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Part1 10のキーワードで知るイソザキ

5.万博

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    1970年に大阪で開催された日本万国博覧会で、磯崎新は丹下健三の下で《お祭り広場》の設計に協力する。お祭り広場は博覧会のシンボルゾーンとして考えられたもので、291x108mという巨大なスペースフレームを地上30mに持ち上げている。その下では可動式の客席が設けられ、日々のイベントに応じて、異なる上演空間を生み出せるようになっていた。そこに建築はなく、一時的な環境を現出させる装置と、それをサポートするインフラがあるだけだった。パリの《ポンピドゥー・センター》(77年)のコンセプトを、先取りしていたものとも言えるかもしれない。

    磯崎が設計したのは、照明、音響、演出などをサポートする巨大なロボットのような動く機械である。2体あり、そのうちの一方は投光器を納めた透明の球が2つあることから「デメ」と名付けられた。こちらには腕が2本付いていて、伸ばすと作業台として使えるようになっていた。もう1体は演出者が乗って指令を出すためのもので、こちらは「デク」と呼ばれた。

    開会式の日、磯崎は倒れてしまう。万博のメイン施設に設計者としてかかわり、それを世界中から訪れる人たちに披露できるのだから、普通であれば晴れがましい思いだろう。しかしもともと反体制的なスタンスをとっていた磯崎にとって、万博という国家的イベントにかかわることは、大きな後めたさを伴うものであり、溜まったストレスが爆発したのだ。「戦争遂行に加担したような気分」とまで後に記している。

    万博での罪悪感から1970年代の磯崎は、社会的な文脈や技術的な制約から建築を切り離し、純粋なる形態として操作する「手法論」へと向かっていく。

    イラスト:宮沢洋
    テキスト:磯達雄


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