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人工生命(AL)という特定世界から普遍世界への脱却

[掲載日:]

人工生命——一切の有機物の匂いを払拭し、未来的予感をアピールしながらも、そこにあるのは、昔から息づく素朴実在論が帰結する生気論である。そう感じているのは私だけなのだろうか? 確かに、時代背景は十分理解できる。効率というものを客観的存在であるかのように仮定し追求する生産者にとって、消費者がその仮定を受け入れ、生産者にコントロールされる世界が実現されるなら、それは生産者にとってこの上なく居心地の良い世界である。コントロールを、消費者に無理なく受け入れさせるキーワードが、情報であった。情報は、言語の使用における聞き手(消費者)側の跳躍、話し手(生産者)と聞き手の間にある内部観測者の選択を一切無視し、それを外部観測にすり替える装置であったが、これこそ素朴実在論の核心である。情報という言葉の氾濫にいい加減うんざりしていたところにやってきたのが人工生命だ。しかもそれは、サイエンスとテクノロジーによって巧妙に偽装し、一部ではその革新的意義、時代的要請による出現をやたらに主張したがる。わからん奴は時代から取り残されるといわんばかりに。

ここでは、人工生命の素朴さを暴きながら、それに代わる描像を提出したい。「それは君の考え、ならば人工生命をよしとする考え方もあることを受け入れろよ。所詮いろいろ存在するなかのひとつさ」。そんな反論はまだはやい。私が批判しようというのは、この反論の基底を成している、「考え方、言語、特定世界が、完結したものとして実在する」という思想なのだから。私が代案を提出するのは、代案の実在を主張するのではなく、普遍世界を知るための通過儀礼、修行としてのみである。

人工生命が主張するものは何か。それは、特定の時間発展規則と初期、境界条件に揺らぎを与えるなら、生命に似たものがつくれるということだ[★01、02]。ここではまず、生命とは何かについて答えることは、その根拠を見いだし、定義することだとの前提を受け入れるふりをし、これを生命と呼ぶ根拠は何かを問おう。第一に彼らは進化であるという。ある集団における変異を、状態集合の特定の状態とし、状態遷移規則(ダイナミクス)を変異に対する評価関数としよう。評価関数は淘汰値を決めるものであるから、それは環境によって決定される。この時、変異生成は初期条件ならびに揺らぎ(突然変異)の分布関数という形式でのみ与えられる。かかる形式化を受け入れる限り、初期条件として何を選ぶかという選択(および揺らぎの形式)と評価関数とは分離独立であり、それが生物システムと環境は分離可能である、獲得形質は遺伝しない、という総合説のドグマを表わしている。ここで、評価関数は変化せずに与えられ、初期・境界条件についても与えられるなら、なるほど状態はポテンシャル上の低きところへ向かって変化する。それはいわゆる最適化過程そのものであるから、この時間発展が、適応進化過程と呼ばれるわけだ[★03]。しかし、このフォーミュレイションは、何も生物系に固有のものではなく、スピングラスのモデルとして広くみかけるものである。この時間発展を進化と呼ぶなら、それは物質の時間発展一般に認められる。進化とは、生物に固有の属性である、とあえて主張しようものなら、先のモデルシステムで、結果的に得られる生物に似たパターンを発展させるような、初期条件、ダイナミクスの正当性を主張せねばならない。初期条件は、以前の最適化過程によってもたらされると考えざるを得ないので、以前のダイナミクスすなわち、環境が決め、現在のそれも環境が決める。すなわち進化の原因はすべて環境にあると解釈される。それは初期条件、ダイナミクスの正当性に関し、解答を棚上げすることに他ならない。かかるフォーミュレイションでは、特定のダイナミクスと初期条件および揺らぎを与えれば、適応的形態、適応的な通信手段としてのコミュニケーション[★04]等が認められるということは言えても、進化が生物における固有な属性、すなわち、進化は不可避的であり、そのための初期条件、突然変異も不可避的なのだ、とは原理的に言えない。

人工生命(AL)という特定世界から普遍世界への脱却の画像
図1
一般的な適応進化過程における突然変異(揺らぎ)と選択過程(ポテンシャル)との関係(A)。このようなモデルは一般的な学習のモデルでもある。揺らぎは、システム状態が局所的最適解に落ち込まないように振舞う点に注意(B)。しかしそのことが逆に適応の失敗をもたらす場合もあり(C)、適応過程における万能性と高い効率実現におけるトレードオフ原理を構成している。詳細は本文参照。

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図2
主な論理とそこから出現する矛盾、ローヴェルの不動点定理との関係。太い矢印は代数フリーで構造をみるとローヴェルの不動点になっている。

にもかかわらず、かかるフォーミュレイションを基盤とするAL(人工生命)の立場から逆に、特定のダイナミクスの正当性を主張しない限り、ALの独自性、ALを主張する意義が失われるといた事態が出現している。ポテンシャル上を低所へ向かう力と揺らぎとに分節すると、初期値以下の低所へ落とすことを計算ということができる。任意の初期値に対して計算が可能であることを計算の万能性、ポテンシャル上の大域的最適解まで落とせたとき、最も効率の高い計算ができたということができる。この枠組みの中で万能性をもちながら高い効率を実現できるか否かについて考えよう(図1)。システムに万能性をもたせるには、高所へ登る可能性を排除しておくのが最もよろしい。そのためには揺らぎの項を落とすべきだが、そうすると局所解にトラップされることで高い効率を実現できない。一方、高い効率を実現させようとすると、システム状態は、逆にポテンシャル上を登り続け、計算に失敗する可能性が高くなる。すなわち、両者はトレードオフの関係にある[★05]

この計算過程を適応過程や学習過程と呼ぶとき、ある程度効率が高く(適応的)、適度に融通性(可塑性)をもつようなシステムを実現するには、特殊なポテンシャルと揺らぎを用意しておかねばならなくなる。それは、極めて特殊な、特定の環境を用意することに他ならない[★06]。ところが、多くの生物系が、適応的かつある程度の可塑性をもったシステムと理解され、ALにおいてもそれはディスオーダーとオーダーの臨界的現象と解釈される。今や、何故そのような特定の、複雑なポテンシャルと揺らぎの関係が多く観察されるのかが問題となる[★07]。ALでは、そこに至る進化過程を保留にしたまま、むしろ生物系(もしくはシステムと環境との関係)とはそのような複雑なシステムであると考えることが重要である、ALはそれを発見したのだと答える。複雑系を実現する基本的原動力がカオス力学系である。

そもそも、カオス力学系は初期値鋭敏性(予測不可能性)、位相的に推移的(部分系への分解不可能性)でありながら、稠密な周期点をもつことで定義される[★08]。それは任意の初期値に対してその時間発展が、アトラクターに吸引されるのか発散するのかを決定できないことを含意する。ゲーデルの不完全性定理は、計算機理論におけるチューリングの停止問題に置き換えることができるが、それは、任意のプログラムが停止する(計算が完了する)か否かを決定する機械的手段は存在しないというものだ。カオス力学系はまさにそのような様態を具現している。このことから、カオス力学系はゲーデルの不完全性定理を乗り越える、もしくは証明不可能性を埋め込んでおり、そのような矛盾の解消された論理で進化を記述しようとする主張がある[★09、10]。この主張は、オートポイエーシスの主張(とりわけヴァレラ[★11]における)と同質のものである。

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図3
マーガラス系f:A2→A2, A={0, 1})の一次元時発展例(A)。横軸は空間、縦軸は時間で、丸が状態1、空白が状態を示す。この系は粒子の完全弾性衝突を計算するが、適当な工夫で衝突後の粒子軌道をずらすことができる。それを用いて二次元系を考え、黒粒子を入力値、白|粒子を否定演算子と考えることができる。軌道~Aに粒子|がやってくれば、~A=1、こないなら~A=0が計算される。これから制御可能なブール代数が構成可能である(B)。文献★19より改変。

図4
内部観測者の選択が大きな役割を果たす、生物学的過程の例示的モデル。ここではその時間発展を示す。横軸は空間、縦軸は時間で、点が状態1、空白が状態0を示す。局所的規則(決定項十揺らぎ)に還元されない大域的波が出現し、それを用いてブール代数計算が可能である。ここでは~(A∪B)を計算している。詳細は本文参照。

われわれの観点[★12、13]からすると、問題とすべきは矛盾を埋め込むことではなく、矛盾するにも拘わらず進行する様相なのだ[★14、15]。ここで鍵となるのは、内部観測者の選択(selectionでなくchoice)である。ここまでの議論は、相互作用を計算という機械的手段に置き換えることに他ならなかった。しかしそこにはあらゆる観測には時間が掛からないという重大な仮定が隠されている[★12、★14-16]。もし、情報の同定に有限の時間(Δt)がかかるとすると、受信開始、終了のタイミングを巡って発信者と受信者の間にコンセンサスがなければならない。それは受信者の計算処理過程がΔtを陽に記述した形式、機械的手段で置き換えられることを含意する。しかし、いま問うている生物システムではそれは存在しない。従って、われわれはタイミングのずれを考慮してなお、有限時間処理過程を、機械的手段で置き換えられるか問うこととなる。すなわちΔtを陽に記述した形式に対し、計算処理(情報同定)中の計算素子状態を無限大の精度で決定できるかという問題に直面することとなる。この問題を形式的に表わすと、自己言及のパラドクスが出現し、特定のΔtを陽に記述した形式に関する(ローヴェルの)不動点が導かれる[★17-18]。ローヴェルの不動点は代数フリーの形式で表わされるが、実はゲーデルのパラドクスも、古典論理における無限回の演算操作を古典論理で閉じさせようとすることで生ずる矛盾も、カントールのベキ集合に関する対角線論法もこの形式で表わされる(図2)。矛盾を埋め込むというだけなら、擬ブール代数はブール代数の無限回演算操作に関する矛盾を埋め込んでいるし、完備ブール代数はブール代数における同様の矛盾を回避している。つまり問題が矛盾の解消にあるだけなら、それはとうの昔に解決されている筈だ。矛盾を構成する論理と、矛盾として構成されながら認められる様相の間には、実は大きな跳躍があり、それを理解することが問題なのだ(われわれの観点から言えば、カオス力学系もそのような用い方が可能であるのだが)。対象の同定、観測が機械的手段で置き換えられるとき、これを外部観測者の選択(selection)ということにすると、われわれが問題としているのは、外部観測者の選択という形式で記述しようとするとパラドクスに陥るにも拘わらず、なされている選択(choice)は、外部観測不可能な内部観測者の選択なのである。

内部観測者の選択を認めること、それはいかなる特定の記述体系も閉じたものとして成立しないということを認めることだ。程度の差はある。しかし、計算機や数理論理においてすら、その使用者抜きに成立せず、単に内部選択をシステムと使用者の間に棚上げすることで、システムそれ自体での内部選択を見えにくくしているに過ぎない。だから、われわれは、生命とは何かという問いに、外部観測者の立場で定義を与えようとするALの立場にはくみしない。そのような問いを通過儀礼として、生命の有り様を理解しようとするのみだ。しかし、生命の定義に反抗するには、あえて同じようにシステムを構成してやることが、効果的でもある。われわれは、内部観測者の選択を、外部観測者の立場から次のように構成する。有限速度の観測を含む過程を、時間発展規則の事前・事後における区別で構成する[★13、14、18]。事前における規則(t+1 未来の状態)の不確定性を、A and(not A)を許容する論理で記述し、事後における(t+1の)状態の確定性を事前様相の対偶をとって記述するのである。図3はその一例である。一次元の局所的規則 f: A3→A, A={0, 1}, ait+1 = f(ai-1t, ait-1, ai+1t) に、事前・事後の区別を適用して時間発展を調べると、局所的規則が空間に関して決定できないにも拘わらず、大域的に重ね合わせ可能な波が出現する[★18]。われわれは波を値として用い、論理計算さえすることができる。粒子軌道を値として用いるマーガラス系[★19]の論理計算(図4)と比較すると、マーガラス系では完全に軌道がコントロールされ、計算機の使用に於て使用者は入力値を決めさえすればよい。一方、われわれのシステムでは論理計算をし続けるには、使用者が計算過程に介入することを不可避とし、かつそれによってシステムが予測不可能な振舞いをすることすら受け入れねばならない。いわば、計算使用者の内部観測が計算機に顕現するのである。

このようなシステムは、近似的に内部観測を形式化しているといってよかろう。内部選択の結果、局所的に揺らぎとも認識できるような振舞いを見せるが、同時に外部観測不可能な選択であるが故、内部選択の結果は外部観測不可能領域に取り込まれ、それが大域的な波という形式で外部観測可能領域に再度出現している。従って、大域的パターンは、局所的規則と、事前に母集団分布が決定できる形式の揺らぎという形式に、原理的に還元し得ない。このようなシステムは、まさしく前述の、外部観測者のトレードオフ原理には従わないところで、計算万能性と高効率を実現している。これを進化・適応過程とみるとき、かようなシステムが多く実現される理由を、内部観測者の選択、すなわち有限の観測速度に求めることができよう。これは先のオーダーとカオスの臨界現象への進化においても例証されている[★20]。更に計算機使用者の介入という形式で、使用自体における内部観測(使用手続きは機械的手段に置き換えられない)が顕現することから、このようなシステムは、ヒューリスティックなアイデアを出力する、考える計算機の可能性を示唆している。予測不可能な出力を新しいアイデアと認めるとき、思考したのは計算機か使用者か決定できない。われわれはそのような様相を通して、特定の閉じた世界という誘惑から抜け出そうとしている。それによってどの特定世界を採用すべきかという相対主義を、根底から崩壊させるのである。われわれは、特定世界の提示する信念を根拠にして〈生き・られる〉のではなく、ただひたすら〈生きて・いる〉のであるから。


■引用文献
★01 Langton, C. In Physica, 22D, 1991, pp.12-37.
★02 Langton, C. In Artificial Life II, Langton, C.(ed.). Addison-Wesley, 1991.
★03 von Neumann, J. Theory of self-reproducing automata. Univ. of IllinoisPress, 1966.
★04 Werner, G.M.&M.G. Dyer. In Artificial Life II, Langton, C.(ed.). Addison-Wesley, 1991.
★05 Conrad, M. In The Universal Turing Machine: A half-century survey, Herken R.(ed.). Oxford Univ. Press, 1987.
★06 Kauffman, S.A. & S.Johnsen. In Journal Theor. Biol., 149, 1991. pp.467-505.
★07 伊東敬祐『カオスって何だろう?」サイエンス社, 1993.
★08 Devaney, R. An Introduction to Chaotic Dynamical Systems. Benjamin Pub.Co.Inc., 1986. =『カオス力学系入門』後藤憲一訳, 共立出版.
★09 Antoniou, I.E. Report in II International Symposiumon Scienceand Con-sciousness, 1992, pp.69-92.
★10 Nicolis,J. "Chaosand Information Processing." In World Scientific, 1991.
★11 Varela, F.J. Principles of Biological Autonomy. North-Holland, 1979.
★12 Matsuno, K. Protobiology: Physical Basis of Biology. CRC Press, 1979.
★13 Gunji, Y. & N. Konno. Appl. Math. & Comput, 43, 1991, pp.271-298.
★14 Gunji, P.Y. Appl. Math. & Comput. (inpress), 1993.
★15 Gunji, P.Y. Appl. Math. & Comput. (submitted), 1993.
★16 郡司ペギオ幸夫「ウロボロス:生命の臨界論理」、『宗教と科学』第6巻(清水博他編)岩波書店、 1993、 pp.89-120.
★17 Gunji, P.Y. & T. Nakamura. Systems Research (submitted), 1993.
★18 Gunji, P.Y. Biosystems (submitted), 1993.
★19 Toffoli, T. Cellular Automata Machines. The MIT Press, 1987.
★20 Ito, K. & P.Y.Gunji. Biosystms 26, 1992, pp.135-138.

(ぐんじペギオゆきお 理論生物学)

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