IC18-34
制度としての科学と哲学
対話から統合へ
[掲載日:]
科学、科学者の起源
村上 「20世紀における科学と哲学の交通」というテーマを与えられたとき、まず黒崎さんが思い浮かべる問題は何ですか。
黒崎 現在、科学はさまざまなかたちでイメージされていますが、定着している科学あるいは科学者という像が成立したのはつい最近の出来事でしかないという、村上さんの以前からの主張が、ますます意味を持ってきていると思います。村上さんは1994年に、『文明のなかの科学』(青土社)と『科学者とは何か』(新潮社)という2冊の本を出されていますが、そのご自分の本のおもしろさやインパクトをわれわれ読者より理解されていないのではないかと、私などは思ってしまうのですが(笑)。つまり、現在「科学技術」と言われるときの科学と技術の違いや、科学者というものが本当に17、18世紀から存在したのかどうか、ということですね。一般に科学者というと、ガリレオやニュートンをつい思い浮かべがちだけれども、彼らは本当に科学者なのかどうか。村上さんは説得力のあるかたちで問題を明らかにされたと思います。ですから、20世紀における科学と哲学の交通を考えるときに、今世紀以前、そもそもギリシア時代からでもいいのですが、科学が本来どういう位置を占めていたのかということから掘り起こすべきではないか。20世紀に起こった問題だけを扱うのではあまり意味がないと思います。かつて科学と哲学は友だちであり、あるいはひとつであった時代があり、それが何らかの理由で分離し、現在再び統合されることが必然だとすると、長いスパンから20世紀の科学と哲学の出来事を見た方がおもしろいと思います。
村上 交通やコミュニケーションというのは、何か別の二つのものの間に起こっているという前提があります。20世紀においては、科学と哲学の関係は交流、交通という言葉で表現されるような分離を示しているということは確かです。しかし、特に西欧社会では本来はひとつであったものが19世紀になって明確に分離して、そこで初めて科学やそれを営む人としての科学者が歴史に登場してきたと考えています。
黒崎 村上さんが書かれている中で一番インパクトがあるのは、科学者という言葉についてです。つまり、科学者という言葉が使われだした時期は、実証的な研究によると19世紀前半から中頃です。ということは、歴史的に見て、科学者と呼ばれていた人というのは19世紀以前にはいなかったことになります。その指摘がまず、説得力がある。しかし、中学や高校の教科書や常識では、近代科学の芽生えとして、アリストテレス的世界観や迷信を打ち破ったコペルニクスやガリレオあるいはニュートンは、科学者であるとされています。無知蒙昧な迷信や神学から完全に独立した、客観性なり普遍的妥当性をニュートンやガリレオに読み込んで、科学者の誕生というものを見る。そのような常識に対して村上さんは、早い段階から「聖俗革命」というかたちで、そうではないと強く主張なさってきたわけです。ガリレオやニュートンがなぜ科学者ではないのかということと「聖俗革命」についてまずお話いただきたいのですが。
村上 ひとつのポイントとして、「制度(institution)」の問題がまずあると思うんです。『科学者とは何か』についての書評で、科学者が携わっている科学というものの内容について何も語っていない、という批判をされたのですけれども、私はあえて科学の内容についてはまったく触れなかった。むしろ、制度の問題だけで議論しようとしたんです。その批判は、そのまま自分の意図にぴったりだと受けとめたんですけれど(笑)。今の科学者たちがやっていることは、結局論文を書くことです。論文というのは誰のために書くかというと、ごく少数の自分たちの仲間――「ピアー(peer)」という言葉を使いますけれども――、彼らのために書いている。ピアーによって評価されるような論文を書くことが科学者の責任であり義務でもある。これだけを取り上げても、そういう社会的存在が出現するのは19世紀であることがわかります。それ以前の人たちは違いました。ダーウィンは1859年に一般読者を相手に『種の起源』を書きました。それから約50年経った1905年に「特殊相対性理論」が発表される。このときアインシュタインは『Annalen der Physik』という学術誌に論文としてこれを発表したんです。この1859年から1905年までの約50年間に起こった出来事というのが、まさに科学者が何をする人たちなのかということをはっきり示す制度が確立されていく過程だったわけです。
本を書くということは、限定されたある領域での特定の問題についてだけ語ればよいのではない。やはり書物を書くためには、仮に進化論が専門だとしたら、進化論の背景となる思想的問題や、場合によっては、宇宙の構造やその中で人間がどのような意味を持つのかまでも言及しなければなりません。そして、自分の考えていることを表現して、それを理解してもらおうとしなければ本は書けない。本を書くというのは、そういう行為だと思います。ところが論文は、あるきわめて狭い専門領域で自分はこういうことをした――私は「サムシング・ニュー」と呼んでいますが――ということについてわかってもらえば、それで済んでしまう。
黒崎 その背後にある文化的な文脈からすべて切り離されてしまうんですね。
神学的伝統と科学、哲学
村上 そうです。科学者が作り上げてきた論文を書くという制度は、科学の内容にもはっきりと違いを与えていると思うんです。18世紀にヨーロッパは「聖俗革命」という壮大な実験をしました。あらゆる社会の側面から、いったん、キリスト教的な神学的解釈や考慮を引き剥がして切り捨てるという実験を啓蒙主義はやってのけた。簡単に言ってしまえば、「聖俗革命」とはそういうことです。その結果、知識から神学的背景を切り離して見ることが可能になった。ということは、科学者が論文を書く準備ができたわけです。それ以前のガリレオやコペルニクスやニュートンにしても、その切り離しが可能であるとは考えていなかったわけです。
黒崎 そうですね。
村上 ですから、彼らの本の中には、神に対する自分の姿勢や、神がこの世界を造ったことについての言及が、ちらちらと必ず出てくる。そういうものを抜きにして地球が回転していると肯定することは、コペルニクスにとっては無意味だった。ところが、18世紀の「聖俗革命」によって、神学的な世界像や解釈を切り離して、知識というものを独立したひとつの体系として設定してみることが可能になる。非常に広い文脈でしか言えなかったことを、比較的狭い文脈で言える準備が整ったと考えることができるのです。19世紀以降、科学がその文脈でのみ知識を扱うことができる論文という形態に頼り始める、かなり大きな準備だったと思うのです。
黒崎 現代では科学の論文に限らず、「私の世界観は」と書いたら必ずはねられる。そんな余計なことはいらない。特に科学の論文はコンパクトであればあるほど良いとされています。つまり専門的な記述に限って余計なことは書かない。世界観などは個人的な問題で、科学あるいはその専門分野の進歩に寄与しないものは全部切り捨てるべきだと教育されるわけです。しかしそれは昔からあったことではなく、ある種の操作を経て起こってきたことです。
神学というのは、われわれ日本人にとってはなかなか理解しにくい。これも村上さんが指摘なさっていたように、ヨーロッパの大学は、神学というものを中心としていて、実用的なことをやってお金を儲けるのではなく、キリスト教のためのヴォケーションとして全体性の中で成立してきた。それに対して日本の大学には、最初から神学部がなかった。今のわれわれが考えると神学部がある大学の方が奇妙ですけれども、大学というものの発生から考えると、神学部のない大学があることの方がかなり奇妙なんです。
村上 おっしゃるとおりですね。1877年に東京大学が日本で最初の近代的な大学として創設されるんですけれども、その当時、世界中のユニヴァーシティで、神学部を持たないのは東京大学だけでした。
黒崎 そして、理学部や工学部が堂々とある地位を占めていた大学というのもきわめて稀です。日本の大学はそもそも国家と結びついて、国家の要請で富国強兵のための実利的な教育や研究をする機関として始まった。科学技術や神学のあり方など、ヨーロッパ・オリジナルの大学力が育ってきた環境とはまったく別の進み方をしてきたわけです。
村上 皮相的な話をしますと、日本のモダン、ポストモダン、ポスト・ポストモダンという20世紀の哲学思想の世界には、欧米の哲学者に影響されたいろいろな議論がありますよね。われわれもそれをけっこう楽しんでいるのですが、しかし、科学と哲学の交通とは――この(対談の)問題設定そのものを批判することになるかもしれないけれど――、実は欧米の哲学者にとっては大きな問題ではないかもしれない。例えばポストモダンと言われている人たちが相手にしているのは、表面的には「モダン」だけれど、その背後に本当に意識しているのは、西洋の伝統的正当性を持った思想です。それをいかに乗り超えるか、乗り超えられなければいかに寄り添いながら離れるか、その力学を現代でも西欧世界の哲学者たちは背負っている。ところがわれわれは、全然そうしたものを背負っていない。ヨーロッパの正統思想と言われている、例えばカトリシズムにしても、われわれにとって敵でもなければ何でもない。これもまたひとつのファッション的な思想体系として、ある場合には近づくけれども別の場合にはどうでもいいものとして捨てられていく。そういう意味で、西欧の哲学者が対決している近代と、われわれが言う近代とは全然違うのではないかということを恐れるわけです。西欧の場合、正統的哲学の伝統、あえて言えば神学の伝統というものが、12世紀以降連綿と大学の中で築かれてきて、そこから枝分かれしたものが科学であり、限定された意味での、いわゆる近代的哲学もそのひとつです。
黒崎 日本の場合、19世紀の末、約100年程前に突然工学部も理学部もある大学ができた。そこでは国のため、あるいは実利的な目的のために研究が行なわれるということは全然不思議ではなかった。ところが、ヨーロッパの場合には、世間的な利益のために仕事をすることは卑しいこと、恥ずかしいこととされていたわけですね。
村上 少なくとも知的階級にとっては。
黒崎 ヨーロッパ的な、そういう伝統の中でこそ科学技術が大学とどういう関係にあるのか、あるいはそれとどう闘うのかという問いには、深み、重みがあるけれど、日本の場合はそういう伝統をまったく抜きにして一方に理学部、工学部があり、他方初めから文学部の中に押し込められてしまった哲学科の制度がある。科学と哲学の闘いなり交通と言ったときに、日本では文学部の片隅にある哲学科と立派な部屋をもらっている工学部、理学部の闘いにしか見えないわけです。欧米では、もともと自由学芸というかたちの科学と哲学は敵ではなく、神学に対しては同じスタンスを持った仲間であり、それは時代の要請によって分離されてきたと言えます。科学と哲学の関係を見るときでも、日本の100年の伝統では、数学のできない文科系と賢い理科系という対立にしか見えないものが(笑)、オリジナルの図式に戻すと、対立はあるけれどもそれは皮相なものであるということですね。言い換えると、対立に見えるものは、たんに20世紀の出来事にすぎず、そこだけ取り出しても本質は見えないということですね。
村上 逆に言うと、日本は、そういう歴史的な伝統を全然引きずっていないため、19世紀以降の近代のモデル・ケースみたいなところがあるんですよね。
黒崎 同じことが科学と技術との関わり方についても言えます。日本では「科学技術」と言うように、科学と技術がつながっていますが、西欧の伝統ではサイエンスとテクノロジーはまったく起源の違うもので、それを結びつけて語ること自体かなり抵抗があった。つまり、現在世界を完全に覆っている技術というものをどう考え、位置づけるのかという問題です。日本から見るのと、育ってきたオリジナルの現場で見るのとでは、まったく別の意味を持ってくる。
村上 まったくそうです。その意味では、日本というのは、限定つきですけれど、優位な立場にあるかもしれないですね。
黒崎 科学と哲学の関係を考える場合、したがってスパンは50年、100年単位ではまったく不十分で、少なくとも500年、1000年単位で考えないと、問題の核心は見えてこない。数年前に坂部恵さんが、『ドイツ観念論講座』1巻(弘文堂)で、ヨーロッパ世界の哲学史を、中世、ルネサンス、近世、近代という時代区分ではなく、3つの時代に分けました。1番目は9世紀から13世紀にいたる時期、2番目が14世紀から1770年頃までの時期、3番目は1770年頃から現在までの時期という分け方を提案をされたわけです。最初の時代は哲学史では中世と言われる時期です。この時代の特徴は中世の学問の秩序体系、つまり神学、哲学、自由学芸というヒエラルキーの大枠が成立し、神学が力を持っていた。2番目の時期にはガリレオやニュートンの名に象徴される、いわゆる近代科学の動きが成立した。ここでは神学と哲学の間に楔が打ち込まれて、神学がヒエラルキーの頂点から落ちていく。3番目は物理学、化学、生物学や医学という、近代自然科学の個別科学としての科学が成立していく時期で、そこでは哲学が持っていた優位性が崩れていく。これは非常におもしろい区分だと思います。これまでの哲学史は、歴史学や他の分野から借りてきた時代区分で区切って、この時代は近代、ルネサンスというように分けてしまう。それをやめようではないかということです。この動きは哲学の研究者の中でも出てきており、特に中世哲学の研究者たちはそういう区分に賛成すると思います。
時代の主導原理としての技術/変質する科学
黒崎 では現在はどうか。坂部さんは1770年から現代までは変わっていないとおっしゃるのかもしれないけども、個人的な直観で言うと、1960年代か70年代頃に大きな時代の転換があって、今や、時代を先導するのはヒエラルキーの外にあったアウト・カーストとしての技術、テクノロジーなのではないかと思うのです。ギリシアを見ても明らかなように、伝統的には手仕事や技術への関与は、科学者たちさえもまったく関係のない奴隸だけのものだったわけですね。18世紀の百科全書派がそれまでと違ったのは、彼らは積極的に工房に行って具体的な問題に向かったという点です。そのときにイエズス会などは、「卑しい技術にかかわる問題を学問に取り込むな」と非難をしたほどです。つまり、18世紀になってさえ、技術というのはまったく科学的な体系の外にあった。しかし、時代を先導する原理が神学、哲学、自由学芸つまり科学へと移り変わってきて、最後におそらく第4番目の時代として、現在のテクノロジーの時代が来ているのではないかと思うんです。それはコンピュータの成立、普及、進展と同時なのか、もっと広い動きなのかよくわかりません。しかし、少なくとも1960―70年代の大きな転換が、科学ではなくてテクノロジーによる、アウト・カーストの反乱というかたちで時代の主導権を取ってしまったのではないか。そういう大きなスパンから哲学が技術や科学にどう対決するのかというふうに問題を考えないと、敵を見誤ると思うんです。
村上 私も坂部さんの本を読み大変おもしろいと思いました。私なりに少し違う時代区分があるので、全面的に今の議論に賛成ではないのですが、最後に黒崎さんの言われた60年代もしくは70年代以降に知の世界をリードするヘゲモニーを握ったのが技術であるというお話は、大変おもしろい見方で賛成です。それは、同時に科学の変質でもあると思います。
現在、科学論の分野でしきりに言われていることは、19世紀に成立したプロトタイプの科学研究活動の様式が少しずつ変化してきているのではないかということです。それをマイケル・ギボンズという研究者は、「モード1」に対する「モード2」という言い方をしています。研究の様式が、ギア・チェンジをしたのではないかというわけです。それが、だいたいここ30年の間に起きたことですから、おっしゃった1960―70年代にぴったり合います。私は「モード2」という言葉はあまり使っていないのですが、便利なので、ここではその言葉を使わせてもらいます。
「モード2」というのは、研究がミッション・オリエンテッドであるということです。つまり19世紀以降の研究の動機は好奇心で、個人の中に内発してくる、どうしてもこれが分からなければ死んでも死にきれないというような思い、つまり本人に内発するミッションを掲げて進んできたのが、プロトタイプや「モード1」の科学だと思います。それに対し現在は、相当部分が外部から与えられたミッションを達成することが研究になっている。ミッションを与えるのは軍事、経済、産業、教育、医療などですが、この外から与えられるミッションに対していかに反応するかというと、結局、それは技術ということになるのだと思います。簡単に言ってしまえばニーズがあって、それを解決するために研究をする。また、かつては科学と技術の関係には、しっかりした新しい科学理論ができたときに初めて、それに基づいて技術が開発されるというリニア・モデルがありました。しかし、いまは実情に合わないから、リニア・モデルは今はまったく人気がない。科学がリーダーシップを持っていた時代には、科学が発展すれば技術も追いかけて発展するという単純な図式があったけれど、いまはその図式がまったくあてはまらない。むしろ、場合によっては技術的解決が先にあって、科学理論が後から追いかけるということさえある。半導体理論というのは、その典型的なものだと思いますし、例えばシリコンに多少のコンタミネーションやドーピングがあった方がより性能がよくなるというのは、作ってみて後から分かったことです。技術を理論が追いかけた。そういう意味では科学研究自体がギア・チェンジをしたのではなくて、黒崎さんが言われたように技術がヘゲモニーを握ったということだと思います。
黒崎 知的好奇心という美名のもとに、社会的なもの、外部とはまったく遮断されたものとして、科学はタコツボ型で進んできた。社会的な意味は一切無視しろというわけですね。例えばこれまで、原爆の問題にしても、「たまたま原爆として使われたけれど、単に知的好奇心で研究・開発したので、それはおれたちとは関係ない」という態度をとるのが一番科学者らしい姿だと言われてきた。ところが、科学の時代から技術の時代に移ってくると、科学コミュニティの外部との関係で科学を考えなければならなくなってきた。技術がヘゲモニーを握ったことには、いろいろな要因があると思いますが、具体的に言えるのは環境問題や医療問題、南北問題などのさまざまな問題が出てきたことがあげられます。例えばオゾン層破壊の研究は、これまでの基準から見るとオリジナリティが必要とされるわけではないし、独創的でもない。外部との関係でやらなければならないわけです。これは「モード1」から「モード2」への変化と言っていいと思うのですが、従来は基礎研究があって応用研究があり、前者は無目的で独創的で後者は目的があって商業的だった。
いま、要請されているのは、その中間の、商業的というのではないけれども、地球の環境を守るなどの目的を持っている研究です。自動車でも性能のよい自動車を大量に作るより、リサイクルが可能な自動車を作らざるを得ない。60%リサイクルが可能な部品で車を作るということ、オリジナリティやキュリオシティ・ドリヴン(curiosity driven)ではなくて、従来の科学から考えるとなんとなくつまらないと思われる。おそらく、科学者たちもオリジナリティや知的好奇心という名のもとに守られてきたところから脱皮して、研究としては非独創的だけれども、それをやらなければならないという段階に入りつつある。そういう意味で、繰り返しになりますが、科学優先の時代から技術の時代にと変化し始めているという気はしますね。
新しい哲学的視点の導入
村上 いまは過渡期だろうから「モード1」「モード2」が共在しているんですね。黒崎さんがおっしゃったように、研究者の中にも、なんとなくつまらないと思っている人もいるかもしれないし、そういう性格の研究をやりながら、自分はキュリオシティ・ドリヴンでやっていると思いこむことも可能な状況が一方にあります。科学者個人の意識としては、自分はキュリオシティ・ドリヴンでやっているという人はかなりいると思うんですよ。にもかかわらず、結果として科学者がやっていることは、ミッション・オリエンテッドな研究ということがあると思うんです。
19世紀以降、科学者の営みが次第に、インワード・ルッキングな、自分たちの内側のコミュニティしか見ないものになってきて、それが純粋であり、オリジナリティが守られているとか言われてきた。ところが内に向かうやり方が限界に達したのではないかと思うんです。たとえば「アカウンタビリティ」という言葉がよく使われるのですが、それはピアーに対して説明しているだけでは十分でなく、自分たちの仲間ではない人たちに、自分たちのやっていることをきちんと説明して納得してもらうという概念です。そういうものが科学者に要求されるということ自体が、インワ-ド・ルッキングだけでは限界があるという視点です。最近「サイエンス・マスターズ」というシリーズが草思社から刊行されていますが、これを企画したジョン・ブロックマンはもともと科学者ではなくて編集者です。彼はそれ以前に『サード・カルチャー』という本を出していて、それは「サイエンス・マスターズ」シリーズに登場するような著者たち、たとえばスティーヴン・グールドやリチャード・ドーキンスなどのインタヴューをまとめたものです。彼らが一様に目指していることが「サード・カルチャー」という概念です。これはC・P・スノーが「文科的文化」と「理科的文化」という「二つの文化」の分裂に対して警鐘を鳴らしていることを念頭に置いて出てきた概念ですね。ブロックマンは当代一流の科学者を引っぱり出してきて、論文ではなくて一般向けの本を書けと――つまり、科学者と言われている人たちが仲間内にしか通用しない論文を書く時代は終わったのではないか、もし科学者が自分の関与している仕事のおもしろさと意味を本当に確信しているなら、それを一般の人たちにも説明できるはずではないか――ということを「サード・カルチャー」は示しているのです。それが『サード・カルチャー』という本になり、その具体的な例が「サイエンス・マスターズ」シリーズという企画です。文化が二つに分かれてインワード・ルッキングになり、内的な結束力を非常に高めていった。そういった状況から少しずつ結束力が崩れて、別のジャンルへ、別の世界へ向かって自らを開いてゆく。かつては分離し、独立し、自立していたものが、再び混ざりあう。これは現代の特徴だと思いますし、技術は社会全体が恩恵を受けたり、マイナス面を被ったりするものであって、ピアーだけが利用するものではないわけです。
黒崎 その通りだと思います。科学が内側に向かったぶん、哲学もインワード・ルッキングにならざるをえなくなり、内部に対して論文を書くようになる。外に対して書くことはたんなる啓蒙だとか、売文業だと言われるようになっていく。しかも哲学には妙な理科系からの影響があって、変なことは書くなと。つまりオリジナリティのあるような個人的な問題は書くな、世間に対して媚びるな、というかたちでピュアなアカデミズム集団ができてしまったんです。私が学生の時はまだそういった名残りがあり、何かおかしい、そもそも哲学とは何だったのか、ということを考えざるをえませんでした。おそらく哲学も内部に向かう状況にあったのだけれども、今では、誰に対して書くのかということが徐々に問題になってきています。まだそういう動きが始まったばかりですから、書き方が未熟だったり、勘違いだったりするのですが、仲間内に対して書いていたような書き方は崩壊し始めています。これまでは、上手に外国の思想を輸入して、それを教えてやればいいという考え方が主流を占めていたのですが、幸か不幸か外国にビッグ・フィロソファーがいなくなったということもあって、輸入するものがなくなった(笑)。つまり今は自分で考えなければいけなくなっている。自分で何かと闘う、あるいは自分の内部に入ってそこから引き出してくるというかたちでなくては意味がなくなりつつあるのではないかと思います。
繰り返しますと、もともと一緒だった哲学と科学が19世紀末頃から専門化というかたちで分離し、それで100年ぐらい続いた。ところがテクノロジーの勃興によって、科学がインワード・ルッキングだけではやっていけなくなり、外部のコミュニティに対して開かれなければならない、というように変化していく。同時に、我田引水的ではありますが、哲学的な視点がないと科学者は自分が何をやっているのかわからなくなってきています。だから最先端科学は思想を要求している。最先端の科学者は哲学者よりも哲学者らしいことを語っているわけです。これまでのように哲学的、思想的、社会的な問題とリンクしないピュア・サイエンスは成立しえなくなっているし、最先端の研究者は、人間とは何か、社会とはどうあるべきかということを、強制的にではなく、必然的に考え始めていると思います。例えば、人工知能の研究にしても、人間とは何かという問題を抜きにしてはまったく進まないし、そこには哲学的な視点は入らざるをえないと思います。あるいは生命倫理という医療テクノロジーによって生じた問題は、そもそも人間の死や生とは何であるかということであり、それは今までは文学部の学問として閉じ込められてきた哲学の問題だったわけですが、現在は科学はそういった問題にコミットせざるをえない。その意味でこれまでの100年の20世紀はきわめて特殊な時代であり、独立項として見ている科学と哲学は100年という時代を経て一つに回帰せざるをえなくなった。だから哲学も内部のお遊びでは何の力も持たなくなっていて、現在では科学的なもの、技術的なものを考慮に入れることが重要になっています。哲学もピアーなコミユニティの外に開かれざるを得ない。ブロックマンの『サード・カルチャー』はその状況を見事に語っています。C・P・スノーの「文化は文科系と理科系に分離してはいけない」という指摘があの時リアリティを持たなかったのは、時代がまだ準備できていなかったということだと思います。
専門家/大衆、文科/理科という二項対立
村上 いま黒崎さんはたいへん重要なことをおっしゃったと思うのですけれど、大衆に開かれたという状況は、専門家というものが核として存在しなければありえないと思うんです。しかし現在の状況は、専門家という内側を向いた核となる集団が稀釈されている状況です。その意味では、これは「大衆に開かれた」というパターンではなくて、逆に、「大衆」と呼ばれている人たちもまた、ある種のリテラシーを持たなくてはいけなくなったということです。ですから直観的にでも、大衆は専門家の言うことに対して判断をしたり、参加したり、場合によっては拒否したり、修正を迫ったりするというように、自分の中にある専門的な領域に対するリテラシーを自覚的に意識するということが問題として捉えられなければならなくなってきている。一つの項があって、また別のところにもう一つの項があって、その項と項の間のやりとりがある、ということではないわけです。全体として、自分の中にあるものとして捉えなければもはや意味がなくなってきた、ということも一つの特徴だと思いますね。
黒崎 「大衆」に対して、もう一つの項として「専門家」が想定されます。この図式はかなり強烈で、なかなか打破しえないわけです。ですから哲学に限っても、専門家の中での褒め合い、貶し合いでは駄目だということはわかった。ではどうすればいいのかというときに、大衆に開かれなければいけないというかたちで専門家がやさしく書いて、それで「開かれた」と勘違いしてしまう。そこでも非常に奇妙な意識――それでも中に閉じているよりはまだよいのですが――、つまりレベルの低い大衆を啓蒙しなければという意識を生み出してしまう。そのパターン自体がものすごく古い。今起こっているような状況はそういうものではないと思います。「開かれた」という部分は似ているのですが、そこに横たわる違いが編集者も書き手も判断できないという、非常に混乱した状況にあるんだと思います。非専門家の側でも、例えば専門家の天気予報が当たらない、あるいは地震の予知ができない、といった場合、自分を枠組みの外に想定して「専門家なのだから、もっとしっかりやれ」と言ってしまうように、「大衆」として「専門家」をやっつけるという昔ながらのパターンをなかなか払拭できない。例えば、津波を起こす地震のサイクルはものすごく長いようで、1周波が300秒ぐらいかかるらしいのですが、それは普通の地震計にはかからない。そのときに大衆は「津波を起こすような地震こそしっかり予測してくれなくては困るじゃないか」と言う。ところがおもしろいことにというか悲惨なことにというか、その300秒の波を測定している間に波が海岸まで来てしまうわけですね(笑)。つまり、そこには地震を予知することのパラドックスという、非常に難しい問題があるわけです。ところが大衆は「困難なことはわかるけれど、とにかく予知することがお前たちの仕事だろう」と専門家を責め、自分たちは無垢で、無罪だと思っている。「大衆」、あるいは「一般市民」はあたかも自分たちは完全にイノセントであるかのように意識し、専門家をけなすというパターン、これは変えていかなければならない。無責任に「専門家が悪い」と叫ぶのではなくて、自分の立脚している地点がそもそもどういう地点なのかということを考えて一緒にコミットしていかないと、専門家は建て前を言って逃げ続けるでしょう。そういった状況は打開されていかなければならないと思うんですね。
村上 難しい問題ですけれど、世界がそういう方向に動きつつあることは確かです。われわれはその構図をきちんと捉えなければならない、ということははっきりしています。そうなると、「科学と哲学の対話(コミュニケーション)」という視点は20世紀にスペシフィックな、ごく僅かな時代の特殊な問題なのかもしれない。
黒崎 まったくその通りだと思います。近視眼的には、哲学科の学生と自然科学系の学生とでは、まったく別の分野を扱っているように見えるのですが、大きな歴史をきちんと捉えると、人文科学とか自然科学といった区切りはかなり時代的なものだと思われます。例えば人文科学に閉じ込められているライプニッツは、現在の自然科学の基礎を作ったわけだし、逆にニュートンはかなり人文科学的です。かたや人文の側に押し込められる科学的なライプニッツと、かたや科学の側に押し込められる人文的なニュートンという……。
村上 まったくそうですね。ライプニッツは伝統的常識に従えば人文系ということになってしまう。
黒崎 彼を科学者だとは誰も言いませんね。ニュートンもライプニッツも微積分をやっているのですが、それが後世の事情で、かたや自然科学の御大、かたや人文科学の御大と分けられてしまう。20世紀が変なバイアスを持っているから歪んでしまう。そういったことを考えれば、科学と哲学を二つに分離している方が明らかに特殊なわけです。もちろん、分離や専門化することによって得られたものがきわめて大きなものであった、ということは述べておかなければならないでしょう。しかし時代感覚からいって、科学にコミットしない哲学は無意味だろうし、逆に、科学は哲学抜きでは一歩たりとも進むことは不可能だと思います。ここまで分離してしまったものがもう一度戻れるのか、これは文明の最後の実験のような気もします。
村上 対話とは二項対立の中での対話なのではなくて、一項の中での、つまり自分自身の中でのコミュニケーション=交流としての対話なのであって、内なるものとして取り上げたときに出てくる相互の関係が、おそらく本当の意味での対話になるんでしよう。
20世紀において科学が哲学に与えたインパクト
黒崎 最後に、少し具体的な話をしておきましょう。20世紀後半で言えば、科学と哲学の対話は、人工知能問題、生命倫理、カオス・フラクタル問題、宇宙論などがあげられるでしょう。人工知能問題に関して言えば、ヒューバート・ドレイファスやダニエル・デネットたちの動きは、20世紀の典型的な動きだと思います。ドレイファスとデネットでは少し態度が違って、ドレイファスは二項対立の一項として自分を考えている。デネットになるともう少し現代的と言いますか、科学と哲学が内的な関係として入ってきている。この二人の態度の違いは、あるいは世代の違いです。もちろん哲学から外部へ飛び出していった先駆者としてドレイファスは評価できるんですけれど、はっきりと現代的なかたちをとったのはデネットの業績が大きいと思う。だからドレイファスは対マーヴィン・ミンスキーという二項対立の図式に還元できたのに対して、デネットは弁証法的な三番目のものとして、両者をうまく止揚するかたちで出てくるわけです。
カオス理論やフラクタルが70年代ぐらいから出てきますが、これは明らかにコンピュータの発展によってしか成立しえなかった。カオス理論やフラクタルが持っている内的な意味というものは、それこそわれわれの世界観の変更を迫るくらい大きなものだと思います。しかし科学者たちは、あいかわらず従来の進歩史観でしか捉えない。世界が整合的なものから構成されているにもかかわらず、人間の知というものには限界があるんだという認識は、科学が深化している証拠だと思います。しかし科学者はそれを深化とは捉えないで、進化と捉えようとする。だから彼らは、これまで予測がつかなかったこともカオス理論を使えば予測できるというように、あいかわらず進化するものとして科学を見てしまう。しかしカオスとはそういう面ばかりではないわけです。法則さえ理解すれば世界はわれわれがコントロールできる対象となる、という世界観自体がカオス理論によって問われていると言えます。そしてその問いは哲学の参入がないと出てこない。カオス理論では数学がとりわけ重要になってきますが、それこそ数学と哲学とはオリジンにおいてはまったく同じものです。カオス理論をめぐって、その両者は非常におもしろい発展を遂げていくことになると思います。哲学が工学に対して開かれることで、人工知能や認知科学といった興味深い問題が提出されてくる。あるいは医療テクノロジーが生命倫理――それがうまく機能しているかどうかわかりませんが――といった哲学的な問題へと展開していく。現代の問題を見ると、科学と哲学はどうしても関係せざるをえない。
村上 同じような例を挙げれば、1905年の「特殊相対性理論」と1916年の「一般相対性理論」は、哲学における時空概念を変革するような大きなインパクトを持っていたと思います。
黒崎 当時はカッシーラーが頑張っていましたね。
村上 そうですね。新カント派の最後の時期です。それから相対性理論はベルクソンの哲学やマッハなどにも深く連関しています。哲学的な相対性にせよ、科学的な相対性にせよ、最深部では同じことを言っているのかもしれない。それから量子力学における決定性の崩壊ということが、カオス理論の問題、つまりわれわれは現象を完全にコントロールできるのかといった問題の最初の理論的な衝撃になりました。あるいはヒルベルトからフレーゲにいたる数学基礎論の展開も、われわれの持っている知識の確実性や形式性を相対化し、批判することになりました。これらは個別科学のうえで起こったことか哲学に対してインパクトを与えたという例であって、ではその逆の方向があったのかというときに、人文系の研究者は「お前たちは何も与えてはくれなかったではないか」と科学者から怒られてしまう(笑)。たしかにあまりそういう例はないのかもしれないですけれど。
黒崎 宇宙論でも、宇宙の重力定数が僅かでも違えば人間は生存できないということを踏まえて、宇宙は人間のために存在しているのではないかと考えざるをえない、という人間原理なども言われ始めました。
村上 20世紀前半に限れば、哲学の方が個別科学から多くのものを頂戴したということは言えるのかもしれません。ただ後半になって出てきた諸問題は、もはや個別科学の中に押し込めておくことができないことは明らかです。フラクタルは数学から出てきたものですけれど、それは数学に限らず、例えば美術や文芸、哲学の話になります。
黒崎 ヨーロッパの場合、絶対的な存在として神学があり、神学とつねに向き合うかたちで科学なり哲学なりがあったと思うのですが、日本ではそういった伝統はありません。明治時代以来、哲学にせよ、文芸にせよ、工学にせよ、とにかく西洋に追いつけという強迫観念がつねにあったと思います。
村上 そのときに、どれだけ日本の伝統を意識するのかということが問題になってきますね。例えば「近代の超克」という論議の場合は、そこで日本の伝統に回帰するという話になってしまうわけです。その意味でわれわれの伝統が問題になると言えば言えますよ。
黒崎 回帰しようとすると、何もなかったりしますからね(笑)。明治を超えて、江戸を見ようとする動きもありました。
村上 先ほどからの話とちょっと絡むのですが、歴史を考えるときに、ヨーロッパの歴史の古代、中世、近代というプロトタイプ――ほとんどステレオタイプですけれども――を、かつては日本の歴史にも強引に当てはめようとしたんですね。そうすると江戸は封建制を採用していたから中世なのか、ということになる。それでは具合が悪いというので、近世という言葉を作り、近世と近代を区別し、それこそプロクルステスの寝床みたいに押し込んだわけです。しかし江戸時代がそういった時代区分には収まりきれないことは当然なのだから、江戸を見直そうという動きはある意味で自然な現象だと思います。
黒崎 そうですね。そして、今日のお話でもでたように、日本にとって「科学」や「技術」は、良くも悪くも、西洋とは異なった意味を有している。そしてそれは、「哲学」も同様でしょう。思想輸入業としての哲学の終焉のあと、さて、科学と哲学は今後どう絡んでいくのか。大変楽しみと言えば言えるし――いや、大変な苦しみなのかもしれないな(笑)。
[1996年7月18日、東京にて]
(むらかみよういちろう・科学史/くろさきまさお・哲学)