IC12-23

芸術創造のためのテレビ・メディアを再考する……

年末年始のテレビ雑感から

[掲載日:]

最近のメディア論といえばマルチメディアやインターネット論ばかりが目立って、オールド・メディアとなってしまったテレビ・メディアの新しい可能性については、ほとんど忘れられている。なかでも年末年始のテレビ番組といえば、相変わらず芸能タレントのたわいもないおしゃべりに占有されて、ほとんど印象に残る番組もないままに毎日が過ぎていく。ところが、その年末から年始にかけて、ちょっと目の覚めるようなテレビ番組が現われて、再考させられた。たまたまスイッチを入れて選んだ番組が、偶然私の個人的関心を惹くテーマだったせいかもしれない。それにしても現代の科学技術が可能にした宇宙芸術の新しい胎動や、世界中を同時中継する、放送ネットワークによる新しいテレビ芸術番組が着実に増えてきているのを、いくつかの番組を通じて改めて認識し、テレビ・メディアの新しい可能性に目を開かれる思いがしたのである。

まず暮れの30日夜のテレビ朝日で、2時間番組の『光と音の星──地球』を見て、現代の世界の代表的なテクノ・アーティストたちの健闘ぶりに目を見張った。番組の経緯など知らぬまま、テーマに惹かれてチャンネルを回したのだが、始まるとすぐに、私にとっては郷愁のようなカメラ・アイの手触りが蘇ってきた。ああ、これはまさしく10年前に私たちとテレビマンユニオンのチームで世界を回って制作した『世界のサイエンス・アート』の続編ではないか! あの脳波音楽を演奏したアメリカの作曲家アルヴィン・ルシエのイメージが画面の片隅に現われて、その予想は的中した。あのときのテレビマンユニオンの田中直人・佐藤利明のコンビがいまなお健在で、現代のアートの最新版を追いつづけているではないか!しかも、アルヴィンは当時と違って、いまはアラスカでオーロラの電磁波現象からの音を素材に、まったく新しい音楽の創造に挑戦している。アルヴィンだけではない。次々に紹介される作家たちは、身の回りの風の動きから、遠く宇宙にまで思いを馳せさせる作品に至るまで、彼らの体力と知力と技術力を駆使して目の前に壮大な作品を仕掛けていく……。風のサーカスを演出する日本の新宮晋、イギリスの大地で天に昇る炎の階段を実現すべく悪天候と苦闘する中国の蔡國強、宇宙からの音と地上の音を混ぜた環境音楽装置を設置するオーストリア出身のリヒャルト・クリーシェ、阿蘇山の火口に向けて光の投影像を投げかけるアルゼンチン生まれのホルヘ・オルタ。いずれも彼ら独特のやりかたで、ときにハイテク、ときにローテクの手法を使って、現代の新しい環境芸術の創造に挑んでいる作家たちの紹介番組であった。

考えてみればこの種の宇宙的なテクノ・アートは、じつはここ数年来どちらかといえば曲がり角にきていたはずである。その実現に作家自身のなみなみならぬエネルギーと体力が必要な上に、資材をそろえるための経済的な支援が欠かせないからである。基本的にはこの種の作品のテーマやコンセプトが個人的な動機から生まれているだけに、理解のあるスポンサーや、ボランティアの協力チームが無くては実現できない。ましてや最近のように、物質よりも情報をという情報化時代のスローガンが優先してきて、すべてコンピュータやメディア機器のソフトだけでイメージの創造を追求する傾向が盛んになってくると、典型的な3K作業ともいえるこんな創造活動は若いアーティストからつい敬遠されがちだからである。そんな意味ではマルチメディア時代の風潮は、この種のテクノ・アートの思い入れとは一見逆行するかのように見える。しかし、ほんとうにそうなのだろうか。テレビ画面を通して私の目に映った彼らのテクノ・アートは、そんな比較をナンセンスなものにしてしまうほどにスケールが大きく、はるかに高い次元で人類の存在感に訴える作品群であったのだ。残念なことに、目の前に漂う実際の大気のもとで、大いなる宇宙と大地のあいだに広がるこんな作品を直接目撃できる幸運に巡り会えた人は決して多くはなかった。しかし、現代の記録メディアであり情報伝達メディアである精緻なテレビ技術は、私たちに十分にその時空の広がりを感じさせ、臨場感をリアルに伝えてくれたのである。宇宙的なテクノ・アートが現代の視聴者に与える意識の共振の強さは、これからも無視できないほどに強くなっていくに違いない。

それにしても、テレビというメディアが、文化の創造的な体験を共有するという領域でこれほどに大きな可能性をもちながら、まだまだ十分に活用されていないのではないかということが、気にかかる。一方では最近のインターネットに代表されるパーソナル・コミュニケーションの活動が盛んになってきて、個人中心の草の根的な双方向通信の可能性は着実に増えてはきているが、テレビ・メディアのもつ高精細な映像による環境的演出の臨場感は、それがもたらす感動の広がりからいって、何ものにも代えがたい資質である。それが大容量の周波数を扱える放送局レベルの組織でしか実現できにくいものではあるにしても、その社会的・文化的な影響力を考えるとき、このまま無為に放っておく手はない。幅広いニュー・アートのファンや作家自身の積極的参加やスポンサーの意識革命で、その創造体験のためのテレビをもっと前向きに組織化していく方法があるのではあるまいか。それは単純にオリンピックのような国家的行事と結びつけるのでなく、むしろ国籍や人種の違いを超えて、新しい時代の芸術や文化の創造の現場にすべての視聴者を立ち会わせようという新しい目標である。既成のジャンルを超えた新しい芸術活動は、こんな風にテレビ・チャンネルのネットワークを介して、その創造プロセスの一部始終を見せるというイヴェントに仕立てることで、人々のより広い理解が得られるようになるに違いない。高解像のテレビ中継技術を駆使したり、ときに視聴者からの参加の手法も組み込んで、この種の地球規模のアートの展開を世界中で共有する方法が、これからの世界のテレビ局やプロダクションの企画者たちの手にゆだねられているのではあるまいか。

その可能性を裏付けるもう一つのテレビ番組が、1日置いた正月1日のNHKのチャンネルに現われて、再度目を見張った。世界的な指揮者の小澤征爾氏が、NHKのスタジオから世界各地の政治家や小澤氏の友人の音楽家と同時中継のネットワークで結んで、互いに対話を交わし、オーケストラの演奏や独奏に託してメッセージを送り合うという企画である。ボストンにいるヨーヨー・マ氏が小澤氏と語り、彼のチェロでミャンマーでいまなお軟禁中の友人スー・チー女史に対して思いを籠めて演奏するその音色が、国際中継とは思えないほど澄み切って、立体音で美しく聞こえるのに改めて感動し、中継放送技術の10年間の大いなる進歩を思ったほどである。かつて1984年に、ナムジュン・パイクがパリとニューヨークのテレビ局を結んで行なった初めての双方向同時中継によるサテライト・テレビ番組『グッドモーニング・ミスター・オウエル』は、いまから思えば芸術的なコミュニケーション・テレビの最初の企画だったが、その画質も音質もいまと比べるとはるかに劣っていた。にもかかわらず、その新しい試みは、やがてテレビ放送自体のなかに取り入れられて、いまや国際政治から経済、社会の分野まで双方向の中継放送が日常化してしまっている。しかし、現実のプロセスのなかでは、かつて時代を先んじていたアーティストたちの実験的な芸術文化への展開は後回しにされがちで、放送のネットワークそのものを人類の創造的活動の共有体験のために使おうとする試みは微々たるものだったのである。幸いに、その試みもここ数年のあいだに徐々に増えてきて、この正月のNHKの試みもその一つであったのである。

これからはむしろ、世界のジャンルを超えた分野の芸術家同士、あるいは科学者や技術者のような別の領域の専門家も参加するチーム編成で、ネットワークで結びつけ、リアルタイムで、イメージや音楽やパフォーマンスによる対話型創造活動を見せる番組をもっと頻繁に企画演出してほしいものである。そこでは、それぞれの大家の専門分野での卓越した演出だけでなく、普段着の人柄による会話や、ときにジャンルを超えた分野での即興的創造行為も誘導して、専門分野や国籍の違いを超えた人類の共感意識を触発していってほしい。その際には従来の専門分野での業績を単純にカリスマ化し、権威主義に結びつけるかつての芸術至上主義を超えて、新しい文化的価値の可能性を追求する姿勢が必要となってくるだろう。それはあの、すべての人が芸術家であるというヨーゼフ・ボイスの思想にも通じるものである。同時に将来の国際的テレビ・ネットワークの中継基地として備えるべき共通の設備技術のフォーマットを確立することで、やがて世界各地の市民テレビ・グループもそれに参加できる道が開けるようになるだろう。その先にはインターネットを始めとする草の根的なネットワークとの連携の道も開けてくる。いやそれこそが、いま話題になっている狭義のデジタルのマルチメディアにとどまらず、より開かれた広義のマルチメディアの文化に通じる道ではあるまいか。

(さかねいつお・サイエンス&アート理論)

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