IC15-23
技術の移転
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一般的に「技術移転」というと、先進圏から後発圏への移転がまずは頭に浮かぶようである。たしかに、先進圏のなかで育った先端的な技術を、そうした技術がまだ存在していない地域に移植して、そこでも育てるという意味での技術移転が、近代化の一つの重要な要素として、地球的な規模で問題になってきたことは事実である。近代化を推進する立場、あるいは推進すべきとする立場から見れば、こうした型の技術移転をどのように成功させるかが、問題の核心となる。そして、そうした試みが一律に成功するわけでもない代わりに、一律に失敗するわけでもないことは、これも経験の教えるところである。
もちろん移植して育てるといっても、色々な側面があるだろう。例えば、産業の空洞化という現象と結び付けて言えば、労働力の廉い後発圏に、先進圏の企業が生産工場を移転して、そこで生産活動を行なうというだけでは、技術を移植したことにも、まして育てたことにもなるまい。ほとんど無人化された高度の技術内蔵工場で、現地の人々が単純な労働に従事している、という図柄は、決して、技術が移植されたとも、まして育ったとも言えないからである。他方、日本へ近代西欧から19世紀に「移転」された技術は、確かに日本社会に根付き育ったと言えるだろうが、それが技術移転のモデルになるとも思われない。余りにも現在とは状況が違い過ぎる上に、技術の内容も、それに必要なインフラもすっかり変わってしまっているからである。こうして、「技術の交通」の問題は、高い側から低い側へと「流れる」場合でも、あるいはそれだからこそ、一筋縄ではいかないところがある。
しかし、「技術の交通」という点から見れば、問題は、先進圏から後発圏への流れだけとは限らない。例えば、先進圏から先進圏への移転、あるいは一つの国内での一つの企業体から別の企業体への移転など、様々な文脈が考えられる。こうした場面は普通「技術協力」という名で呼んで、「技術移転」とは言わないのかもしれないが、「技術の交通」という眼で眺めたときには、それはやはり「移転」と名付けても不合理ではないとも言える。
吉川弘之氏(現東大総長)の発想に起源を持つIMSという国際プロジェクトがある。IMSというのはIntelligent Manufacturing Systemの略であって、全体の構想としては、21世紀をにらんで、新しい国際的な製造工学システムの構築という目標を見据えている。平成2年に通産省の支援で制度化されて、徐々に動き始めてきたプロジェクトであるが、具体的な内容は、既存の製造技術の間の国際的・国内的な交通の滞りを排除し、スムーズな交通を確保して、できるかぎり、体系的かつ能率的な運用を図ろうとするところに主眼点がある。もちろん既存の技術の組織化だけが、このIMSプロジェクトの柱ではないが、しかし、それが一つの重要な柱であることも間違いはない。
こうした発想が生まれる背後には、国内的、国際的を問わず、技術の開発が、極めて閉鎖的で、交通の便の悪い状態のまま行なわれてきており、それが無用の競争を産み出したり、あるいは相互に利用できるはずの技術を融通し合うこともないままに、無駄な開発を行なったり、というような弊害が目立っていたからであった。
こうした交通渋滞の凄まじさを、私もあるとき、このIMS構想の初期の段階での議論のなかで、図らずも体験した。IMSがまだ一つのプロジェクトとして生まれ出る前、通産省の主催で開かれた会議の席上話題になったことがある。そこに出席していた日本の産業界を代表する企業のトップの方がこう言われたのである。「こういう話題を議論する席に私がいたというだけで、私は会社に戻ったとき背任罪に問われる恐れを感じる」。
一種のレトリックだったのかもしれない。しかし、こうした言葉が企業の責任者から聞かれるということ自体、企業内の技術がどれほど閉鎖的な空気のなかに閉じ込められており、また技術の世界ではどれほど凄まじい交通渋滞、というよりは交通ブロックが起こっているかが推測できるのだった。いや、むしろ技術の世界では、交通は不要であり、無用である、という通念が、きわめて強固に存在すると言うべきか。
かつて、18世紀フランスの知の金字塔となった『百科全書』の編集者ディドロは、ギルドの職人層やマニュファクチュアのなかに閉鎖的に閉じ込められていて、公共の交通路に全く姿を現わさない個別の技術を、何とかして社会共通の財産という形に持ち込もうとして、『百科全書』の多くのページをそうした技術の紹介に充てた。彼は職人の現場に行って、職人が行なっていることを丹念に観察し、それをチャート図にしたり、文字による説明で補ったりした上で、『百科全書』に載せた。当時のフランスでは、このほかにも『技芸と手法の大事典』などという出版物もあり、啓蒙期の人々が、いかに技術の交通の便を図ろうとしていたかが判る。
もちろん、そうしたマニュアルを読んだからと言って、それだけで、職人が技術を使うのと同じ程度の結果が得られるはずはない。しかし、こうして記録され、公共化された社会全体の財産としての技術は、その後の技術交通の便を改善したことだけは明らかである。
革命政府の末期に造られたエコール・ポリテクニークは、技術が、職人層のなかに封じ込められるのではなく、学ぼうとする意志のある人間には誰でも修得できるものとして、公共に解放されたことを意味している。基本的な技術が、公共の学校で、原則としては誰にでも解放される、という事態が一つの革命であったこと、そしてその革命を経たからこそ、19世紀の第二次産業革命が可能となったことを、われわれは想起すべきである。
もとより、製造の現場には、マニュアル化さえ拒否するいわゆるノウ・ハウが豊富に存在することを否定することはできない。同じCADによる図面を同じNC機械に流したとしても、そこで造り出される製品の質には、それぞれの現場で微妙な変化が生じることを、われわれは知っている。現在の日本の製造業の、国際的競争のなかでの強みの一つは、現場に蓄積された、そうした眼に見えない、また言語化も不能でマニュアル化も受け付けないような大量のノウ・ハウの蓄積があることも確かである。
しかし、逆に言えば、だからこそ、その貴重なノウ・ハウを信頼し、それを信ずればこそ、より基本的な技術に関しては、相互にもう少し交通を改良し、融通し合えるところは融通し、利用し合えるところは利用するという姿勢に転換することができるとも言えるのである。
IMS構想に対しては、国際的な疑心暗鬼もなくはなかった。結局は、そうした既存の技術の持ち寄りによる能率的体系化で、得をするのは日本の業界だけではないか、という疑念は、恐らく今でも完全には払拭されてはいまい。しかし、日本の国内でも、産・官・学の協力が徐々に進み、OECDなど国際的な場による理解も、ゆっくりとではあるが前進して、今年の9月末にパリで開かれたOECDの科学技術政策委員会大臣級会合でも、技術における国際協力の成功の具体例の一つとして言及されるまでになった。
そのこと自体は同慶の到りである。しかし、技術の世界において、放置すれば常に滞りがちになる交通をどのように保証するかは、永遠の課題なのかもしれない。
(むらかみよういちろう・科学史)