IC13-20

情報のヴェクター

[掲載日:]

大航海時代にヨーロッパ人は、未知の土地へ出かけていくことによって、多くの発見をした。アメリカ大陸はその一つだ。と書くと忽ち反論があるに違いない。「アメリカ発見」とは何ごとだ、第一に本来の住民たちにとって、あの大陸は、ずっと存在し続けてきたのだから、今更「発見」とはおこがましい、第二に、ヨーロッパ人にとっても、8-9世紀頃北欧からのヴァイキングたちが、ハドソン川の河口付近を中心に入植していたという史実があり、記録も残っている、コロンブス以降の15-16世紀に「初めて」発見されたわけでもないではないか。そう言われてしまえばその通り。

だから、逆に8-9世紀にアメリカ大陸(という名前はなかったが)に入植した人々の指導者の名まで記録に残っているのに、では何故われわれはつい「コロンブスのアメリカ発見」などと平気で言ってしまうのか、を問うべきなのかもしれない。それには、私に答えが一つあって、ヨーロッパでも、個人が何か新しいことをしてのけた時に、その個人の業績、事跡として評価し、称賛するようになったのは、近代以降なのだ、というものである。よく引く例だが、コペルニクスは、その著書『天球の回転について』の序文において、これからこの本で書く内容は、決して新しいものではなく、かつて誰それがすでに言ったことである旨を、しつこく書いている。それは、あの書物が出版された1543年頃のヨーロッパでは、未だ、他人と違った「新しいこと」をしなければ、個人の仕事として意味がない、というような価値観は共有されていなかった証拠だろう。「エポニミー」と言って、第一発見者の名前を法則や物質や土地に付けるような習慣も、決して古いものではない。

しかし、そのことが、ここで書きたかった主題ではない。もう一度話を戻すと、大航海時代にヨーロッパ人は、未知の場所へ出かけて行って、自分たちの知らなかったことを大量に発見してヨーロッパに持ち帰った。16世紀には「新しい世界からの嬉しい便り(ニューズ)」というような表現が繰り返し登場してくるが、その内容は、アメリカ大陸から動植物に至るまで、実に様々であった。ときには、そうした動物の実物も持ち帰られ、そうでなくとも、写実的に描いた図絵が、その代わりの役割を果たした。そうした図絵のなかには、写実を離れて、ひどく誇張されたものもなくはなかったし、そのような「怪物」めいた動物の図絵が、一層見知らぬ、新しい世界への人々の好奇心を駆り立てた。

ここではいうまでもなく、交通、あるいはその手段の発達が、多くの「発見」をもたらしたと言える。人が動くのに伴って、新しい情報が動いたとも言える。

話は全然違うが、鎖国時代の日本では、大名の参勤交代や、長崎の出島に留め置かれている外国人に許されていた(あるいは求められていた)江戸参府という習慣が、重要な情報伝達の役割を果たしていた。大名に随行する人々が、往来の途上で見聞するものごと、あるいは江戸において仕入れる様々なニューズは、閉鎖的な個々の藩内にあっては、とても入手できない類いのものであった。また、外国人の江戸参府のおりには、宿舎に当てられた各宿場において、外国人は、その土地の人々と、非公式に会見することが黙認されていたために、その機会は、海外の知識を取り入れようとする人々の知識欲を満足させるよいチャンスになった。同じことは江戸の町においてもある程度実現していたらしい。いずれにせよ、人が動くことによって、情報も動いた例であり、また、それによって、多くの「発見」があった例でもある。

当たり前の話だが、情報は動かなければ働きをしない。情報が動くためには、その担い手(ヴェクター)が必要になる。江戸時代の情報のヴェクターは、概ね生身の人間であった。上に挙げたような場合ばかりではない。飛脚は、文字通り、足で情報を運ぶ職業だった。もっとも、この言い方は実は正確でない。飛脚は、実は情報のヴェクターではない。飛脚は情報のヴェクターの運び手であって、情報のヴェクターは、手紙であったり、ある種の物資であったりしたと言わなければならないであろう。もちろん、そこまで話が進めば、江戸参府の外国人の担う情報も、あるいは参勤交代で江戸へ赴いた殿様が江戸で仕入れた情報も、どれも文字もしくは話し言葉という信号系を前提にはじめて成立するものだから、そうした情報のヴェクターは当然ながら「言語」であって、生身の人間そのものではない。

しかし、いずれにせよ、こうした事例では、情報の伝達は、生身の人間を媒介にして行なわれていたのであり、生身の人間の媒介を除いては、情報は動かなかったことは確かであろう。

情報の定義は多々あるだろうが、一つの可能な定義は「無知を減らす働きをするもの」と言えるだろう。無知を減らされる立場に立って考えれば、それは「発見」に繋がる。例えば、Aという文字しかない文字系を信号とする情報は、情報としての役割を果たさないと通常考えられる。何故なら、そのような文字系による情報は、送られて来れば、必ずAであり、それによって受け手は何ら無知の減少を体験しないからである。受け手は、情報が来ればAであることをすでに「知って」いるのだから、そのような文字系に乗せられた情報はしかし、すでにここでも明らかなように、受け手の無知を減少させるように情報が働くためには、情報は動かなければならない。受け手に到達し、かつ受け取られなければならない。

これは、およそトリヴィアルに聞こえるかもしれないが、大切であることには代わりがない。例えば、最近劇的な普及を見せているWWW(ワールド・ワイド・ウェッブと呼ばれるインターネットのクライアント)を考えてみよう。あなたが、WWW上にホームページを造って、自分の研究所や研究室の内容を、写真や図表を交えながら十分記述するだけの情報を、そこに盛り込んだとしよう。しかし、それだけでは、何の意味も生まれない。誰かがそのネットワークを使って、あなたのホームページにアクセスし、そこに盛られた情報を読もうとして初めて、その情報には意味が生じる。そのとき、アクセスした人間(必ずしも人間でなく、コンピュータであってもかまわないが)は、あなたについて、何らかの情報を得ることになり、それによってそのエージェントは、あなたやあなたの研究所についていくばくか無知を減らすことになる。

ただ、そのときでも、そのエージェントは、少なくともあなたの名前かあなたのアドレスか、あるいはあなたの研究所の名前を知っているか、少なくとも、カタログのなかでそれを選ばなければならない。もちろん、誰かが全くあてずっぽうにアクセスした結果、たまたまあなたのホームページが選ばれたという場合もなくはなかろうが、多くの場合はそうではない。つまり、あなたやあなたの研究所について、アクセスする側が全く無知であり、かつ全く無関心であるときには、あなたの側でいくら情報を用意していても、その情報は流れない。

ここに記したことは、一般的に「発見」という知的な営み全般に当てはまるように思われる。たしかに、情報は受け手の無知を減らす働きをする。しかし、上のWWWの例でも明らかなように、情報が潜在的には大量に用意され、受け取られるのを待っているとしても、受け手の側が、それを受け取ろうとする意志と関心を示さない限りは、それらの情報は「潜在的」なままであり、受け手の無知も減らない。情報を運ぶために造られている情報ネットワークの上においてさえそうなのであるから、通常の自然や人間社会のなかにおける発見においては、なおさらそうだと言わなければならない。

完全な無知という状態にあっては、あらゆる可能な情報を受け取る手立てがない。というのも、選択の幅が大きすぎるときには、人間は、何かを選ぶ基準を失うからである。何を選ぶべきか基準を持たないとき、われわれは、無知であると言ってもよい。「自由からの逃走」は、むしろこうした原理的な場面で正当性を持つとも考えられるだろう。

その点で、現在のネットワークは、「自然」によく似ている。最初に述べたように、飛脚や江戸へ参府する外国人のように、最初から情報を運び、かつ受け手に届けることのできることが認知されているヴェクターが存在している場合には、むしろ受け手には自由がない。少なくとも、選択の幅は極めて小さい。そうした条件下では、無知の減少は円滑かつ急速に行なわれる。

(むらかみよういちろう・科学史)

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