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アーカイヴとウェブ上の記憶をめぐる作業日誌#4
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3月2日(土):八丈島にやってきた。
といっても物見遊山ではない。目下所属している東京工業大学の「未来の人類研究センター」の仕事で来たのだった。
同センターは、美学研究者の伊藤亜紗さんがセンター長を務める組織で、2020年の創設以来、「利他」をテーマに活動を続けている。利他とは、字のごとしで「他を利する」行動のこと。これは一見分かりやすいようでいて、実際になにが利他なのか、具体的に考えていくと、どんどん分からなくなってくる、そんなテーマでもある。
未来の人類研究センターでは、年に一度この時期になると、「利他学会議」という公開イヴェントを開催しており、4回目となるこのたびは、メンバーが八丈島からオンラインでお送りすることになり、冒頭に述べた通り私もやってきたのだった。
本日と明日、八丈島の方や各方面の専門家などを交えて、センターのメンバーとともに4つのセッションを行う予定で私もいくつか参加することになっている。参加者の真ん中にぽんとテーマを置いて、それについてああでもないこうでもないと、その場で思い浮かぶことを提示しあいながら、お互いにとって未知のなにかを探るような対話は本当に楽しい。
そういえば、伊藤さんがさまざまに取り組んできた、人それぞれの個別の身体とその動きについての研究やそこで示される問いは、ここでのテーマであるアーカイヴやウェブとそれを使う私たちの記憶のあり方を考える上でも無視できないものだ。
テクノロジーは、どちらかといえば複数の人びとに共通する用途をかたちにする。他方でそれを使う人間は、生物として共通する要素も多々あるものの、誰一人として同じ人はいない。両者のあいだで何が起きているのか、起きうるのかについては、何度でも検討してみる価値がある。
3月6日(水):八丈島から帰ってしばらく低調だった。
いくつかの予定をキャンセルして、その間メールの読み書きもできないまま数日が過ぎた。
かつて私は電子メールやSlackなどのツールが結構好きだった。この何年か、こと東工大の教員になってから、こうしたツールが今は嫌いになりかかっている。理由は単純で、日々山ほどのメールや通知が届くようになって、読めば読んだだけ仕事が増えるからだ。
加えてSlackのような投稿が流れていくスタイルのツールは、使い方を間違えると情報の濁流が生まれて、なにがなんだか分からなくなったりもする。この件は話し出すと長くなるし、なんだか愚痴っぽくなっていけない。そのうち、ツールのインターフェイスについて考える際に、もうちょっと別の角度から考えようと思う。
話を本題に戻そう。
3月8日(金):しばらく専門学校でゲームのつくり方やプログラミングなどを教えていたことがある。
ゲームをどのように企画して、どのように開発するかといった手順やそれぞれの場面で必要な知識を伝えるのは難しくない。他方で、ゲームをつくるとき、実際にはなにをつくっているのかを伝えるのは本当に難しい。
まとめて言ってしまえば、ゲームをつくるということは、そのゲームで遊ぶ人の経験をつくることにほかならない。だが、ゲーム制作の経験が少ないうちは、ゲームの仕組みをつくることに注意が向きがちである。無理もないことだが、肝心なのはその仕組みで遊ぶ人が、いったいなにを感じたり考えたりするはずかなのだ。
例えば、格闘技ゲームをつくりたいという学生に、どんなゲームをつくりたいかという企画書を書いてもらうと、登場するキャラクターとそれぞれのキャラクターの技(操作法)だけが並んでいるということがある。これはゲームの仕組みではあっても、このゲームでどんな遊びが生じるのかの表現ではない。
重要なのは、このキャラクターとこの技の設定から、実際に二人のキャラクターが戦ったとき、なにが起きるかだ。キャラAは、いつパンチを繰り出したくなるのか。キャラBは、どんなタイミングで隙は大きいもののヒットしたときのダメージが大きい必殺技を仕掛けたくなるのか。ゲームがプレイされるときに生じる具体的な場面と、そこでのプレイヤーの経験を想像する必要がある。
そうしたことを「ユーザー体験(UX)」といったんは言葉にすれば、なにもないよりはましではある。ただし、UXという言葉を使えるようになるだけでは足りない。自分がつくったゲームの仕組みによって、具体的にどんなユーザー体験が生じうるかを想像しなければならない。そしてこれが存外難しいらしい、ということをたくさんの学生たちと話すうちに痛感したのだった。
3月12日(火):ゲームやウェブやその他なんでもよいのだけれど、ユーザー体験について考えたり想像したりするとき、どうすればいいのか。
専門学校や大学で学生たちを相手に試行錯誤するうちに、考えたのはこんな方法である。ゲームを例に述べてみよう。
まず、ゲームを開始する前の状態から出発して、ゲームを始めて終わるまでのあいだに生じる出来事を、できるだけ詳しく想像する。その際は、時間の流れはスローモーションのようにゆっくり流れるとする。特にそのゲームをはじめて触る人を例にするとよい。予備知識がなく、そのゲームについて何も知らない人を想定するわけだ。
画面にゲームのタイトル画面が表示され、テーマ音楽が流れる。これを目にしたプレイヤーはなにを感じ、考えるか。もちろん唯一の正解があるわけではない。あくまでも、こういうことが生じるかもしれないという想像である。早くゲームを始めたいと思って、「ゲーム開始」を選ぶ。画面がキャラクター選択画面に変わる。10人のキャラクターが並ぶのを見て、プレイヤーはどうするか。画面にキャラの外見と名前しか表示されていなければ、選ぶ基準は見た目や名前が気に入るかどうかくらいしかない。もしここに動きの速さや連続攻撃回数などの表記があれば、参考にしたくなるだろう。
──という具合に、ゲーム側の状態変化を追いながら、そのつどプレイヤーに生じる変化を考えてみるわけである。上記では、まだ分かりづらいかもしれないが、想像のなかでゲームをゆっくりと進めながら、ゲーム側とプレイヤー側に起きる変化をよく観察するのがコツだ。特に初プレイの人を念頭に置くのは、予備知識がない人が相手の場合、制作者に都合よく勝手に遊び方を理解したりしてくれないので、仕組みの不備を見つけやすくなるため。
つづく

- 山本貴光やまもと・たかみつ
- 文筆家、ゲーム作家。1971年生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。コーエー(現コーエーテクモゲームス)にてゲーム制作に携わり、在職中から執筆活動を開始。1997年より吉川浩満と「哲学の劇場」を主宰。著書に、『文学のエコロジー』(講談社)『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『心脳問題』(吉川浩満と共著、朝日出版社)など多数。




