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アーカイヴとウェブ上の記憶をめぐる作業日誌#2
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2月12日(月):ウェブに落ち着いてものを読める場所をつくりたい。
また、それと裏腹のことかもしれないが、そうしたウェブサイトは、繰り返し訪れたくなるような場所であってほしい。DISTANCE.mediaやアーカイヴの話をはじめて聞いたとき、そんなことを思った。
目下、いくつかの有料メディアサイトを購読しているのだが、共通して言えるのは、「砂の本」を読んでいるような気分である。「砂の本」というのは、ボルヘスの小説に登場する本で、開くたび違うページが現れて、同じページには二度と巡りあえない、そんな本である。
例えば新聞社のサイトは、絶えず新しいニュースを掲載するのだから、トップページが時々刻々と変わっていくのは当然といえば当然かもしれない。他方で、紙の新聞の場合、物質に固定された紙面が積み重なっていくのであり、それぞれの紙面は勝手に書き換わったり動いたりしない。そこで、いつ見直しても、2024年1月1日の当該新聞は同じままだ。デジタル版は、PDFなどにレイアウトを固定してヴァージョン管理を施しているようなケースを除けば、「砂の本」のように移ろってゆく。SNSでニュース記事へのリンクを見かけてクリック(タップ)してみたら、リンク切れだったということもイヤになるほどある。
それが悪いというのではなく、あまりにも激しく変化するものは、人間の身の丈にあっていないというか、記憶しづらいというか、なにかそんな気がしているのだった。
2月14日(水):では、どうなっていてほしいか。
これはあくまでも私の勝手な希望に過ぎないが、ウェブページの変化について差分も含めて保存し、閲覧を禁じる特段の理由がない場合、いつでも任意のヴァージョンにアクセスできるようになっていてほしい。
仕組みとしては、ソフトウェア開発でよく使われるヴァージョン管理ソフトのようなものだ。あるファイルがあるフォルダに作られる。このファイルに変更が加えられるたび、別ヴァージョンとして保存される。ファイルが削除された場合でも、削除の直前までの各ヴァージョンは保存され続け、いつでも「ロールバック(巻き戻し)」して古いヴァージョンを閲覧できる。
このようになっていれば、めまぐるしく変化しつづけて捉えどころのないウェブサイトでも、一応変化が生じるごとのスナップショットが残るので、固定されたものとして参照もできるようになる。要するに、サイトの時間による変化をまるごと保存しておいてほしいという話である。
もっとも、そうした方法が有効な場合と、そんなことをしても意味がないという場合とがあるので、なんでもかんでもそうしてほしいわけではない。
2月19日(月):ところで、『InterCommunication』に話を戻そう。
この雑誌のアーカイヴを利用する場面を想像してみると、雑誌そのもののアーカイヴに加えて、その号が発行された時代の技術状況も分かるようにするとよいように思う。
例えば、2024年現在のコンピュータ環境に慣れている人には、1994年のコンピュータ環境を想像するのは難しい。たった30年のことではあるが、ことコンピュータに関わる技術は変化が著しい。というのは、いまやフロッピーディスクはもちろんのこと、一時は主要記録メディアだったCD-ROMもほとんど目にすることがなくなっている、という一例を考えてみてもよい。かつてOSをインストールしようと思ったら、何枚ものフロッピーディスクを出し入れして、コンピュータにファイルをコピーしていた、といった状況は、経験したことのある人でも忘れかかっているかもしれない。
そうした時代ごとの技術環境は、街の風景と似て思い出しづらいものだ。例えば、住んでいる家の近所で建物の解体工事が行われている。「あれ、ここにはなにがあったっけ?」とおぼつかないこともしばしばで、それから1年も経てばかつての風景など、すっかり忘れてしまうものだ。技術の環境がどうだったかということも、それに似て、あるいはそれ以上に分からなくなることかもしれないと思う。
『InterCommunication』のアーカイヴの横には、時代ごとのコンピュータや通信技術の環境が分かる資料を置くとよいのではないか、と空想する。可能であれば、技術環境に加えて、社会や文化の諸側面についても同様のことができればなおよい。
つづく

- 山本貴光やまもと・たかみつ
- 文筆家、ゲーム作家。1971年生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。コーエー(現コーエーテクモゲームス)にてゲーム制作に携わり、在職中から執筆活動を開始。1997年より吉川浩満と「哲学の劇場」を主宰。著書に、『文学のエコロジー』(講談社)『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『心脳問題』(吉川浩満と共著、朝日出版社)など多数。



