IC6-16

創造と表現

「日本的」であることを超えるための

[掲載日:]

対話としての口述筆記

鈴木 磯崎さんは、原稿をまだ手書きで書いているの?

磯崎 僕は手書きでしか書けないな。

鈴木 中村雄二郎さんは、ワープロになったんだよね。僕も少しはやっているけれども、ずっと口述筆記だったから、読めはしても基本的には字は書けない。だから、ゆっくりならワープロの方が手書きよりいいですね。

磯崎 そうすると、シナリオの方はどうしていたの?

鈴木 全部しゃべるんです。

磯崎 誰かが書くわけ?そうすると余計にしゃべっておいて、消す方は手で消すわけね。

鈴木 そう、消すのは簡単だからね(笑)。みんな、「機械にしゃべればいいじゃないですか」と言うんですが、感じが違うんです。こちらに考えがまずあって、それをずらずらっと機械に入れるのではなくて、書いている相手のリズムとかを見る。対話というか影響があるから、機械に向かってしゃべれと言われても、どうも人がいないと全然だめなんです。俳優がいなければ言葉は出て来ないんですから、演出家なんだな。

磯崎 書いている人から、逆に影響を受けるなんてことはありませんか。

鈴木 影響されるというよりは、観察しながら話している。どうしたって、様子を見たりどんな漢字を書いているかとか確かめるからね。

磯崎 演出の時も?

鈴木 演出の時に問題なのは、何かをさせたいという目的があった場合、ある人間をその目的に添ってどう動かすかということですね。要するにそれぞれ人間が違うわけですから、ボキャブラリーを変えなければいけないし、態度だって変えなければいけない。こいつは怒ってプレッシャーをかければいいとか、こいつは暗示にかけた方がいいとか、これは論理的に説明した方がいいとか、あるいはもっと触覚的な言葉を与えた方がいいとかいうことを考えながらやっているから、相手から言葉を貰っているわけではないけれど、一応対話をしているわけです。

磯崎 観察しながら、相手によって言い換えているわけね。

鈴木 例えば柄谷行人だと、相手が誰であるかなんていうことは関係ない。彼が夢中になって何か言ってくるのを見ていると、言葉が、言いたいことがあれば自動的に論理的に増殖していくんです。だから、昂揚するとずっとしゃべっている。しかし、われわれの言葉はそうではなくて、相手を前提にしているんです。つまり相手を説得するかどうかなんですね。相手というのは障害でもあったりするわけで、その障害をどうやって乗り越えるか、どう倒すか動かすかということだから、向こうがなかなか頑固だとこちらもエネルギーがいるとかね。そういう相手に規定されて、変わってくる面があるんです。

磯崎 そうすると、発する言葉がある種政治性を持たないと有効ではない。

鈴木 一種のアジテーションですね。その言葉というのは論理的だけれども、背後には攻撃的であったり、感情的であったり、相手を抑圧するような意志といった裏付けがあるわけです。だから、論理的な言葉の背後に、その人間が置かれた感情的なシチュエーション、あるいは衝動的なものがあるんです。

磯崎 そういう意味では、いたって政治的でレトリックの世界なんだな。

鈴木 だから僕なんかは、感情的になった方が論理的になるんですね。こいつは駄目だって思うでしょ。なんとかしなくちゃいけないから、怒らなければならない。その感情を言ってもしょうがないわけです。激しい感情を相手に納得させるためには、論理的にならなければならない。感情的になるということは、自分の内部ですごくエネルギーが高まってくるわけです。自分の中でテンションが高まってくる。それをそのままぶつけてもしょうがないから、論理的に言わなければならない。

磯崎 そう言ったって、演出の時に、竹刀で床をぶっ叩いているじゃない(笑)。

鈴木 そこを普通の人は、誤解するわけですよ。確かにそこだけを抜き出せば、ぶっ叩いているには違いないんだけど、全体のコンテクストの中では政治的な判断というものがあるんです。ただ感情的にぶっ叩いているわけじゃない。床をたたいて気合をいれるとか、緊張させるとか、その場の雰囲気をコントロールしているわけですから、それは論理的なコンテクストの範疇なんですよ。ある目的に向かってそうなっているわけですから、本能的な衝動が突如でてきてヒステリーになっているわけじゃないんです。ところが日本人は、論理的な場であったり他人と共同作業している場で、感情的であってはいけないと思っているんですね。たいてい知識人はそういう時には冷静であるべきだ、冷静な言葉ですべて学者のようにしゃべらなければならないと思っている。感情的になった方がその場の目的が遂行されるならば、感情的であることは悪いことじゃない。あるいは激しいコンフリクトが起こるということもね。

「場」の言葉としての日本語

磯崎 演劇の上演に際して鈴木さんはときに日本語なり他の言葉なりを使う、その使い方を今日は聞きたいと思っているわけです。普通よく言われていることだけど、日本語が持っている論理と外国語が持っている論理とはものすごく違うでしょう。それを日本語でしゃべらせなければならない。ところが鈴木さんの演出の場合は、翻訳された言葉だけではなく英語と日本語の掛け合いというのがあるわけでしょう。そこで投げ合っているものは、本来、同じ言語構造、論理構造で掛け合いをやっているのですか、それとも、相手とは無関係に言葉が一方的に投げられているのか。そこの関係が面白いわけですが、基本的にはどの辺りに狙いをつけているんですか。

鈴木 僕は、日本語というのは「場」からの自立力がない、と言っているんです。つまり論理的に独立していない。必ず、ある「場」に限定されていて、場のシチュエーション――言語場と言うんですが――の中へ入ればわかるけれども、それだけを読むと意味がわからない。それはどういうことかというと、日本語の特徴は、全体のシチュエーションあるいは場で、一つの感情とか感覚を共有するのに優れているからだと思うんです。あるいはそういう方向性を持っている。例えば祝詞のように、言葉によって全体が集団的に憑依する、possessする――取り憑く――ように積み上げていくわけですね。最初に否定とか肯定とかいう意志はこない。価値判断はしないで、感情を共有する前提が長い。例えば和歌でも「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の」と、枕詞で延々と何か雰囲気を立てていく。最後に一応、どんと意志とか価値判断が来る。その間は何をやっているかというと、場の共通感情というか雰囲気を盛り上げている。だから、言葉が発せられる場とその言葉は、たぶん不可分な関係になっていて、切り離しにくい形で使われている。ですから日本語には、ある場と切り離して使うと曖昧になる言葉がいっぱいあるんです。例えば政治の場でもわざと曖昧に言ったり、はっきり意志を言わなかったりする。

磯崎 官僚答弁みたいにね。

鈴木 そうなんです。必ず主体をはっきりさせなければならない場では不適切な言葉というのが出てきてしまう。そういう構造が日本語の特徴で、われわれは演劇ですから全体が盛り上がってくる必要がある時、つまりそこに加わっている全員が盛り上がって感覚的に憑依していくという時には、日本語というのはすごくいい。

磯崎 国会での答弁などを見ていると、鈴木さんがおっしゃったことと日本語本来の機能が逆のような気がしますね。本当はイエスなのか拒否なのかわからないような形で、ぐじゃぐじゃとなにか言っている。だからそういう答弁みたいなものは全然盛り上がらないわけでしょう。ところがアメリカの大統領選挙であるとか、また別の意味で言えばヒトラーの演説とかは、もうひたすら盛り上がらせるように言葉を使っているような気がするんですね。

鈴木 だから、裏表なんだと思うんです。日本はかつては天皇制を中心にして日本語を有効に使っていた。集団の憑依状態を創りだすことを伝統的にやってきたわけですね。それが一度破壊されたわけです。第二次大戦後、民主主義の社会になり近代啓蒙主義が入ってきて、個人の自立だとか論理的にものを言うことが要求されるようになった。だから、集団的に、曖昧な意志決定をしたり、取り憑いたりできる共有感情を持つということ自体に対する抵抗があるわけですね。それは日本が決定的に不幸になった、あるいは変になってしまったところかもしれないと思う。皆それを悪いことではないと思っているにもかかわらず、それへの抵抗もすごくある。政治家でも誰でも、集団的にわっと憑依してしまうことに対して、否定的な感覚があると思うんです。

磯崎 かつて失敗した記憶があるからということですか。

鈴木 そう、失敗した記憶があるし、まず批判されるでしょう。戦後ずっと、伝統的にそのこと自体は批判されてきた。左翼もそうだったし良心的ジャーナリズムもそうです。日本人はそういう集団的な憑依状態を共有することが上手だったり、そういう体質の人種であるにもかかわらず、それに対するチェックがあるんですね。そうするとどうなるか。日本人の心理を見るとそこで分裂しているというか、タテマエとホンネが分かれてきていると思うんです。本当はもう違うのに、ああいう言葉遣いをせざるを得ないということを知っている。竹下元首相的に「言語明瞭、意味不明瞭」というのをわれわれは作っちゃった。

磯崎 もはや、それはその世界にのみ通じる論理があって、結局のところジャーゴンになっている。戦後の歴代の総理大臣の説明というのは全部そうですね。

鈴木 そう、言葉は曖昧でも全然問題にならない。そういう日本語の構造というのがあるんですね。だから新聞で見ると、力のないすごく曖昧な言語だけれども、それがある場ではいちばん力を持つということになっている。これは流行歌の構造も同じなんです。流行歌というのは、要するに類型なわけです。類型が成り立つということは、その中に共通感情があるということを前提にしているわけですね。それで、一つの言葉、たとえば「どうせ私を捨てるなら、死ぬまでだまして欲しかった」というのにしても、こうやればこういう共通の感情を喚起するということが前提とされている。そういう共通の感情の中に、ある種の多様性はもちろん許す。個人の思い入れは許す、という多義性は少し持たせてあるわけです。だけれども、その前提となる感情というのは、歴史的にも蓄積されているし、こういうふうに共通だという限定ははっきりあるんですね。こういうものが類型表現なんですね。歌舞伎なんかでもそうだけど、要するに芸なんですよ。芸というのは共同体の場の価値基準を前提にしたものなんですね。

磯崎 それは、日本的共同体に固有なものと考えてますか。

鈴木 ええ、そうだと思いますね。だから竹下の言語も芸なんです。だから信条とかなんとかいうんじゃなくて、ある共同体の要求している芸が非常にうまいからああやって出て来たんでしょう。

磯崎 ビートたけしはどうなるわけ?

鈴木 そういうふうに具体的に言われると困るんだけど(笑)、彼の場合はかなり悪意のある芸なんだと思いますよ。

磯崎 彼の場合は、その日本的共同体の共通言語みたいなものを、なんとかしてずらして破壊しようとする、悪意を持っている。常に悪意を持っているところが、今彼が受けているところでもありますよね。

鈴木 僕はクリエイティヴィティ=創造ということと表現とを分けて考えているんです。表現というのは芸につながる。これは共同体の価値基準というものを前提にして、ある了解を取り付ける行為だ、その中で遊ぶ行為だと思うんです。創造というのは、この共同体との関係を新しく作ろうとする行為だと。前衛なんかのクリエイティヴというのはそういうことだと思う。つまり、ある共同体に共通の価値基準の上に乗っかって自分の主体を承認させようとする行為ではなくて、新しい関係をそこへ作ろうとするんだと思うんです。ある意味ではゼロから始めている。

磯崎 確かに共同体を前提にすれば、かなり省略して話をすぱっと明快にできるというところはありますね。

鈴木 悪意というのは、共同体の一つの芸なんですね。つかこうへいでもビートたけしでも相当悪意があると思いますが、悪意というのも間違えると共同体の一つの芸になるんです。

磯崎 なるほど、共同体に共通の価値基準がある。論理的というより感覚的なんでしょうね。それに寄りかかってしまえば否定として存在することは案外容易なのかもしれない。

鈴木 だから、日本では悪意を持った人が出てきた時にはすごく新鮮だけれど、そのこと自体が長く続いたことはないですね。悪意の使い方自体も表現も類型化してしまうところが、日本の恐ろしいところじゃないかな、という感じはするんです。

対話とモノローグ

磯崎 鈴木さんの目から見て、日本的共同体を前提にした発語の場と、それとは全く無関係な外部にある別の言語とを比較した場合、日本語の構造に対して、例えば英語とかフランス語、ドイツ語を使って語られる演劇の場は、基本的にどこか違うものとして見えますか。

鈴木 僕はそんなに個々の言語に詳しいわけじゃないけれど、それは違っていますね。ヨーロッパの言語は、基本的には差異と選別を強調しますよね。ですから、論理的であるということは、そこに必ず一つの選別が行なわれているということなんです。物事を差異性で示してくるということがあると思うんです。

磯崎 論理的に分節が常に可能になってくる。

鈴木 日本語というのはそうじゃないんですね。むしろ共通性の方へ持っていこうとする指向が潜在的にあると思うんです。だからヨーロッパの言語でいくと対話劇になるんです。ヨーロッパの言語でドラマを考えていくと、基本には論理と論理の対立がドラマだということになる。

磯崎 そもそも対話というのは、別々な論理どうしでないかぎり成立しないわけだものね。

鈴木 基本的にヨーロッパ人というのは、ドラマというのは論理と論理の対立だと言っているんですね。それは、論理的な言葉を使うかどうかではなくて、例えは磯崎的な論理で生きている人間、鈴木的な論理で生きている人間、二人いるだけでもそれぞれ生き方の論理が違う人間が存在しているから、これは対立している、つまりドラマだと言うんです。ところが日本人はそう思っていない。ドラマというのは、つまり内部に起こっている。日本の伝統的な演劇はモノローグなんです。ドラマというのは対話じゃなくて、自分の中に起こると考えていますから、例えば能みたいに夢の世界や空想に遊ぶとか想像の世界へ入っていって亡霊と出会うとか、自分の記憶がどうであったとかいうふうに、自分の意識自体の中に、もうドラマがあるという考え方だと思います。言語もそういうふうに使われてきた。そこは日本がヨーロッパと決定的に違っている。そのことに関して言うと、この間、国際交流基金の主催事業で、ブラジル、アルゼンチン、チリと行って、外人の俳優と日本人の俳優で『ディオニュソス』をやったわけですが、その時にある人が、うちの俳優はどんなに外に向けてパーッと言っていても籠もっていると言うんです。つまり言葉が外に直接出ないで、必ず内部を通過してモノローグ的に出てくるというわけです。日本の俳優は、どうしても言葉を体の内部で確かめながら出してくると。それが外人の俳優が出てきて演技すると、ストレートに空間がパッと開いた感じがすると言うんです。学生時代から僕の演劇を見ていてくれた駐アルゼンチン大使の夫人が感覚的に言ったことなんです。私の訓練をどちらの俳優も同時にやっているので、まあ同じように見えるだろうと思っていたんですがね、やはり随分、外人と日本人は違うらしいですよ。

磯崎 以前、白石加代子が次から次へと別の役に変わっていく、何者かに憑依していくんだけれど一つじゃなくて、いくつにも憑依して変わっていく一人芝居をやっていましたが、それはやはり、彼女の持っていた体質が、日本人の持っている憑依していく部分、モノローグでしかないという部分を典型的に持っているが故に成立した芝居なのかしら。外国人にそういう要求をして、やれる人がいるかどうかという問題もありますが。

鈴木 外国人でも、先進国の人はもう難しいかもしれません。例えば、中上健次にしろ白石加代子にしろ、伝統的な生活に慣れ親しんできた人たちがよく吐く台詞に、「俺の身体を切れば、過去からのいろんな血が流れている」というのがあります。日本人の歴史が全部、俺の血の中にあるよ、と言うんです。ある種の日本人には、この体の中に日本のすべてがあるよ、という感覚がある。前近代もあれば、演歌も浪花節もある。特に女の人には「私の身体の中にはいろんなものがある」という感覚があるんですね。唐十郎もそういうところがあった。僕が思うにこれはもう典型的な日本人的発想なんです。自分の肉体の中に、日本の伝統的な古層もあるし、非常に現代的な時間も生きている。だから体を点検していけば、時間を超越できるんだと。それでその中には、中村雄二郎的に言えば体性感覚として、ある体の感覚が潜在的にあって、それは前言語状態として存在している。ただ、言葉を与えられればそれが甦ってくるのだと。つまり、言葉によって顕在化する、あるいは憑依される、要するに、潜在的には時間を超越したものがあるんだ、と思い込んでいる人たちが日本にはいる。

磯崎 和歌にしてもそうだけれど、言葉が魂そのものである、というふうに考えられてきたことと、かなりつながってますね。

鈴木 「言霊の幸ふ国」というわけですね。言葉が取り憑いてくると、言葉の方が潜在的にある感覚を引き出してくれる。引き出してくるから、古い時代でも何でも生きられますよ、という構えを持っている人がいるわけです。白石加代子はそう思い込んでいるわけですね。そうすると、一つの言葉をやれば、そちらの方へバッと変身する。憑依するんです。違う言葉がくれば、そちらへバッと変身する。要するに、私の内部にあったものが出てくるんだ、というふうな感覚でやれるんです。これはね、ヨーロッパ人にはなかなかわからない感覚じゃないかというところが確かにあります。ただ、日本人もこれから先は、なかなかわからなくなるんじゃないか、という気がしますね。

「鈴木メソッド」の原理と変形

磯崎 その部分は破壊されつつあると思うのですが、そういう状況のもとで、鈴木さんが開発した鈴木メソッドはどういう理解の仕方をすればいいんでしょう。言葉と肉体との間をどういうふうにつなぐか、言葉をいかに肉体化するかという点で、論理とは一見無関係な別な手法、つまりトレーニングということだけに置き換えて、肉体化させようとしている。この順序で練習をやることについては理由を聞くな、ただやれ、と言っているわけでしょう。最後はこうなるという目標はあるんだけれど。

鈴木 一応、説明はあるんだけどな(笑)。

磯崎 スタニスラフスキー・システムみたいに、一つひとつが非常に論理化されていて、これはこうだから、こうやりなさいという説明がつくとは言い切れないでしょう。

鈴木 違う意味では全部言えるんです。私がなぜ、ああいうシステムを考えたかというと、日本人の社会の生活のシステムがこれだけ変わってしまったから、言葉も変わった。だから、古い感覚を持った言葉はもう言えなくなっている。そうすると、こういう言葉を言うときの身体感覚は何だ、ということだけに的を絞ったわけです。それは呼吸の強さであり、コントロールであり、あるいは腰の入れ方であるとか、いくつかあるんですが、これを押さえておかないとこの言葉は生きてこないよ、というのがあるわけです。目標は非常にはっきりしているわけです。

磯崎 だけどそれを分解してないんだな。別な体系にしてしまって、結果はこうなる、それでしか行き着かない、というように組み立てている気がする。足し算じゃないんですね。

鈴木 そう、足し算じゃない。そういう意味では、日本の伝統芸能や、剣道でも何でもいいんです。何か武道をやってこい、そうするとその中の身体感覚はここでも使えるよ。座禅をやってきなさい、座禅の中のこれはこれに使えるよ。そういう意味ではいっぱいあるんです。ただ、いちいち座禅をやりに行ったり剣道をやりに行ったり、そんなことをやってから戻ってくるというわけにはいきませんから、そういう日本の体の習練というものが持っている基本的な身体感覚を、引き出したんですね。動き方はどうでもいい。見えないインナー・センシビリティ、内部感覚さえわかればいいんですから、それがわかる動きの練習方法をただ考えてみた。だから、その動き自体にはあんまり理屈はない。要するに、内部感覚がわかるには、剣道にも日本舞踊にも能にも、身体に対する共通性がある。ただ座禅の場合は宗教的な自我を放棄する集中とか、能の場合は長い持続力でじっと立っているとか、剣道の場合は早く相手の隙を見つけて打つとか身体感覚は同じでも、使っている目的は違っているんですね。この身体感覚がわからなければ芝居ができないよ、ということがはっきりしているから、それを培養するためのやり方なら何でもいいんです。それを演劇に適用して、稽古場でもできる、身体感覚を発達させる訓練はこうだ、というのが鈴木メソッドなんです。もっといいものがあれば、変えてしまっていいんです。

磯崎 それを鈴木さんは、外国に行って教えるでしょう。彼らは固有言語にしばられている、あるいは日本的言語的共同体にも所属していない、別な種類の人たちなわけでしょう。連中に教える時に、そこの部分がどういうふうに伝わっていくのか。どういうふうに、それが変形されていくのか。そこら辺が非常に興味のあるところなんです。

鈴木 それは、変形されるんですよ。違ってでき上がるんです。外人がやった方がいいなあと思ったりするけれど、それは創造行為ですから、ある事を教えた時に、それを使いこなす才能にもよるわけです。そういう意味ではその訓練は、基本的な呼吸を強くするとか、全身の感覚を発達させるとか、声の出方を強くするとか、それを使う時の使いこなし方に目的がいっているんです。ただ、日本人とアメリカ人とでは言葉が違うから、その使いこなし方が違わなければいけないんです。日本語での場合、意志は絶対に最後に来ますから、ずっと呼吸を詰めておいて、最後にダーッと言わないといけないんです。だから、早く息を吐いては駄目で、「そもそも九字の真言とはいかなる義にや事のついでに、問い申さん!さゝ、なんと! なんと!!」というように、腹式呼吸でバッと止めて、バーッと言って最後にどんとくるように、ずーっとアジってくるわけです。ところが、向こうだとまず「I don't」とか「I can't」とかきますから、最初に意志の表明がこなければならない。後ろの方は大した言葉じゃないんですね。そういう時に、この教わったことをどう使いこなしていくかということになると、そこから先は個人の芸術的な才能の領域に入るわけです。それは磯崎さんや僕なんかが外国の方法を勉強して、それを自分のコンテクストの中でどう使いこなすか、ということと同じなんですね。そこで、僕の方法は外国では使えないんじゃないかと思っていたら、このところ、僕がやった訓練を、日本人よりもっと面白い使い方をしてくれるやつが現われてきた。外人の方が僕の訓練は生きてしまうんじゃないのか、と日本の演劇人まで言いだすほどなんです。それがなぜか、というのはちょっとわからないんですが、意外に外国人の方で鈴木メソッドは生き残るかもしれないと僕自身もそう思います。外人の場合は、これはわからないものだという感覚が若干残っているんだと思うんです。つまり、学ばなければいけないものがある、と思うものだから距離感が見えて、醒めてやっていけるんだけれど、日本人がやった場合には、わかった、と思った瞬間に発達が止まってしまうんですよ。対象化できないんですね。

磯崎 悟りが、早トチリになっていくんですね(笑)。

鈴木 そうですね。これは非常に難しい問題で、例えは磯崎さんでも外国の建築の方法を使ってここまでやれた。森下洋子のバレエもそう。むしろ外国のものの方がよくわかる。武満徹だって、日本の伝統音楽に詳しいと言うかもわからないけれど、彼が日本の伝統音楽を発見したのは、西洋音楽を勉強してからですからね。全部ヨーロッパ音楽を勉強してから、日本というものが出てきたので、彼は日本というものと距離がとれて、それで日本の特質というものを創造できている。そういうことを最近感じますね。私のメソッドが、日本人から出ているからといって、だから日本人にいいとは言えないんじゃないか。そういう所へ、最近はようやく到達してきた。

制度の型、固有の型――伝統芸能への誤解

磯崎 これはあまり大した理由にならないかもしれないけれど、ひと頃、カントールとか、ボブ・ウィルソンとかが、演出する時に役者を全部機械人形のような動作にしてしまった時期がありましたね。この二人以外にもまだいると思いますが、例えば鈴木さんのところから出て、この間水戸でやったソフィー・ルカシェフスキーの演出による、三島の『サド侯爵夫人』も、役者を機械人形にしていました。これこそが、鈴木メソッドであるという演出だったと思いまが、われわれから見ると、あの機械人形的な動作というものは、鈴木さんが日本人に教えて、日本人の役者がやっている鈴木メソッドの表現とは、かなり違うものだと感じるわけです。その違いは何ゆえに現われてきているんだろう。

鈴木 それは、外国人が日本を誤解する典型的な一つの例ですね。哲学者でも日本の芸能とか表現というのは主体がないんだ、様式、スタイルだけがあるんだ、と考える人がいるでしょう。あるコードができていて、型がすべてなんだという思い込みがあるんですね。そう言ってしまうと確かに簡単なんですが、本当は違っていて、型ができてくる前には、生なものを殺すというプロセスがあるんです。例えば、女形がいるとします。これは女形という型が残っているのではなくて、男の身体の動きを全部チェックして殺していって、男で無いものを作ったにすぎないんです。つまり、女の模範という解答が先にあるのではなくて、男がする生な身体の動きを全部不自由にしていく。だから、女の真似をしているわけじゃないんです。男のじゃないようにしていって、それでたまたま最後にいちばん上に女の着物を乗せると、女のように見えると言っているだけなんです。女に変身しているわけじゃない。

磯崎 それは僕にも非常によくわかる。でも、それこそ鈴木さんがヨーロッパ的な方法と論理を勉強しているから言えることかもしれないな。

鈴木 内面がそれを導き出すのではなくて、身体のあるシチュエーションが決まらないと内面も決まらないということに日本の伝統芸能の表現はなっているんです。ところが外人はこの制約を、主体性を放棄したとみるから人形だと思い込んでしまうんです。それで日本の芸能に感動すると、人形は素晴らしいということになる。歌舞伎も能もみんな、日本人は人形になろうとしていると。鈴木メソッドも人形のように感情を全部放棄してしまって、ただコントロールだけが残る。それが日本文化の精髄だと外国人は思いすぎちゃうんじゃないか。そこがすれ違うような気がするんです。ロラン・バルトなんかにしても、潜在的にはそういう誤解があるという気がするんです。

例えば歌右衛門と玉三郎とを比べてみれば、女形といっても全く違うわけですね。それは、歌右衛門の身体と玉三郎の身体とは、男の身体としてみても違っているからなんで、そうすると、戦い方が違うんです。それこそ磯崎さんと僕が女になろうとした時に、自分を消そうとする、磯崎流の消し方と鈴木流の消し方という個性は、やはり出てくるはずなんです。それは見る人が見れば、見えてくる。ところがだんだんそれが蓄積されていって、歌右衛門の型、玉三郎の型となると、すぐにそれをそのまますっと伝承できると思ってしまう。けれどそれは嘘なんです。玉三郎の次に違う女形が来れば、同じ動きをしても変わってしまうはずなんです。というのは、前提にする男の身体が違うんですから。そうすると、ある状況を否定する。否定するんだけれども、その身体的状況はけっして乗り越えることができない。この二重性なんですよね。ある対象を否定するということは、その対象を乗り越えること、あるいは捨ててしまうことではないんです。その対象に依存しながら、個性的な主体を確立するということなんですね。その二重性がわからないんだと思います。

磯崎 その説明としては、僕も非常によく理解できるんだけど、一般的なさまざまな「道」と名のつくものがありますね。剣道、柔道から始まって、茶道、華道、それこそありとあらゆる道、まあ、極道とか色道はどうかと思いますが(笑)、一般的な道の理解というものがありますね。道には究極の型があって、誰が作ったかはわからないけれど、その道の創始者が挙げた一つの基準がある。そうするとそれを学ぶべき、道のスクールがあって一定の教育方法がある。それをひたすら繰り返し、肉体的トレーニングをすることでいずれその道に到達すると。それを学ぶために弟子が増え、やがて家元制が成立する。そういう解釈が一般的でしょう。

鈴木 でもそれは、家元支配のための経済的システムでしょう。

磯崎 そうか、家元の論理なわけね。だけど一般的にはそれが通用している。しかし、鈴木さんの型の解釈というのは、けっしてそうではなくて、型というのは一人一人の役者に固有のものである。家元が成り立つような型というのは、ある種の幻想を売ることによって、制度を成立させていくにすぎない。

鈴木 要するに芸ですね。

磯崎 型に到達する芸である、こういうふうに理解していいね。

鈴木 クリエイティヴなことではないわけです。ですからそういうふうに、家元がある型を決めて、これを無我の境地あるいは無私の精神でやりなさいと言った時、これをわれわれから見ると頹廃なんだということです。それは一つの共同体を成立させて、ある価値を決めたということですからね。これは芸なんです。おさらい会をやって、芸を習う。さっき僕が言っていたのは、一つのスタイルを創造するクリエイティヴな創造ということですね。

磯崎 そうすると、地唄舞でいうと武原はんさんみたいな人は、自分で作った人と言えますね。

鈴木 たいていはそうなんです。例えば、歌右衛門という人がなぜあんなに受けたかというと、過激に言えば足が不自由だったからだと思うわけですね。歌右衛門という人はたしか片足が小児マヒだったんですね。だから、歌舞伎の昔の伝統から見るとあの人は違っていますね。玉三郎にしたって、女形の伝統から言えば、男役より背が高いという女なんていないわけですからね。今は小和田雅子さんみたいな例も出てきましたが、男より大きくて、足も長い女性なんてのはまれなわけですよ。そうすると大ぶりだというだけで、空間とのバランスからいっても装置とのバランスからいっても、全部違ってくるわけです。そういう意味で言えば、厳密に見ていくと、ものすごい変更が行なわれているんですね。型と一口に言ってしまいますけれど。

創造と表現の画像
創造と表現の画像
鈴木メソッド(人間の身体――坐位、立位。ロコモーションの基本型) 写真=宮内勝

「陰翳礼讃」――谷崎潤一郎の日本への眼差し

磯崎 一つの絶対的な基準があると思うこと自体がおかしいのに、外国人の日本理解は容易にそのパターンにはまってしまうということですね。

鈴木 日本人も、それで踊らされてきたわけです。だって、天皇家にしたところで、あの御馳走を見ても恰好を見ても、伝統でも型でもなんでもない。外国の王妃がするような恰好をしたりして、和装しているわけでもない。天皇家には何か、すごい型があるような気がするけど、嘘でしょう。これは一貫して演出している人がいるんだと思うんですよ。家元制度にしたって、演出した人がいると思う。その演出が、日本文化に関しては、外圧を食らったり外国に自己主張する時にことさら強調されたと僕は思うんですね。

磯崎 そのとおりなんです。それがいちばん面白いところなんですね。あらゆる領域で、日本的であろうとする時代は、全部外に向かって日本的になろうとしている。それは日本の出発から、歴史上知り得る範囲の最初から、全然変わっていないパターンなんだな。それはいったいなぜですかね。外に対する見栄みたいなものかしら。

例えば一つ例を挙げると、伊勢神宮がたまたま今年、20年ごとの式年造替ということで、建て替えて遷宮しますよね。でも伊勢神宮というのがなぜ成立したかというと、あれは建築でいうと日本の神髄というか日本的なもののエッセンスのように言われているのに、実際に成立したのは、たかだか白村江の戦い以降のことなんです。無限に遡れるわけではなくて、法隆寺やらなにやらがもうでき上がった、仏教伝来以降のことなんですね。大仏殿ができ上がる直前に、やっと伊勢もできる。僕の考えでは、それまでの日本は建築にしても生活様式にしてもほとんど韓国からの輸入で成り立っていたわけです。それに、当時の日本には新羅、百済、高句麗といろいろな所から流れてきた、それらの国々の代理人のような人たちがいて、天皇家の中にも派閥があって対立が起こったりするけれど、結局それは代理戦争みたいなものだった。白村江の戦いにしても、たまたま百済系の人たちにとってどうも本家が危ないというので攻めていって、そこで負けてしまうわけです。そこから引き返してきた時に、そこで初めて日本は外圧というものを感じるんです。その時はすでに法隆寺やなにやらがんがん造ってしまっているわけですが、その挙げ句に、日本語を作らないと対抗できないという意識が初めて生まれる。それを建築ででっち上げたのが伊勢神宮であるというのが僕の考えなんです。『古事記』を作ったのがその直後ですから、だいたい同じ時期なんです。

法隆寺的なものというのは、外の文化そのものですが、外国、特に韓国や中国でも理解できる。『日本書紀』なんてのはそれによって歴史を書いたものですね。ところが『古事記』はまったく日本語で書こうという理屈でしょう。「註:法隆寺=伝607年。白村江の戦い=663年、古事記=712年、日本書紀=720年、万葉集=759年]それと伊勢とは似ているんです。なぜ伊勢が成立したのかと言えば、外圧に対する最初の対抗手段だったからなんです。そしてそのパターンは延々と繰り返されるんですね。歴史上、順序立てて説明できるくらい、時々の外圧が日本意識を盛り立てた。そういう例は建築にもかなりあって、それは外圧がないと、じわりじわりときれいに洗練されていって、いつの間にかエネルギーの乏しいごくごく常識的な日本風というものに最後には変質するわけです。そうすると、今の鈴木さんの演劇の話にあった、日本に異質なものとして入ってきたヨーロッパ的なロジックの構造と、独自にある型の芸との対立みたいなものも、よく似ていると思うんです。それをより意識するのは、確かに外国との関係においてですね。

鈴木 あるいは、外国との関係が問題になる時というのは、社会が変動する時だとも思うんです。例えば、外から見るとこういうふうにしておけばわかりやすい、と日本人の方が感じる時というのはあるんですね。三島由紀夫の事だってそういうふうに見る人はいるわけです。あれは日本理解を助ける。こうすれば日本のイメージというのが一つ、外に向かって可視的になって、わかりやすくなる。おもしろい例を挙げると、能を演じている途中でシテ方の役者が死んでしまっても演能は中止しないんです。

磯崎 死ぬというのはつまり?

鈴木 舞台の上で、実際に心臓マヒか何かで死亡してしまってもですね、絶対にやめないんです。

磯崎 死んだムクロはどうするの?

鈴木 それは片づけて、後見がそのあとすぐに立ってそのまま続けることになっているんです。これは、普通なら途中でやめてもお金を返せとは文句は言わないですよね。だいたい親が死んでしまったとすると、たとえ子供がうろたえても誰もそれを咎めないですよ。でもやめないんです。その理由を能役者に尋ねると、慣習だと言うんです。それでいったいいつから慣習になったのかと調べてみると、これが明治時代からなんですね。普通、能役者は十分だから、戦場である能舞台で役者が演能中死んだとしても決してやめないで、子供が親にとって代わってやるということが、江戸時代に成立したというのであればわかりやすい。僕はそう思っていたんですが、もはや士分なんてことがなくなった明治時代になって、むしろ市民社会ができてくるという時になってから、そういうことをやりだしているわけです。要するに自分の集団の特殊性を、妙に形として残していくことにこだわり始めたわけですね。一種の芸能共同体、あるいは芸能共同体としての家制度。それまではなんとなく十分だったけれど、みんな平民ということになってしまう。ここに侍としての伝統を残しておかなければという発想が逆に出てきた感じがするんです。ですから日本が、日本的なものとしてある行動の様式とか可視的に見えるものを作り出す時は、危機的な時代ということが言えると思います。

磯崎 より日本的になろうとする。

鈴木 そういう態度自体が伝統的にある、ということなんです。それは磯崎さんの話にも通じるし、心理的にそういうものがあるように思うんです。それをなにか、日本に長く続いてきた伝統であるかのように、政府とか自治体が観光的にこれが日本文化の精髄だと言うのは困るわけです。かつて谷崎潤一郎は、歌舞伎をダシにしてそのことを語っています。非常に屈折した言い方ですが、歌舞伎のようなものを世界に紹介するということは、ある意味で恥ずかしいことなんだと、そして続けて、――近時は国際文化振興会のやうなものが出来て、我国独特の文化なるものを頻りに海外に宣伝するかと思へば、今度はそれが「世界的」に有名になつたかの如く国内に云ひ触らしたりすることが流行り、出版屋の広告文では私なんか迄が「世界的」にされたりして穴があれば這入りたい気がするのであるが、どうか歌舞伎や文楽などは、間違っても「世界的」なんぞになって貰ひたくない[『谷崎潤一郎全集』第21巻、中央公論社(原文は旧漢字)]――と言っているんです。

谷崎のこのエッセイが書かれた昭和23年頃までは、こういう様式を外に出すことに対しては、アンビバレンツがあったわけなんです。それが今やない。アンビバレントなものなしに、それが日本だ、といって出てこられるのは困るなと思うんですが、その感覚すら磯崎さんの世代ぐらいまでじゃないですかね。

磯崎 説明されてそれをわかる世代としてはね。確かにいろんな領域でそうでしょうね。

鈴木 僕は世代的環境という点で老けているから、それが理解できるんですけど、普通はわからないですよ。つまり、「歌舞伎や文楽などは間違っても『世界的』なんぞになって貰いたくない」と言った谷崎のアイロニーを、誰がわかるというんですか。ただもう素晴らしい、ということになっているんですからね。そういう状態になると、柔道や剣道と同じで、歌舞伎を外国人の方がうまくやるような事態が出て来ると思う。ただシステムとして分解すればいいんですから。

磯崎 ただ武道の場合は、勝ち負けという判断基準があるけど、歌舞伎や能や狂言ということになると、特に判断基準があるわけじゃないでしょう。善し悪しをどこで決めるかというのが、また一つ問題になると思うんですね。例えば歌舞伎の持っている様式ではなくて、演劇性みたいなものがある。能には能の、演劇性というものを持っている。そう言い得るものを、日本的な型の中から抽出する機会は、それを分析的に解釈する手掛かりを持っている外国人の方が、より可能性を秘めているかもしれないですけれど。

鈴木 ええ。それともう一つ、外人が歌舞伎を見たとすればより強くフィクションと感じられるでしょう。磯崎さんにしても、最初は西洋建築がフィクションとして強かったわけでしょう。われわれだってそうなんです。それは結局分析対象になりますから、逆に長い時間かかって身についてくるということがあるんです。

磯崎 ヨーロッパの建築の原型のようなアクロポリスのパルテノンも、伊勢神宮、桂離宮というような本当に日本的な建築も、どちらを好むとか近いというのではなくて、等距離なんですね。いずれにせよその両方を、西洋を学びつつも日本に住んでいたせいもあって、同じ距離で見えるし、見てもいいという気がするんです。谷崎潤一郎は、日本をそういう目で見ていたんじゃないか、という感じも逆にしているんですよ。他の人は、例えば川端康成にしても三島由紀夫にしても、やはり日本的共同体というものの前提の上で、それに寄りかかって表現している。だけど谷崎は、どうもちょっとそこが違う。それが、彼の日本に対する解釈の面白さが出てくる所以かな、というように感じます。

鈴木 それはそうですね。「陰翳礼讃」なんていうのが書ける、ということ自体がそれを表わしていますものね。

磯崎 ええ、あれはだからおおげさに言うと、西洋人の見た日本なんですね。ああいう目を日本人が肉眼として持てたというのは、やはりあの人の世代に初めて出てきた点なのかもしれない。要するに、近代を通過させられてしまった世代は、半分ヨーロッパ人の目で、日本が、谷崎のような目で見えはじめている。そういう気が僕にはする。

日本との距離、世界との距離

鈴木 磯崎さんよりも年下の、若い建築家はどういう感じなんですか。

磯崎 日本と外国、ヨーロッパというような区別をあまりしていないですね。日本も異国ですよ。日本の古典というのはディズニーランド。デイズニーランドの白雪姫のシャトーと日本の桂離宮とはそう違わない。おおげさに言えばそのどちらも、ブラウン管の中のヴァーチュアル・リアリティとして見ていても、同じようにパターン化して見えている。それと似ているんじゃないかな。バロック建築の大ホールで大晩餐会をやっていても、お茶室で茶事をしていても、そのどちらの光景をみても、それぞれに文化の構造もあり方もまったく違っているのに、双方とも今とは違っていて面白い。僕より若い世代にとっては、同じなんじゃないかと思います。

鈴木 例えば磯崎さんは、ロバート・ウィルソンやピーター・ブルックのものを見ますね。そして歌舞伎や能も見ますね。それはどう感じていらっしゃるんですか。やはり歌舞伎や能は日本だと思いますか。

磯崎 それはあまりない。これを言いだすと自己分析をせざるを得ないけれど、意識的にそれを外して見ようとしていますね。要するに並列して見ようとしている。だから、時に声明を聞きに行くし、時にジョン・ケージを聞きに行く。今は、ジョン・ケージが法螺貝や笙を使った音楽と雅楽とが、違うか違わないかはともかくとして、僕には同じように見えている。だけど、この関係をどうやって問題化するかという点は、おそらくこれからかなり深刻に考える必要があると思います。

鈴木 僕ら舞台は、日本語をしゃべる以上どういうふうにしても日本語の特殊性を背負っていますね。それで、僕が感じるのは、例えば小沢征爾は、クラシック音楽をベースにして、ヨーロッパの考えた音楽の世界でああいうふうな指揮者になった。ところがわれわれは、ヨーロッパの演劇人と友人になったり外国で演出したりももちろんしますけれど、実際に自分が舞台を作るときには、どうしても日本語をしゃべっているわけです。これは絶対に日本語が残るんですが、そうすると好きとか嫌いとかは別として、日本を意識せざるを得ない。例えば野田秀樹なんかはニューヨークへ行くと急に三味線を弾いちゃうんです。蜷川幸雄にしたって、ニューヨークに行ってやった時には、桜吹雪を散らすでしょう。ブレヒトをやっている日本の劇団ですらそうです。急に豹変しちゃう。それは受けようとするからなんですけど、急に日本を意識しちゃう。

磯崎 それはやはり、向こうの連中が持っている日本というエキゾチックなもののクリシェが売れ筋だという、その判断だけで作業しているわけでしょう。それは日本を売ろうとしているだけの話なんですね。要するにそれは、理屈なく、相対的に違うものだから値が高い、と言っているだけのことなんですよ。

鈴木 小沢征爾の場合はどうなんでしょう。

磯崎 彼の場合には、推定するにおそらく、世界の音楽界の、特に指揮者のポジションというのがあって……。

鈴木 それはヨーロッパが作り上げた価値観ですね。

磯崎 ええ。ランキングと言うと語弊がありますが、そのどの辺に位置するかという、それだけで彼は動いているんだと僕は思、いますね。仮に彼が日本的なものをやったとしても、その中での戦略として使っているのであって、武満徹をやるにしてもその一環だと思います。武満が最近言うのは、いかに日本的に見られないようにするかを一番気にしていると言うんです。なぜかというと、彼のは日本的だと見られすぎている。だから、そこから意図的に逃げだそうとしている、と言うんです。確かに琵琶とか尺八というのは日本的音色ですが、その音色の固有性をオーケストラに入れた曲というものが仮にあったとしても、これは今やガムランに使われる打楽器がオーケストラに取り入れられていることと同じで、それほど特殊なことではない。だけど、琵琶とか尺八が入っていることによって、日本的と見えてしまうことに対する武満の抵抗なんだと思いますね。

鈴木 小沢征爾のことを聞いたのは、われわれ演劇の場合は、日本の演劇の土壌の中で、世界に通ずる普遍性を持つ論理を組み立てられるのか、ということを考えているわけですね。もちろんその中にヨーロッパの演劇論を勉強して組み合わせたりもするのですが、同時に日本というものが、その論理を組み立てる時のベースとしてあるわけです。でも、小沢征爾の場合には、まったくヨーロッパの価値基準の中で優劣を競っているように思える。その辺ちょっと考え方が違ってくるんですよね。

磯崎 ひょっとして間違っているかもしれませんが、僕は鈴木さんについてこう思っていたんです。60年代の終わり頃に一斉にいくつも出た、いわゆるアングラのグループが、演劇の成立する根拠なり場を説明するのに、都市論的な、都会の隙間であるとか周縁だとか、残余の空間などをさまざまに挙げていた。その中で鈴木さんのグループに一番興味を持ったポイント、あるいは現在でも鈴木さんの姿勢が残っているというのは、“劇的なるもの”を意識していたせいだと思うわけです。“劇的なるもの”というのが、さっき言ったような単純なドラマなのか、そのドラマを構成する一部なのか、それは何でもいいんですが、普遍性を持ちうる、例えば、泉鏡花にしても、歌舞伎にしても、南北、シェイクスピア、チェーホフ、ギリシア悲劇と、それぞれまったく異質であるべき素材が、劇的であるというその一点では共通している。鈴木さんは、それを出すべきだと思ったからこそ、おおげさに言えば、生き残っているんだと思う。それは、特殊日本ということじゃなくて、世界全体をどこか別の視点から見ている目が、その時からあったせいじゃないか。いや、超越してしまう視点というわけではありません。むしろ、メタレベルに演劇的なものが存在するという信念と言い換えてもいい。僕はそれを建築にとっては、大文字の建築、また「建築」というカッコつきの概念と言ったりしていますが、その目があるから、日本的なものの分析ができるという気がする。

鈴木 その分析で日本的なものを実際にやっていたら、別のものができ上がってしまった。分析を経たといっても、日本のものにたどりつくわけではないんですね。それははっきりしている。

磯崎 僕は日本の建築とか空間とかに、昔から関心を持っているけれど、わりと避けている理由の一つは、そこなんです。その中にも、さっき劇的と言ったの同じような意味で、建築的なるものがあるはずだと思っているんですね。それをどういうふうにして分析し、どういうふうにして表現するかということを見極めるために、距離を置いて見ているということなんです。ヨーロッパとも日本とも等距離というように言ったわけです。

鈴木 僕なんかも、そうしたいと思っているんです。ただ、そこで聞いてみたいんだけど、何かを解明する、分析すると、だんだんその対象が一点になってきちゃうということがあるんですね。

磯崎 絞られていくというのは、成熟していくということですよ。

鈴木 うーん。ところがね、日本の演劇人は少し違うんです。磯崎さんと篠山紀信さんとの対談(本誌4号所収)を読んでいて思ったんですが、普通はこう思われたい、自分の表現したいことをぴしっと出して認められたいと思うわけです。それゆえに芸術活動をしている。しかし演劇人はそうじゃない。他者の視線を前提にしているから、その相手の持っているイメージをひっくり返していかなければならないと思っている。寺山修司だって唐十郎だってそういうところがあるから、わりとスキャンダルを作っていく。それで、自分のスタイルをいろいろ変えたり、驚かせたりして、いつも自分を新鮮に見せようとする。そういうことが一方であるんです。まあ、それは手法としてあるんだけれど、ところがもう一つ、自分が何を主題として興味を持つか、ということはだんだん絞られてくるんです。その時に、例えば小沢征爾みたいに、ヨーロッパの育んだ価値観の中で、聴覚的な芸術の才能が豊かであるという人たちはどういうことになるんだろう、と思うわけですね。これを話しだすと、いろいろ個人のことをあげつらわなければならないから、話しにくいんですが、三宅一生にしても、国際社会で活躍する才能豊かな日本人で、しかもヨーロッパをよく知っている人たちというのは、磯崎さんは思想家としての側面を持った人だからお尋ねするんですが、たとえば一つの共同体、社会――小沢征爾になると地球規模の価値基準ということになるでしょうが――の中で優劣を競ったに過ぎないのかどうか。確かに大タレントではあるけれど、そういう存在が持つ意味は何なのか、ということなんです。たまたま私にしても、外国で演出したりして、ただ日本という共同体の中でステイタスを上げようとか、承認されようとか思ってやっているわけではない、というよりむしろ承認されなくてもいいと言ってやってきた。その立場から考えると、自分がやってきた仕事の意味は何なんだという自覚についての、言葉の与え方が今の問題ではないかと思うんですよ。つまり、国際的に活躍する日本人芸術家の位置というものが、だんだん問題になってくるのではないか、ということなんです。集団を率いて、他人を巻き込んでとにかくやっているわけですから、何かで価値を見つけなければいけない。他人が納得しなくてもいいけど、自分で言葉を与えたい。つまり、自覚的でありたい。その言葉をどこから出すかということで、すごく悩んでいるんですね。その論理立てをどこでするか。

磯崎 僕は僕で、それに非常に似たシチュエーションを感じています。その問題をどこにどう絞ったらいいかということを考える上で、自分の例を話すと、僕は常に、日本を拒否するという姿勢でずっと来たわけね。日本を解体するというふうな姿勢で、いろんな仕事をやってきた。実際の仕事はというと、外国が半分、日本で半分というような仕方でしている。そうすると、実際問題として外国へ仕事をしに行った場合も、日本を背負って行ったということは全然ないわけね。われわれの同僚の建築家で、外国でいろいろな仕事をやったという例はありますが、丹下健三さんがオイル・マネーを背景にした中近東の王族の仕事をかなりやった、というのだけが日本と切れてやったという唯一の例であって、その他のほとんど全部は、日本の政府なり企業が出ていったのにくっついて、外国で仕事をした連中ばかりなんです。僕の場合は何をやったかというと、国際的なコンペだとかインタヴューだとかという形で、外国の連中と競って、その上で仕事を依頼された。それを実際に設計して、過去十数年やってきた。そういうのが僕の仕事のあり方でした。ですから、日本とは全然関係がないんですよ。二つだけ日本をテーマにしたものがあって、その一つはパリでやった「間」の展覧会で、あれはまあ、日本という枠組みでやって、鈴木さんにも参加してもらったわけですが、考えてみれば向こうの企画でやったわけで、日本政府とは衝突ばかりを繰り返した。それから、ついこの間“ジャパン・フェスティバル”というのがロンドンでありました。そのなかのメインの展覧会であった「ヴィジョン・オブ・ジャパン」のコミッショナー役を引き受けたんですが、これもロンドンでは大変受けたんですか、にもかかわらず日本の企画者側からはほとんどスキャンダルとして僕のアイデアが受け取られた。それを外国側が支持したがゆえに、否応なしに日本が金を出して開いた。そうすると、やっぱり日本とは無関係にやったというか、あるいは日本を批評・批判する姿勢によって組み立てたものをやった、という感じが僕にはある。

そうするとね、じゃあ、僕はいったい何者なのか、という疑問は僕にも起こることなんです。それはやはり、仕事をしている時の自分自身のアイデンティティが、どこに所属しているのか、ということに絡んでくるんですね。僕の今の実感は、日本という枠組み、世界という枠組みとあったとすると、二重に重なったその間に自分がいるのであって、そのどちらにも所属しているわけではない。色合いで言えば世界に所属している方が濃いですがね。なぜならば、日本の利賀村に行って、利賀村の地形を見て、鈴木さんの意見も聞いてやる仕事と、スペインの田舎へ行って、そこで小さな美術館をやる時に、日本と全く違う地形とその辺りの人間との関わりの中でやるのと、解決のレベルが全く違うわけね。違うんだけど、僕の中では同じような解決の仕方をしていると思っている。僕はスペインに行って日本を売りたいとは思わないけれど、なんとなく日本的なものが仕事の中で見えちゃうわけ。今度は利賀村へ行っても、やっぱり純粋日本ではないんだね。ヨーロッパで出会ったものが、何かの形で転移されてそこへ入りこんでいる。そういう混じり合いというのは常に起こっている。

それじゃあ、その両方の操作を同時にやる人間というのは一体どこにいるのか。こんな自問として返ってくる。それは、アイデンティティの問題だと思うんですよ。僕にとってのアイデンティティというのを、もうちょっと別な例で考えると、日本では所詮建築家は渡り職人であった、と。それは役者もいっしょですね。それから連歌師にしても絵描きにしても、ほうぼう渡って、そこでへつらって仕事をして、その挙げ句に宿賃を貰って次へ行く。そういう渡りの職人の生活をしていて、例えば芭蕉も、伊賀の出身で江戸に住んだけれども、じゃあ一体彼は、当時日本のどこに所属しているいたのかと考えてみると、彼は特定の場所に所属していなくて、ひたすら旅の中にいた。

すべての発想が旅に絡んでいた。要するに流浪しているわけですね。今ふうの言い方で言えば元々ノマドであったんだから、その種類の人間が今いくつか出て来ていてもいいんではないか。
おそらく国家というものも、ソ連の解体以降、国家自身の枠は崩れてきて、ナシオというか民族というか、民族の単位に再分割される傾向が出てきている。次に出てくるのは、民族なりナシオなりを持ち上げようとする、ある種のナショナリズムというか地域主義・土着主義というものが、当然全世界的に広がるのではないか。それを強調する芸術家も方法もたくさん生まれるだろうと、僕は思うんですがね。それは国連方式のようなものになっていって、誰もが一国の代表だから一票があるというのと同じような言い方で、芸術家が主張し始めるということが、すでに起きつつあるし、近々なお一層起こるだろう。僕はその時に日本を取りたくない、そういうふうに常に思ってきた。

鈴木 それはよくわかるんです。ただボーダーレスになってきて、僕が危惧するのは、電子情報産業が主体になって、情報という意味での文化的価値観はますます共有される可能性がある。そうすると、ヨーロッパが生んだ芸術とか価値観が、おそらくまだまだ途上国やアジア地域には浸透していくだろうという気がする。その中で、国家を背負った芸術家だって出さなければいけない、という動きも生じるでしょう。日本を見ていると、大きな流れとしてヨーロッパの価値観に認められた芸術家が一流だという考え方が一方にある。その一方では、そんなものは関係ないと拒否する考えが、極端に出てくるんじゃないかという気がするんです。そのとき、ヨーロッパが作ってきた価値基準を拒否じゃなくて批判する体質を持たなければならない。と同時に、そこへ持ち出してくるものは、日本ということでは決してない。

磯崎 両方を同時に批判する視点がありさえすれば、僕はいいと思う。ただ、それが二極分解ならわかりやすいんですが、多極分解の形になるんじゃないかと僕は思うんですよ。

鈴木 同時に批判できる位置というかプロセスが、むしろ今後の日本ではかえって難しくなる気がするんです。われわれの頃は、いろんなものの抵抗が強かったからむしろ楽だった。ヨ一ロッパも遠くにあるし、日本的共同体の力も強かった。今は一見、情報があふれるように流通していて、そのまま自分が国際化している、日本的共同体から逃れられている、と思い込んでいる人もたくさんいる。ただ、まぬがれていると思っているだけで、実際に行動に移すと、まさしく日本的共同体のパターンを繰り返す若者がいっぱいいるわけです。だから、両方を批判する視点というのは、ものすごく難しいと思う。ここで結論を出そうというわけじゃありませんが、そこをやる芸術家なり思想家が出てきてくれないと、われわれ演劇人もしんどいという感じがするんです。演劇には、そんな哲学的な言葉はなかなか出てきませんからね。そういう意味で、小沢征爾でも、磯崎新でも、三宅一生でもいい。現場でもって仕事をしてきた人が、もっと言葉を生み出しておかないと、後から出てくる若い連中は座標が取れないんじゃないかと思うんです。現場感覚を持った人が、もっとちゃんとした言葉を出さなければ困る。

磯崎 それは相当難しいことになるな。ある時期のパリのことを考えてみましょう。1920年代のパリで活躍した芸術家というのは、もう完全にインターナショナルなんですね。フランスの良さというのは、ほとんどフランス人がいない絵描きの連中に、場所だけを提供して、彼らの仕事は全部フランスの仕事だとしてしまったところにある。どこかでくやしい思いをしながら、ピカソにしてもミロにしてもスペイン人だし、ディアギレフはロシア人だし、ブランクーシはルーマニア人だし、それにありとあらゆるユダヤ人の作家がいて、みんな流れ込んだ連中の仕事を、これはみんなフランスの仕事なんだと、平気で言ってしまうわけね。彼らからすれば、本当は外国人の仕事なわけよ。それを言わざるを得なくなる、言うことが平気になるという世界がまたいつか現われるかもしれない。

僕自身について言うと、おかしな矛盾があって、日本のことをわかりすぎるものだから、日本に対しては慎重になるんですよ。ところが、外国でやった時の方が、おおげさに言うと自分のものを自分でコントロールせずに出してしまっている仕事が多いんです。この間のバルセロナ・オリンピックの体育館にしても、あの建物を彼らから見ると、日本的だとも思わないし、バルセロナ的だとも思っていない。でもなぜかしらあれがオープンした時に、中で何をやるというわけでもないのに、3日間で市民の5分の1が見に来ているわけです。そうすると、バルセロナの市民の2家族に1人は見に来ているわけだから、皆知っているわけです。僕なんか面が割れちゃって、道端で車がエンコしたりすると、みんなで寄ってきてとりあえずサインしろと言う。その後で、車を片づけてくれたり、電話をかけてくれたりする。そういう状態が発生してしまったわけ。ある意味で言うと、僕はそこでは日本人であるよりバルセロナ人になってしまっているわけです。
そういう感覚が生じると、僕としてはその関係を一体どういうふうに処理したらいいのかと思わざるを得ない。ピカソがバリ、南仏と仕事をして、結局スペインに戻らなかった。カザルスも、スペインに接近はしても帰らない。そういうようなことが、現実にさまざま起こるような気がするんです。例えば、亡命者の仕事というようなことを考えてみてもそれは言えるんです、彼を生まれた国の人間と見るのか、亡命先で仕事をやった人間と見るのか。そういうことと絡んでくる気がするんです。ただ日本には亡命をするという感覚はないから、日本にいちゃもんをつけながら付き合っているけど、何かのきっかけで挨拶すれば迎え入れられるという感じがある。やくざの親分から草鞋をはかされて、旅に出ているというぐらいに見られていると思うんです。そういうふうに日本というのは懐が深い国であるとわかっている。だからこそ、それは困ると、距離を置くわけです。

鈴木 でもね、そういう感覚は大江健三郎とか山口昌男とか、磯崎さんたちの世代までじゃないかな。それより下だと、亡命だとか、そんなふうにプレッシャーを感じないですよ。仮に、そういうプレッシャーがかかるにしても、二重三重の構造でかかってきますから、想像力を働かせてこれはかなりの社会的抑圧であるとか弾圧であるとか捉える感性自体がなくなってくるんですね。そんなことはぱっと外して、ちょっと外国へ行ってくるとか、この共同体とは関わらないでおこうとか思うことができるんですよ。しかしそれは彼らの責任ではなくて、日本の固有性と世界との間で引き裂かれるようなことに関して言葉がなさ過ぎるんです。自分を宙吊りにされた感覚の中で、自分はこういうプロセスで戦ってきたという言葉、ヨーロッパの内部に入って仕事をした人の、体験に根ざす言葉がほとんどないんです。そこには悲哀もあるし、戦いもあるし、意志で克服してきたということもあると思うんですが、それを言うためには、磯崎さんぐらいの幅で世界的に活躍した人でないと説得力がないんですよ。日本人でそれを言えるのは、数少ないはずなんです。磯崎さんの使命はそこにもある。今日は、僕はあおりに来たんですよ。だいたい、磯崎さんたちの世代は大家になってしまって、その挙げ句にくたびれて、薄汚れてきちゃったんですよ。磯崎さんなんかは、うまいところで切り抜けて、自分の世界で自分のやりたいことをやれる、というところまで来たわけでしょ。そこでもうひと踏ん張りして貰いたいわけですよ。なまじヨーロッパというものに身近に接せられるようになっただけに、このままで行くと、志を持った若い芸術家たちが、みな失敗してしまうと思うんです。こんなことをやっていては、かえって舐められてしまうよ、と。その前の世代には、せっかく戦って得てきた財産があるのに、それがいったい何だったのかをもうちょっと違うレベルで押さえて仕事をしないと困る。力量があるなら批判したっていいんです。でも、国際性を持って仕事をするには、本当の意味でのハードルが出ていないんだと思いますよ。この人は、こういう戦い方をしてここへ来たと。それに対しては、こういう失敗があったじゃないか、こうするべきだったんじゃないかと。またそれに対しても反論があるべきなんです。そうじゃなしに、下司の勘繰りばかりがあるだけでしょう。小沢征爾は日本に帰りたがっているようだけど、疲れてしまったんじゃないか、とかね。そういう推測をする日本人がいやなんです。

磯崎 そういうマイナスになる面というのは、みんな関心があるんだよね。調子のいい時には、何を言ってもしょうがないと、放っておかれる。まあ、日本に帰りたくなった時にどうするか、という問題は別にありますがね。しかし、鈴木さんだって下からアジっているつもりだけど、同じ世代だと見られているんですよ(笑)。

鈴木 それはそうかもしれないけれど、日本の文化界というのは非常にぬるま湯的で、本当の意味での争いもないし、面白くないことすさまじい。

磯崎 業界内での争いはあっても、真の意味での論争はないんだな。たとえばベンヤミンのようなポジションをもった人が出現すると、少なくとも業界を越えた論争の生まれる下地はあると思うんですが、彼の論法はちょっとドスを振りまわすようなところがあるでしょう。自分自身にもそれを向けていたりするしね。「日本」という問題構成の枠組みから抜け出すための指針が彼のつくりだした視点には数多く含まれていると思います。
なにしろ業界内での争いはほとんど世代の交代だけでしよう。僕の世代――昭和一桁――がいまくたびれ始めた。何時になったら壊滅するのか、それとも早く一丁あがりにしてしまうのか、それは今度考えましょう。

[1993年6月17日、於赤坂プリンスホテル]

(いそざき あらた・建築家/すずき ただし・劇作家)

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