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計画と予想

ポール・ヴィリリオの「速度」展評

[掲載日:]

パリ南西部の小さな村にあるカルティエ財団は、これまでにアンディ・ウォーホールやビル・ヴィオラなどの展覧会を行なってきた現代美術のための展覧会場だが、ここでひと夏にわたってポール・ヴィリリオ監修による企画展「速度」が開かれた。会場は一帯の森を所有していた小さな城の敷地そのままの贅沢なスペースで、木立ちと池が美しい遊歩道にはダニエル・スポエリやセザールなどの現代彫刻が置かれている。近くには農家の建物をそのまま使ったビエーヴルの写真博物館があるが、カルティエ財団の展覧会場も古い屋敷や酒蔵を修復したもので、パリ市内の美術館にはない緑の濃さに囲まれた展覧会となった。

ヴィリリオは都市計画家として建築大学で教鞭をとるかたわら、これまで雑誌やシンポジウムなどでテクノロジーとイメージをめぐって精力的な発言を続けてきており、数十冊にのぼる著作の一部はすでに日本にも翻訳紹介されている。その軍事技術に対する深い造詣を基礎にすえた文明論は、特に軍事へのあからさまな言及がいまだタブーとなっているフランスでは、アウトサイダー的なあるいは特殊な領域を対象にする思想家という印象を一部で持たれてきた。これまで幾度か傍聴する機会を得たディスカッションでも、一般の聴衆からの、どちらかといえば感情的な反発が繰り返されるという場面が少なくなかった。しかしここ数年のうちにヴィリリオの理論が現象的に確認されるような政治情勢が世界を席巻したこと、そして今回の全面的なディレクションによる展覧会が開かれたことによって、彼の提唱するドロモロジー=速度学が一般的にも認知された感がある。

速度の歴史

展覧会の概要を順路に沿ってふりかえってみると、まず第一部として19世紀末から今世紀初頭にかけてヨーロッパで興った速度にかかわる技術と表現のダイナミックな変容が多くの資料によって跡づけられる。エティエンヌ=ジュール・マレーが発明した写真銃とクロノフォトグラフィーが詳しく紹介され、未来派宣言が発表された当日の新聞やマルセル・デュシャンの作品が並んで、速度による意識の変容が示される。生理学者だったマレーの資料はブルゴーニュ地方ボーヌにあるマレー博物館から提供されてきたが、猟銃を改造した写真銃のずっしりした量感によって、高速度撮影という機能の背後にブルゴーニュ=狩猟世界の存在を暗示させる、ヴィリリオらしい巧みな導入構成だといえるだろう。

続く第二部では、多様なディスプレイによって移動手段の発展を辿る。リュミエール兄弟による有名な映画『列車の到着』、リンクが撮影したアメリカ大陸横断機関車の写真、走行中のF1の運転席から撮られた映像。また航空機のエンジン部の模型、ルイジ・コラーニによる流体力学デザインのプロトタイプ、そして1996年に完成が予定されているドゴール空港の新ターミナルの模型。ひとことで言えば移動手段の“民主化”の歴史ということになるが、特に「ロワシー3」と呼ばれる新ターミナルは、列車、自動車、航空機という三つの交通手段の結節点として、その客船を思わせる建築とともに、“民主化”のシンボルとして扱われている。

これらの移動手段の速度の発展が、常により速い手段を開発してゆくという相対的なものであるのに対し、通信技術の発展によって人間は絶対速度を手中に収めつつあると、ヴィリリオは言う。それを可能にするのはテレコミュニケーション技術の驚異的な発展にほかならない。というのは通信網の惑星的な完備によって、人間はもはや物理的な移動をすることなしに、あらゆる場所に存在することができるからである。展覧会ではその一例としてAFP通信社のテレックスを並べ、世界中からリアルタイムに送られてくる情報を展覧会の会期中ずっと流し続けていた。

移動手段とコミュニケーションは歴史的にも同じ発展のレール上にあったわけだが、ヴィリリオはこのように相対速度と絶対速度というとらえかたで、特に後者が人間に与える影響を重視している。例えば現在F1レースでは、走行中の車からそのエンジンの状態が無線で刻々と送られ、ピットに据えられたコンピュータの画面上で温度や圧力などのパラメータとして表示される。しかしリアルタイム通信の恩恵を受けているのは、実はレースを眺めるわたしたち自身であって、テレビによって報道されなければ、F1のようなアナクロニックなレースがこれほどの人気を集めることはないはずだ。サーキットと遊園地の木馬を隔てているのは相対速度に過ぎないのであって、F1を現代の大衆文化たらしめているのはテレコミュニケーション=絶対速度なのである。

トーチカのなかで

しかしヴィリリオの仕事の全体を眺めるパノラマとなっていたのは、巨大なコンクリートの構造物のなかで展開される第三部だった。この木立ちの中に打ち捨てられた廃墟は、窓がひとつもないトーチカ状の建築物で、ヴィリリオの展覧会としてこれ以上に相応しい空間は考えられない。内部は三層から成り、それぞれ情報、戦略、宇宙といったミクロからマクロに至るテーマによる展示である。

航空機の形態の変化が模型や設計図によって辿られ、マトラ社が開発中の巡航ミサイル“アパッチ”が無音実験室のなかに置かれている。1947年に音速が破られるまでの航空機の歴史をヴィリリオは重視しており、それは光の速度を目指すテクノサイエンスの現在を考えるための基本的な資料として見ることができる。同時にそれは戦闘機の機能変化が形態にどのような変更を加えてきているかをも示している。ヴィリリオによればこれまでの戦闘機の形態はエアロダイナミックだったが、湾岸戦争で広く知られるようになったように、現在は“速く飛ぶこと”からレーダーに探知されないように“知られずに飛ぶこと”が要求されており、そのために戦闘機は見えない形態=イコノダイナミックになってきている。戦略は移動の速度から情報の速度によって支配されつつあり、つまりここでも絶対速度が相対速度に代わって影響を与えているわけだ。

この他にもわれわれの身体を貰通している宇宙線や星雲が遠ざかる速度、また台風の風速といったさまざまな速度が示されるが、工夫は見られるものの多少小学生向けの仕掛けといった感じも否めない。例えば高速化社会を待ち受けるカタストロフのひとつの例として、株式市場の写真(ウィリアム・クライン)と音声によるインスタレーションがあった。周知のように4年前ウォール・ストリートを襲った大暴落には、コンピュータと人間の情報処理能力の大きな隔たりが原因のひとつとしてあったと報道されている。ヴィリリオは、危機に対処するコンピュータが送り出す情報の速度と、それを解読する人間の思考速度の差が加速度的に拡大して、ついに破局に至るシナリオを、われわれのパラドキシカルな文明の一断面として提示したかったようだが、その意図をデイスプレイから理解することは正直に言って困難だった。

計画か予想か

1991年1月14日付けのインタヴューでヴィリリオは、湾岸戦争について「これは史上最初のリアルタイム・ウォーである」と答えている(インタヴューがフランスのテレビ番組週刊誌に掲載されていたのも象徴的だ)。戦闘開始直前の発言であるが、それ以前からメディアを中心にして、戦闘は避けられないという見方がフランスでは一般的だった。それから停戦条約までのあいだ、ヴィリリオの発言はフランスでは日刊紙『リベラシオン』をはじめとしてヨーロッパのいくつかの新聞に同時進行的に掲載されていった。それはマスメデイアによる戦争の演出合戦と、混乱を極めついにはアパシーに至るかと見えた言論の渦のなかにあって、現象にたいして冷静かつ強靭な思考のメスを突き立て続けた、数少ない意見のひとつだったと記憶している。

思想家が監修をするというこの種の大規模な企画展は、フランスではおそらくポンピドゥ・センターで開かれたJ.-F.リオタールの「非物質」展以来であるが、今回の展示そのものは、やはりいまひとつ、という印象だった。もちろん場所や予算の問題が大きかったのだろう。だが今回の展示の限界がヴィリリオの思想の本質を逆説的に表わしていたという気もするのは、湾岸戦争最中に彼が示したスリリングとさえ言えるような状況と思考の緊張関係が、残念ながら見られなかったからである。

これまで20年以上にわたって“速度”という視点から、ポリス都市の構造から今日の戦争までの文明史を描いてきたヴィリリオは、その途上でいくつかの予想を的中させてきた。一昨年刊行された『不動極』(L'Inertiepolaire)では、絶対速度が到達する不動の状態というパラドクスの周囲に速度学の新たな局面を展開してわれわれを驚かせたが、湾岸戦争に対処するためにペンタゴンが導入したコンピュータに付けられた名前がズバリ「不動センター」であったことを知って、読者はその正確な弾道計算のような思考を感じずにはいられなかった。

ヴィリリオ自身はそれらを予想とは言わないであろう。最初に都市が城壁を築いて以来、いや最初の矢が放たれてから、今日の国家体制に至るまでの権力の成長過程を、戦略家の冷徹さで思考してきた彼であれば、それらはいわば計画されてきたものに他ならないのではないか。リアルタイム・ウォーの到来も、すでにマルビナス(フォークランド)戦争当時から指摘してきたことだった。また戦争中になってアメリカ軍がスカッド・ミサイルの弾道を計算するためのセンターがCNNと同じアトランタという巨大都市にあることが報道されたが、迎撃と報道の近似性について彼はすでに繰り返し語ってきている。

「速度学」の最良の展覧会は、実はカルティエ財団ではなく、その半年前にペルシア湾岸で行なわれたのではないだろうか。そのインタヴューを読むさらに少し前、旅行中の日本人から電話を受けた。その人は日本に帰るのに南回りのチケットを持っていて、予定を変えて17日以前に飛んだほうがいいかどうかという相談だった。分からないが飛んだほうがいいのではないかと答えたが、そのとき絶対的な予想が不可能なことの論理的証明として、完全な予想のための完璧なデータを集めつくしたときには、もはや決断のための時間は残ってはいまいというポパーの言葉を思い出していた。

計画か予想か。ますます不動極に近付きつつあるわれわれは、やはり現実に追い越され続けるのだろうか。ユーゴスラヴィアの内戦は停戦決議も大方の予想をも裏切って、いっこうにおさまる気配を見せない。ぽくのなかで「速度」展は展示終了とともに始まって、今も続いている。

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