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ぬか床と考える、脱人間中心主義のデザイン

人間と非人間の距離

ぬか床と考える、脱人間中心主義のデザインの画像

テクノロジーとのコミュニケーション・デザインのなかに、「主観的価値」「ノイズ」「微生物」といった「制御できない何か」を加えると、人間と人間でないもの(ノンヒューマン)の〈あいだ〉に新しい距離(関係性)が生まれてくる。DISTANCE.mediaの編集委員を務めるドミニク・チェン(情報学)と、共同研究者のソンヨンアさん(アフェクティブデザイン)、城一裕さん(音響学)らが、自身らの共同研究を起点にして、人間と非人間のあいだの新しいコミュニケーションの可能性について語り合った。

構成:関亜希子
人物写真:前田立

本鼎談は、2023年3月29日に開催された『DISTANCE.media』のプレイベントの内容をもとに編集・加筆して掲載しています。

Contents

    心に働きかけるインタラクションデザイン

    ドミニク・チェン 本日は、『DISTANCE.media』のプレイベントとして、本メディアの編集委員を務める私と、共同研究者であるソンヨンアさん、城一裕さん3人の研究を紹介するとともに、その内容を掘り下げていきたいと思います。私たちの研究はいずれも、人間と人間以外のものとのかかわりに、ある種の〈ゆらぎ〉のようなものを加えることによって、その関係性を問いなおす、さらには人間という存在を非人間側から捉えなおす試みと言えます。それによって、従来の人間中心主義のテクノロジーデザインを再考し、テクノロジーとの新たな関係を模索したいと考えています。まず、ソンさんのご研究紹介からお願いいたします。

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    ドミニク・チェン

    ソンヨンア 私はインタラクションデザイン、なかでも「アフェクティブデザイン」を主な研究対象としています。「心に働きかけるインタラクションデザイン」と言っていますが、技術やデバイスが人間の心と行動に与える影響に関心をもって研究活動を行ってきました。そのなかからいくつかの研究についてお話しします。

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    ソンヨンア

    “温かいところ”に、人は集まる

    《Thermotaxis(サーモタクシス)》ソンヨンア 鳴海拓志 赤川智洋(2008)

    ソン 博士課程で行った研究の1つは《Thermotaxis(サーモタクシス)》というアート作品の提案です。参加者に、耳当てをつけて何もない空間を歩き回ってもらうのですが、その耳当てには場所によって温度が変化する仕掛けをほどこしてあります。すると、温かいと感じるところに人々が集まるんですね。

    thermotaxisは日本語で「走熱性[★01]=生物が温度による刺激で移動する性質」という意味をもつ言葉ですけれども、人間の場合も温かいと感じる場所に自然と集まって、知らない人同士がコミュニケーションするようになります。そのような感覚に基づく行動誘導によって、心の壁を取り払うことや、新しいコミュニケーションを生み出す方法をデザインできるのではないかと考えました。

    ★01 生物がその移動運動を温度勾配の上、または下に向ける性質。すなわち、温度によって運動の向きを変える性質のこと。温度走性とも。

    人間のいない時間のデザイン

    《Handybot》Samsung Electronics(2021)

    ソン 卒業後、サムスンの研究所に所属していたときには、《Handybot》の開発プロジェクトに携わりました。これは1本のアームを持つロボットで、人が家にいないときに、ほかの家電と協力して出しっぱなしの食器や脱ぎっぱなしの服を片付けたりします。家事を手伝うロボットなら、ほんとうは腕が2本あったほうがいいのですが、ロボットアームは高価なため1本にできないか検討しました。その議論のなかで、人間がいない時間を活用すれば腕1本でゆっくり作業してもいいのでは、と気づいたのです。このプロジェクトが、「人間のいない時間のデザイン」ということについて考えるきっかけになりました。

    身体から生えてくるロボット

    《Puff Me Up!》ソンヨンア 鳴海拓志 新山龍馬(2021)

    ソン その後、アカデミアの世界に戻ってからはソフトロボットに関する研究を行っています。現在は《Puff Me Up!》という体から生えてくる柔らかい分身ロボットを開発し、それを人がどのように利用するかについて研究しています。

    一般的な工学系のアプローチは、必要な要件を定めて、決められた要件を満たす開発方法がほとんどです。けれども、ソフトロボットのように自由度が高い開発では、応用可能性が無限にあることから自ら評価軸を決めなければなりません。そのためワークショップなどを通じてアイデアを募ったり、一緒に探索したりすることを通じて、評価軸を見つけ出しています。その過程はとてもおもしろく、評価軸そのものが新しい価値を提案しているということにも気づかされました。多くの人とともに考える機会があったからこそ、このような気づきがえられたのだと思います。

    愛着を測るデザイン

    《Rapoptosis》ソンヨンア 橋田朋子 上岡玲子(2019)

    ソン 最新の研究活動に、《Rapoptosis(ラポトーシス)》というものがあります。女性研究者によるリサーチ・エンジニアリングチームCHORDxxCODE(コードアンドコード)のメンバーである上岡玲子さん、橋田朋子さんと一緒に立ち上げたプロジェクトです。多細胞生物には、個体全体の健康を維持するため積極的に細胞が自死する、アポトーシス(apoptosis)という仕組みが備わっています。そこから着想を得て、あまり着ていない服がみずから死を選ぶかのように所有者の元を去っていくというコンセプトを提案しました。Rapoptosisはrenatus via apoptosis、アポトーシスによって生まれ変わるという意味の造語です。

    具体的には、クローゼットに一定期間着ていない服があると、まるで自殺を図るかのようにハンガーから勝手に落ちます。そして「いままでありがとう」「私との思い出を忘れてない?」というようなメッセージをTwitterで所有者に送ります。それを見て所有者が自分にとっての服の価値について考え、手放すことに合意したら服がみずからをオンラインで中古販売して、次の所有者が決まったら自走する段ボールで回収され、「さようなら」と言って去っていくというシステムです。

    このような体験は、その人の服に対する思い、つまり個人の「主観的価値」の再考につながります。実際にワークショップなどでシステムを体験してもらうと、価値というものに関する2つの大きなポイントが見えてきます。1つは、服の価値を決めるにあたっては、使用頻度よりも「思い出」や「愛着」といった主観的価値のほうが大きく影響するということ。ゆえに、もう1つのポイントとして、システムは所有者が服に対する主観的価値に気づくよう促す役割を果たし、服の価値はシステムが客観的に決めるのではなく、所有者に決定を委ねることが極めて重要であるということが見えてくるというわけです(図1)。

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    図1 主観的価値を再考する――モノの主観的価値のダイナミクスを基盤とした循環型経済のインタラクションデザイン

    これは、服に限りません。いろいろな身の回りのモノに対して、買うとき、または手放すときの購買的視点からの客観的価値だけではなく、それを所有しているあいだに起こりうるさまざまな所有者個人の主観的価値の変化要因――「Driving Force」と呼んでいますが――そうしたことを意識する仕掛けをつくることで、モノの循環を促すサービスや、主観的価値を大切にするサービスの開発につながる可能性があります。モノと人とのディスタンス、距離について考えるという意味で、今後、取り組みたいと考えているテーマです。

    ドミニク 服が家出するかのようにいなくなるという状況に直面したら、かなり新鮮な驚きを感じると思います。「主観的価値」は工学的、定量的に測ったり、一意に決めたりすることが難しいものですね。それをどうやって捉えるかが、長期的な時間軸で見ると重要になってきますよね。

     《Rapoptosis》は、テクノロジーの使い方がユニークですよね。服そのものは、他人から見れば他にいくらでもある服にすぎないわけですが、所有者にしかわからない価値がある。そのことを実感させてくれる仕組みをつくったのは大きな意味があると思います。

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    城一裕

    ソン ワークショップでは、自分の服を持ってきてもらってハンガーにかけておき、それを実際に落とすのですが、皆さんけっこう衝撃を受けています。大量生産された服であっても、自分が着て、いろいろな体験をした思い出が蓄積されているんですよね。そのことが価値を生み出しているという点が、興味深いところです。

     シミやほころびみたいなマイナス要素が、むしろ大切だったりするわけですよね。

    計算機の外側にあるものを考える

    城 僕は「音響学」と「インタラクションデザイン」をバックグラウンドとした研究活動を行っており、現在は「音響および映像における忠実性(fidelity)の再検討」をテーマとした研究に取り組んでいます。音響や映像は、いまやほとんどが計算機のなかのデジタルデータとして処理されていますが、それだけではないことを示したい。計算機の外側にあるものについて、積極的に考える機会となるような表現を模索しています。たとえば、人間の力でなく微生物に頼って一緒に表現を生み出していくことによって、「忠実な再現」というものに疑いの目を向ける試みです。理論を構築するというよりも、実際の作品をつくって発表することによって、オーディエンスと対話しながら検討を重ねています。

    このような問題意識の背景には、AIの驚異的な進歩があります。たとえば、2016年に発表された音声認識・合成モデルのWaveNetは、音声データをディープニューラルネットワークで直接学習させることで、従来のモデルよりも自然な音声合成を可能にしました。

    従来の音声合成モデルは、波形接続型TTS(Concatenative TTS,TTS: Text To Speech)とパラメトリックTTS (Parametric TTS)という2種類に大別でき、前者は音声を細かな断片にしてつなぎ合わせていく技術、後者は音声の特徴を抽出し、確率分布を使用して統計的に合成する技術です。WaveNetは、後者のパラメトリックTTSの一種ではあるものの、波形サンプルそのもの(生データ)をディープニューラルネットワークにそのまま食わせることで、意味のない音のつながりを自然な言語のように合成することや、大量のピアノ曲のデータから新しい曲を生成することも可能になりました。

    さらに、2020年に発表されたJukeboxは、音楽のジャンルやアーティストを指定すると、歌詞も入った楽曲を自動生成できるようになっています。データさえあれば、過去のアーティストの新曲もつくれてしまう。同様のことはMidjourneyやStable Diffusionのような画像生成でも起きていますし、ChatGPTによって自然なテキストも生成できるようになってきました。

    こうなると、創造において人間は何をすればいいのか。かつて、情報理論のパイオニアであるクロード・シャノンは、通信のモデルにおいてシグナル(信号)が情報源→送信機→受信機→目的地と伝わっていく過程で、送信機と受信機の間のノイズ(雑音)をできるだけ下げる、つまりS/N比(シグナルとノイズの比率)をできるだけ大きくすることが重要であると説きました(図2)。以来、ノイズの排除がコミュニケーションのテクノロジーでは重視されてきたわけですが、いまやソース自体もコンピュータでつくることができ、劣化しないことが当たり前になっています。そうなると逆にノイズに目を向けてみることも必要ではないか。S/N比を下げていっても伝わるなら、そこに人間による創造のヒントがあるのではと僕は考えました。

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    図2 クロード・シャノンの通信モデル

    「忠実性」のなさを愛でる

    《Mary had a little lamb》城一裕 ポール・デマリニス(2019)

     具体的な試みの1つが、尊敬するメディアアーティストで、1970年代初頭から音響機器やコンピュータによるインタラクティブな作品を生み出してきたポール・デマリニスさんと一緒につくった《Mary had a little lamb》(メリーさんの羊)という作品です。まず、エジソンが最初に蓄音機に録音したと言われている言葉「Mary had a little lamb」を、PWM(Pulse Width Modulation)という形式のデジタル音声ファイルに変換します。その0と1を白黒のグラフィックに再度変換して、円環状のバーコードのような形にプリントアウトします。プリントした部分は紙の表面よりほんの少しだけ盛り上がっていますから、磁力の強いネオジウム磁石を押し当てながら動かすと、わずかな盛り上がりに応じて磁界が変化し、そばに配置したコイルに電流が流れる(図3)。その電気信号を増幅すると音が聞こえるという仕組みです。

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    図3 紙のレコードの再生のしくみ

    実際に再生すると最初はザーッというノイズに聞こえますが、注意深く聴いていると「Mary had a little lamb」と聴こえてくる。それは空耳ではなく、一度認識できてしまうと、そうとしか聞こえなくなります。エジソンも機械から聞こえる声について、一度聞こえてしまうと逃れられない、というようことを言っています。もしかするとこの作品は、エジソンの蓄音器の発明から150年近く経って、あえて同じようにS/N比を下げることで、シグナルとノイズの関係性を再発見したと言えるかもしれません。これが「音響における忠実性の再検討」の例です。

    微生物と「映像」を生み出す

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    《発光細菌とデジタルスクリーン製版を用いた映像の検討》佐伯拓海 城一裕(2023)

     「映像」では微生物の助けを借りました。学生の佐伯拓海さんが中心に行っている研究で、海洋性発光細菌を培養してインクとして用い、デジタルのシルクスクリーン製版技術で寒天培地の上にテキストを印刷します。最初は印刷した場所だけが文字として光って見えるのですが、時間が経つと細菌が増えて文字の形が変わっていきます。細菌は単にその場所で繁殖しているだけなんですが、12時間後でもかなり変化し、2~3日経つともう文字として判別できないぐらいになります。テキストを印刷しただけのものが、時間とともに変化する。時間軸に沿って変化する視覚的な表現を映像と呼ぶことができるのであれば、これもひとつの「映像表現」と言えるのではないかと考えました。

    違う版や違う培地を用いれば、もっと違う形の「映像」を生み出すことができる。同じ版でも、ちょっとパラメータを変えれば細菌の繁殖状態が異なり、異なる形に変化していくでしょう。レコードや印刷という複製メディアにおいて、通常はそのように忠実性が低いものは評価されないわけですが、むしろそのアウトプットの違い、多様性を愛でるといったことを、これから提案していきたいと考えています。

    ドミニク 紙のレコードと発光細菌の作品に通底しているのは「ノイズ」ですね。そこに人間がどのような意味や価値を見出すかということが、AI時代における人間の創作、創造のヒントになるのではないかと感じます。

    〈会場から〉伊藤光平(微生物学者、株式会社BIOTA代表取締役) 質問ですが、S/N比でノイズのほうを増やしていくと、ノイズ自体がメインになる、ノイズのほうが重要になるというような逆転現象はありえるのでしょうか。

     音楽でもノイズミュージックという、まさにノイズ自体を愛でるようなジャンルがあります。けれど、そういうものは別として、ノイズ比率が増えれば増えるほどシグナルが残っていることが重要になると思っています。紙のレコードも「Mary had a little lamb」が揺るがないシグナルであるという前提があるからこそ意味があると言えますよね。伝えたいシグナルがなくてノイズだけになってしまうと判断も評価もできなくなってしまいます。

    ここでは「ノイズ」という言葉をあえて使いましたが、これは音だけでなく多様な意味を含みます。一見、余分とか不要だと思われているさまざまな要素のことをまとめて「ノイズ」と言ってしまっているので、そこをもう少していねいに掘り下げていきたいな、と思っています。

    ぬか床の微生物との相互ケアで生まれるもの

    ドミニク 最後に僕から3人の共同研究プロジェクト「Ferment Media Research(発酵メディア研究)」についてお話しします。

    僕とソンさん、城さんに加え、発酵デザイナーの小倉ヒラクさん、今日もご来場いただいているプロダクトデザイナーの守屋輝一さん、そして同じくデザイナーの三谷悠人さん、関谷直任さんのチームで取り組んでいます。現在、進めているテーマは2つ、ぬか床サイボーグ「Nukabot」(ぬかボット)を用いた「自然存在との相互ケア的な関係性を築くコミュニケーションデザインの提案と実践的評価」と、「東アジアにおけるモアザンヒューマン文化の研究調査とそのデザイン理論への接続」です。

    ぬか床の微生物と会話する

    《Nukabot》ドミニク・チェン ソンヨンア 城一裕 小倉ヒラク 守屋輝一(2019〜)

    ドミニク Nukabotは、このDISTANCE.mediaの今回の特集「新しい距離を考える」のテーマの一つ、「人間中心主義から自由になる」ということにも関わる研究です。図4に示したように、工学分野におけるヒューマン=コンピュータ・インタラクション(HCI)と、人文学で研究されているモア・ザン・ヒューマンという概念が重なり合う、アニマル=コンピュータ・インタラクション(ACI)分野の研究と位置づけています。ACIでは、イヌ、ネコ、ゾウなどの哺乳類、植物やキノコ類と人間がコンピュータを介して向き合うさまざまな研究が行われていて、そのなかでわれわれはとくに、ぬか床のなかの微生物とのコミュニケーションや関係性構築をテーマとしています。

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    図4 Ferment Media Research(発酵メディア研究)の研究領域

    Nukabotのプロトタイプを最初につくったのは2019年。そのときはスマートスピーカーのような外見でしたが、木桶になって生き物というか妖怪っぽくなり、最新版のversion.4は陶磁器製です。これは鹿児島県の陶磁器作家、城雅典さん(城さんの弟さん)にお願いしてつくっていただいたもので、日本科学未来館で今年(2023年)の9月まで展示中です。また、双子のもう片方の子が、下北沢にある小倉ヒラクさんのお店「発酵デパートメント」の一角に住まわせてもらっています。

    機能面では、センサー、スピーカー、音声認識機能を搭載しており、自身の発酵状態に関する質問に答えたり、かき混ぜるタイミングについて教えてくれたりします。それだけ聞くと、ぬか漬けをうまく漬けるための便利な道具にすぎないと思われそうですが、僕たちの目的はそこではなく、微生物と人間の関係性にテクノロジーがどう介入できるかの研究です。ですから、商品化できるぐらい本気でつくっていますが、商品化の予定はいまのところありません。

    「ケアしたい」という感情が生み出す倫理

    ドミニク 以前の論文で、ぼくたちが主に参照した環境倫理学者のマリア・プッチ・デ・ラ・ベラカーサ(María Puig de la Bellacasa)さんの著作に、『Matters of Care:Speculative Ethics in More Than Human Worlds』(University of Minnesota Press, 2017)という一冊があります。このなかで彼女は、自然環境保護において人間が自然をコントロールする対象として見なすことを批判し、「非規範的な倫理(Non-Normative Ethics)」という概念を提唱しています。

    倫理というと「こうしてはいけない」とか「こうしなさい」というようなトップダウンの規範を掲げるものと思われがちですが、非規範的倫理とはあくまでも内在的な、「対象をケアしたい」といった心のなかから湧き上がってくる感情を指しています。このような姿勢をもって、土壌微生物との関係性を結ばなければいけない、とベラカーサさんは述べています。この考え方はソンさんが話してくれた「主観的な価値観」と通ずるもので、人間とぬか床の微生物との関係性とも構造的に相似していることから、図5のような微生物との相互ケアの行動デザインに落とし込んでみました。相手の存在への気づき、相手がよりよい状態になるような働きかけ、共在感覚の発生というループをつくることで、非規範的倫理というものが立ち現れるのではないかと考えています。

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    図5 微生物との相互ケアのデザイン要素

    卒業できるテクノロジー

    ドミニク Nukabotの開発においてインスパイアされた概念として、もう1つ挙げられるのが豊橋技術科学大学の岡田美智男先生が研究されてきた「弱いロボット」です(図6)。たとえばゴミが拾えないゴミ箱ロボットなど、人間の代わりに活躍する強いロボットではなく、人間の協調行動や能力を開花させるように設計されたロボットは、従来のテクノロジー観とはまったく異なる方向性を示しています。

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    図6 「弱いロボット」と「卒業できるテクノロジー」

    僕たちのNukabotも、最新技術で従来のぬか床を代替するものではありません。ぬかと直接触れ合うという従来のインタラクションを残し、そこへ人の注意を向けるための、ぬか床とのコミュニケーションデザインなのだと言えます。

    僕が専門としている情報サービスデザインの世界では、これまでユーザビリティを向上することで結果的にサービスへの依存性を高めることが優先されてきました。その結果、スマホやSNSへの中毒状態というような歪みが生じていると考えています。そのような中毒性の高いテクノロジー像から脱するためのデザイン倫理としてNukabotを通して考えているのは、「卒業できるテクノロジー」のデザインが必要なのではないかということです。Nukabotも、初心者がぬか床と親しむことを学んだ後には卒業できる、使わなくても上手にぬか漬けができるようになる。そんな設計思想を積極的に示すものでもありたいと考えています。

    「非人間アクター」といかに関係を結ぶか

    もう1つの研究テーマ「東アジアにおけるモアザンヒューマン文化の研究調査とそのデザイン理論への接続」では、発酵現象そのものを抽象化したり、そこから転用できる価値を見つけていこうと考えています。モア・ザン・ヒューマンは「人以上」という意味ですが、ヒト以外の生命種を人より下と見なす人間例外主義とは反対に、人の存在そのものが人より広く大きい生命種たちの網と絡まり合って成立していると考えたり、ヒト以外の生命種を人以下と見なさない態度を指します。

    これまで3人で韓国と台湾に行って調査をしてきたのですが、発酵食に関する専門家の方たちに取材を行い、日本を含めた東アジアにおいて人が微生物や植物、そして発酵食品やそれをつくる道具などのモア・ザン・ヒューマンな存在と関係性を構築してきた技法を学んでいます。台湾では、料理や発酵食品、伝統食を研究している謝碧鶴(Beher)さんの私設図書館「食物研究図書館Beher」(台北市)に伺ってお話しを聞き、韓国では「社会的発酵」というコンセプトを掲げ、釜山の海藻や海女の調査をもとにしたインスタレーションなどを手がけるアーティスト集団のライス・ブリューリング・シスターズ・クラブ(Rice Brewing Sisters Club)を取材しました。

    このような調査を行いながら、発酵文化から抽出したエッセンスを、発酵食以外のデザインに応用できないかということも試しています。アメリカの発酵カルチャーのリーダーであり、料理界のアカデミー賞と呼ばれるジェームズ・ビアード賞の受賞者でもあるサンダー・エリックス・キャッツさんが書いた『メタファーとしての発酵』(オライリージャパン、2021)という本の監訳を務めさせていただいたのですが、これをヒントにした「メタファーとしての発酵デザインワークショップ」を実施しました。発酵からインスピレーションを受けた思考法で2週間アイデアを寝かせるプロセスを入れてみるとか、やさしく変化していく流れに身を委ねてアイデアの変遷を受け入れるなどの行為を通して、主体性や能動性から離れるという要素を入れてもなおデザインと言えるのか、といったことを考えています(図7)。

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    図7 「メタファーとしての発酵デザインワークショップ」のアプローチ

    技術、人、微生物の三つ巴に意味がある

    ドミニク Nukabotに話を戻すと、数か月前にGPT-3で構築した会話システムを導入し、ぬか床の状態を質問すると答えるという機能的なコミュニケーションだけでなく、雑談にも反応してくれるようになりました。人類学者のブロニスワフ・マリノフスキー(1884-1942)は、人と人との絆を築いたり維持したりするには、「ファティック・コミュニオン(phatic communion:交感的、儀礼的な社交上の言葉)」、つまり何気ない挨拶や世間話がじつは大切であると説いています。それは人と微生物や道具といった存在との間にも成り立つのでないか。実際にNukabotと会話すると思いがけない答えが返ってきたりして、正解を求めるのではなく予測不可能を楽しむという設計思想の可能性を感じます。それは城さんのいう「ノイズ」にもつながっているのではないかと考えます。

     Nukabotのおもしろいところは、テクノロジーと人、その間に他者としてのぬか床の微生物があるということですよね。一対一ではない三つ巴的なところが重要で、ある種の安心感につながっていると思います。

    ドミニク (微生物という)生き物が中に入っているということに意味がありますよね。

    GPT-3を使ったNukabotとの雑談的な会話については、いま、その機能を使った実験を計画しています。普通のスマートスピーカーは変化しませんし、誰が使っても同じ結果を返す。そこには個々の人と適応しない、ある意味不自然な関係性を結んでいるとも言えます。

    一方でNukabotの中には非人間アクターとしての微生物が棲んでいる、と同時にNukabotというシステム自体もある意味では非人間アクターで、それらとつきあっていくなかで人がかけたケアや言葉によって、Nukabotの発話の仕方や内容が変化していく、ゆらいでいくという設計ができないかと考えています。この発想は、ほかの道具にも適用できるかな、と議論しています。

     生き物を利用するテクノロジーって、ともするとDNAコンピューティングなどのようにその性能や機能面の優位性を追求する方向に向かいがちですけれど、そうではないアプローチということを、テクノロジーときちんと踏まえたうえで示したいですね。

    ソン GPTは目に見える実体がないだけに、一対一で向き合うと過剰な期待や不安を抱きがちです。でもそれがNukabotという生物を含む実体と結びつくことによって、手触りを感じて愛着などの概念が蓄積されていくような気がするんですよね。テクノロジーや産業が細分化されて目に見えにくくなった時代に、目に見えて、ともに時間を過ごす存在を介入させるということが、新しいテクノロジーの使い方のヒントになるのではないかなと。

    ドミニク 僕が最初にNukabotの着想を得たのは、すごく大切にしていたぬか床を放置して腐らせてしまった経験からでした。それから、もう大事なぬか床を腐らせたくないという想いが10年ほど発酵して浮かんできたアイデアなんですね。ただそこには、腐らせないための管理をする機械をつくろうという目的だけではなくて、大切にしていたはずのものを忘れて放置してしまったという自責や後悔の念、そして喪失感といった感情が芽生えたことに対する好奇心が大きかったんです。ぬか床に対する愛着という「姿勢」を自分の中に生やしたかった。ソンさんが言ったようにモノに価値を見出すのはその人の主観なので、そこに自由さがあって、それがAI時代の人間に残されている大切な行為のひとつなのかもしれません。

    身近な、わかりあえない存在

    ソン 今回あらためて、それぞれの研究について聞いてみると、テーマは違っても重なる部分がけっこうありますね。ノイズや予測不可能性、内在的な倫理観など、共感させられることが多くありました。

     DISTANCEというメディア名に絡めて言うと、3つの発表にほどよい距離感がありましたよね。この3人はインタラクションデザインという共通する研究バックグラウンドをもちつつ、フィールドも属性もバラバラであるというところで、いい関係を築けているように思います。

    ドミニク 先日、DISTANCE.mediaの企画会議で、僕と一緒にエディトリアルに携わる塚田有那さん、山本貴光さんと議論したなかで、「エイリアン」というおもしろいキーワードが出たんです。山本さんはオリヴァー・サックスの『火星の人類学者』を、塚田さんは三島由紀夫の『美しい星』を挙げて、少し離れた宇宙的視点から人間というものを眺めてみることができるメディアになったらおもしろいんじゃないかと話しました。

    エイリアンとはもともと「異邦人」ですし、その意味では僕も、ソンさんも(日本では)エイリアンであり、城さんも茨城出身で福岡在住の現在はエイリアンの立場かもしれない。そう考えると、じつはわれわれ全員がお互いにとってエイリアンで、共通点はありつつも、「同じである」という前提に立たないほうがいいのではないかと思います。僕の著作『未来をつくる言葉』の副題は「わかりあえなさをつなぐために」なのですが、まさにその「わかりあえなさ」のなかでどうコミュニケーションするか――。

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     「エイリアン」というのは「遠い他者」ではなくて、むしろ「身近な何か」だと捉えることにおもしろさがありますよね。

    ソン そのことに関連して最近思うのは、「人間同士のコミュニケーションは一方的にならざるをえないのではないか」ということです。以前、愛について議論するサークルのようなものに参加していたときに、「夫と話せばわかると思っていたのに、わかりあえないんです」みたいなことを話したら、皆さんが「あなた新婚ですね」と。当時、結婚して2~3年ぐらいのときでしたが、結婚生活10年以上の方々から「絶対にわかりあえませんよ」と言われて、けっこう衝撃を受けました(笑)。

    けれども、そのことを受け入れたら、適度な距離感が取れるようになってすっきりしたのと、わかりあうことよりも、その人の世界はありのまま尊重して、相手に対して自分がどう接していくのか、愛情に対する「姿勢」というものがじつは大切なんじゃないかと思うようになりました。結局わかりあえなくても、この人とずっと生活をともにしたいとか、ごはんを一緒に食べたいとか、そういう気持ちってベラカーサさんの言う「心の中から湧き上がってくる感情」とつながっていて、それがコミュニケーションというものなのかもしれないと思います。

    「新婚時代の妄想」を打ち破るとき

     いまのお話に多くの人は共感しますよね。じつはわかりあえないほうが自然なんだと、僕たちはわかっている。にもかかわらず、わかりあえるって信じてしまっているのではないか。とくにコミュニケーションのテクノロジーにおいて、さきほどのシャノンの図のように「シグナルは伝わるもの」と思い込んでいるのではないでしょうか。言うなれば、ソンさんの「新婚時代の妄想」みたいなものがシャノン以来ずっと続いてきたということかもしれません。

    ドミニク だから僕らはそろそろ、テクノロジーにおける「新婚時代の妄想」を打ち破るというか、打ち捨てなければならないフェーズにいるのかもしれません(笑)。

     その先に、より豊かで多様なコミュニケーションの形が待ち受けているかもしれない。

    ドミニク 「わかりあえなさ」をただ否定的に見るのでなく、むしろ積極的な価値の源泉としても捉えて、わかりあえないからこそ、こんなにおもしろいことが生まれてくる、というような体験をデザインしていくことですね。

     僕らがやっているのは、そこにテクノロジーをどう介在させていくか、みたいなことですね。

    ソン 服が自死するというテーマでも、従来の技術的なアプローチであれば、服に対する所有者の主観的価値を客観的に測定する方法を開発して、手放すタイミングを知らせるというような仕組みになったと思います。でもそうではなく、人間の内面にある価値に気づかせるとか、自分で決める行動を促すために介入するようなことが、これからのアプローチではないかと思います。主観的、内面的なことは自分自身でなければわかりませんし、それを技術で解明しようとするのは乱暴なことかもしれませんよね。DISTANCEという言葉につなげると、どこまで距離を置いて、どこまで介入するのかのデザインが、とても重要になるだろうと思います。

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    〈質疑応答〉双眼鏡の「距離」で考えたい――伊藤亜紗

    伊藤亜紗(美学者、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授) 「遠くを見る」ということと、今日の発表にあった「主観的価値」や「内側から湧き上がってくる気持ち」ということは、ぶつかり合う面があるのではないかと思います。長期的な視点、広い視野に立って行動するのだとしたら、自分の愛着、あるいはそれは執着と呼ぶべきものかもしれませんが、そういうものを諦める判断が必要なこともありますよね。たとえば「平和」というのも、ある意味では諦めの産物だと思うんです。自分の正義や、自分にとって大切なことが他人とぶつかった場合、それを諦めて、妥協して一緒に社会をつくっていくことが「平和」なのではないか。そういう意味で、いろいろ考えさせられました。同じ「遠くを見る」でも、望遠鏡より双眼鏡が欲しいなと感じています。

    望遠鏡って遠すぎるというか、それも大事なんですけど、もうちょっと近いところ、双眼鏡で見る距離で起きていることのほうが難しいと思うんです。非人間と人間の関係って、私にとっては望遠鏡の距離で考えることです。でも、平和とか、たとえば犯罪者、殺人を犯した人との共生というのは双眼鏡の距離で考えることで、そちらのほうが難しくないでしょうか。そういう「難しさ」について考えるメディアがあるといいなと思いました。

     犯罪者というのは「わかりあえなさ」の端的な例ですよね。そして、現在はそういうものから距離を遠ざけるテクノロジーはたくさんある一方で、「つなぐ」思想はすごく乏しいのかもしれません。

    ただ、たとえばテキストは、つなぐ機能を昔から担ってきたのではないかと思います。書かれたものを読むことで、共感、あるいは理解しようとすることができる。テキストというものは文字以外の情報が削がれているからこそ、距離を縮める機能が他のメディアと比較して高いのかもしれないですよね。

    ソン 確かにそうですね。エイリアン同士で共生するには、文章とか、何かしら共有できる経験というものが必要じゃないかなという気はします。

    ドミニク 伊藤亜紗さんのご指摘は本当に鋭くて、そこからたとえば、いまも起きている戦争ということに対して何が語れるのかと言われると無力感に打ちひしがれます。けれど、いまの城さんとソンさんのご意見は、その難しさを考えるための扉を開いてくれるかもしれません。近くにいるのにわかりあえない存在としての「エイリアン」の問題に対しては、「同じだと思い込んでいる人たちのあいだの差異を見つける」と、「違うと思い込んでいる、わかりあえないと思っている人たちの共通点、つながることのできる点を見つける」という、2つのベクトルがあるのではないでしょうか。今日のトークでは、両方ともすごく大事なその2つのベクトルについて、同時に考えようとしていたのではないかと思っています。

    異質な存在を遠ざける、切り分けるということはテクノロジー以前の認識の問題です。そこを開いていくうえでは、やはり城さんが言うように「言葉」が重要だと思っています。そのことは、亜紗さんが研究されている、障がい者の世界のとらえ方にも通じるのではないかと思います。僕自身も「隠れ吃音」という、障がいと分類されるものと向き合ってきたなかで、亜紗さんに自分の言葉を開いてもらえたことで世界のとらえ方が変わりました。いまに至るまで、そういう極私的な次元でのエポックメイキングなことが、言葉を介して起きうるということを実感しています。もちろんエポックメイクするのは言葉だけではないのですが。

    圧倒的な力に対してそれがどこまで通用するのか、という疑問はあるかもしれませんが、ひとまず双眼鏡で見えるあたりのことも、時間をかけて言葉を紡いでいくことによって何か変えられるのではないか。それしかできないというよりも、それが希望になるのではないかと個人的には思っています。

    ぬか床と考える、脱人間中心主義のデザインの画像

    人間以外の生き物にも発信を

    伊藤光平 今日のトークセッションのテーマは「人間中心主義のコミュニケーションを超えて」ということですが、DISTANCEというメディアが、人間以外の生き物に対してどう発信をしていくのかが気になっています。個人的には、人間に閉じないメディアなのかなって期待しているのですが。

    ドミニク 「人間以外への情報発信」というのは壮大でおもしろいアイデアですね。ぜひとも考えてみたいところです。伊藤光平さんにも関わっていただいて、発酵微生物たちに情報発信できればおもしろいですね。

    そういえば昨年、イギリスのアダマツキーという研究者が、キノコ(菌類)が電気信号を使って情報発信をするパターンを詳しく分析する論文[★2]を発表しました。そこでは、複数種のキノコの、意味はわからないけど、長さの異なる単語のようなパターンが見て取れて、人間の自然言語の単語長の分布と相似していることが示されています。この成果の先には、光平さんのアイデアの可能性が見えてくるかもしれません。キノコが人間の言語の意味内容を理解することはなさそうですが、情報のパターンを信号として受けとめるということ自体が、どういう意味をもたらすのでしょうね。

    ★2 Adamatzky A. 2022 Language of fungi derived from their electrical spiking activity. R. Soc. Open Sci. 9: 211926. https://doi.org/10.1098/rsos.211926

     他の生物への情報発信をどうするか、考えるとめちゃくちゃおもしろそうです。

    ソン エイリアンに絡めて言えば、人間も含めて、そもそもこのメディアに興味をもってくれなさそうな人たちに、どうやって言葉を届けられるのかということも考えたいですね。

    ドミニク 今日はあえて結論を急がずに語り合ってきましたが、「人間中心主義」や「わかりあえなさ」といったことについて、今後あらためて考えるきっかけにしていきたいと思います。

    ドミニク・チェン
    情報学研究者。1981年生まれ。博士(学際情報学)。早稲田大学文学学術院教授(表象・メディア論系コース)。NTT ICC(Inter Communication Center) 研究員、株式会社ディヴィデュアル共同創業者を経て現職。Ferment Media Researchを主宰し、人と技術と自然存在の関係性を研究している。著書に『未来をつくる言葉』(新潮社)、『電脳のレリギオ』(NTT出版)など多数。
    ソンヨンア
    研究者。法政大学デザイン工学部教授。インタラクションにより変化していく感情体験の理解と新たな価値創出に関する実践的デザインに従事しながら、スタートアップコンサルやメディアアート作品制作も行う。
    城一裕
    研究者、アーティスト。1977年生まれ。博士(芸術工学)。九州大学大学院芸術工学研究院准教授。山口情報芸術センター[YCAM]専門委員(非常勤)。音響学とインタラクションデザインを背景に、研究と創作を行っている。写真:©十河英三郎

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