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Part1 10のキーワードで知るイソザキ

4.廃墟

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    1960年に東京で開催された世界デザイン会議をきっかけとして「メタボリズム」という建築運動が起こる。そこでは菊竹清訓や黒川紀章らが、メガストラクチャーが林立するSF的な都市のイメージを盛んに提案していた。そのメンバーと磯崎は近しい関係にあり、「空中都市」(1960年)などメタボリズムに類する構想を発表したりもしていたが、磯崎はメタボリズムのグループに加わっていない。そこにはやはり決定的な指向の違いがあった。メタボリズムが描く楽観的な未来像を認めることができなかったのである。

    そして磯崎はメガストラクチャーの未来都市に、ギリシャの廃墟を重ねてコラージュした《孵化過程》(62年)を発表する。そこに付された文章には「孵化された都市は、崩壊する宿命にある。廃墟は、われわれの都市の未来の姿であり、未来都市は廃墟そのものである」と記された。

    廃墟のイメージは、その後も強迫観念のように磯崎の作品に付きまとう。1968年のミラノトリエンナーレでは、《ふたたび廃墟となったヒロシマ》を出品。これは原爆で壊滅した広島の写真に、崩れた巨大構造物をモンタージュしたものだった。また、1996年のヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展では、日本から20数トンに及ぶ阪神淡路大震災のガレキを日本館の中に持ち込み、震災直後の神戸を撮った写真とともに展示している。

    建築の実作においても、《つくばセンタービル》(83年)では、サンクンガーデンの一部が崩れ落ちているかのようにつくりあげた。併せて建物が廃墟と化したシルクスクリーン作品を発表している。遠い将来を想定したものかもしれないが、自らの建築の壊れた状態を好んで描きたがる建築家は、磯崎のほかにいないだろう。

    イラスト:宮沢洋
    テキスト:磯達雄


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