IC20-14

飛ぶ美術館

想像力と記憶の再創造

[掲載日:]

アレクサンドリアという都市の成立と変容に関心を持ったのは、美術館の意味や都市機能を洗いなおしながら情報空間の組み換えとしての新しいミュゼオロジーを構築できないかと考えたのがきっかけだった。というのも、もともと美術館や博物館を表わすミュージアムという言葉はエジプトのアレクサンドリアにあった総合研究機関「ムセイオン」を語源としているからである。

紀元前3世紀頃にギリシアのアレクサンダー大王がトルコやペルシアを征服し、次々と人工都市アレクサンドリアを建設していったが、なかでも地中海に面し、商工業の要であったエジプトのナイル河口に繁栄したアレクサンドリアは最大規模を持ち、アレクサンダーの部下だったプトレマイオスが王朝を開いてから人口100万を超える大都市としてヘレニズム文化の中心地となった。そしてこのアレクサンドリアの“都市脳”とでも言うべき一大記念碑が、自然科学から哲学、芸術・文学まで研究し、教育し、多くの著名人を輩出したムセイオンだったのである。

いうまでもなくムセイオンとはギリシアの芸術と知の神ミューズの神殿という意味であり、その広大な敷地内には図書館、研究棟、観測所、動物園、植物園、美術館、劇場といった諸施設が配されていた。なかでも有名なのは大図書館で、その蔵書数は50万巻、図書目録は120巻を数えたという。そこでは、世界中の英知を図書館という情報場に集積させようというかつてない試みが行なわれようとしていた。

ちょうどパリのビブリオテーク・ナショナル(国立図書館)が先頃完成し、四隅に本が積み重ねられ天空へ届いてゆきそうな、ドミニク・ペローの斬新な建築が話題になっているが、アレクサンドリアの図書館はその原型ということができるだろう。

事実、約1000万冊の書物と地図と写真とポスターとオーディオ・ヴィジュアル(AV)資料がおさめられ、一種の情報の聖地のようなおもむきをたたえたこのビブリオテーク・ナショナルのオープニング記念展覧会は「世界のすべての知識」と名付けられている。

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ドミニク・ペロー「ビブリオテーク・ナショナル」模型

アレクサンドリアは地理的にはヨーロッパとアフリカとアジアのはざまにあり、多種多様な文化と情報が流れ込み、再編集され、流れ出してゆくという都市構造を持っていた。都市が明確な情報回路を持ち、有機的な情報システムを持っていたのだ。そこにはさまざまな発見や技術や美が集まり、多彩な視点から吟味され、やがて世界中に広がっていった。そこには世界最大の図書館があり、本の収集と校訂というプロセスを通じ、幾何学なら幾何学が体系化され、ヨーロッパ文明の土台となっていった。そこはいわばそれまでの人間の知のすべてを集積し、検討し、体系化しようとする新しい情報場であったのだ。しかし、やがてムセイオンは、度重なる戦乱と異なる宗教間の争いに巻き込まれ、すべて灰燼に帰してしまう。

いずれにしろ、ムセイオンは、当時の地中海世界の地平の拡大や、古代世界の偉大な知と商業の首都としてのアレクサンドリアの繁栄という歴史的文脈のなかにありながら、今なおそのヴィジョンの鮮明さを失ってはいない。かのE・M・フォースターがその『アレクサンドリア』で語るように、アレクサンドリアは現在に至るまで無数の人々の想像力をかきたててきたが、それはこの都市が独特の象徴的な価値と意味を持ち、ある普遍性としての夢を今も体現しているからにほかならない。つまり、ムセイオンは自分たちの英知と外部の英知とを多層的に交通させ、統合し、知を道具と見なす高度な認識と、共同作業(学者や研究者、芸術家たちの共同体活動)としての知の探求を通し、ある文化の頂点を築こうとする営みをシンボライズしていたのである。

このムセイオンの出現はある意味で新しい都市や環境の構造の変化と密接に結びついていた。それはいわば都市の新しい知と記憶の装置とでもいうべきものであり、人間の認識や知覚の変化とも正確に対応していたのである。ル・コルビュジエが、ポール・オトレとともに20世紀的な都市の胎動が活性化した1920年代末に、ムセイオンをヒントに構想した世界美術館「ムンダネウム」のことを思い起こそう。実現することはなかったが、このムンダネウムも国際連盟の本部がジュネーヴに建設されることに決まった後、その国際的な政治活動の中心機関とともに、世界的な芸術文化の中心がつくられ、新しい知と美の生成を行なうべきだという考えから発想されたものである。

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ル・コルビュジエ「ムンダネウム」

知と美の貯蔵・検索の技術とシステムの変化は、それぞれの文化形態や都市の構造に決定的な影響を及ぼしてきた。ムセイオンは過去の知的遺産を集積する場が持つ、潜在的な力の意味を再定義し、新しく発現してゆく装置であった。そしてミュージアムの巨大化、複合化、その形式化がさらなる力の場をつくっていった。ミュージアムをそのような文脈の中で、この20世紀末にもう一度考えてゆく必要がある。

いま、エレクトロニクスをはじめとするテクノロジーが、人々の生活のみならず、人とモノの関係や人間の認識形態にまですでに深い影響を与えているが、切実に求められているのは、こうした変容する社会のなかで時代の価値を探り、それらを具現化してゆく能動的な力の場であることは言うまでもないだろう。おそらくその場こそがミュージアムに求められている。アンドレ・マルローが空想美術館の変容について強調したのも、まさにそうした視点からであった。

一枚の写真を思い起こそう。密林のなかの遺跡をめぐる冒険小説『王道』や、往復書簡体の東西文化論『西欧の誘惑』で有名なマルローが、自分の部屋にすきまなく写真を並べ、大きな机に寄りかかりながらそれらの写真の群れの蠢きを見下ろし、何か思索にふけっているものだ。それらの写真群に写しとられているのは、最古のファラオの彫像だったり、ラスコーの野牛だったり、アッシジのフレスコ画だったり、中国の水墨画だったりする。マルローはこうしたイメージそのものからたちあがる直接的な思考方法により、実際の芸術作品を見ることによっては成しえないような、すべての芸術作品をイメージに還元しうる写真という情報変換装置によってのみ可能なある種の比較照応や知的操作を楽しみながら、視線をイメージとイメージの間にさまざまに張りめぐらしてゆくのだ。さらに写真の拡大や縮小によって、それまで気づかなかった特徴ある細部や相似を発見したり、通常の鑑賞では不可能なアングルによって撮影されたイメージから作品に隠されていた情報や、思いもかけない印象をもたらされることもあったかもしれない。マルローはそれらの写真群と対話をかわし、同時にそれらのイメージ同士がかわす対話に耳を傾け、時間と空間を超えたダイアローグの渦に身をまかせようとした。マルローの有名な言葉、「ミュゼ・イマジネール(空想美術館)」は、こうした文字を排した彼の映像思考から生み出されたものである。思えばマルローは、1923年、インドシナ、アンコールワット遺跡で7点の彫刻を取り外し、盗掘の疑いで逮捕されたことがある。空想美術館は、もしかしたらその時の記憶、実際の芸術作品の収集の断念と関係があるのかもしれない。

第二次世界大戦後まもなく、フランスの情報大臣として入閣し、1959年から10年以上に渡って文化大臣を務めながら意欲的な文化政策を推進し、現在のパリの美術館都市革命の火付け役となったマルローはミュージアムを新しい知と美が生み出される創造的な場としてとらえ、古今東西の美のジャンルを超えた対話を行なおうとする空想美術館というアイデアを提示した。

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アンドレ・マルロー(中田光雄『諸文明の対話──マルロー美術論研究』みすず書房より)

中田光雄『諸文明の対話──マルロー美術論研究』によれば、重要なのは、マルローが考えていたこの空想美術館と現実の美術館と芸術世界の関係なのだという。マルローは芸術世界は明らかに他世界に属していると考えていた。ヴァン・アイクの陰影表現も、レオナルドの細密描写も、それらが現実世界を描写しているときでさえ、現実世界の再現ではない他世界、現実世界が現象にすぎない時にこそ絵画から生まれ出るあの他世界、現実世界を止めた世界に属しているとみなす。つまり芸術世界は、現実世界の要に存在しているのではなく、その彼方の独自の次元に現前してくるものなのだ。それらは死の領域においてひとつの現前を開示する。アヴィニヨンのピエタがアジャンタの壁画と結びつき、フェルメールがレンブラントに結びつく世界は、われわれの生のなかで死の領域に属するはずのものがたちあらわれてくる世界である。ここで言う死は通常の否定的な意味での死ではない。芸術世界がたちあらわれてくるのは、いわばそうした否定的な死の向こう側の、生命的な生死を超越した世界なのである。

例えばセザンヌが《大水浴図》であろうと、《アンヌシー湖》であろうと、作品を描き始める時には、作品に先行し、ある芸術世界が存在する。それはセザンヌの創造の根底にある世界であり、それはセザンヌの創造を呼ぶものなのだ。芸術世界とはだから作品や複製が集められて成立するわけではなく、むしろすべての作品群の揺らめきを通してたちあらわれてくるある種のア・プリオリであり、人々が作品や複製を収集する時に、すでにその収集を導くかたちで作用している見えない力の場なのである。

マルローにとって重要なのは、この芸術世界が人間の真理を垣間見せるという哲学的機能を持つことだった。芸術世界は現象界を超越する営みを人々に促し、そのことがまさに人間の尊厳をささえている。芸術世界は人々の内なる不可解な空虚や溝を埋めるものとしてあり、それは人間の閃光をめぐる存在論的真理へ導く認識の閃光をもたらすものなのだ。

マルローの空想美術館はこの芸術世界のひとつの具体化である。現実の美術館の収集は常に量的にも質的にも限界を持つ。しかし空想美術館は複製・写真などを手だてに構成されるものであるゆえに可能性としては世界の芸術のすべてを含み得る。他方、現実の美術館が多くの場合、公的な性格を持つのに対し、空想美術館の収集主体は個の宇宙をつくろうとする個人であるため、その選択基準によっては現実の美術館よりも小さく、偏狭なものにさえなりうる。つまり芸術世界が世界の芸術全体が相互に共存する場の純粋な規定であるとするなら、現実の美術館とはその小規模態であり、公的な収集主体によってなされる間=主観的な規定である。それに対し、空想美術館は、創造や認識に積極的に関わる能動的主体による主観的な規定である。大切なのは、こうした主観的な操作の自由を通じ、存在論的真理への開道の可能性を空想美術館が持つということなのだ。

「われわれの記憶のうちにしか存在しえぬ空想美術館は、たんなる美術館の延長ではない。ボードレールの美術館は四世紀間の作品を収めるものであったが、空想美術館は五千年の間の作品、太古の原始時代・有史前の時代からの作品をも収める。古代作品のほとんどすべては、芸術なる観念の存在しない諸文明において生まれたものであった。いまや、神々や聖者たちがたんなる彫像となる。変貌   が空想美術館の魂なのである。人類のすべての文明が遺していった膨大な作品群は、美術館を豊かにするのではなく、むしろその存在意義を疑問に付すのだ」(マルロー)[★01]★01

そしてマルローは空想美術館ののちの来たるべきミュージアムとしてオーディオ・ヴィジュアル(AV)美術館を想定していた。空想美術館は複製・写真などを利用し、静的で平面的な対象としてオリジナルを操作していたのに対し、AV美術館はさまざまなメディア・テクノロジーを駆使することでオリジナルを動的に、多面的にとらえ直すことができ、そこからオリジナルにはないいくつかの新しい意味や価値をつくりだすこともできる。AV美術館はマルローが晩年に執着していたアイデアだったが、時代的な制約もあり、結局は消化しきれぬまま、空想美術館という言葉だけが独り歩きしてしまった。しかしマルチメディア時代の到来とともにわれわれはもう一度精密にこの空想美術館からAV美術館へのプロセスを新しい角度から検討してみる必要性に迫られている。さらに言えばマルローが夢想していたAV美術館は今やネットワークを使い、コンピュータを介してインタラクティヴに多層な情報の海をナヴィゲーションできるAVC(オーディオ・ヴィジュアル・コンピュータ)美術館や仮想性を多元的に展開するヴァーチュアル・ミュージアムへと変化しつつある。そしてこうした未来の美術館について思いをめぐらしてゆくと、究極的にはそれは個々が創造力を駆使し、生成させてゆく新しい情報交通空間の場なのではないかと考えてしまう。

人類がつくりあげてきたすべての芸術作品が一堂に会すことができ、すべての文明が時と場所を超えて対話できる。しかしそれらの文明や作品は何について、何をめぐって、何のために対話をするのか。

ある時代の文化の本質を一言で言い表わす概念があるとするなら、例えば18世紀は「啓蒙」や「理性」であり、19世紀は「歴史」や「民族」であり、20世紀は「変貌」や「速度」であるとマルローは言った。では来たるべき時代はどのような言葉で表わされうるのだろうか。それを今、仮に「交感」や「超越」だとするなら、その「交感」や「超越」を最も活性化させると言えるのが想像力と記憶の作用だろう。

マルローの言った空想美術館は、想像上の美術館であるとともに、想像力の美術館でもある。イマジネーションにとって何よりも大切なのは交感する力、交流する力であるからだ。かけ離れていたものたちがそこでは同時に存在し、思いもかけなかった衝突や融合が連鎖的に起こってゆく。個が無限の多様性を持つ外部世界とふれあい、かつそれを新しい形で認識する方法を身につけてゆくことによって、自己の存在とこの世界とが互いに深く混じりあい、溶けあっていることを直感的に把握してゆく。

われわれは物事のイメージや断片をただ単に蓄積するのではなく、それをさまざまに組み合わせ、カテゴライズする豊かな能力を生まれながらにして持っていたはずである。記憶とはそのカテゴリーの再構成である。芸術世界と同じように記憶とはつくられてゆくものなのだ。もし美術館が現在、何らかの意義を持ちうるのなら、われわれはまずこの記憶の意味をもう一度定義しなおさなければならない。

「われわれは、人間の一生とは、その人間を四方八方から襲う世界から、何よりもまず記憶によって整理しつつ、一定のものを濾過することにあると考える。同じようにそのつど成立する芸術の世界とは、無限のイメージからの一定のものの濾過なのだ」[★02]★02

マルローはそう言ったが、さらに言えば記憶自体が芸術であり、記憶こそが多様なすべての芸術の統合されたものなのである。それゆえにこそ、オブジェやイメージを整理し、保存し、体系化し、陳列する従来のミュゼオロジーから、過去に新しい関係を起こすことにより現在を未来へプロジェクションしてゆく新しいミュゼオロジーが試みられなくてはならない。

芸術世界は意味の次元に現前してくる。芸術作品は物質的存在であるが、その物質性が失われても、われわれの記憶のなかに、ある魅惑的な意味とともにたちあらわれ続けうる。芸術世界は人々の精神や魂への“よびかけ”において存在しうるのだ。

イギリスの心理学者フレデリック・バートレットはかつてその『リメンバリング(想起)』(1932)のなかで、人間が思い出すこととは、無数の固定された、生命のない、断片的な記憶の痕跡を、あらためて呼び起こすことではないのだと指摘した[★03]★03。つまりリメンバリングとはイマジネイティヴな再構築の営みであり、記憶と想像力の再創造の問題であると言ったのだ。それは過去の反応や知覚や体験をすべてひっくるめた総体に対し、われわれがとる態度と、イメージや言葉という形で普通あらわれてくる具体的な事柄との関係から刻々と生成されゆくものなのだ。ミュージアムはその記憶と想起の重要さを再認識しなければならない。記憶の女神でもあるミューズは美術館のその飛翔をずっと長い間待ち続けている。

(いとうとしはる・美術史)

★01 中田光雄『諸文明の対話──マルロー美術論研究』(みすず書房、1986)より★02 中田光雄『諸文明の対話──マルロー美術論研究』(みすず書房、1986)より★03 イスラエル・ローゼンフィールド『記憶とは何か』(菅原勇・平田明隆訳、講談社)

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