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Part1 10のキーワードで知るイソザキ

1.九州

2022年に91歳で物故した建築家・磯崎新。旺盛な好奇心が生みだす強靭な思想と、ジャンルや国境をまたいだ縦横無尽の実践によって、世界の建築界のみならず、思想、アート分野にもさまざまな“事件”を巻き起こしてきました。

1990年代から2000年代にかけては、NTTインターコミュニケーションセンター[ICC]オープニング記念『海市』展(1997年)や『都市ソラリス』展(2013年)を開催、また雑誌『InterCommunication』では豪華なゲストと対談を繰り広げました。

本特集は、磯崎新の活動の一部を振り返ると同時に、遺された光源を未来に継承することをめざすものです。Part1では、画文家の宮沢洋と建築ジャーナリストの磯達雄の名コンビが、10のキーワードに沿って、磯崎新の活動を振り返ります。



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Contents

    磯崎新は大分市の出身で、高校生の頃までを大分で過ごした。そのこともあり初期から晩年にかけて、九州で多くのプロジェクトを手掛けた。

    デビュー作とされる《大分県医師会館》(1960年、現存せず)をはじめ、初期の作品は大分市に集中している。《大分県立大分図書館》(66年)、《富士見カントリークラブハウス》(74年)などである。世界的な建築家として認められるようになってからも、大分県内では《JR由布院駅舎》(90年)、《豊の国情報ライブラリー》(95年)、《別府国際コンベンションセンター/ビーコンプラザ》(95年)など、多くの重要な施設を手がけた。《大分県立大分図書館》を改築したアートプラザには、常設の磯崎新建築展示室も設けられている。

    福岡県内にも作品は多い。特に北九州市には、《北九州市立美術館》(74年)、《北九州市立中央図書館》(74年)、《西日本総合展示場》(77年)など、70年代の代表作が集まっている。《福岡相互銀行大分支店》(66年、現存せず)を設計したことをきっかけに、福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)ともかかわり、博多駅前の《福岡相互銀行本店》(71年、現存せず) を手がけたほか、関連会社による《ネクサス・ワールド》(92年)ではコーディネーターを務めた。また、「福岡オリンピック構想」(2006年)は、会場計画を担当している。

    熊本県では作品こそないものの、「くまもとアートポリス」で初代コミッショナーを務め(1988-98年)、設計者の推薦という形で、県内に多くの優れた建築を誕生させる助産師の役を果たした。

    故郷の大分については、瓜生島のことを著作の中でしばしば言及していた。瓜生島は別府湾に位置する5000人ほどが暮らしていた島で、大地震により一夜で海へと沈んだとされる。建築がよって立つ大地ですら、あっけなく消えてしまう。幼い磯崎が脳裏に焼き付けたこの伝説が、建築家へと進んでからも大きな影響を及ぼしていたのかもしれない。

    イラスト:宮沢洋(編集者、画文家)
    テキスト:磯達雄(建築ジャーナリスト)


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