IC6-1
薄暗い中国人の部屋で
人工生命orフィールド・オブ・ドリームス
[掲載日:]
20世紀後半のサイエンスは、人間にとって最も自明と思われているいくつかの課題にチャレンジを開始している。知能、常識、リアリティといったことのほかに、人類が今後も恐らく永遠に問い続けることになるであろう「生命」という課題が、なぜか今また、情報テクノロジーの進歩によって注目を浴びつつある。
「人工生命」。近代の世界観において、最も対極に位置していると感じられる「人工」と「生命」を結びつけたこの新たな言葉に、多くの人がさまざまな反応を示す。サンタフェ研究所を中心としたワークショップや欧州での会議も盛んだ。まるで「人工自然」と言われたように、アリストテレス以来、西欧世界で分離されてきたものが統合されるかのようなこの言葉の響きには、何か現代世界の苦悩が体現されているような気がする。
ゴーレムからフランケンシュタインの怪物、はたまたボーカンソンのアヒル・ロボットまで、人間は生きていることの何かを機械へと移し、内的な生命を外化して確認してきた。これらのオートマタ(自動人形)の持つ自律的な動きに対して、人間は「生命的」なものを見たが、それらは所詮は他者としての機械という認識を超えることはなかった。しかし、コンピュータというユニバーサル・マシンの出現によって、ある人はそれがあるスレッショルドを超えたと感じたのだ。
「コンピュータのシミュレーションによって作られた生命は、すでに生命についての言説ではなく、生命そのものである」と主張する人工生命研究者(A-Lifer)の出現によって、いま何かが起こっている。未来のコンピュータ・アヒルは、アヒルのように鳴き、アヒルのように食べ、アヒルのように増えることによって、アヒルとなるのか? それともそれは、フィールド・オブ・ドリームスなのか?
「生命とは情報のプロセスに過ぎない」と看破したフォン・ノイマンは、これを実現するための未来のマシンが、「自己増殖する可能性がある」ことをマスコミに公言しないよう強く周囲に戒めていたという。デカルトのように機械と生物の間に本質的な差はないと考えていた彼は、ロスアラモスを中心にマンハッタン計画という死のテクノロジーで中心的な役割を果たすのと同時に、機械による生命の実現という生のテクノロジーに執念を燃やしていた[★1]。
彼が当初考えていた機械は、巨大な池に浮かぶ長い尾を持った獣として、自己増殖する複雑きわまりない力学的なオートマタだった。理論の発展に悩んでいた彼に、友人の数学者スタニスラウ・ウラムは、宇宙をチェッカーボードのような離散的な格子と考え、その中の存在物をデータのパターンとしてモデルを考えるよう助言した。こうして新たに作られたフォン・ノイマンのセル・オートマトンは、情報宇宙という中心のない無限の格子で構成される空間で、神を失った巨大な時計として、誰がネジを巻いたのかも知らずに針を進めることになる。
マンハッタン計画と軌を同じくしてシュレーディンガーが『生命とは何か』[★2]を書き、その後ワトソンとクリックが生命のユニバーサル・コンストラクション・キットともいうべきDNAの二重らせん構造を発見する直前に、彼の思考の中に自己組織化していったこのセル・オートマトンは、あまりに複雑なため当時のテクノロジーでは実現されなかった。「神人が人間をシミュレーションしている」と言われたほどの彼も、病気に打ち勝つことはできず、生命と非生命の暗い谷間に生み落とされた人工生命の胚種は、悪の華のように科学と非科学の境界に埋没し、その後長いこと呪われた断片として世に出ることはなかった。
その後、同じロスアラモスで1987年9月「第1回人工生命ワークショップ」が開かれることになるとは、まさかフォン・ノイマンも想像だにしていなかったろう。核兵器の開発ばかりではなく、もっと実用的ではない研究にも予算が出されることで、カオスなどを研究していた非線形ダイナミックスのグループが開催したこのワークショップ。主宰していたクリス・ラングトンは、人工生命「Artificial Life、もしくはA-Life(AL)」という言葉の名付け親だ。人工生命の祖父とも言うべきフォン・ノイマンが人生の最期のある時期を過ごしたのと同じ場所で産声を上げた人工生命は、不思議な求心力を持ち、コンピュータ関係者ばかりかロボット学者、生物学者、生態学者、経済学者や哲学者、アーティストまでもブラックホールのように引き込んだ[★3、4、5]。
この会議には、「利己的遺伝子」のリチャード・ドーキンス[★6]やナノテクノロジーの提唱者エリック・ドレクスラー、最も過激なロボット学者ハンス・モラヴェックまでもが参加し、5日間のイベントがくり広げられた。そして1990年の第2回目、92年の第3回目の会議にはさらに多くの人がつめかけ、さながらポスト生物学(B-LifeからA-Lifeへ)の夜明けを告げるウッドストックのような熱気を帯びていった。
ゲームとしての生命、もしくは可能世界
ラングトンがここに行き着いたのは、フォン・ノイマンの遺産を引き継いだライフ・ゲームが大きな影響力を持っていた。20万の格子上に29の状態を持ったノイマンのセル・オートマトンではなく、もっと単純なルールで生命のような動きを行なう二次元チューリング・マシンとしてのライフ・ゲームは、イギリスの数学者J・コンウェイが60年代に作り出したものだ。テトリス以上にコンピュータの時間を占有したこのゲームは、チェッカーボード上にあるセルの周りにいくつ他のセルがあるかによって、次の時間ステップでそのセルが生きているかが決まる。このゲームは『サイエンティフィック・アメリカン』1970年10月号のマーチン・ガードナーのコラムに掲載されたことで一大センセーションを巻き起こした[★7]。MITにやって来たこのゲームは、R・ゴスパーによってコンピュータに移植され、ついにはCAMという専用シミュレータも生み出されることになる。兵役を拒否した結果、マサチューセッツの病院でボランティア活動をすることになったラングトンは、脳波をコンピュータで解析する仕事を行なっていた。そして、他のコンピュータ・プログラムを移植しエミュレーションする作業を通し、コンピュータが他のコンピュータも真似することができるユニバーサル・マシンであることを実感する。そしてMITから飛び火したライフゲームを夜中に動かしているうちに、彼に最初の啓示が訪れた。コンピュータのスクリーン上に展開されるライフゲームの作るパターンに向かっていた彼は、生物の気配を本能的に感じ取り、「何者かに襲いかかられたかのように、私の神経が自然に逆立った」[★8]という。そしてフォン・ノイマンのように生命を情報のプロセスと考えた彼は、コンピュータ・サイエンスからも生物学からも受け入れられず不遇の70年代を過ごす。
2度目の転機は、生と死のはざまで訪れた。ノースカロライナでハング・グライダーのショーのアルバイトをしていた彼は、墜落によって全身を骨折し生死の境をさまよう。そしてその後、彼はいままでのすべてを再構築するように、新しい知識を吸収していったのだ。ラングトンは言う。「人工生命によって、地球上に縛られた生命という偏狭な(parochial)生命観を脱し、われわれの知っている生命だけでなく、在りえたろう生命というものにも言及できるはずだ。ただ一つの歴史性から脱し、いかにわれわれの認識の地平線を広げられるかが問題だ」。地球外生命に遭遇していないわれわれには、まだそれは知りえないのか? プリモーディアル(原始)スープから進化を遂げたと考えられる生命は、ある偶然の歴史性の上に展開された結果でしかないと主張する彼にとって、人工生命は可能世界をもたらすヴィークルとなった。
人工生命のフレームワーク
ブリュッセル自由大学でロボット工学を研究するルック・スティールスは、ラングトンらが提唱する人工生命について三つのドグマがあると言う(もちろんフォン・ノイマンの生命=機械というドグマは除いて)[★9]。まずは、複雑な振る舞いが、簡単なルールの集合として表現できるということ。そして、ラングトンが言うコレクショニズム(collectionism)。人工知能がニューラル・ネットなどでボトム・アップのアプローチをしたコネクショニズム(connectionism)であるのに対して、コレクショニズムはボトム・アップによって作られた総体が、またそれを構成する部分にとっての環境として働くという世界観を言う。また三つめは進化の中で起こる自然もしくは人為的な選択におけるセレクショニズム(selectionism)。進化はマスがあって初めて最良のものが選択される。
それらのドグマの存立を傍証するような研究が、近年、いろいろな分野で行なわれ始め、人工生命のアプローチの正当性を裏付けるようになってきた。それらを、分子(DNAや遺伝子)、細胞、個体とその行動、社会レベルの現象とミクロからマクロの方向に沿って概観してみよう。

- 左 ラングトンの提唱する複雑システム観(collectionism)。要素間のローカルな相互作用によって創出するグローバルな構造が、またローカルな要素の環境として働く。
右 ラングトンのQ型セル・オートマトン。「2」の殻の中を「1」と「0」のデータストリームが逆時計回りに流れる。「70」は尾を1ステップ伸ばし、「40」が2つ来ると尾は左に曲がる。こうして151ステップの時間が経過すると、同じ形の子孫が誕生して分離する。
まず最初のドグマを検証するためにラングトンが行なったのは、フォン・ノイマンの夢見た自己増殖するセル・オートマトンを作り、こうした振る舞いができるものに特有な条件を規定することだった。ラングトンの作り出したQ型のセル・オートマトンは、まるで珊瑚のように増殖し、その中心部には石灰質の殻を残して滅びた珊瑚虫のような不活性化したセルが残った[★3]。しかし、いかなる条件下でセル・オートマトンは生命のような特徴を再現するかについて、明確な基準はない。ステファン・ウォルフラムは、一次元のセル・オートマトンの状態をすでに四つのクラスに分けていた。この若き天才は、まず素粒子論に興味を持ったあと、宇宙の秘密を簡単に記述できるのは数学であるという信念を持ち「Mathematica」というソフトを作り出した。ウォルフラムは言う。「あまり複雑な基本ルールからは、かえって全体が単純なものしかできない。そして、もし正しい記述法があれば、宇宙の秘密は数行で書き下せるはずだ」[★10]。
ラングトンはそれに触発され、セル・オートマトンの複雑さを測るλという指数を導入し、カオスに発散してしまうものと周期的なアトラクターに摑まってしまう領域の中間にある遷移領域に生命的な複雑さが生じる微妙な領域を見付け、これを「カオスの縁の秩序」と呼んだ。このλの値を持ったシステムは、ちょうど結晶における遷移が起こるように、秩序としての生命へと収斂していく。
これはちょうど、原始スープ、もしくはRNAワールド(?)から、地球上に生命が発生した時の条件を求めるようなものだ。1953年のスタンレー・ミラーの実験は、疑似的な原始スープに電気火花を散らしてアミノ酸を作り出してしまったが、原始世界の初期条件があいまいでアミノ酸以降の人間までへの自己組織化を説明できなかった。
こうした生命発生の条件と自己組織化を検証する研究は、分子生物学者などによって行なわれている。スクリプス研究所のジェラルド・ジョイスは実際のRNAを使って定向進化を真似た研究を行なった[★11]。これによって今後、新薬や新物質の開発にも進化のテクノロジーが応用されると期待されている。ペンシルヴェニア大学のステュアート・カウフマンは、一つの卵細胞が肝細胞などのいくつかの種類の細胞へと分かれていく様子を、遺伝子のネットワークをシミュレーションすることで証明してしまった。人間に10万あるとされる遺伝子同士をつなぐと、10万の階乗の双方向の組み合わせという天文学的な数になり、これらの振る舞いは常識的にはカオス状態になってしまうと考えられる。しかしカウフマンは、各遺伝子が近傍の二つとローカルな結びつきを持った場合を想定し、これを時間軸上で進めるシミュレーションを行ない、出現するパターン数が遺伝子の数の平方根の数の状態に落ち着いてしまうことを実証した[★12]。これは生物学の経験則とも一致する。
失われたプロセスを求めて
発生した生命が、多様な種類へと分化していった進化の過程を目で見たいと考えた環境学者がいる。デラウエア大学のトム・レイは、世界の蝶の一割の種が生息するという野生動物や植物の多様な種の宝庫、コスタリカの熱帯雨林に暮らす(彼は静かな環境で研究したいと、日本で初のALを中心とした研究を行なうATRの人間情報通信研究所に8月から赴任する)。
「われわれの目の前にあるのは、ただの進化の結果に過ぎない。私が本当に望んでいるのは、進化のプロセスを見ることだ」と彼は自分の長年の不満を語る。
彼の目を開かせたのは、MITのハッカーに碁をコンピュータ・ゲームで行なう方法を生物学の言葉で説明してもらった経験だという。88年に買い込んだ東芝のラップトップ・パソコンを使って彼が作った進化シミュレーションは、まさに意外そのものだった。
進化をコンピュータ上で再現する、という試みは生物学者の間では失笑を買ったが、まず彼が手がかりにしたのは、有名なゲーム『コア・ウォーズ』だった。コア・ウォーズでは二つのプログラムがお互いにメモリー空間を奪い合い、メモリーの中で覇権を競う。
ロスアラモス研究所のT-13にいたラスムッセンは、レイと協力してVENUSというシステムを作り出し、これが進化シミュレーションTierraの原型となった[★13]。90年のある日、ひとたび起動されたTierraは、ある脆弱なプログラムとしてではなく、レイの予想に反して(?)、約5億年前のカンブリア紀に起きた生物の種類の爆発的な増加を髣髴とさせ、コンピュータのメモリー上にバージェス頁岩(けつがん)のような多様性を再現した。
実際には長さが80ビットの遺伝子のみの生物が多数、コンピュータのメモリーとCPUのパワーを得ようと競い合う。そしてマッチする生物同士がつがいになり、遺伝子を交叉させ、時には突然変異を起こしながら子孫を残す。何十万代にもわたって時間を進めてやると、次第に違う長さの生物が生じたり、他に寄生する小型の生物やさらに寄生種に寄生する生物までもが出現した[★4、14]。こうした手法で、進化のリバース・エンジニアリングをまったく違ったタイムスケールで行なうことができ、かつ初期条件を変えることで、あり得た進化の歴史を想像することも可能になる。
この例は、遺伝子=個体の性を持たない原始的な生物を対象にしているが、亜種のレベルではなく別種の生物を出現させる飛躍がある。これらをもっと高度にしていけば、いずれは単細胞生物から、もっと高度な多細胞の高等生物までへの進化の長い道のりを再現できるかもしれない。Tierraはインターネットを介して提供されており、このシステムをベースにした進化モデルが世界各地で作られるようになりつつある。
進化に学ぶ遺伝アルゴリズム
生物は遺伝子を媒介として子が親の形質を受け継ぐが、突然変異や遺伝子の座の交叉などで変化を受ける。こうした変化で環境に最も適合した個体が自然淘汰でセレクションを受け生き残り、次の世代を残していく。このメカニズムは、自然環境という複雑に変化する問題空間に対する解を求める情報プロセスとも考えられる。これをアルゴリズムとして捉え、このプロセスを「永遠の新しさ(perpetual novelty)」と呼んだのは、ミシガン大学のジョン・ホランドだった[★15]。彼の所属した論理コンピュータ・グループは、フォン・ノイマンの論文をまとめたアーサー・バークスが設立し、ラングトンもここに通った。ホランドは進化生物学者R・A・フィッシャーの進化に数学理論を応用した論文に触発され、60年代半ばに遺伝(的)アルゴリズム(GA)を提唱する。GAは、解法が分からなかったり最適解を求めるのにあまりに時間がかかる問題に対し有効な手法と言われている。数列で表現された遺伝子を持ったプログラムを複数走らせ、結果を評価する形で自然選択を行ない、それらの最良のものをかけ合わせプログラムを改良していく方法を取る。
このため最適値を求めることは、多次元の空間のランドスケープの中にあるいくつかのピークを探ること、としてイメージできる。たくさんのプログラムを野に放ち、それらが動き回ってヒルクライミングを行ない、結果的に最も高い場所まで行ったものを残す。そうしてそれらをかけ合わせ世代を重ねると、より高いピークへと達するものが出てくるはずだ。
しかし、GAのもたらす因果性の分からない錬金術のような「無からの有」に対して、批判がないわけではない。全くの混沌の状態の中でランダムな組み合わせを繰り返すことで、泥の中からハエが自然発生するような形で秩序がもたらされるということ自体に、いかがわしさを感じる人も多い。ホランドの論文で基礎を確立したGAも、結局はその後、ほとんど一般には省みられずカルト的な存在になっていた。
しかし85年になって、米国で国際GA学会(ICGA)が開かれ、年々その産業応用に注目が集まるようになってきており、最近は日本でも取り上げられることが多くなった。
ホランドはこうしたGAの工学応用は難しいと考えていたが、彼の生徒だったデヴィッド・ゴールドバーグはガス・パイプラインの制御をアップルⅡ上のGAで簡単に解いてしまった。またジョン・コーザは、交叉をLISP言語のS表現上で行ない、新たにGAを使ったプログラミング法を開拓し、その応用が微分方程式や素数を求める問題、非線形の物理の問題など広範にわたることを主張している[★16]。また驚くべきことに、彼が惑星のシステムの解析にGAを用いてみたところ、ケプラーの第三法則を導き出し、その途中の過程はケプラーの理論の歴史的発展過程を模倣していたという。
現在の主な応用は、有名な巡回セールスマン問題やジョブ・スケジューリング、通信ネットワークの設計、LSIの設計などだが、他のニューラル・ネットなどと併用することで実用的な成果が出ているとされている。しかし、その可能性についてはまだ未知数も多い。
スーパーアントの登場
しかし人工生命というコンテクストで考えるなら、これを社会レベルでの生物の行動と比較して研究する方が興味深い。特にハチやアリという社会昆虫の行動を研究する例が多く報告されている。
人工知能がチェスマスターに戦いを挑んだように、人工生命のGAチャンピオンになろうとする人工アリは迷路にチャレンジする。特に有名なのはジョン・ミュアの路(John Muir Trail 32×32のマス目に描かれた1から89まで(左右はつながっている)の黒いマスを200ステップ内にどれだけ進めるかで、アリの能力が評価される)だ。チェッカーボード上にある途中が分断された89のマス目を、200タイムステップ内にどれだけ進めるかが評価される。
UCLAのデヴィッド・ジェファーソンの周りには、GAによって進化する最強のアリを育てる研究者が集まった。100世代の進化の後に出現した「チャンプ100」は、人間が教えたわけでもないのに、驚くべき器用さで路を抜けて行った。しかしある条件で最適化されたアリは、他の「サンタフェ」と呼ばれる迷路を抜けるのには適していなかった。これは進化のランドスケープの中でローカルなピークに囚われてしまったことによる[★1]。
シンキング・マシンズのダニエル・ヒリスは、こうしたシミュレーションにもっとも相応しい超並列コンピュータ、コネクション・マシンを作り出し、進化のエンジンに使おうと試みた[★4]。まずランダムな数列をある順で並べるさまざまなソーティング・プログラムを、ある世代の個体とみなし、それらを競合し進化させてみた。ある世代で生き残ったベストな種をかけ合わせ続けていくうちに、いままで人間が見出した最良の解の一つ手前まで進化させることができた。しかし彼のユニークな点は、鏡の国のアリスの「レッド・クイーン問題」にヒントを得て、単純なヒルクライミングだけでなく、寄生する種を導入することでベストな種が自分たちの成功に安住することなく新しい進歩へ向かうような工夫をしたことだ。寄生種によってランドスケープは変わり、ゲームのルールは常に変化する。こうした共進化を取り入れることによって、ローカルなピークにとらわれない新しい進化が展開された。この手法は寄生種ばかりか、生物にどうして性が発生したか、というような問題をもっと広いコンテクストから捉えるきっかけになる。
GAは遺伝子型(ジェノタイプ)によって生じる表現型(フェノタイプ)が、環境の中での適合性をチェックされ、マスの中から最良のものが選択されるselectionismを支持する。ミクロとマクロのシステムは、これまで個別に研究されてきたが、その中間のスケールのシステムや、ミクロとマクロを有機的に統一する理論はまだない。こうした研究が新しいシステム理論や、経済予測、エイズ蔓延の機構解明、地球環境問題などにも応用される可能性もある。またゲーム理論の「囚人のジレンマ」を解くことにより、国際問題や生態学における生物のサバイバルについても理解を深める可能性が各所で論じられている。

- 左 トム・レイ《3Dティエラ》
右 デヴィッド・アックレーの非ダーウィン進化シミュレーション。世代間で要素の獲得した情報を交換することで、ランダムな状態から急激に最適化された一群(黒)が出現する。
また動物の社会的な行動に注目し、もっと詳細な行動のモードをシミュレーションする試みも盛んだ。
散逸構造を提唱したプリゴジン率いるブリュッセル自由大学のダネンブールらのグループは、アリの実際の行動とシミュレーションの結果とを比較し、アリの持つ行動の複雑さの機構の意味を探る[★17]。MITのミッチェル・レズニックの作ったアリのシミュレータ[★3]は、ランダムに歩き回るアリがエサに行き当たるとフェロモンを出し仲間にその在りかを伝える。エサに群がるアリの集団行動は本物のアリと見違えるほどだ。彼は、これを子供が複雑な事象を学習するためのツールとしても使おうとしている。またマイケル・トラバースのアニマル・コンストラクション・キットではさまざまな部品から動物を構築し、それらの集団的な生態をシミュレーションできる[★3]。
ベルコアのデヴィッド・アックレーは、ラマルク的な獲得形質の継承を行なわせることによって、ダーウィンの進化と同じようなプロセスが実現されることを発見した[★4]。社会的な文化の継承というミームを扱うことで、言語や意識の進化について言及できる日も近いかもしれない。

- A-Liferの系譜 ©1993 Hattori Katsura
網膜上の生命
生物の形態発生に関して、最も良く知られているのはアリステッド・リンデンマイアーのLシステムだ。植物の成長を数学的に表現しようとしたこのシステムは、一般言語理論に従って、再帰型(リカーシブ)に文字列を発生させるものだ。リンデンマイアーはこれを純粋に理論的な研究として行なっていたが、ユトレヒト大学の彼の大学院生ベン・へスパーやポーリン・ホーゲウェグなどがこのプロセスをCG化してみると、植物に酷似した形が出現した[★3]。
フラクタルが自然の風景のCG描写に使われ、その結果が逆に数学者の理論を深めたように、Lシステムも植物などの形態素と発達のメカニズムに大きなヒントを投げかけた。パラメータを連続してダイヤルを回すように変えていくと、CGで表現された形の、非生物から生物的なものへの遷移を確かめることもできる。
しかしこのシステムのもう一つの効用は、CGやアート表現への影響だろう。ウィリアム・レイサムの地球外的生物は、われわれの生物に対する形の思い込みに挑戦する。ニューヨーク工科大学でピーター・オッペンハイマーの作った木、カナダのレジーナ大学のプルゼミスラウ・プルシンキエヴィッチの作った巻き貝は、本物と殆ど見分けがつかないほどで、こうした基本ルールこそが自然を支配しているのではないか、と見る者を納得させてしまう。こうしたジェネティック・アートはいま、最もCGの手法に影響を与えている。有名なカール・シムズの作品《パンスペルミア》は、ドーキンスのプログラム「バイオモルフ」を使って、人為選択によって残った種を進化させ、多様な生物の形態を作り出した。クレッグ・レイノルズの作り出したボイドは、お互いに一定の距離を置いて飛ぶようにプログラミングしたところ、全体がまるで鳥の群れのような飛行を繰り返した[★18]。全体を指揮するルールは規定されていないのに、こうしたフロッキングが「生じ」た。ハリウッドは早くも彼の技法を映画『バットマン・リターンズ』でコウモリのCGに応用している。
またアップルのラリー・イェガーが作ったポリワールドは、デジタル生態系の世界を色とりどりのポリゴンが飛び回る。各ポリゴンには二つの目が付いており、それが見ているまわりの環境からの映像がニューラル・ネットワークによって学習され、またGAによって進化が起こる。あるものは狂暴になり仲間を食べるようになったり、ポリワールドの周辺ばかりを走り回るエッジランナーも出現した[★19]。イェガーはこうした生態系への興味と同時に、これをもっと生物的なコンピュータのインターフェイスとしての未来のエージェントの形として研究をしている。

- 上 プルゼミスラウ・プルシンキエヴィッチほかのCG《Oliva porphyria》1992(左)、《Bednall's Volute》1992(右)。それぞれ左は本物の貝。(Photographed by Giuseppe Mazza)

- 上 クレッグ・レイノルズのフロッキング・シミュレーションを応用したCG《Breaking the Ice 》。
下 ロドニー・ブルックスのサブサンプション・アーキテクチャに基づいたロボッ卜「R-1」。
リアルライフ
大方の人工生命の研究は、コンピュータ内のシミュレーションに終始しているが、この成果を生体や移動ロボットに応用しようとしている人々もいる。古くはグレイ・ウォルターからヴァレンチノ・ブライテンバーグの「ヴィークル」[★20]まで、単純な機能を持った複数のロボットが集合体として複雑な行動を再現することは知られていた。
MITでサブサンプション・アーキテクチャ・ロボットを作るロドニー・ブルックスは「そこには、理論と実践の大きなギャップが横たわっている」と指摘する[★21]。事実、シミュレーションで可能なタスクをそのままロボットで実現するのには、大きな困難がともない、環境の中にマッチする必然的な機構を持たないロボットは生き残れない。シミュレーションの持つ観念的で蓋然的な世界表現は、現実の複雑さのディメンションにはまだ及ばないのかもしれない。
彼の作った6本脚の昆虫ロボット「ゲンギス」は、触覚や脚に独立した反射機構が付けられて、それらがネットワークされているが、従来の人工知能による高級な推論システムを備えているわけではない。しかし、従来の人工知能ロボットが画像認識を繰り返し全体の地図を描きながら何時間もかかって部屋を横切っていたものを、この無能とも見えるロボットはあっという間にこなしてしまう。行動時における自然の知能は、左脳的なシンボル操作による推論を中心に行なうというよりは、身体の各部が持っているローカルな秩序のボトム・アップ的な行動から成り立っている。
ジョン・ミュアの路を抜けたアリも自然界のアリも、複雑で高度な判断機構を持ってはいない。まわりの複雑な環境とインタラクションでき、それがある適合性を持ったとき、生存の確率が上昇するだけだ。進化を通して獲得されたルールセットを、自然の知性と呼んではいけないだろうか。
NASAではこうしたロボットに自己増殖機能をもたせ、将来は銀河系の征服までをもスコープに入れた研究が82年に行なわれており[★22]、こうしたものの見方は、物理的に進化のリミットに達した人類の進化をマシンへと移植しようという、モラヴェックなどの思想へと引き継がれていく。
生命という鏡に映されるもの
“プロセスとしての生命、もしくは人工生命”を論じるにあたって、われわれは人工知能が「心」という捉えどころのない対象と格闘した姿を思いうかべる。
人工知能が心理学に対するチャレンジを挑んだように、人工生命も生物学が問う「生命とは何か」というアポリアに対し、一つの解答を与えようとする試みといえる。しかし、解決すべき問題は多い。なぜ人間は機械の中に亡霊を見ようとするのか? 合意されてはいるものの明確に定式化されていない生命に対して、表象なきアプローチが可能なのか? 「人工知能は噓をつけるか?」と問うのと同じように、「人工生命に死はあるのか?」と、その欠如を問うことによって問題は明らかになるのか? Collectionismによりデカルト以来の二元論を克服しようとする人工生命が「メディアによらない生命」という生気論にも似た概念を新しいオーダーとしようとすることで、新たな二元論が生まれないのか? ちょうど、ジョン・サール[★23]が人工知能について弱いAIと強いAIを区別したように、人工生命にも大きく分けて二つの立場がある。弱い人工生命は、生命のモデルから何かを学ぶことに注目し、強い人工生命は情報のプロセスで再現された生命とわれわれの知っている生命に本質的な区別をもうけないという立場だ。
強い人工生命は魅力的ではあるが、これを生命と認めることができるかに関して、サールが強い人工知能に対して挑んだ「中国語の部屋」と同じ議論をすることが可能だ。彼は現在のコンピュータはすでに、「一生の間」ペンパルとして付き合えるマシンとしてチューリング・テスト(TT)をパスしていると言う。しかし、彼が全く理解できない中国語で書かれた物語に関しても、論理テーブルが与えられれば、ブラックボックスの中にコンピュータとして入った彼は理論的には質問に完全な解答を与えることができ、これはまたTTをパスしてしまう。外からは、ブラックボックスは中国語を理解しているように見えるが、中の彼は中国語をまったく理解はしていない。これと同じように、主観的な基準でしか生きているかどうか判断できない人工生命に対しても、生命として判断する方法はTT的なものしかないとすると、こうした矛盾に対処できるのだろうか。抽象できる表象可能な基準からテストを行なうのではなく、それより高い次元でロボットでの評価を含むトータル・チューリング・テスト(TTT)、もしくはそれ以上のレベルのテスト(T×n)が必要だと考える人もいる[★24]。
生命に関して、人工生命がモデル化して再現できることは、あくまでも抽象化が可能である範疇を超えず、「モデルとして作られた太陽系に、質量や重力が内在するか? その太陽系からは、現在は発見されていない物理現象を将来発見できるのか?」と問うのと同じように、モデルで表現される人工生命は生命を完全には等価的に表現できない、と否定的に捉える論議もある。もしこれが、T×nをパスしたとしても、またハーバート・サイモンが「人工的なシステムは機構が違っても完全に同じ振る舞いを再現できる」と言っても、人工生命用T×n内部の論理テーブルの数は全宇宙の原子の数を超えてしまうかもしれない。
しかし、こうした論議はどちらかと言えば不毛だろう。人工生命が生命であるか、という論議には結論は出そうもない。むしろ、生命というメタファーを通して問われる何かが、そこにあることが問題なのだ。多極化した現代の世界の複雑さを、トップ・ダウンのイデオロギーではなく、個人や個々の要素からのボトム・アップにより表現しようとする人工生命という言葉は、われわれの現在に付けられた「本当の名前」なのかもしれない。生命という最もファンダメンタルな問題にチャレンジする人類が、人工生命を通じてその先に見出すリアリティとは一体何なのだろうか?
■参考文献(代表的なもののみ)
★1――Levy, Steven. Artificial Life: The quest for a new creation. Pantheon Books, New York, 1992.(朝日新聞社から邦訳刊行の予定)[=『人工生命』服部桂訳、朝日新聞社、1996]
★2――Schrödinger, Erwin. What is Life?: With mind and matter and autobiographical sketches. Cambridge University Press, 1944. Reprinted 1967.=『生命とは何か』岡小天・鎮目恭夫訳、岩波新書、1951。[岩波文庫、2008]
★3――Langton, Christopher G. (ed.). Artificial Life (The Proceedings of an Interdisciplinary Workshop on The Synthesis and Simulation of Living Systems held September 1987 in Los Alamos, New Mexico). Addison-Wesley Publishing Company, Inc.,1989.
★4――Langton, Christopher G. (ed.). Artificial Life II (The Proceedings of an Interdisciplinary Workshop on The Synthesis and Simulation of Living Systems held February 1990 in Santa Fe, New Mexico). Addison-Wesley Publishing Company, Inc., 1990.
★5――Kelly, Kevin. “Perpetual Novelty: Selected notes from the second artificial life conference.” In Whole Earth Review, Summer 1990.
Waldrop, M. Mitchel. “Artificial Life’s Rich Harvest.” In Science, Vol. 257, 21 August 1992.
その他、Regis, Ed. Great Mambo Chicken and The Transhuman Condition: Science slightly over the edge. Addison-Wesley Publishing Company.1990.=『不死テクノロジー』大貫昌子訳、工作舎、1993。
★6――Dawkins, Richard. The Blind Watchmaker: Why the evidence of evolution reveals a universe without design. W. W. Norton & Company, Inc., 1987.[=『盲目の時計職人』中嶋康裕・遠藤知二・遠藤彰・疋田努訳、早川書房、2004(1993)]
★7――Gardner, Martin. “Life Game.” In Scientific American, Oct. 1970 & Jan. - Apr. 1971.
★8――『ASAHI パソコン』1992年8月15日/9月1日号、同年9月15日号参照。
★9――1993年3月24、25日両日に東京TDBホールで行なわれた、国際シンポジウム「知的ロボットから人工生命へ」から。
★10――『ASAHI パソコン』1992年12月15日号参照。
★11――Joyce, F. Gerald. “Directed Molecular Evolution.” In Scientific American, Dec. 1992.=「定向進化をまねた分子進化工学」、『日経サイエンス』1993年2月号。
★12――Kauffman, A. Stuart. “Antichaos and Adaptation.” In Scientific American, Aug. 1991.=「ダーウィンを超える“カオス進化論”」、『日経サイエンス』1991年10月号。 Lewin, Roger. “The Universal Constructor Set.” In New Scientist, 8 Dec. 1990.
★13――Rasmussen, Steen et al. “The Coreworld.” In Physica, D42, North Holland, 1990.
★14――Lewin, Roger. “Life and Death in a Digital World.” In New Scientist, Feb. 1992.
★15――Holland, John. “Genetic Algorithms.” In Scientific American, July 1992.=「遺伝的アルゴリズム」、『日経サイエンス』1992年9月号。
★16――Koza, R. John. Genetic Programming: On the programming of computers by means of natural selection. The MIT Press,1992.
★17――Deneubourg, J.-L. et al. A Model for Trail Following in Ants: Individual and collective behaviour. Lecture Note. Université Libre de Bruxelles, 1990.
★18――Reynolds, W. Craig. “Flocks, Herds, and Schools: A Distributed Behavioral Model.” In ACM Computer Graphics, Vol. 21, No. 4, July 1987.
★19――Yaeger, Larry. “Computational Genetics, Physiology, Metabolism, Neural Systems, Learning, Vision, and Behavior or PolyWorld: Life in a New Context.”[In Santa Fe Institute Studies in the Sciences of Complexity Proceedings Volume, vol. 17, pp. 263-263. Addison-Wesley Publishing Co, 1994.]
★20――Braitenberg, Valentino. Vehicles: Experiments in synthetic psychology. Friedr, 1987.=『模型は心を持ちうるか』加地大介訳、哲学書房、1987。
★21――Brooks, A. Rodney. “Intelligence without representation.” In Artificial Intelligence, 47, Elsevier Science Publishers B. V., 1991.=「表象なしの知能」柴田正良訳、『現代思想』1990年3月号。
Wallich, Paul. “Silicon Babies.”In Scientific American, Dec. 1991.=「米国の人工知能最前線」、『日経サイエンス』1992年2月号。
★22――Laing, Richard. “Replicating Systems Concepts: Self-replicating lunar factory and demonstration.” In Freitas, R. and W. P. Gilbreath (eds.), Advanced Automation for Space Missions. NASA Conference Publication 2255, 1982.
★23――Searle, J. R. “Minds, Brains and Programs.” In Behavioral and Brain Science, No. 3. 1980.
Penrose, Roger. The Emperor’s New Mind: Concerning computers, minds, and the laws of physics. Oxford University Press, 1989.
★24――Steven Harnad (Princeton University) などによる。
(はっとり かつら・メディア論)