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トランジット・ラウンジとしての文化
[掲載日:]
「場所」をめぐる哲学的問題にいまもっとも意識的に取り組んでいる分野のひとつは、地理学であるかもしれない。『空間の経験』(筑摩書房)や『トポフィリア』(せりか書房)で知られる地理学者イーフー・トゥアンをリーダーの一人とするいわゆる「現象学的地理学」のサークルが、近年、「場所」をめぐる人間の意識と経験の変容を、人間のあたらしい生存の哲学へとつなげようとさまざまな考察を行なっている。最近翻訳の出た、トロント大学のエドワード・レルフの『場所の現象学』(筑摩書房)も、そうした試みのひとつである。
現象学的地理学の「場所」の把握が興味深いのは、それが、場所をたんなる物理的実体として見なすのではなく、現象学的にいう「生きられた空間」、すなわち、人間の感情的経験、記憶、幻想、夢、未来像といった、空間にたいするあらゆる現象学的なアプローチの複合体を「場所」としてとらえるという点にある。これは、場所の問題を人間経験の複雑な相のなかでとらえ直すきっかけをつくったという意味でも、きわめて重要な思想的展開だった。しかし、たとえばレルフが次のように書くとき、現象学的地理学の「場所」の把握自体にひそむ限界も明らかになってくる。
場所が人間存在の基本的側面であり、それが個人や集団の安全性やアイデンティティの源泉だとすれば、意義ある場所を経験し、創造し、守ってゆくための手段を見失わないようにすることが重要である。
ここでレルフが指摘するのは、現代社会において、多様な場所の経験のありかたとか、場所のアイデンティティそのものが弱体化している、ということである。彼は「プレイスレスネス」という言葉をつかって、いわば「場所」がいつのまにか「没場所」へ、すなわち、現象学的に言って「生きられた」厚みを欠いた空間になってきていることをしめす。レルフはまた同じ没場所性のことを、「ルーツレスネス」とも言って、それが、根を生やしていない、根が切れた空間である、とも言い換えている。こうした考えに立つかぎり、オーセンティックな不動の「場所」というものの存在を現象学的地理学は前提としていることがわかる。そして「没場所性」という表現によってそれが危機に瀕していることを指摘しつつ、現象学的地理学は現代社会における「場所」の回復をめざそうとする。レルフは本物の場所について、「環境に適合しそれを作った人々の意図と調和するような場所である。そして場所形成者たちがその場所に全体的に関わることから生じる特有の深いアイデンティティがある」、と述べているが、ここには本物の「場所性」にたいする強い信仰が示されていると言っていい。
レルフはこうしたオーセンティックな「場所」の例として、バーナード・ルドフスキーが『建築家なき建築』で素材とする、いわゆるヴァナキュラーな建築や社会空間をあげる。だがすでに私も『クレオール主義』(青土社)などで指摘したように、ルドフスキーが先駆的に探求し、ヴェンチューリが明解に定義した「ヴァナキュラー」な空間とは、むしろ偽物性のような非伝統的な要素も含めた人間のありあわせの実践であり、しかも一種の必然性を持った特徴をそなえ、その時代時代の文化関係と適合してゆく人間の創造そのものを指すと考えるべきである。すなわちそれは、けっしてオーセンティックという言葉に含まれるような本質性を含んではいない。その意味で、現象学的地理学は、いまだに場所の理解について、場所の本質性、オーセンティシティにたいする素朴な信頼を残存させてしまっている、と言わざるをえないのだ。
こうした場所の本質性への信仰が消えない理由は、いまだに「場所に定住する」こと、「居住する」ことが人間の生存においていわばニュートラルな状態である、とする考えが支配的だからであるとみなすことができる。だが、現代社会において人間の生存ははたして居住という基盤の上に立って営まれているとほんとうに言えるのだろうか。現在の東京のような都市の活動は、高速交通システムのネットワークによってかろうじて支えられたものであり、人々の都市郊外の居住のかたちは、まさにこの移動のシステムによって保証された危うい定住の形式に過ぎない。さらに、外国人労働者をはじめとする稼働性を内部に抱えた新しい住人の出現によって、都市の居住経験そのものはますますモビリティの経験を内蔵したものに変化しつつある。
こう考えると、現代社会の定住そのものが、すでに移動に寄り掛かっていることは明白である。そして、定住を人間の生存形態にとってニュートラルな状態であるとみなす発想が、いかにナイーヴなものであったかがわかるのである。
『グランタ』20号に掲載された、インド系人類学者・作家アミタフ・ゴッシュの断章風エスノグラフィー「イマーンとインド人」は、そうした移動と居住をめぐる新しいパラダイムの探求にとって示唆的な文章である。ゴッシュはあるとき、エジプト、ナイルデルタの一角にある小さな村に調査のために入ってゆく。彼はそこに、伝統的な人類学のコミュニティ・スタディの対象となるような、外界から隔絶され伝統的な生活形態を守りつづける農民の生活を想像していた。しかし調査地に入ったゴッシュは、その村の住人のほとんどすべてがとてつもなく忙しく世界を駆け回る旅行家たちであることを発見した、と述べる。ある者は、ペルシア湾岸のさまざまな地域で季節労働を行なう移動者たちだった。ある者は、リビアやヨルダン、シリアといった地域に出かけていった経験を持っていたり、またそうした地域からの外来者であったりした。さらにその村には、兵士としてイエメンに長いあいだ行っていたり、あるいはサウジアラビアに毎年のように巡礼に出かけて行く者もいた。季節労働、移民、旅行、巡礼、さらに戦場に派遣されるといった軍事的移動……。すなわちゴッシュがいうように、この村はさまざまな移動の途上にある人々が集散し、彼らの過渡的な生活が営まれる、いわば「トランジット・ラウンジ」のような場所だったのである。
「旅」が一種の「常態」となったとき、むしろ「居住」という行為の方がある種の釈明を要求されることになる。すなわちこれまでは、「いかなる自由をもって人は移動するのか、その移動の動機はなんなのか」と問えばよかった。それは居住という行為の方が人間の生存にとってニュートラルな状態だったからだ。しかしゴッシュの伝えるような状況のもとでは、むしろ「居住」の方が釈明を求められることになる。つまり、「いかなる自由をもって人は定住するのか」あるいは「いかなる理由によって人は定住を選択するのか」ということである。定住すること、すなわち「旅しない」ことは、ここではきわめて意志的な選択となってしまっているのだ。
ゴッシュの先のエスノグラフィーが面白いのは、さらにそうした状況のなかで、たったひとりの村の定住者、わずか数キロしか離れていない隣町にさえ行ったことのない一人の初老の男を発見する、という部分にある。そのひとりの男との綿密な対話ののちに、ゴッシュはこの男が不思議な「居住のなかの旅」の実践者であることに気づく。ゴッシュ自身のような外来の人類学者の存在も含めて、その男は自らの周囲に立ち現われるあらゆる移動者たちの経験や意識と交流することを通じて、もはやまったく物理的移動が不必要になったもうひとつの「旅」をいながらにして豊かに実践していることを、ゴッシュは新しい可能性のようなものとして実感するのだ。
土地に縛りつけられていること、あるいはより科学的にいえばネイティヴ=土着という概念は、たしかに人類学的な「対象」を固定するために作り上げられた恣意的な概念であり、それはいままで近代主義的な進歩観のなかでは、一種の限界の指標であるとみなされてきた。しかしいまや「旅」「移動」が人間の生存の常態となりかけているとき、ゴッシュが示唆するように、いま「定住」はあらたな主体的選択の可能性としての姿を現わしはじめている、といってもいい。しかしそのときの「居住」や「定住」は、もはや従来のように、「伝統」や「根」と結びつけられるような本質主義的なものでないこともあきらかだ。近代資本主義、そして植民地主義を経過したあとで出現した、人間の継続的な交通の道程の果てに透視された新しい主体的生存のかたちとしての居住……。その姿をとらえるために、現象学的地理学がいまだに固執する、場所とルーツ(roots)とのつながりをきっぱりと捨てて、いま私たちが目指さねばならないのは、もうひとつのルーツ、すなわち経路、旅程としてのルーツ(routes)の方なのだ。
ゴッシュのエスノグラフィーは、そうした現代の人間が自らの文化的軌跡としてたどる道筋のなかで成立する新しい生存のかたちを示唆しながら、トランジット・ラウンジとして展開する現代文化の窮地と可能性とを、等しく私たちの目の前に突きつけてくるのである。