F2-1-9

Part1 10のキーワードで知るイソザキ

9.ジェンダー

10のキーワードで知るイソザキの画像

Contents

    磯崎新は国内外で数多くの建築設計コンペで審査員を務めた。その審査結果を振り返ると、建築の新しい流れとなる重要な作品を選んでいることも少なくない。《パリのラヴィレット公園》(設計:バーナード・チュミ、1989年)や、《せんだいメディアテーク》(設計:伊東豊雄、2001年)がその例だ。そしてもう1点、女性建築家を多く選出していることも、大きな特徴と言える。

    まず1982-83年に香港のヴィクトリア・ピークに建てるクラブ施設のコンペで審査員の一人を務め、途中のふるい分けで落とされていた案の中から、当時はほとんど知られていなかったザハ・ハディドの案を拾い出し、1等へと押しあげた。このプロジェクトは結局のところ実現に至らなかったが、後に彼女が世界各国で大きなプロジェクトを手がける建築家になることはご存知の通り。

    1986年の《湘南台文化センター》コンペ、1988年の《坂本龍馬記念館》コンペでは、それぞれ長谷川逸子、高橋晶子を最優秀案に選んだ。長谷川は1970年代から活躍していたが、作品のほとんどは住宅だった。以後は文化施設や学校など、公共建築を多く手がけるようになる。高橋はアトリエ事務所に所属しており、このコンペ1等を機に高橋寛と共同で事務所を設立し、活動を続けている。また、1995年の《横浜港国際客船ターミナル》コンペにおいても、無名のアレハンドロ・ザエラ・ポロとファシッド・ムサビのコンビを最優秀に選んだ。2人のうちひとりは女性である。

    コンペでは、あくまでも匿名の審査資料を見て選んでいるので、女性を選ぼうとする意図があったかどうかはわからない。しかし設計者を推薦するキュレーションの際でも、磯崎は女性建築家を積極的に登用している。

    コミッショナーを務めた「くまもとアートポリス」(1988-98年)では、初となる民間施設のプロジェクトで妹島和世を指名。彼女もこの時点では、数件の住宅しか実績がなかった。また、《岐阜県営住宅ハイタウン北方》南ブロック第一期では、建築コーディネーターとして、妹島和世、高橋晶子、エリザベス・ディーラー、クリスティン・ホーリーと、4名の女性建築家を選び、設計を競わせている(1994年)。

    近現代の建築史を見ても、名を成した建築家で女性の割合は圧倒的に少ない。女性建築家は非常に特殊な存在であった。そうした状況の中で、建築を変える一つの大きな原動力となるのがジェンダー的な多様性である。磯崎新はそう考えていたのかもしれない。

    イラスト:宮沢洋
    テキスト:磯達雄


    8.本 < 前の記事
        次の記事 > 10.群島 ユートピア

    Recommend おすすめ記事