IC20-26
発見と再発見
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私たちが「発見」という言葉を、何かに対して当てはめるとき、どのような条件が必要だろうか。言うまでもなく、「科学」の文脈では、第一に、それは「二番煎じ」でないという条件であろう。例えば「メンデルの法則の再発見」という有名な出来事がある。世紀が変わり目にさしかかった1900年に、ド・フリース、コレンス、チェルマックらが、1865年に発表されていた「メンデルの法則」を更めて「発見」したという事例は、しばしば「発見」を論ずる際に、話題となる。この「再発見」は「二番煎じ」なのか。多くの研究者は、メンデルの1865年(の口頭報告と1866年の論文発表)以降の仕事は、当時の人々にほとんど理解されなかった、と考え、彼の仕事の理解のための「レディネス」が生み出されるには、35年という歳月が必要だった、という解釈をとっている。たしかにメンデルと書簡による「交通」の太いチャネルをもっていたネーゲリでさえ、発表当時の段階では、メンデルの主張の本質を読み誤っていたと見ることができる。その点では、人はまさしく、自分の読み得るものしか、他人の思想の中に読まないし、また読めないのである。
しかし、多少とも当時の育種学や品種改良の実施の状況を眺めてみると、ダーウィン自身が依拠した様々な実際的なデータ類も含めて、むしろメンデルの「発見」と言われるものは、必ずしも「異様に新奇」な性格ものではないばかりか、むしろ、その一つひとつに関しては、すでに知られた事実であった。また、理論的な抽象化においても、最近の研究の示すところによれば、19世紀の前半に、交配における優性の法則や分離の法則の把握がすでになされていたことを示す例を見つけることができるのである。つまり「レディネス」という点からみて、メンデルの「発見」が、科学的発見と呼ばれるのに十分な要件を備えていないのではないか、という疑いさえ可能である。つまり、そもそもメンデルの「発見」自体が「二番煎じ」ではなかったと言えるだろうか。
第一に、いわゆる「再発見」と言われるものは、単に優性の法則や分離の法則の「再確認」ではない。ド・フリースにおいて最も典型的であるように、「再発見」と言われる事態においては、メンデルの法則類の背後にある遺伝のメカニズムと、それが進化という現象においてどのような意味を持つか、という観点から、メンデルの諸法則が意味付けられているという点に、注目しなければならない。この点は、色々な証拠からして、メンデル自身が、明確に自覚していなかったことのよう見える。もちろんメンデルの論文の中にも、自分の発見が、進化の神秘を解き明かすのにたどるべき途であろうというような表現は見受けられるが、しかし、メンデルが本当にその点を論文の主眼として意識し、自覚していたとしたら、彼の表現や、その後にとった行動は自ずと異なったものになっていたと思われる。例えばメンデルは、当時こうした分野での最大の話題であった進化論の関係者とは、全く「交通」のチャネルを開いた形跡が見られないからである。
したがってメンデル自身は、自分の「発見」を、当時の育種学的な知見や人為的な交配の際に観察される統計的に規則的な現象をその限りに置いて整理してみる、という範囲で考えていたと推測することは、不当ではあるまい。そして、その点からすれば、彼の「発見」は、科学的発見の条件として最も基礎にある、発見されたと言われる現象(規則性、法則、など何であろうと)が“something new”でなければならない、という条件には必ずしも妥当しない、とさえ言えるかもしれない。
第二には、したがって「再発見」は、メンデルの報告と称されるものの中に、ド・フリースらが、自分たちにとって見たいと思うものを見たときに、それは、まさしく彼らにとって“something”であったという点に留意しておきたい。つまり、もっと簡単に言ってしまえば、彼らにとって明らかに“something new”として発見されたものを、彼らはメンデルの中に読み込んでしまったのである。
このように考えると、いわゆるメンデルの法則の「再発見」といわれる事態は、やや遡及主義的な解釈の匂いがしてくる。ニュートンの自然哲学のなかにおいて「運動法則」が占める位置が、現代の「ニュートン力学」のなかで運動法則の占める位置とは大幅に異なっているにも拘わらず、われわれは、ニュートンを「ニュートン力学(という名前自体がすでにそうであるが)における運動法則」の発見者として容認してしまう。
もっと極端な例では、コペルニクスの「地動説」なるものは、およそ、現代の天文学の中で認められている「地動説」とは異なっているが、それでも、コペルニクスは、現代の科学的天文学における「地動説」の「発見者」とされている。これは、現代の文脈での「解釈」を、本来すっかり異なった文脈であるはずの過去に、無批判に投影し、遡及させていることであり、このこと自体、極めて奇妙な歴史の歪みを造り出していると、私は考えている。
そうした観点から見ると、いわゆるメンデルの「再発見」と言われる現象もまた、僅かに30年、40年の時間的な較差ではありながらも、なお、そうした遡及主義的な錯誤を免れていない事例として訴えてくる。しかし、問題はそこから始まる。
一体、遡及主義的でない「発見」などというものがあるだろうか。もちろん、「発見」とは単に「目で見る」ことではない。ネアンデルタール人が、湖の中に生えている藻の茎から気泡が立ちのぼっているのを「目で見た」からといって、「酸素を発見した」とは誰も言うまい。しかるべき理論を前提にして、しかるべき文脈の中で、「藻の茎から立ちのぼる気泡を目で見た」ときに、初めて「酸素を発見した」と言えるはずであることに異存のある人があろうとは思えない。
しかし、前提となるしかるべき理論、前提となるしかるべき文脈は、歴史的な時間の中で変動し、あるいは人間のグループや個人においてさえ変動する。そして、ある科学的な事件を「発見」と呼ぶとき、それを成り立たせている「理論」や「文脈」が、結局は「現代のそれ」に近くならざるを得ず、「現代のわれわれ」のそれと重なるのを免れる手段もないように見受けられる。
そうだとすれば、「発見」の問題は、遡及主義的な歴史解釈を論ずるに際して、認識論的にも、また歴史的記述論の立場からも、優れて重要な課題であると更めて認識することになるだろう。その際には、文脈の共役可能性に関して、個人どうし、あるいはグループどうし、あるいは歴史的に離れた世代どうしの間の「交通」が、キーワードになることにも言及して、このシリーズの結びとしたい。
(むらかみよういちろう・科学史)