IC20-13

1900-2000 スペクタクル空間の図像学

[掲載日:]

1900-09 博覧会/アミューズメント

セーヌ川に跨がる会場を橋で結び、シャン・ド・マルスとアンヴァリッドの離れた会場を電車で繋ぎながら、1900年の万博はパリという都市そのものを舞台として開かれた。ここでは19世紀の間、人々を魅了してやまなかったパノラマをいまだ展示しつつも、同時に20世紀を通して人々を驚嘆させるであろう映画をリュミエール社が公開したことによって、2つの世紀の転換点にふさわしい役割を果たしていた。両者の交替を象徴するかのごとく、ちょうどこのパリ万博が契機となって、映画においてパン撮影が流行したという。そして電気の活躍。当時のガイドには、こう書かれていた。「1900年の博覧会の本当の君主は電気、すなわち運動と光という現代産業の2つの主要なファクターを与えてくれる若く輝かしいこの妖精であろう」。一方、やはり電飾に彩られたニューヨークのコニーアイランドでは、ルナ・パークとドリーム・ランドも開園し、今世紀のアミューズメント施設の祖型を示したのである。

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1910-19 カタストロフ/アヴァンギャルド

豪華客船タイタニック19号は、処女航海の終わりに氷山と激突し、船体を引き裂きながら、その4万6千トンの巨体を北大西洋に沈めた。1513人の犠牲者を出したこの惨事には、船が沈むまで演奏を続けた楽団のエピソードをはじめとして多くの物語が生まれる。最後の曲は、《主よ、みもとに近づかん》だったと伝えられ、レコードが売れたという。今世紀に繰り返される大型カタストロフの登場である。1915年には、ニューヨークを出航した美しき客船ルシタニアが、ドイツ潜水艦Uボートの魚雷を受けて撃沈。1959人の乗客が亡くなり、これを契機にアメリカは第一次世界大戦に参戦を決定した。さらに戦禍は拡大する。一方、芸術運動の前線、アヴァンギャルドたちは、プロパガンダとしての展覧会や演奏会を遂行していた。未来派、ダダ、ドイツ工作連盟展……。芸術を重視した1915年のパナマ太平洋万博では、早くも未来派の美術を紹介することになる。

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1920-29 飛行/映画都市

ホームラン王ベーブ・ルースの活躍した20年代、一夜にして英雄になった男がいた。初の大西洋単独横断を成功させたリンドバーグである。到着したパリでも大歓迎を受けるが、アメリカの熱狂は並々ならぬもので、彼の帰還に合衆国の巡洋艦をさしむけたほどだった。「人類史上、最大の英雄」とまで報じられ、ウォール街の凱旋パレードでは1800トンの紙吹雪が舞う。1929年、ツェッペリン飛行船の世界一周では、日本の新聞社もスポンサーとなり、日本への立ち寄りに際して、大キャンペーンを張って群衆を掻き立てる。飛行が人々を魅了する。そしてサイレントの黄金時代、2026年の都市をスペクタクルとして描いたF・ラングの『メトロポリス』や群衆を映像化したエイゼンシュテインが登場。一方、スキャンダルにわくハリウッドでは、セシル・B・デミルが超大作スペクタクル『十戒』(1923)を制作した。やがて映画はサウンド・システムを導入し、1927年よりハリウッド・ミュージカルが始まる。

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1930-39 アメリカ/ナチス

アメリカでは、それぞれ「進歩の世紀」と「明日の世界」をテーマとした大型の博覧会、シカゴ万博とニューヨーク世界博が開催された。両方合わせて、実に9千4百万人もの入場者を集めたのである。これは巨大な自動車の駐車場を会場の近くに設置したおかげで可能になったものだ。後者の博覧会に不参加だったドイツでは、ナチ党がモニュメンタルな光の使用や、拡声器を活用した演説によって、熱狂的な祭典を独自に繰り広げる。またベルリンのオリンピックは、リーフェンシュタールの監督により『民族の祭典』となって、後にアメリカ以外の各国で上映され賛辞を受けた。そして1937年のパリ万博では、鉤十字を付けた1羽の鷲がそそり立つドイツ館と、ハンマーを高く掲げる男女の像を頂くソヴィエト館が、シャイヨー宮の前で向かい合うことになる。やがてその対立を決定的に深めていく各国は、万博やオリンピックにおいて国威を発揚し、あからさまな代理戦争を行なう。

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1940-49 万博中止 イタリア/日本

世界を巻き込み、空前の規模で都市を破壊した戦争に揺れた10年間。総力戦の時代ゆえに祝祭に費やす余裕はなく、スペクタクルの中止が相次ぐ。皇紀2600年を記念する1940年の日本万博は、関東大震災の瓦礫で埋立てた東京湾岸と横浜港内の両会場にて計画されていた。日本における万博自体は1912年以来の懸案だったが、やむなく中止を決定。事前に行なわれた建築やポスターのコンペ案、そして宣伝用に発売された雑誌のみが熱気を伝える。第12回オリンピックも同年に日本で予定されていたが中止。ファシスト革命20周年となる1942年のローマ万博は、30年代より着実に進んでいたスポーツ施設、大学都市、チネ・チッタなどの都市改造の終点として位置づけられていた。しかし、ローマ郊外の会場は一部完成されたものの、途中で計画は止まってしまう。そしてロンドンでも戦争のために、第13回オリンピックを中止にしている。

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1950-59 ディズニーランド/中ソ展示場

映画のプロデューサーだったディズニーは、カリフォルニアのオレンジ畑を更地にして、1955年に「魔法の王国」を遊園地として現実化する。入場者は開演7週間で100万人を突破。その後、現在にいたるまで、資本主義の回転に呼応するかのように、ディズニーランドは増殖し、施設の拡張を続けている。大型アミューズメント施設の到来だ。一方、社会主義のモスクワでは、30年代にさかのぼる経済博覧会場をこの時期に完成し、100以上ものパヴィリオンを有する常設の展示場とした。またソ連との蜜月時代にあった中国は、技術協力を受けて、モスクワのスターリン様式の建築に類似した、頂上に星を置く尖塔形式の展覧館を北京や上海に持つ。冷戦下の1959年、フルシチョフ首相が訪米した際、ディズニーランドの見学を所望したが、警備が困難であるからと断られ、憤慨したという。この直後、米ソの関係は悪化する。なお、ディズニーの開発したオーディオ・アニマトロニクスなどのテクノロジーは、64年のニューヨーク世界博でも大いに活躍する。

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1960-69 宇宙/アーバニズムの時代

60年代はソ連が初の宇宙飛行を成功させて始まった。東京はアジア初のオリンピック関催に向けて、都市改造に奔走し、首都高や東海道新幹線を完成させる。アーバニズムの時代には、建築家たちも多くの計画案を構想し、丹下健三の「東京計画1960」や菊竹清訓の「海上都市1960」のほか、海外ではアーキグラムらが空想的なプロジェクトを発表した。そしてソ連に対抗し、60年代の間に有人月探査計画の遂行を目指したアメリカは、それを実現させる。1969年にアポロ11号は人類未踏の地、月面に着陸したのだ。ロケットを発射したケープ・ケネディでは100万人が見送り、東欧を含む全世界ではテレビを通じてそのイベントを47カ国6億人が視聴したという。日本でも街頭テレビの前に人々があふれ、「20世紀最大のショーをカラーテレビで」という宣伝により、280万台が売れて在庫がほとんどなくなる。テレビの放映するスペクタクルに世界が釘付になった1日だった。

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1970-79 TVゲーム/ハリウッド映画のSFX

60年代アーバニズムの集大成となった1970年の日本万博。最大級の人間を集めたが、これ以後、巨大志向だった万博や博覧会は失速し、特筆すべきものは少なくなる。代わってアメリカの小企業だったアタリ社が「ポン」(1972)や「ブレイク・アウト」(1976)を発表し、ビデオゲーム時代の先鞭をつける。そして日本のタイトー社による「スペースインベーダー」(1978)は社会現象を起こし、ゲーム喫茶まで登場する。かくしてゲームの電子化への道は開かれた。アメリカの映画では、相変わらず単純な内容ながら、サンフランシスコの138階建ての超高層ビルが火災になる『タワーリング・インフェルノ』(1974)や『ジョーズ』(1975)などのパニックもの、そして『スター・ウォーズ』(1977)の大ヒットによって世間にSFXなる言葉を知らしめた。特に宇宙空間の映像は人々を魅惑し、『未知との遭遇』(1977)、『スター・トレック』(1979)、『エイリアン』(1979)が登場した。どれだけの数の子供たちが、帰り道で想像をめぐらして、夜空の星を見上げたことだろう。

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1980-89 オリンピックのメディア化 ハイテク&モニュメント

米ソのオリンピックでは互いに東西諸国がボイコットし、スポーツの祭典に強い政治性がもたらされた。2度目の大会となるロサンゼルスの開会式では、ハリウッド色が濃く、西部劇の衣装をまとう男女が踊ったり、宇宙飛行士が舞い降りたりして、さながらアメリカ史のミュージカルが繰り広げられる。テレビ中継によって、これを全世界で25億人が見たという。ABCネットワークから2億2千5百万ドルの収入を得たように、メディアと共存せざるをえない巨大産業化したオリンピックの姿が浮き彫りになった。東西が揃った1988年のソウル大会では、実に1万5千人の報道関係者を集めている。革命200周年を祝うパリでは、新たなモニュメントとなるグラン・プロジェの建築物が次々と完成し、フランス再生を表現する都市のメディアとして存在を主張する。また香港では、ハイテク建築の香港上海銀行(1985)が世界を驚かせるが、背後にモニュメンタルな中国銀行(1989)が建ち、それを見下ろす。ここに香港と中国の対抗意識が読み取れよう。

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1990-2000 非物質化/巨大化

自己言及的な世界都市博が中止され、場所が特定されないインターネット・ワールド・エクスポジションによって、もはや博覧会は物理的な存在基盤を失いつつある。そしてCNN報道が一躍注目された湾岸戦争では、世界が戦地からの報道をリアルタイムで見ると同時に、TVゲームのような映像体験にリアリティの薄さが指摘された。それゆえ、逆に原初の肉体感覚を思い出させる、養老天命反転地公園は興味深い。一方、アメリカのアミューズメント施設は巨大化する。拡大するディズニーワールドでは、実際に人が住む街セレブレーションが始動している。また時代遅れのホテルの爆破すらショー化したラスヴェガスは、もはや巨大アミューズメント施設なしには成立しない。MGMグランド、エクスカリバー、そしてルクソール・ホテル。1997年に誕生したニューヨーク・ニューヨークは、摩天楼を1/3で再現しつつ、コニーアイランドをテーマとしたゲームセンターを内蔵するホテルだ。ここで20世紀初頭に栄えた遊戯施設が再登場し、スペクタクル円環は閉じる。

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