IC11-42
なんともいい加減な話
[掲載日:]
インターコミュニケーションという題名。ずらりと並ぶ執筆者名。うっかり、難しい世界へ迷い込んでしまった緊張感から、毎回何を書こうか悩みながら続けてきたこの連載も今回でなんとか卒業させていただけるということでホッとしている(お読みになる方も、同じかもしれないが)。ホッとしたついでに、気楽な雑文で許していただこう。
20世紀後半、次々と性能をアップするコンピュータという強力な武器を駆使して急速に発展してきた情報科学は、今、その興味の一端を「生命」に向けている。これは、生きものについて、少しずつ少しずつ理解を進めてきて、やっとDNAの中に書き込まれた言語を解読するところまできた生物学者にとって、大きな援軍だ。しかも、複雑なものを複雑なままに捉えて系としての基本的な性質を解くという、現在の生物学にはできないアプローチからどんな示唆が出てくるか楽しみだ。
そう思いながら、日常の中で、あれ面白いなと眼を止める話は、どうしても“細部”になってしまう。今のところまだ、“生物学”そのものの面白さ――と言うより生きものの面白さは、細部にある。
たとえば、“DNAの複製”という、現代生物学の基本の基本。人工生命の場合も、「生命」というからには自己複製は当然持っているとされる機能で、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を明らかにした時に、すでにその基本メカニズムは示唆されていた。教科書にも必ず模式図がのっている。ところが、これが、細胞内で実際にどのように行なわれているかは、すべて解明しつくされているわけではない。
複製について、最初に研究されたのは、バクテリアだった。単細胞生物であるバクテリアは、細胞も小さく、持っているDNA量もそれほど多くはない。研究室で最もよく使われてきた大腸菌の場合、細菌内の総DNA、つまりゲノムは、約490万塩基対であり一本の続いた鎖が閉じた環を作っている。この環の一カ所に、オリジン(複製起点)と呼ばれる部位があり、そこから両側に複製が行なわれ、両方が、オリジンの向かい側で行き合えば、その環は倍加、つまり二つの環になるのだ。複製完了である。実は――もう気づいていらっしゃる方が多いと思うが――、二重らせんの環をほどきながら二本の鎖が相手を作っていく場合、閉じた環がそのままではねじれてしまってどうにもならない。そこは、らせんをまわしてねじれをほどく役割をする酵素がはたらき、無事おさめているのだ。
ところで、われわれの体を作る細胞にも同じ二重らせんのDNAがあるのだから同じ方法ですむかというとそうはいかない。まず、われわれの細胞には核という区劃があり、ゲノムDNAは、その中に染色体という形で入っている。人間の場合、よく知られているように22対の常染色体と、2本の性染色体、つまり46本の染色体に分かれている。染色体の中では、DNAは直線状になっており、環ではない。
直線だと何が起きるか。複製起点があって、そこから複製が始まるというところは同じだ。もっとも、バクテリアよりも、DNA量が多い、つまり鎖の長さが長いので、開始点が一つでは複製に時間がかかりすぎるので、それは複数あるのだが。始まりがいくつあろうが、つながったところで終わればよいのだから本質は変わらない。
問題は両端である。実は、DNAの二重らせんは、二つの同じ鎖がからみ合っているように見えるが、お互いに逆向きになっている。そして、新しい鎖を作る時にはたらく酵素は、どういうわけか、一つの向きの鎖しか作れないのだ。
そこで問題が起きる。片方の鎖は新しい鎖をスムーズに続けて作れるけれど、もう一方は反対向きの断片を少しずつ作っていくことになる。そこでこちらの方が合成が少しずつ遅れるのだが、それはまあよい。両方ができ上がるまで待てばよいのだから。困るのは末端だ。というのもDNAの合成は、これまたどういうわけか、DNAだけではおさまらないのだ。
いつも合成の最初にはRNAが必要(プライマーという)、図では「~~~~」の部分だ。DNA合成が終わるとこのRNAははずれ、また先のDNAの部分にRNAプライマーができてその前の部分のDNAが合成されるのだが、これで困るのは最後だ。その先に相手のDNAがないのだからRNAの作りようがなく、どうしても端に合成できない部分ができてしまう。これだけDNAが短くなってしまうのだ。
一回ならどうということはない。しかし、複製するたびに短くなるとしたら、これは困ったことだ。
そこで、工夫がなされた。なされたと言っても、いつ、どの生物で行なわれたのかわからないが。テトラヒメナというべん毛虫、タマホコリカビという粘菌などにすでにその工夫があり、しかもヒトの場合も基本は同じである。その工夫とは両端に、ある特定の“くり返し構造”を持つということだ。これはテロメアと呼ばれる。ここには4種の塩基のうちGがとくに多い。テトラヒメナの場合だと、TTGGGGが単位で、TTGGGGTTGGGGTTGGGG……と並び、ヒトは、TTAGGG、シロイヌナズナという植物はTTTAGGGが単位になっている。とにかくこういうくり返しが並んで、端の端まで意味のあるものにせず、少しくらい切れても大丈夫な状態にしてあるわけだ。この端のくり返し構造については、これを伸ばしていく、テロメラーゼと呼ばれる専用の酵素がある。
これでなんとか染色体の端の部分のDNAが複製のたびに短くなっていくという恐ろしいこと――DNAは、よく言われているように、生命現象を支える基本情報を持っている重要なものなのに、毎回毎回その情報が失われていけば、“生きていくことに支障が起きる”に違いないわけで、もう少しはっきり言えば死ぬわけで、これはやはり生きものにとっては恐ろしいことだ――を避けることができたというわけである。
テロメアにはもう一つ大事な役割がある。染色体同士がくっついたり変形したりするのを防ぐのだ。Gという塩基が多いのは、そのような防禦構造をとりやすいからである。このような末端構造を守っていくメカニズムを持って安心となるわけだが、この構造は万全のものではない。端の方に、壊れてもよいものをたくさんつけたというだけで、壊れないようにしたのではないからだ。壊れたらなおせばいいじやないか――これは生物がとる常套手段だ。この場合、テロメラーゼが修理してくれるだろうという期待は、半分あたっている。確かにテトラヒメナなどの原生動物にはこの酵素活性が認められるので。
ところが、われわれヒトでは期待は裏切られる。確かにテロメラーゼを合成し得る遺伝子はあるが、原則的には、その遺伝子は誕生後ははたらかないのだ。唯一はたらいている場所は精巣で、成熟後せっせと作り続けられる精子のテロメアは、間違いなく保証されているらしい。
われわれの細胞には寿命がある。原理的には永遠に分裂し続けられるバクテリアなどと違って、せいぜい50回も分裂するとそれ以上はダメというわけだ。なぜテロメラーゼ遺伝子は、存在するのにはたらかなくなってしまったのか。こういうところが生物の分からないところだ。ところで、最近になって、ヒトの細胞にもテロメラーゼ活性を持つものがみつかった。がん細胞である。試験官の中でがん化させた細胞や卵巣がんなど体内でできたがん細胞からテロメラーゼ活性がみつかり、この酵素活性を持つ細胞は“不死”――つまり、無限に分裂を続けることがわかった。興味深いことに、がん細胞のテロメアは正常細胞よりも短いのだが、それ以上短くならない。つまり、余分なものは持たず、消えそうになったらきちんと作って補充する。少なくとも現代社会の価値判断のもとでは、この方がはるかに「合理的」だ。
しかし、ここで困ったことがある。このように「合理的」ながん細胞をかかえ込んだ個体は、明らかにそれを持たないものよりも死にやすいという事実である。すばらしい遺伝子があるのに、それを使わずに――恐らくその遺伝子を抑制するような遺伝子がはたらくようになったのだろうからずいぶん面倒な話だ――いるという、そこだけ見るとなんとも不合理な現象が、個体の「生」を保つのに役立っているわけである。がん化は複雑な過程であり、これまでにもたくさんのがん遺伝子やがん抑制遺伝子がみつけられている。その多くは、細胞の増殖をコントロールするメカニズムに関連しており、精密にできている調節システムの一部を破壊することによって細胞をがん化させるものだった。それに加えて、テロメラーゼという、細胞を積極的に不死化する因子が加わった。ここまで強力な方法でなんとしてでも増殖する細胞ができているわけだ。テロメラーゼの活性を阻害することによって、がんの治療を効果的にできる可能性が高いと、実用面でも関心が持たれている。一方こんなささやきも聞こえる。「私の細胞にテロメラーゼを入れてもらったら細胞が若返るんじゃないかしら。うまくコントロールすれば長生きできるかも。まさに不老長寿のユメがかなうんだわ」。
このユメに対しては、「まあ、これまであれこれと生きもののやり口を見てきた立場から言うと、こうやってこうしてこうなるからこうと、人間の頭で論理的・合理的に考えてうまくいくとは思えませんねえ」という感想を述べるくらいしか能はないが、この答えが最も無難で、最も現実的だと思う。生物はどう見ても行きあたりばったりとしか思えない。しかし、そのでたらめさ加減がなんともうまく適度になっている。そこがなんとも魅力的なのだ。こういう系を何と呼び、どう扱うのがよいのか。未だによくわからず、当分は細部の積み重ねによって見えてくる思いがけない姿を楽しもうというのが今の私の立場だ。
なぜだかわからないがとか、どういうわけかという形容をつけなければ語れないような現象の塊をみごとに料理して下さる方の出現を楽しみにしながら連載を終える。
(なかむらけいこ・生命誌)


