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Part1 10のキーワードで知るイソザキ

3.社交

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    建築家、磯崎新のデビュー作は長らく《大分県医師会館》(1960年)とされていたが、2010年代になって、それよりも早く、磯崎がまだ大学院生だった頃に手がけていた幻の作品が発見された。それが《新宿ホワイトハウス》(57年)である。

    この建物は美術家の吉村益信のアトリエとして建てられたもの。吉村は大分の高校で磯崎と美術グループを結成して活動していたという間柄だった。完成したアトリエには、赤瀬川原平、篠原有司男、荒川修作らも出入りするようになり、「ネオ・ダダ」の拠点となる。このほか、山口勝弘や岡本太郎とも交流を持ち、日本の先端的な美術シーンに磯崎は浸っていた。建築をアートやパフォーマンスとして捉えるような視座は、この頃からすでに育まれていたものなのだろう。

    つながっていたのは美術家ばかりではない。写真家の東松照明、石元泰博、篠山紀信、音楽家の一柳慧、武満徹、小説家の辻邦生、大江健三郎、舞台演出家の鈴木忠志など、人脈は文化事象の全般に及んでいる。

    『建築文化』1985年10月号の磯崎特集は「JET SET ISOZAKI」というタイトルだった。世界中をジェット機で飛び回り、数多くのプロジェクトを進めている様子から採られたものだ。クライアントとなる各国の大物と付き合い、設計コンペでは名だたる有名建築家と競い合う。人脈のネットワークは、海外にも広がっていった。

    1991年から10年にわたって開催された「ANY会議」では、ピーター・アイゼンマン、イグナシ・デ・ソラ・モラレスとともに中心的な役割を果たした。この会議には、建築家だけでなく、ジャック・デリダ、柄谷行人、浅田彰といった哲学者、批評家も参加した。

    これほどまでジャンルや国境を超えて先端的な人のつながりを持った建築家は類がない。いや、建築界の外を眺めても、唯一無二であろう。

    イラスト:宮沢洋
    テキスト:磯達雄


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