F1-3
自閉スペクトラム症(ASD)の感覚世界
健常と障害の距離

- 写真:原田教正
自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder, ASD)の感覚世界とは、どのようなものなのか。認知神経科学の観点からASDの感覚特性を研究している柏野牧夫さんと、NPO法人リトルプロフェッサーズの代表としてASDの人の身体的困難の研究を行う当事者の片岡聡さん、同じく当事者で、ASDの女性の会「カモミール」を主宰していた菊地啓子さんに話を聞いた。見えてきたのは、スペクトラム(連続体)の名の通り、多様な脳が織りなすニューロダイバーシティの世界だ。
取材・文:田井中麻都佳
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Contents
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発達障害とASDについて
——柏野さんは、2010年頃からASDの視聴覚特性とそのメカニズムの解明の研究に取り組まれ、ASDの方たちが独特の感覚世界に生きていることを明らかにされてきました。片岡さんとは研究を通じて以前からお知り合いだそうですね。
片岡さんは2017年5月に放送されたNHKスペシャル『発達障害 解明される未知の世界』にゲストとして出演されて、ご自身の感覚についてお話しされていましたが、私自身、自分との感じ方の違いに驚きました。
本日は、何がこれまで発達障害の方たちとのコミュニケーションの妨げとなってきたのか、ASDの人たちの感覚世界について詳しく伺いたいと思っています。
柏野 その前に、発達障害とASDについて少し補足をさせてください。発達障害というのは、精神機能や行動上のなんらかの特性が発達早期から認められ、生活に支障をきたすものの総称です。大人になってから初めて診断される場合もありますが、その時に発症したわけではありません。特性自体は幼少時からあったけれども見過ごされており、学校や職場などの社会生活のなかで不適応が顕在化したのです。
発達障害にはいろいろな種類があって、細かな注意ができずにケアレスミスをしやすいとか、じっと座っていることが難しいといった「注意欠如・多動症」(ADHD: attention-deficit/hyperactivity disorder)、知的発達全般には遅れがないのに読み書きや計算といった特定のタスクが極端にできない「限局性学習症」(SLD: specific learning disorders)などは、その代表的なものです。
こうした発達障害の特性は、本人の怠慢や、親の育て方などのせいではなく、神経生物学的な原因によるものと考えられています。世界的に広く用いられている精神疾患の診断基準DSM-5[★01]で「神経発達症」(neurodevelopmental disorders)という名称が用いられているのも、この点を踏まえたものです。ただし、原因となる脳部位や関連遺伝子の解明は日進月歩で進んでいるとはいえ、症状のすべてを説明できるにはまだ距離があるというのが現状です。
——ASDも発達障害の一種ということですが。
柏野 はい。ASDは、「社会的コミュニケーションの困難」と、「限局された行動・興味」を特徴とする発達障害です。言葉のニュアンスとか、表情や視線から相手の気持ちを読み取ったり、自分の考えをうまく伝えたり、場の状況に応じた行動をとったりするのが一般に苦手とされます。また、非常に限られた対象への興味や関心が並外れて強かったり、物をきっちり揃えて並べないと気が済まないというようにこだわりが強かったりします。
これらの特性が乳幼児期から見られ、かつ、生活にひどく支障をきたす場合にASDと診断されます。特性そのものは神経生物学的な原因によるとしても、それが支障になるかどうかには環境的、社会的な要因も絡んでくるわけです。特性が強いほど支障が大きいとも限りませんし。

- 柏野牧夫
——なるほど。「自閉」というと「人見知りで内向的な性格」みたいなイメージがありますが、そんなに単純なものではないんですね。
柏野 そして今日のメインテーマですが、ASDには視覚や聴覚、触覚といった感覚において、独特の特性がしばしば見られます[★02 ★03 ]。視覚では、全体的な構造や意味よりも、細部の特徴に注意が向く傾向がある。顔を見て、眉が歪んだことに目がいくが、それが意味する感情はわからないといった具合です。聴覚では、人の足音とか時計の音などの小さな音がどうしようもなく気になったり、掃除機や駅の発車メロディが爆音に聞こえて、耳が痛くて耐えられなくなったりする人もいます。また、聴力検査には異常がないのに、喫茶店など、いろいろな音が混じるザワザワした環境下で会話を聞きとるのが困難だと訴える人もいる。ある種、過敏さと鈍感さがひとりの中に併存するような状態がよく見られます。
ただし、これらの特性はASDの当事者の中でも人それぞれです。
——なぜそれほど、多様な特性が見られるのでしょう?
柏野 ASDに関係する神経生物学的要因は膨大にあって、その組み合わせと環境要因との相互作用で決まるので、多様性が非常に大きいのです。また、症状の程度もさまざまで、定型発達とASDの間にも明確な境界はありません。「スペクトル」という用語はこの多様性と連続性を表現したものです。
最近の調査によると、日本で2009〜2014 年度に出生した子どもの5歳時におけるASDの累積発生率は 2.75%というデータが出ており[★04 ]、決して稀とは言えません。
★01 American Psychiatric Association (高橋三郎、大野裕 監訳): DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル. 医学書院, 東京, 2014. [American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, Fifth Edition.2013]
★02 Lin, I.F., Shirama, A., Kato, N., Kashino, M.: The singular nature of auditory and visual scene analysis in autism. Philosophical Transactions of the Royal Society B: Biological Sciences, 2017 Feb 19; 372(1714). pii: 20160115. doi: 10.1098/rstb.2016.0115.
★03 Robertson, C.E., Baron-Cohen, S.: Sensory perception in autism. Nature Reviews Neuroscience, 2017 Nov; 18(11): 671-684. doi: 10.1038/nrn.2017.112.
★04 Sasayama, D., Kuge, R., Toibana, Y., Honda, H.: Trends in Autism Spectrum Disorder Diagnoses in Japan, 2009 to 2019. JAMA Network Open, 2021;4(5):e219234. doi:10.1001/jamanetworkopen.2021.9234
ASDの「聞こえ」の研究
柏野 われわれは、ASDによく見られる聴覚特性の原因が聴覚系のどこにあるかということを研究しています。耳に入った音は、内耳の蝸牛から脳幹、視床、大脳皮質の聴覚野、さらに言語音なら言語関連領野というように何段階もの情報処理を受けるわけですが、結論から言うと、それらのさまざまな段階で、ASDの特徴が見られます。ひとりの人の情報処理のプロセスにおいて、すべての段階で定型的でないという意味ではなく、ある人はここ、別の人はあそこといった具合に非定型な特徴が表れるのです。
——そのこと自体が、ASDの特性の多様さの要因にもなっているわけですね。
柏野 たとえば、ASDの方のなかには、両耳に到達した音の時間差や強さの差に対する感度が低い人がいます[★05 ]。両耳間差は脳幹レベルで検出され、音源の方向を判断したり、複数の音源のなかから特定のものを選択的に聞き取ったりするうえで重要な役割を果たします。したがって、その感度が低いといろいろな音が鳴っている環境での聞き取りが難しくなると考えられます。
脳幹レベルだけでなく、大脳皮質レベルでもASDの特徴は見られます。言語音の聞こえ方もかなり特徴的なのですが、その話はまた後でしましょう。
★05 Fujihira, H., Itoi, C., Furukawa, S., Kato, N., Kashino, M.: Sensitivity to interaural level and time differences in individuals with autism spectrum disorder. Scientific Reports 12(1):19142, 2022. doi: 10.1038/s41598-022-23346-y.
NPO「リトルプロフェッサーズ」の活動
柏野 さて、前置きがとても長くなりましたが、まずは片岡さんが現在、主宰されているNPO法人「リトルプロフェッサーズ」の活動についてお聞かせください。
片岡 えーっとですね、あのですね……最初、脂が乗るまで話をするのが大変で……ごめんなさいね。
私は大学を卒業した後、研究者として医療系の研究をしていたのですが、ASDの二次障害がひどくなって働けなくなってしまったんですね。二次障害というのは、ASDの特性に起因する対人関係上のストレスや感覚過敏等で引き起こされる、うつや不安症、フラッシュバックといった精神症状を指します。私も統合失調症だと誤診されて、薬を大量に服用するようになり、その副作用もあって仕事を続けられなくなってしまいました。その後、昭和大学の烏山病院で、「片岡さんの場合は単なる精神疾患ではなく、根本原因はASDによるものです」と、初めて正しい診断をしていただきました。40代になってからのことです。
以来、自分のことがかなり客観的にわかるようになりましたが、これだけASDの症状が強いと、普通に働くのは難しいと感じるようになり、2016年に、心理学などの学位をもつ当事者や支援者とNPO法人「リトルプロフェッサーズ」を立ち上げたというわけです。
NPOのメインの事業は、東京都からの受託事業として、都立の特別支援学校へASD当事者を外部専門員として派遣する事業を行っています。具体的には、特別支援学校のASDの子供たち——その多くは知的障害のある子なんですが、この子たちの自傷や他害、大きな声を出すといった行動上の問題、健康上の問題などについて、対応に当たる先生方や、ときには保護者の方に直接お会いして解決へのアイデアの提供を行っています。
じつは、NPOを立ち上げた当初は1年続けばいいかな、くらいに思っていたんですね。ところが、お子さんたちの行動解釈とか対応策とか、私たち当事者のアドバイスが役立つことが多いようで、毎年、少しずつ担当する学校数が増えてきたところです……。
その後、コロナ禍によって状況は大きく変わりましたが、その話はまた次の機会にお話しします。
すみません。まだちょっと緊張しているみたいで……。
——特別支援学校の先生方や保護者の方たちの相談に乗られているんですね。
片岡 そうですね。典型的な1日を紹介すると、朝、特別支援学校に行き、午前中いっぱいはお子さんたちを追いかけます。というのも、発達障害のあるお子さんの場合、廊下を歩きながら「遅延性エコラリア」[★06]といって、何度も同じ言葉を繰り返し叫んだり、落ち着きなく駆け回ったりする子が多いんですね。そこで、お子さんたちを追いかけながら動画を撮り、後でその動画を見ながら、担任の先生の困りごとについて、環境改善などのアドバイスを行っています。
——問題行動の原因が、環境にあるということですか?
片岡 環境は一つの大きな原因になります……。
あの、ごめんなさい、何かぬいぐるみとかブランケットとか、抱くものはないでしょうか……?
柏野 何か抱いたほうが、落ち着くんですね? ぬいぐるみはないけれど、代わりになるものはあるので、ちょっと待ってください。
(一時中断:マフラーを丸めたものを片岡さんに手渡して再開)
片岡 ありがとうございます……。少ししたら落ち着くと思います。
特別支援学校にも、医学的・合理的配慮[★07]から学校の備品としてぬいぐるみを置いているんですよ。だから僕も、会議とかディスカッションの場でぬいぐるみを抱いて臨むことがあります。
柏野 ぬいぐるみを抱くのは、何かに触っていると落ち着くということなのでしょうか?
片岡 ホールド感かなぁ。古い施設だと吸音材とかが入っていなくて、音が響くために感覚過敏に耐えられなくなる子がいますが、そういう子どももおなかを守るような姿勢でうずくまったりします。
菊地 丸くなると呼吸が浅くなるので、それが続くと余計に不安がつのることもありますが、ぬいぐるみとか、何かモノにつかまっていると、ちゃんと息ができるようになってきて、早く回復できるような気がします。それを自然とやっているということなのかもしれません。
——飛行機に乗ると、緊急着陸の際には、頭とおなかを守るポーズをするようにと説明を受けますね。
片岡 そう、身を守る姿勢ですね。ASDって、より野生に近い状態なんじゃないかな。犬や猫も具合が悪くなるとおなかを隠して丸くなるけれど、それと同じような感じだと思います。だから丸くなっている子がいたら、体調が悪いとか痛いとか、感覚過敏でどうしようもないとか、何かしら大変な状況に陥っていると考えられます。特別支援学校の子どもの中には、音声言語をもたない子もいるので、そういう姿勢を見て、適切に対処することが求められるのです。
この会議室は蛍光灯がまぶしくて集中できないですね……。
柏野 では、自然光が入る会議室に移動しましょう。
★06 エコラリア(反響言語 Echolalia)は、他者の発した言葉を繰り返して発声すること。ASDの特徴の一つとされる。相手の発言をすぐにそのまま繰り返す即時性エコラリアと、以前聞いた内容(コマーシャルのフレーズなど)を時間をおいて繰り返す遅延性エコラリアがある。
★07 障害を理由とする差別を解消するために、障害のある人たちのそれぞれの障害の特性に応じて、社会的障壁を取り除くための工夫や調整など。
「社会性」「コミュニケーション」という言葉が生む誤解
片岡 この部屋の自然な明るさはいいですね。ただ、申し訳ないのですが、人の顔を見ないほうがしゃべりやすいので、そうさせてください。横を向いていても、話を聞いていないわけじゃありません。

- 片岡聡
——はい、大丈夫です。NHKスペシャルの番組内容をまとめた『発達障害を生きる』(NHKスペシャル取材班 集英社、2018年)も読ませていただいて、そうした感覚について少し勉強しました。もうずいぶん前のことになりますが、2014年に、片岡さんが柏野さんとともに、東京大学(駒場)で開催された公開シンポジウム『潜在脳と自閉症〜当事者・基礎・臨床の対話から見えてくる社会性障害への新しいアプローチ』に登壇されたことがありましたが、そのときも、そうした感覚や対処法についてお話になっていましたね。
片岡 ああ、あのときはちょっと怒っていたんですね。
——えっ? 怒っていたのですか?
片岡 「ASDの人は社会性がない」とか、「感情がわからない」とか、「空気が読めない」とか、そういうことを言われることが多いけれど、そう決めつけられるとムカッとくるんですね(笑)。ASDの核って、そういうものではないと思っているので……。精神科医の中には、もちろん当事者の話をよく聞いて理解してくれる人もいますが、一方でASDの人の頭のなかまですっかりわかったようなことを言われると、ちょっと違うと思ってしまう。あのときはそういうことを感じていました。
——あのシンポジウムで片岡さんは、いわゆる「健常者」、専門用語で言えば「定型発達」の人のほうが、片岡さんたちから見れば異常に見えることがあるとおっしゃっていましたね。ほんとうはまったく話が噛み合っていないのに、あたかもわかりあえたようにあいづちを打ったりして、とても奇異に感じると。そのお話がとても印象に残っています。
片岡 定型発達の人って、周りの人も自分と同じような見え方や聞こえ方をしていると、無意識に思っている人が多いと思うんですね。でも、自閉/非自閉にかかわらず、人間が100人いれば100通りの見え方、聞こえ方があるのは当たり前ですよね? にもかかわらず、定型発達の人の多くが、当たり前のように他人は自分と同じように聞こえているし、見えていると思い込んでいることが不思議でならないのです。
物理的な側面だけでなく、「社会性」や「コミュニケーション」という言葉の捉え方についても同じです。「社会性」「コミュニケーション」、あるいは「想像力」といった言葉もそうですが、これらの言葉が意味するものは、その人の言語理解や経験によってまったく異なるはずですよね。つまり非常に多義的な意味をもつ言葉でありながら、日常的に使われている。だから、一般的な広い意味合いで、私たちのことを「社会性がなく、他者とコミュニケーションが取れなくて、想像力がない人たち」などと言われると、それはちょっと違うんじゃないかと思ってしまうのです。
当然、ASD研究では、こうした言葉について明確な定義がなされていて、かなり限定的な意味合いで使っています。にもかかわらず、「社会性の障害がある」と聞いただけで、多くの人はわかったような気になってしまう。ASDにおける社会性という言葉を、もっと別の難しい専門用語に訳していたら、こういう問題は起こらなかったのかもしれません。社会性というのは、いかようにも取れる言葉ですからね。
私も菊地さんも、ASDの国際的な診断補助ツールであるADOS-2(Autism Diagnostic Observation Schedule Second Edition)やDISCO(The Diagnostic Interview for Social and Communication Disorders)などで調べると、明らかにASDの診断がつきますし、視覚や聴覚などの感覚については定型発達の方とは相当に違っています。
日常における困りごともいろいろあります。子どもの頃から、人と話が通じないとか、他の人と見え方や聞こえ方が異なるといったことを感じる場面も多かったので、他者と自分は違うということはASDの人のほうがよく認識していると感じます。
菊地 言葉がもつイメージって大きいですよね。私が大好きな児童精神科医で、長く子どもの発達について研究をしていらした故・佐々木正美先生も、「どうして『自閉』なんて言うんでしょうね。彼らは閉じてなんかいないですよ」とおっしゃっていました。ASDの人は社会と関係しづらいという面はあるにせよ、「社会性に問題がある」という表現はどうなんだろうと思います。
うまく身体の動作を連携できないとか、コミュニケーションのタイミングを合わせられないという面から言えば、むしろ「統合失調症」のほうが合っているという人もいます。私もいろいろなタイミングが合わせられない、身動きが取れない、ずれる、という意味では、「統合失調症」という表現でもいいのかな、と思ったりもする。表現の問題ですけどね。まぁ、この名前も不適切ではあるのですが。

- 菊地啓子
片岡 そう、名が体を表すという意味では、統合失調症のほうが近いと思います。もちろんその名前も嫌いですけどね。
困りごとともアプローチも能力も、人それぞれ
——日常生活における困りごとというのは、具体的にはどのようなものなのでしょうか。
菊地 視覚過敏とか聴覚過敏などの感覚過敏からくる困りごとが多いんですね。たとえば、身体を動かしたくても、光がまぶしすぎて見えづらくて、他の人と同じように活動できなかったり、みんなの話に参加したくても聞き取れなかったり、頭が痛くなるくらいの音量に聞こえて、聞き取る努力をしようと思っても熱がわーっと出てきてしまって、何を言われているのかわからなくなったり……身体の機能が全部バラバラになってしまうような感覚です。集中しようと思ってもできないし、身体がうまく使えないので日常生活に支障をきたしてしまう。幸い私自身は、いまは少し回復しました。
——一番辛いのは、音ですか?
菊地 匂いですね。息が浅くなるから、余計に不安になるし、しまいには目が回ってしまいます。高校生の頃は、通学バスに漂う制汗スプレーや化粧品の匂いが耐えがたくて、息苦しくなって動けなくなり、終点まで行ってしまうこともありました……。
片岡 菊地さんの鼻はガス検知器並みで、100m先のガス漏れに気づいたこともあるほどですからね。
——先ほどご紹介した本にも、ASDの人たちは、「炭鉱のカナリア」のような存在だと書かれていて驚きました。それくらい敏感なんですね。
菊地 ただ、そうした困りごとに対して、各人が工夫して対処しているので、私と片岡さんではアプローチがまったく違うのです。身体の使い方、考え方、あらゆる面で違います。だから、同じASDの診断を受けた人でも、当然のことながら個性や性質は人それぞれ。もちろん文化というか、精神性もまったく違います。
片岡 僕らは、生まれてこのかた、健常者から教えられたとおりやっても一度も課題をクリアできたためしがないのです。親が教えるやり方では生活できないので、独自に考えるほかなかった。研究者の言葉で言えば、 “compensation”、つまり代償的にいろいろ試しながら、困りごとに対処してきたというわけです。だから工夫も人それぞれなんですね。
——さきほど、菊地さんがコーヒーの缶の蓋を開けたとき、パキッと音がして、それに対して、片岡さんが反応されていましたよね。どういうふうに気になったのでしょうか?
菊地 健常者の人はそこに注目されるんだな、っていつも思うんですね。でも、片岡さんはパキっという音自体が嫌だったというよりも、突然音がしたことに驚いたのだと思います。パキっという高い音は、それこそ野生の世界では危険音で、それが突然、鳴ったので、片岡さんは負担に感じたのだと思います。
視覚も同じで、突然、何の前触れもなくパシッと光ったりするのが耐えられなかったりします。でもそれも、そのときの体調によって過敏の度合いは違うんですね。
能力も人それぞれで、片岡さんはとても不器用だけど、プレゼン能力に長けていて、言葉の表現力がとっても豊かなのです。私は、パッと見て何かに反応したり、その場で問題を解決したりということはできるほうだと思います。
片岡 自分でも嫌なんだけど、僕は論理を理解したうえで、それに準拠するかたちで考えたり、しゃべったりするタイプなのです。一方、菊地さんは論理なんてまったくわからなくても、物事を観察しながらパズルを解くような感じで、本来、相当に専門的な人にしかできないようなプログラミングや機械いじりなんかをやってしまったりする。僕は根っからの頭でっかちな人なんです。
そういえば、菊地さんは、視覚と聴覚が一体化している、いわゆる共感覚があるよね?
菊地 ありますね。音に色がついていたり、味がわかったり。だから、お料理のときも味見はしません。焼けてきたかどうかは音でわかるし、色や匂いで美味しいタイミングがわかります。逆に大さじ何杯とか言われてもピンとこない。指で3つまみくらいとか、感覚で料理をするんですね。そういうところは、ASDの特徴とは真逆だと言われます。
もう一つ、一般に、ASDはコミュニケーションが苦手とされていますが、私は電話のコミュニケーションはとても得意なんですよ。まわりが静かであれば、背後でご家族がテレビをつけたとか、誰かが呼んだとか、向こう側の空間のあらゆる音が聞こえるので、相手の置かれている状況がよくわかります。相手がそわそわと落ち着かなくなってきた様子を感じて、そろそろトイレに行きたいのかな、とか。そうやって過敏な聴覚を生かすことで、円滑にコミュニケーションに役立てることができるのです。
性差によっても違うASDの表れ方
片岡 ASDが偏ったイメージで語られがちなのは、ASDの研究者が皆、高学歴だからということもあると思うんですね。研究者の人はたいてい高学歴で、感覚的な人よりも論理的な人のほうが多い。頭がいいというか、いわゆる論理操作が得意な人が多くて、そういう人たちの観察に依拠しているので、ASDの理解も偏ってしまったような気がします。
菊地 ただ私は、海外の研究者には少し違う印象をもっています。ASDの人たちの支援をしているゲーリー・メジボフ博士(米国ノースカロライナ大学教授)と初めてお会いしたときに、自己紹介もしていないのに、「Oh! Autistic girl!(やぁ、ASDの女の子!)」と言われてびっくりしたことがありました。そのときに、片岡さんも一緒だったのですが、片岡さんに対しては「Oh! Autistic friend!」と。つまり、一目でどちらも当事者だということを見抜いたんですね。
片岡 そう、菊地さんと僕はまったくタイプが違うのに、一目で当事者だと認識していました。それくらい、海外の専門家のなかには当事者のことをよく理解している人がいるし、配慮もしてくれます。
ちなみに、一時期、女性のASDはほとんどいないと言われていたことがありました。論理操作が得意な男性のASDと、社会的な活動に長けている女性のASDでは、そうとうに見え方が違うように思います。
菊地さんの場合は、ある意味、社会的な能力は非常に高いんですね。僕は論理で世界を理解しがちだけど、たいして役立たない……。
菊地 私は、ASDの当事者である女性たちが集まって悩みごとなんかを相談し合う会「カモミール」を主宰していたのですが、皆さんから、「感覚過敏については、あなたが一番ひどい」と言われるくらいに大変なんですね。それでも何か緊急事態が起きたときは、柔軟に対応できる。グループワークの最中に誰かの具合が悪くなれば、それに対処するようにパッと動くことができるのです。
ただ何かを人に説明しようと思っても、「何を言っているのかよくわからない」と言われてしまうことがよくあります。文章にして何か書こうと思っても、やたら長い、変な文章になってしまって、うまく伝えられません……。
片岡 逆に僕は論理的にしか書けないので、SNSで一行書くのも論文を書くのと同じくらいの労力を要します。菊地さんを見ていると、論理的に理解していなくても、モノの本質やしくみを感覚的につかんだり、料理を楽しんだりしていて、とても大事な能力をもちあわせているんだなと思います。
ちなみに、ASDの当事者で、米国の女性動物学者にテンプル・グランディン[★08]という人がいますが、この方の文章も、編集者が手を入れる前の原文は、一文が非常に長くて、読み解くのがとても難しいのです。そうしたことから、研究者の間では、そのままの文章で出版したほうがASDの理解につながるという意見と、手を入れないと誤解を与える、という意見に分かれるそうです。確かに、彼女の文章は論理的には破綻しているところがありますが、これが極めてASD的な魅力溢れる文章で僕は大好きなのです。
柏野 一概にどちらがいいとは言えないですよね。
ここまで伺ってきたお話は、じつは私はとてもよく理解できるんですね。私自身、子どもの頃から音には過敏で、ピアノの最低音部の音には暴力的な恐怖を感じましたし、馴染みのレコードの曲を思い浮かべると決まったところで入るノイズまで頭の中で再生されました。そういう面だけに目を向ければ、私自身も明らかにマイノリティなわけです。だからこそ、定型発達の人の目線でASDを十把一絡げに捉えたり、異常を治してあげなきゃと患者扱いしたりする態度にはとても違和感をもっています。
片岡 そうですよね。柏野さんは、こちら側の人だと感じていました。しかも、不器用じゃないASDだと(笑)。
柏野 そうでしたか(笑)。私自身は、ASDと診断されたことはありませんが、たしかに特性はかなりあるかもしれません。周囲に恵まれたのか、社会生活上ひどく困ったわけではありませんからね。ASDが障害となるのは複合的な要因によるものであって、それ自体は障害というよりも、人間の脳の多様性の表れだという認識をもって研究に臨んでいます。
★08 米国の動物学者、作家、動物愛護活動家。非虐待的な家畜施設の設計者。半生を描いたテレビ映画『テンプル・グランディン〜自閉症とともに』(エミー賞受賞)により、その功績が広く知られるようになった。ASDの当事者として執筆活動、講演活動も行う。
特有の感覚を生かして、変化を楽しむ
——お話を伺っていて、ASDの方たちの世界は非常に多様だし、それぞれの方の性質もさまざまで、一括りで語るのは難しいということが少し理解できました。感覚過敏もさまざまなのですね。
片岡 大多数の健常者から見ると、僕らの視覚の世界や聴覚の世界は異常であり、病的に見えるかもしれませんが、悪いことばかりではないんですよ。いま聞こえていること、見ているものを即時的に、純粋に楽しむことができる点が、僕らと健常者の人との大きな違いだと思っています。
どういうことかと言うと、電車に乗ればモーター音を楽しんだり、周期的に車輪がレールの継ぎ目に当たる「タタン、タタン、タタン」という音をリズムとして楽しんだりする。航空オタクの人で、ヘリコプターが飛んでいる音だけで、どのメーカーの機種かを言い当てることができる人もいます。ASDの人の中にアートや音楽、学問の世界で才能を発揮している人がいますが、それも独特の感覚世界を楽しみ、表現してきたからこそではないでしょうか。
そうした独特の感覚世界を障害として捉えて、健常者が求める課題をクリアしようと努めるだけではもったいないと感じています。とくに、現在、自分が主宰しているNPO法人リトルプロフェッサーズの活動を通じて、発達障害の子どもたちと接するなかで、そうした思いを強く抱くようになりました。
菊地 片岡さんが言うように、聴覚過敏だからと言って耳栓やイヤーマフに頼るだけでなくて、その方のもてる能力をいかに人の役に立てていけるかを考えていくべきなんじゃないかと思っています。現状は、そういうことを考える場が少ないですよね。
たとえば、聴覚過敏に対して、ただ周囲の音を減らせばいい、というものではないんですね。やりすぎると、まわりの世界の状態が掴みにくくなって、よけいに不安になってしまいます。お母さんの鼓動のように、ゆるやかな変化の繰り返しがあったほうが、安心につながることもあるのです。
平均値という幻想を捨てて
柏野 お二人がおっしゃるように、これが正常で、異常なものは治すべきというモデルで物事を見るのはもったいないと感じています。個性として捉えて、それが適所にうまくハマれば他にはない価値になり得るわけですから。そもそも、皆、多かれ少なかれ違いはあります。その凸凹をすべて足し合わせて平均値を導き出したところで、定型発達だろうが、ASDだろうが、ズバリ平均値という人はいないはずです。
片岡 平均って、嘘をつきますからね。私は以前、薬の開発の研究をしていたのですが、ある成分の容量を定めるときに、代謝能力の高い人と低い人の人数を調べてグラフにすると、フタコブラクダみたいに山が二つできることがよくありました。代謝能力の低い人にとっては、高容量では副作用が出てしまうけれど、代謝能力が高くて副作用が出にくい人には、容量を増やさないと効きません。つまり、平均値をとれば、代謝能力の高い人には効かないし、低い人には副作用が出てしまうということになるのです。
柏野 私がASDの研究をし始めて、最初に気づいたのもその点でした。ASDという診断がついていても、あまりにも人それぞれなんですね。ものすごく賑やかな人もいれば、ものすごく物静かな人もいますよね。
片岡 そうそう!
柏野 むしろ両極端だったりして。聴覚特性についても細かく調べていくと、感度の高い人と低い人の分布が、まさにフタコブラクダのように、両極端に分かれることがありました。こういう場合に平均値の差の検定をしてしまうと、平均値は定型発達群とASD群でさほど変わらず、ASD群の分散は大きくなりますから、群間の有意差が出ないわけです。同じASDという診断がついているのに、グラフの山が二つあるのは、それぞれに別の要因が絡んでいる可能性がある。だからそれらを平均しても意味がない。
片岡 そうですね。
柏野 平均をとると、問題が見えなくなるということはよくある、ということですね。だからこそ、ASDの特性を安易に語ることは危険だし、よく観察しないと本質は見えてこないと思っています。
ドーナツの穴探しはやめて、それぞれの得意を探そう
菊地 私が主宰していた「カモミール」のグループワークの場合、グループのメンバーが集まったら、まず部屋を明るくするのか暗くするのか、誰か外部の人との交渉役を務めるのかなど、メンバーの得意/不得意、できる/できないを確認してから始めるんですね。皆、抱えている症状はさまざまだからです。だから、よく言われるようなASDの特性にぴったりの平均的な人なんていないし、真ん中は空洞というか、ドーナツなんじゃないかと思うのです。
柏野 きっとそうですね。
菊地 グループで臨めば、それぞれ得意なことを生かすことで、できないことなんか何もない気がする。それなのに、社会に出ると、ドーナツの真ん中を探すようなことばかり求められて、それが見つからないから悩んでしまう……。
柏野 それが問題の本質だと思います。私はいま、ASD研究だけでなく、スポーツにおける脳機能の解明をめざす研究をしているのですが、そこで対象としているのがプロ野球選手などのトップアスリートなのです。彼らはまさに平均から逸脱している人たちです。そもそもプロ野球選手の集団自体が一般の平均から逸脱した、身体能力に優れた人たちではあるのですが、さまざまな能力を個別に見ていくと、想像以上に個人差があります。平均的になんでもまんべんなくできる人というのは、案外スター選手にはなれなかったりする。むしろ、パワーがないぶん正確にバットの芯でボールを捉える能力が磨かれたとか、投球フォームがギクシャクしていて打者がタイミングをとりにくいとか、他の人とはまったく違う、唯一無二な存在であることが重要。型にはめるようなコーチングではなく、その人ならではの特長をうまく引き出し、生かすことが大事だと思っています。
菊地 トップアスリートの人はズバ抜けてできることが重要なのかもしれませんが、私は、「できない」ということにも意味があるのかなと感じています。カモミールのグループワークで面白いと感じるのは、誰かが、「私はこれはできない」と言ったときに、「自分にはできる」ということを認識したり、できると思って調子に乗っていたのに、もっとできる人がいることに気づかされたり、できない人に教えることに喜びを感じたり、人と関わることで自分の能力を再確認できたときなんですね。何でもできるようにならないといけないと必死にやってきたけれど、そんなに無理をしなくてもよかったのかなと気づかされることもあります。そもそもできなかったことができるようになるって、楽しいですからね。
片岡 集団の中では、凡庸であるとか、できないという人の役割もありますしね。
菊地 できないことを教えてもらって、人に感謝するようになったり、何かできるようになって感動を味わったり……それこそ、定型発達の人で、まんべんなく何でもできる人には感じられない喜びなのかもしれません。
柏野 一方で、トップアスリートのように、ずば抜けて優れていることが足枷になることもあります。たとえば、プロ野球の投手の中にはとりわけ指先の感覚に優れた人もいるわけですが、その敏感さゆえに、日米のボールの滑り方の違いなど、ちょっとした変化が気になってピッチングが狂ったり、ひどい場合は肘を故障してしまったりすることがある。鈍い人のほうが、多少の変化なら影響されないで済みますからね。
じつは、プロ野球の投手成績とAQ(ASD指数)スコアに正の相関があるという予備的なデータも得られています[★09]。ASD傾向が強いことは感覚の鋭さ、深い興味、他者に左右されないといった点で投手として有利ですが、一つ間違えるとイップス[★10]になるリスクも高まるかもしれない。このあたりの研究も進めているところです。
だから、何が良くて、何が悪いのかということは一概には言えない。一つの軸だけで捉えて、ノーマルか異常かなどを決めつけるのは意味がないことだと思っています。
★09 Yabe, Y., Nasu, D., Kashino, M.: The autism-spectrum quotient in professional level baseball players. Psychonomic Society, Montreal, Canada, November 14-17, 2019.
★10 スポーツの熟練者が、直接的な身体的原因がないのに、特定の動作の際に、思い通りに身体を動かすことができなくなる症状。
ASDは繰り返しを好む?
柏野 じつはちょっと前に、ASDの聴覚研究で新たにわかったことがあるのです。よくASDの人は同じものが繰り返されることを好むとか、いつもと違う状況を嫌がるといったことが言われるのですが、じつはそうではないのではないかと。同じものが繰り返されることを好むのではなく、同じ音声の繰り返しを、同じだとは感じていないのではないかということを示唆する実験結果を得ました[★11] 。

- 図の縦軸は逸脱度(素の単語からどれだけ音素が変化したかの指標)。ASD群の中には、定型と変わらない人もいる一方で、非常に高い逸脱度を示す人もいる。文献[★11]より転載。
そもそも、ASDの人と定型発達の人では、知覚自体が違います。つまり、ASDの人にとっては同じ音声の繰り返しであっても、必ずしも同じものとして捉えているわけではない。もしかしたら変化を楽しんでいるのかもしれません。
この実験では、「バナナ」という言葉を「バナナ、バナナ、バナナ……」と何度も繰り返す音声データ(人間が発声した単語をデジタル処理で反復させた音)を聞いてもらいました。定型発達の人でも、同じ言葉を繰り返して聞いているうちに、程度の差はありますが、「バナナ」が「バナン」とか「ナンバ」とか「ナッパ」に変化する錯聴が起こることは知られています [★12 ]。
これをASDの方に聞いてもらうと、驚いたことに、バナナとは似ても似つかない言葉、たとえば「ペンダント」とか「ハインナイノ」とかに変化する人がいるんですね。各群30人くらい調べると、明らかにASDのほうが逸脱度が大きい人が多い。定型発達の人のほうは、個人差はあるものの、それほどドラスティックには変わりません。この結果は、ASDの人は、物理的に同じものが繰り返されていたとしても、同じ音声として捉えていないということを物語っています。
片岡 わかるような気がします。ASDは繰り返しを好むというのは、ちょっと嘘なんですね。というのも、ASDの人たちにとっては、光も音も対人関係も基本的にストレスに感じることが多いので、反復常同行動をすることで環境へのコーピング(ストレスに対処するための行動)をしているというか、ストレスに耐えるためにやっているところがあるからです。
それから、「バナナ」という連続した音声に関して言えば、ASDの場合、同じ刺激に対しても、まったく違った別のものが瞬時に引っ張り出されるようなところがあるように思います。
柏野 その引っ張りだされようが、びっくりするくらい変化に富んでいるんですね。自分もどちらかというと逸脱するほうだとは思っていましたが、まさかここまで「バナナ」とは似ても似つかない言葉が出てくるとは思ってもみませんでした。
菊地 先ほど片岡さんがおっしゃったように、日常生活を営むうえでは、変わり続ける環境に耐えるために、同じことを繰り返しやることで、変わらないものを確認し、安心感を得ているのだと思います。
一方で、「バナナ」みたいなデジタル音の繰り返しは、サイレンの音に似ていて、ずっと同じものが鳴り続けていること自体に危険を感じてしまう。そういう音って、自然界にはないですからね。でも、サイレンではないし、大丈夫なんだと言い聞かせるうちに、「ペンダント」に変わってしまう、ということはあり得ると思います。
たとえば私の場合、冷蔵庫を開けると、内部のライトが眩しくて耐え難いのですが、「大丈夫、見なくていい。これは光じゃない」なんて言い聞かせていると、突然、口から「緑です」という言葉が出てきたりします。いわば現実逃避なのかな……。自分を環境に慣らそうとするなかで、まったく違うものが出てくるということはあるんですね。
柏野 なるほど。
片岡 確かに、デジタル音の繰り返しと、波のような自然音の繰り返しでは、まったく別モノに感じますよね。
★11 Itoi, C., Kato, N., Kashino, M.: People with autism perceive drastic illusory changes for repeated verbal stimuli. Scientific Reports, 9(1):15866. doi: 10.1038/s41598-019-52329-9.
★12 Kondo, H.M., Kashino, M.: Neural mechanisms of auditory awareness underlying verbal transformations. Neuroimage 36 (1): 123-130, 2007.
ASDの感覚過敏は予測の度合いによるもの?
柏野 この実験で用いた音声と自然発声された音声では、情報量がまったく違いますからね。デジタル処理で反復させた音は毎回完全に同じで予測可能ですが、そのようなものは現実世界には存在しません。たとえば、いまこの環境だって、何も起こらない変化のない退屈な空間と思うかどうかは、人それぞれだと思うんですね。
片岡 いや、僕にとってはまったく予測不可能ですよ(笑)
柏野 要は鈍い人は、多少変化しようが何が起ころうが、あまりびっくりしないけれど、敏感な人は、いちいちびっくりしてしまう、ということなのかもしれません。
片岡 なるほど。よく、感覚過敏の本質は「予測誤差」が大きいからだと言われますが、そういうことなんですかね。僕自身はあまりピンと来ていなかったのですが。
柏野 予測なしには、世の中に対応できませんから、誰しもなんらかの予測はしています。そして、予測とは違った環境変化が起きたときに、1と思うか10と思うのか、人によって驚きの度合いが違うということはあると思います。
菊地 確かに、私の場合は、つねに緊張して生活していて、母親から、「あなたのようにいつも緊張していられない」と言われることがあるんですね。一方で、「あなたのように、すぐに対応できない」とも言われる。つまり、私は初めて触れるものや聞くものに対しては、予測不可能なものであるという心づもりで緊張して臨むことで、即座に対応できるのかなと。でも、だからこそ、いつも張り詰めていて、体力を消耗しすぎてしまう……。ところが、2回目に触れたときに、それが1回目と大きく異なっていると、「ぎゃーっ」と声をあげて驚いてしまったりします。
柏野 あぁ、なるほど。環境にはいろいろなものが絡んでいるから、予測とは大きく異なる場合がありますよね。一連のお話は、ASDの方の感覚過敏を理解するうえで、非常に示唆に富むお話ですね。
生活や食事を整えて変わったこと
——菊地さんは、最近は体調的にだいぶよくなったとお話されていましたけれど、何かよい対処法を見つけられたのですか?
菊地 じつは、少しずつ食事や生活のリズムを見直して、どうすれば自分の身体機能のパフォーマンスを維持できるのかということを突き詰めた結果、いまはうまく調整できるようになったということなんですね。自分はほかの人よりも刺激を受け止めるバケツが小さいので、その小さなバケツをうまく回していくために、必要なエネルギーを効率よく摂ることが大事だと気づいたのです。以前は、イヤーマフやサングラスなしには外出できなかったし、こんなにしゃべったら、翌日、必ず熱を出してひっくり返っていたんですよ。
——食事を変えたということですか?
菊地 それもあります。あと、生活のリズムを見直したことも大きいですね。たとえば、寝る前には携帯電話の画面を見ないとか。刺激に関わらないのもとても大事です。
片岡 僕の場合は食事を改善したことが大きいですね。良質なオイルを摂るとともに、糖質を制限する「ケトン食」に変えたことで、感覚過敏にかなり耐えられるようになりました。僕はさまざまな刺激に対して脳の処理が追いつかないというイメージをもっていて、以前は、脳の栄養となるグルコース、すなわち糖を摂ることが大事だと思っていたんですね。そこで、甘いものをたくさん食べていたのです。
ところが近年、生化学分野で脳の脂質代謝が話題になっていて、ASDの場合も脳を激しく使うので、ケトン体(アセトン、アセトン酢酸、β-ヒドロキシ酪酸の総称で、ブドウ糖がなくなると脂肪を燃焼してエネルギーに換える物質のこと)でエネルギーを補給することが重要なのではないかと考えるようになったのです。そのケトン体のもとになるのが、良質なオイルです。オイルを摂ったからといってASDが治るわけではないけれど、ソフトウエアが優秀になって、働きが良くなるイメージです。
菊地 ココナッツオイルもオリーブオイルも、良質なものは甘みを感じて美味しいんですね。逆に、酸化していたり、純度が低かったりするオイルを飲むとお腹の調子が悪くなってしまう。だから、ちゃんと良質なものを選んで、つねに持ち歩き、必要なときにコーヒーなどに入れて飲んでいます。
ちなみに、私は味覚も非常に敏感で、はじめて自然農法の野菜を食べたときは、感激して声をあげて泣いてしまったほどです。普段食べている野菜は、農薬などの影響なのか、臭いから……。最近は、胸焼けするので砂糖は摂らないようにして、小麦やお米もできるだけカットしています。糖質は、夜にお芋を摂るくらい。芋には食物繊維が含まれていますし、少し炭水化物を摂ると、身体が温まってよく眠れるのです。
——本当にいろいろ工夫されているのですね。
菊地 おかげで体重も減って、筋肉がついて、細マッチョになりました(笑)。アレルギーも改善して、風邪も引かなくなったんですよ。
——少し冷えてきたのに、お二人とも薄着なんでびっくりしていました。
片岡 去年までは僕もすごい寒がりでしたが、いまは薄着で過ごせるようになりました。
僕自身はもともと研究者ですし、オイル摂取で感覚過敏が治るなんて絶対にあり得ないと思っていて、むしろ否定的だったんですよ。ただ、ケトン食が難治性のてんかんに効くことがあるのはよく知られていて、もしかしたらASDにも効くかもしれないとは思って半信半疑で始めたのです。いまではイヤーマフやサングラスを必要としないくらい良くなりました。
それから、糖をカットしたことで、腸内環境が整えられたことも体調が良くなったことと関係しているのかもしれません。最近ブームの、脳と腸内細菌が密接に関わっているとされる「脳腸相関」とも関わりがあるようにも思います。
しかしそれも考えてみれば、当然なのかもしれませんね。人間の歴史から見れば、農耕社会よりも狩猟社会のほうがはるかに長く、人類は長きにわたって脂質から栄養を摂ってきたわけですから。
柏野 なるほど。私自身も、もともと感覚過敏で、いろんな情報が大量に入ってくる感覚はもっているんですね。飲食店とかでも、ありとあらゆる人の会話や音が流れ込んでくる。ただ、それでも困らないのは、オーバーフローせずになんとか処理できているからだと思います。先ほど菊地さんが感覚を受け止めるバケツとおっしゃったけど、そのキャパシティが比較的大きいのかなと感じていました。
しかも、私は胃腸だけは異常に丈夫なんですよ(笑)。何を食べてもお腹を壊したことがない。それがバケツのキャパシティとも関係しているかもしれません。
ただ、意外だったのは、ASDはE/I比、すなわち脳のシナプスの興奮(excitation)と抑制(inhibition)のバランスが適切でないということが言われていて、理論上はこれが感覚過敏や鈍麻の原因になりうるので、私自身はそこをうまく調整できればいいのではないかと考えていたのですが、エネルギーをうまく補うことで対処できてしまったという点で……。
片岡 もちろん抑制のほうを調整するということもできるんでしょうけど、人によって特性はさまざまですからね。エネルギーを摂取するほうが手っ取り早いということなのかもしれません。
注目される存在を超えて、楽しいASDへ
片岡 じつは、発達障害だと診断された子どもの中には、食べ物や眠りの質が悪いだけの子が混じっていることがあるのです。生活を改善すると症状が治る子がいます。
あるいは、知的障害のあるお子さんで、ASDのお子さんがパニックを起こした際に先生にやさしく介抱されていたのを見ていて、自分もそうされたいからと、ASDの子を真似て、感覚過敏などの症状を訴えることもあるのです。
菊地 私たちのグループにも、聴覚過敏を訴えてやってくる人がいますが、なかにはASDではなく、うつなど他の疾患の方が混じっていたりすることがありますね。
柏野 そこは我々、研究者も気をつけなければならないと感じています。本人の主観と見立てだけでは、表面上は似ていても、原因はまったく別ということがあり得ますからね。
片岡 それにしても、なぜ数年前から発達障害やASDが注目されるようになったのか不思議でならないのです。僕がASDだと診断されたのは2010年ですが、2013年くらいからNHKなどテレビで取り上げられるようになり、一時期はブームの様相を呈していました。
しかも、日本では「私たち発達障害は」などと語る人も多い。ここまでお話してきたように、発達障害というのは非常に多様ですから、一括りにはできないのですが。
発達障害の診断書が欲しくて病院に来たのに、診断がつかなかったと言って、廊下で騒いで揉めている人を見たこともあります。
柏野 それはもしかすると、特別な存在になりたいという思いがあるのかもしれませんね。もちろん、そう訴えている人も、それぞれ生きづらさを感じているのでしょうけどね。
片岡 まずは生活と食事の改善、そして運動することをおススメします。私自身、そうやって体調がよくなってくると、ASDであることは感覚世界を楽しみ、人生を楽しむための長所だと思えるほどです。
菊地 生活改善って難しいし、お金がかかることだと思っている人も多いけれど、まずはお菓子をやめるだけで違ってくると思います。そうすることで、サングラスやイヤーマフなどの補装具もいらなくなるし、薬代も減ります。
片岡 そうやって改善できてしまったら、発達障害への注目も減ってくるかもしれませんね。うまくいかない原因を発達障害に求めたいという人も減るかもしれない。ASDが注目されるような特別な存在ではなく多様性の一部であるという認識をもってもらうためにも、私もより楽しく生きていきたいと思います。
柏野 私も研究者として、ASDの人たちのより深い理解につながるような成果を示していきたいと考えています。

- 柏野牧夫 かしの・まきお
- NTTフェロー、NTTコミュニケーション科学基礎研究所柏野多様脳特別研究室長、東京大学大学院教育学研究科客員教授。1964年生まれ。1989年東京大学大学院修士課程修了。博士(心理学)。人間の知覚や行動のメカニズムとその多様性について、脳・身体・環境の相互作用の観点から研究している。著書に『音のイリュージョン――知覚を生み出す脳の戦略』(岩波書店, 2010)、『空耳の科学-だまされる耳 聞き分ける脳』(ヤマハミュージックメディア 2012) 他。

- 片岡聡 かたおか・さとし
- 特定非営利活動法人リトルプロフェッサーズ代表。東京大学薬学部薬学科卒。博士(臨床薬学・千葉大学薬学研究院)。「感覚過敏・身体症状からの回復」(『こころの科学』2019年9月号 日本評論社)、「障害性が覆い隠すASD児の健康問題」(『そだちの科学』2020年4月号 日本評論社)ほか、障害当事者としてASD由来の感覚過敏や身体症状を食生活で改善させた経験から実践的研究と啓発を行う。

- 菊地啓子 きくち・けいこ
- 元ASD女性の会「カモミール」主宰。長年、札幌市でASD女性のピアサポートを主宰。現在、複雑性PTSDによる自身の記憶障害と向き合っている。自身の困難を楽にするためさまざまな精神疾患の人たちの傷つきと回復に学び、よりよく生きる方法を模索している。「DSM-5のASD診断基準は自閉症理解の架け橋となるか」(『心理学ワールド』67号 日本心理学会 2014年)ほか当事者としての寄稿あり。



