichaud, Animal City: The Domestication of America, Harvard University Press, 2019.
しかし、20世紀に入ると、こうした動物たちの多くは、都市市場経済が勃興し、産業革命の影響で自動車が普及し建物も高層化するなかで役割を失い、都市から姿を消してしまう。人口密度の増加と衛生管理の発達で、家畜小屋、肥育場、養豚場、酪農場、屠殺場といった場所も、人々の生活から離れた場所で行われるのが一般的になった。都市における人間と動物の関係をコントロールする過程で、新しい法律や執行手段、ゾーニングに繋がる考え方が生まれていったと、ロビショーは説明する。
その歴史を紐解きながらロビショーは、現代の都市を理解するうえで有効な、“動物”という視座を提唱する。“動物都市”の歴史なくして、なぜ現代の都市がそのような姿をしているのかを、十分に説明することはできない、というのだ。
ラム島で、当然のことのように両立しているロバと人間の暮らしをみて衝撃を受けた私は、この“動物”という視座から都市を観察することに、“ハマって”しまった。それは、いま私たちの都市が、なぜこのような姿をしているのかを、理解することにも繋がるからだ。ロバという存在を理解することは、なぜラム島の道路が、その建築が、その街並みがそのような姿なのかを、理解する一端となる。
“アニマル・スケール”で街を観察する
いま、私たちが住んでいる街は、人間のためだけにデザインされすぎてはいやしないだろうか? 人間中心的な考え方から脱却し、動物など、多様な生物たちも含めた都市を考えるには? そんな想いで、私が共同代表として運営する都市体験のデザインスタジオ・一般社団法人for Citiesでは、“アニマル・スケール・シティ”と題したワークショップシリーズを、2023年春から不定期で始めた。
第一弾として2023年2月に企画した山梨県・富士吉田におけるワークショップでは、かつて宗教的な理由で大切にされていたという馬を数頭連れて、一緒に街を歩いてみる、という非常にシンプルな試みをしてみた。富士山の麓に広がる富士吉田市ではかつて、山の麓である上吉田と、さらに下手の住宅街である下吉田を繋ぐ存在として、馬が重要な役割を果たしていた。馬が田畑を耕したり、荷馬が登山者や荷物を運ぶ物流、そして神事行事などでも馬が活躍していたという。固いアスファルトの道路をおっかなびっくり歩く馬が、雨上がりということもあり、金属の蓋をした排水溝の上で、足を滑らせた。そしてもちろん、定期的に糞尿を落とす。自動車や電車の大きな音に、たまに驚いたようにブルっと身体を震わせる。そんな小さな観察をもとに、街歩きの最後には参加者と共に、馬がこのまちでよりよく生きるためのオリジナルマップを制作した。
また、その翌年に同じく富士吉田市で開催されたワークショップでは、NHK番組「ダーウィンが来た!」ディレクターの足立泰啓さんをゲストに迎え、“人間以外の存在”を見つけるための街歩きの手法を伝授してもらったうえで、動物たちを街に“誘致”するためのCM映像づくりをエクササイズとして行った。穴のなかや橋の下、建物の上など、動物・昆虫・植物などさまざまな生物を見つけ、観察する。彼らはその時、何をしているのか。何を食べているのか、巣をつくるための材料を集めているのか。それらの姿を映像として記録し、ストーリーを重ねるのには、相当な観察眼が必要だ。参加者はグループになり、スマートフォンで撮影した映像で動物を街に誘致するためのCMを作成し、発表。富士吉田市の観光コンテンツとして、新たな視点を提供した。
for Citiesでは、このような人間以外の存在も含めた都市デザインに最近注目をしている。建築やまちづくり分野でのリサーチや企画・編集、教育プログラムの開発をするなかで、たとえば2023年9月から2024年3月にかけて有楽町で行われた「URBANIST CAMP TOKYO」では、「再野生化」をテーマに人間以外の生物との都市における共生や、都市における「生物としての居場所」を考えた。2023年11月に兵庫県・神戸市でディレクションを担当したHAIOKU ARTIST IN RESIDENCEでも、「“巣”的建築」をテーマに、生きものたちの“巣”をモチーフに、これからの建築や都市のあり方を考えた。未来の私たちの暮らしを考えるうえで、人間以外の生物の存在は、無視できない。
愛し、憎み、食べる存在ーー人と動物の奇妙な関係
文化人類学(Antholopology)ならぬ、人間と動物との間の奇妙な関係性を探求する「動物生態学」(Zoology)という新分野に20年以上向き合ってきたハル・ヘルツォークの著書『ぼくらはそれでも肉を食う――人と動物の奇妙な関係』(未邦訳)は、人類学、行動経済学、進化心理学、哲学を融合させながら、人間がペットとして愛する動物、実験のために使う動物、食用とする動物といった、さまざまな観点から人間と動物との関係を考察する。動物愛護活動家、闘鶏家、プロのドッグショー・ハンドラー、獣医学生、生物医学研究者などを対象に調査が行われており、非常に興味深い。人を幸せにするというペットとの暮らし。マウスを使った生物医学研究。なぜ犬やイルカを食べることはタブーなのか? なぜネズミは忌み嫌われ、ハムスターは可愛がられるのか。事例をひきながら、ヘルツォークはなぜ人間が一部の動物を食べ、一部をペットとして可愛がり、また一部を実験の対象とするのか、その背後にある心理、文化、社会的な要因を解き明かす。そのうえでヘルツォークが議論するのは、動物に対する私たちの感情や行動が、いかに一貫性に欠け、時には相反しているかということだ。それを理解したうえで彼は、動物の権利や、人間が動物に対してどのような道徳的責任を負うべきかについても考察を深めている。

- Hal Herzog, Some We Love, Some We Hate, Some We Eat : Why It's So Hard to Think Straight about Animals, Harper Perennial, 2011
だから、そんな謎を少しずつ紐解くための第一歩として、私はいま、動物を飼ってみたい。世話をし、逆に世話をされるような存在。私の家だけで完結させるのではなく、地域で共有したり、近所の人みんなで世話をする、そんな存在も良いかもしれない。
私が拠点をおく京都には、都市部にも関わらず中庭で鶏を飼い、毎日新鮮な卵を手に入れている友人がいる。そういえば都会育ちの母は、私の幼少期にやたらにヤギを飼いたがっていた。その時は意味がわからなかったが、いまならわかる、ヤギを飼いたい気持ち。歩くよりもゆっくりなロバに乗って、友達の家に遊びにいってみたい。近くの公園に、馬糞を使ったコンポストを作ってみたい。そんな妄想で描く都市の姿は、臭くて面倒くさそうで、なんとも非効率で、でも、わくわくする。
都市というものが形成される初期の段階から、われわれ人間だけではなく、人間以外の生物たちがそこには存在していた。そして私たちは、彼らと何かしらの共生関係を保ってきたし、ラム島でロバが運ぶ珊瑚石でできた建築群のように、私たちの生活を支えるインフラにも、その存在は一役買っている。アニマル・スケールな都市を考えることは、私たちの現在の都市の成り立ちをより深く理解することに繋がる。そして、地球温暖化や環境破壊などが議論される現在、これからの都市の姿を考えるにあたって重要な、「人間と人間以外の生物の都市における共生」について、考えさせてくれる。

- 杉田真理子すぎた・まりこ
- 都市デザイナー。2016年ブリュッセル自由大学アーバン・スタディーズ修了。2021年より都市体験のデザインスタジオ(一社)for Cities共同代表理事、(一社)ホホホ座浄土寺座共同代表理事。出版レーベル「Traveling Circus of Urbanism」にて都市・建築・まちづくり分野における執筆や編集ほか、京都・浄土寺にて1934年築の洋館を改修した複合アート施設「Bridge Studio」の運営を行う。リサーチほか文化芸術分野でのキュレーションや新規プログラムのプロデュース、ディレクション、ファシリテーション、アーティストとしての表現活動などを、国内外を軽やかに横断しながら活動を行う。



