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アーカイヴとウェブ上の記憶をめぐる作業日誌#5

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    3月13日(水):翻ってみてウェブはどうだろう。

     ゲームと重なるところもありつつ、またちょっと事情が違っている。ゲームの場合、遊んで楽しむのがおおかたの目的で、そこに向けていろいろな要素を仕立ててゆけばよい。また、Nintendo SwitchやPlayStation5のようなゲーム機なら、ユーザーは全員(ほぼ)同じ装置を使うので、装置の違いやばらつきを考慮しなくてもよい。

     他方でウェブはどうか。まず、「ウェブ」といっても、これはたとえるなら器の名前のようなもので、そこにどんなものを盛り付けるか、中身は多種多様である。テキスト、画像、動画、ゲームなど、多様な要素を表示でき、音も使える。そして、いま並べた各種の表現手段を使って、それこそいろんなことがらが表される。それだけに、ウェブページや、そうしたページの集合体であるウェブサイトを設計する人が、もっぱらなにをめざしているかによって、どのようなユーザー体験を想定するかも、大きく違ってくる道理である。

     また、ウェブの閲覧に使われる道具としては、スマートフォンや各種のコンピュータが用いられるわけだが、これらはOSはもちろんのこと、閲覧環境の主要な要素である画面サイズ、解像度、フォントなどが、ユーザーごとにバラバラだと思われる。そういう意味でも、ユーザー体験は多様になるわけだ。

    3月14日(木):パソコンとスマートフォンという話になると思い出すことがある。

      かつて、スマートフォンが普及した暁にはパソコンを使う人はいなくなるだろうと予言した人がいた。なにか新しい道具が現れると、それによって代替されそうな従来の道具は見向きもされなくなるという話が出てくるのは世の常かもしれない。

     なぜスマートフォンが普及するとパソコンが不要になるのか。その話を目か耳にした際、不思議に思った。少し考えてみてこう思うにいたった。ひょっとして、これを述べた先生は、パソコンでプログラムをしたりソフトをつくったり、あるいは絵を描いたり作曲をしたりしない人かもしれない。

     なるほどインターネットで各種のウェブを閲覧するだけなら、スマートフォンだけでも用は足りるだろう。だが、スマートフォンでプログラムを書けるかと言われれば、やってできないことはないだろうけれど、不便極まりない。

     なにより画面の狭さがネックである。何百何千行というソースコードを眺めて、あちらこちらへジャンプしながら作業をするなら、広い画面がほしい。

     もっとも、こう書いてみてさらに思い出すのだけれど、私が小学生のとき、はじめてプログラムを試したのはポケットコンピュータだった。モノクロの液晶で1行しか表示できないマシンで、何十行かのプログラムを書いて動かしていた。とはいえ、1行のディスプレイに文字しか表示できないようなものだったからそれで済んだのであって、グラフィックその他を多用できる現在のコンピュータ向けのプログラムをその環境で書きたいかといえば、やはりノーである。

    3月17日(日):今日はDISTANCE.mediaのイヴェントだった。

     「記憶のデザイン」と題して、作家の柴崎友香さん、哲学者の谷川嘉浩さんをゲストにお迎えし、編集委員のドミニク・チェンさんと私とであれこれ話をするという趣向。

     柴崎さんも谷川さんも、お目にかかるのははじめて。著作を通じてその言葉に触れてきた人とはじめて話すときの感覚は、他の感覚にたとえるのがちょっと難しい。

     というのも、柴崎さんの小説やエッセイであれば、最初の小説である『きょうのできごと』(河出書房新社、2000)以来、20冊以上読んできた。仮に1冊が10万字でできているとしたら、少なくとも200万字ほど、柴崎さんが書いた文章を目から頭に通してきたわけである。谷川さんについても同様で、『フィルカル』という雑誌に載った文章から出発して、ご著書や翻訳書が刊行されるつど手にとり読んできている。

     誰かが書いた文章をそのような規模で読むとなにが起きるか。ヘンテコなたとえをするなら、何年も毎日会社で挨拶をする同僚のような人よりも、柴崎さんや谷川さんのほうがよっぽどよく知っている人のような気がするわけである。

     もちろん、小説や論考が柴崎さんその人、谷川さんその人をそのまま表しているわけではない。なんと言おうか、文字を通じて親しみを感じるようになる。それは一体なんなのかは、分かるようでいてよく分からないことだ。

     それはともかく、イヴェントはとても楽しい時間だった。近い将来、DISTANCE.mediaにレポートが出ると思うので、内容についてはそちらにお任せしよう。

    写真:高橋宗正

    3月21日(木):ウェブを閲覧するとき、いつも隔靴掻痒の感がある。

     といっても、場合によるようでもある。たとえば、動画を見たり音楽を聴いたりする分には、特に支障はない。漫画を読んだりゲームで遊んだりする際にもとくに不満はない。動画や漫画なら、フルスクリーンにして余計な要素が表示されないようにすれば集中もしやすい。

     だが、文章を読むとなると話は別である。文章といってもいろいろあるわけだが、多くの文章について言えそうなことから述べるなら、私はウェブで文章を読みながら、書きこみをしたくなる。それはたぶん、本を読みながら書きこみをする癖があるからで、そうでもない人にとっては問題にならないかもしれない。

     なぜ書き込むかといえば、ページを自分のものにしたいからだ。「自分のものにする」といっても、もちろん所有するという意味ではない。「ここが気になる」「これはなに?」「その話ならこんなこともある」など、文章を読みながら思い浮かぶことをそこに書いておきたい。

     ページに示された文章を目から入れると、脳裡に浮かぶことがある。それを丸ごと捕まえるのは難しいとしても、なかには覚えておきたいこともある。それを余白に書いておきたい。

     それならノートをとればいいじゃないという考え方もある。コンピュータなら、メモ帳その他のエディターにメモを残せばよい。専用のアプリを使えば、ページごととりこんだりもできる。

     それはそうなのだが、できれば余計な手数を費やしたくない。いま読んでいるウェブの当該箇所に書きこみをしたいのだ。

    3月24日(日):以前のMicrosoft Edgeにはその機能があった。

     画面に表示しているウェブページに書きこみをする機能だ。

     そう書きながら、記憶に自信がなくなってきた。ネットを検索してみると、ほかならぬMicrosoftのサポートページに「Webに書き込む 」という項目があった。そこにはこう書いてある。

    「Microsoft Edge は、web ページでメモ、書き込み、落書き、強調表示を直接実行できる唯一のブラウザーです。 いつも通りの方法で手書きのメモや落書きを保存したり、共有したりすることができます。」

     そうそう、これこれ。ただし、記事には日付がなく、いつのものかは不明だ。タイトルの下に小さく「Windows10」と見える。

     私はこの機能が好きで使っていた。ブラウザに表示しているページに、ペンで手書きするように書き込める機能だ。だが、残念ながらどこかの段階で使えなくなってしまった。Microsoftの別のページ「新しい Microsoft Edge で現在利用できない機能」に、「現在作業中の機能と、今後数か月以内に提供予定の機能を次に示します。」という項目があり、その一つに「Web ページに直接書き込む機能 (Web ノートなど)」と記されている。

     私が以前その記事を読んだのは、さて、だいぶ前のことだが、その後ウェブページに書き込む機能が復活したという話は聞いていない。

    つづく

    山本貴光やまもと・たかみつ
    文筆家、ゲーム作家。1971年生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。コーエー(現コーエーテクモゲームス)にてゲーム制作に携わり、在職中から執筆活動を開始。1997年より吉川浩満と「哲学の劇場」を主宰。著書に、『文学のエコロジー』(講談社)『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『心脳問題』(吉川浩満と共著、朝日出版社)など多数。

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